憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

ブラッシュアップサマーセミナーのお知らせ

2011-07-30 12:05:54 | その他
 今年もブラッシュアップセミナーの季節となりました。
 道内屈指の実践者が一同に集います。どうぞ、ご参加くださいませ。


□■□第7回教師力BRUSH-UPサマーセミナーin札幌□■□
『明日の授業を創る』
新しい「うねり」に応える授業を“徹底的”に考える2日間

新学習指導要領が本実施されました。新たな視点での授業づくりが
必要とされています。また、子どもたちの学びやすさを意識した協
同的な学習スタイルも、今新しい「うねり」となりはじめています。
第7回を迎えた教師力BRUSH-UPサマーセミナーは、『明日の授業を
創る』というテーマで、徹底的に授業について考えます。

なお今年のサマーセミナーでは、大会収益を東北復興支援のための
義援金とします。


日 時:平成23年8月1日(月)2日(火)
    9時30分から

場 所:札幌市豊平区民センター(札幌市豊平区平岸6条10丁目)

参加費:3000円

後 援:北海道教育委員会 札幌市教育委員会


チラシはこちらから
http://www.h7.dion.ne.jp/~kirahika/20110801summer.pdf

お申し込みはこちらのフォームから
http://form1.fc2.com/form/?id=671922


1日目<8月1日(月)>

09:15-09:30 受付 09:30-09:40 開会セレモニー

09:40-10:30 講座「授業を支える技術のあり方とは?」
         北広島市立大曲東小学校 山田洋一

10:40-10:45 オリエンテーション(A~C/選択講座)
模擬授業から考える明日の授業づくりⅠ

A「同一教材で習得・活用の授業をつくる」10:45-11:45
   習得(30分間) 陸別町立陸別小学校  木下尊徳
   活用(30分間) 札幌市立藻岩北小学校 兒玉重嘉

B「新しいキーワードの授業をつくる」10:45-11:45
   伝統的な言語文化 旭川市立第二中学校  小林 智
   新聞活用     今金町立今金小学校  山寺 潤

C「ワークショップ型授業」10:45-11:45
   国語       函館市立松前中学校  坂本奈央美
   社会       石狩市立双葉小学校  山本和彦

11:45-12:45 昼食

A研究協議 12:45-14:00
    指定討論者   札幌市立小野幌小学校 大谷和明
            札幌市立南小学校   南山潤司
  ファシリテーター  札幌市立藻岩北小学校 山口淳一

B研究協議 12:45-14:00
    指定討論者    北広島市立大曲東小学校 山田洋一
             札幌市立幌東中学校   山下 幸
  ファシリテーター   札幌市立藻岩小学校   高橋裕章

C研究協議 12:45-14:00
    指定討論者   札幌市立厚別通小学校 大野睦仁
            北海道鷹栖養護学校  桑原 賢
  ファシリテーター  福島町立福島小学校  三浦将大

14:15-16:45 「明日の授業を創るファシリテーション講座」
            neco塾代表 岡山洋一

16:45-16:50 振り返りタイム

16:50-17:00 閉会セレモニー


2日目<8月2日(火)>

09:15-09:30 受付 09:30-09:40 開会セレモニー

09:40-10:30 講座「全員参加から協同学習へ」
        札幌市立北白石中学校 堀 裕嗣

10:40-10:45 オリエンテーション(A~C/選択講座)
模擬授業から考える明日の授業づくりⅡ

A「言語活動を明確にした授業をつくる」10:45-11:45
   算数(30分間) 洞爺町立とうや小学校 水戸ちひろ
   社会(30分間) 登別市立青葉小学校  斎藤佳太

B「新しいキーワードの授業をつくる」10:45-11:45
   先人の伝記    福島町立福島小学校  三浦将大
   討論    札幌市立幌東中学校  山下 幸    

C「ファシリテーショングラフィック」10:45-11:45
その具体的な技法を学ぶ 函館市立昭和小学校 藤原友和

11:45-12:45 昼食

A研究協議 12:45-14:00
     指定討論者  北海道鷹栖養護学校  桑原 賢
            札幌市立南小学校   南山潤司
  ファシリテーター  今金町立今金小学校  山寺 潤

B研究協議 12:45-14:00
     指定討論者  函館市立松前中学校  坂本奈央美
            札幌市立藻岩北小学校 山口淳一
  ファシリテーター  札幌市立厚別通小学校 大野睦仁

C研究協議 12:45-14:00
    実践提案   函館市立昭和小学校  藤原友和
     指定討論者  札幌市立北白石中学校 堀 裕嗣
            札幌市立藻岩小学校  高橋裕章
   ファシリテーター 石狩市立双葉小学校  山本和彦

14:15-16:45 ホールシステムアプローチ「明日の授業を創る
~学びのシェアリング」      neco塾副代表 丸山宏昌

16:45-16:50 振り返りタイム

16:50-17:00 閉会セレモニー

研究大会に参加をする

2011-07-29 14:16:46 | 特別支援教育
 先日、とある特別支援学校の研究大会に参加をした。
 そこには、普通中学校の教師も参加をしていて、その普通校の特別支援学級担当の教師より、次のような報告があった。
「市内には、約250人の特別支援学級の教師がいますが、その半数が期限付きです」
 ちょっと、会場は、どよめきました。

 恐らく、そんなこと、普通校の教師であれば体感として認識できているのだろうが、この研究大会は大半が特別支援学校の教師の集まりだったので、普通校の現状なんて、ほとほと皆さん知らないのである。

 私は、こと特別支援教育については、特別支援学校と特別支援学級の間に、同じ特別支援教育に携わっているにもかかわらず、深い断絶があると考えている。
 この深い断絶の原因は、ごく当たり前の話で、校種が違うことによる。
 小学校教師と中学校教師の間の情報交流の少なさの程度と同じく、特別支援学校教師と特別支援学級教師の間にも情報交流は少ない。これが校種の違いというものだ。ただ、私は、小学校と中学校の間でみられる、校種が違うがために生まれる現場の論理の違い、というものほど、特別支援学校と特別支援学級の間には、現場の論理の違いは小さいと思う。
 だから、今後、やり方によっては、この両者の深い断絶が多少は解消できるのではないかと思っている。
 では、どうやって、この断絶を解消するか。

 まず、特別支援学級の多くの教師の専門的な部分に関しての勉強不足をあげつらうことは簡単だ。
 それは、特別支援学級教師としてプライドをもって仕事している教師だって、特別支援学級でやっている特別支援教育の程度の低さは、課題と感じているハズである。
 けれど、これは、構造的な問題である。特別支援学級の担当の半分が期限付きという状態じゃあ、特別支援教育の程度があがるはずがない。
 もう一つは、特別支援学校の側から、特別支援学級に寄っていくという方法だ。
 特別支援学校での実践の蓄積を、特別支援学級へ流していくのである。あとは、どうやって寄っていくか、そのやり方ということになるのだろう。
 そんなことを研究大会に参加しながら考えていた。

矢幡洋『数字と踊るエリ』

2011-07-24 18:48:20 | 教育書レビュー
 自閉症児と診断された娘を持つ父親の療育記録。
 障害克服の成功事例といってよいだろう。

 私は、氏の著書を読んだのは、今回が多分はじめてだと思うが、氏はテレビによくでる犯罪心理分野でのコメンテーターでもあるらしく、著名人らしい。著書も数十冊を数えるとのこと。
 私のように誰だか知らん、という人は、とりあえずネットで画像検索をかけてからこの本を読むと著者のイメージがわいていいと思う。私は、読後にネット検索をかけたけど、読後感が、そりゃあもう、あなた、ぐらーっとひっくり返りましたよ。
 
 こなれた文章で、たいへん読みやすい。
 実娘の自閉症の改善の記録であるので、同様の自閉症児を持つ親にとっては、福音ともとれる療育事例が記述されているといってよい。
 ただ、このお子さんが、どの程度の知的な遅れを伴っているのかが、わからなかったのが残念。著者によれば、自閉症度は「中等度」(この記述は、私には不明。本当に、客観的検査を受けたのだろうか)となっているが、著書に載せている幼児期の絵や数字を見る感じでは、知的な遅れは重くないのではないかと推察された。
 自閉症改善の療育プログラムについては、自閉の強さもさることながら、知的な遅れの度合いも考慮にいれないと、うまくはいかないであろうし、せっかくの成功事例が広く汎用化するためにも、そうした情報は必要であるように思われた。
(ちなみに高機能自閉児の社会参加成功事例としては、高橋和子『高機能自閉症児を育てる』(小学館新書、2010年、がある)

 著者は、お子さんが小学校に入学するとき、行政の就学指導に反する形で、普通学級に入れる決断をする。そして、結果的には自閉が改善したわけなので、この決断は正しかったという結論になるわけであるが、こうした論述は、読者に誤解を与えるだろう。
 著者や、著者の妻のように、保護者がリスクをきちんと引き受けるという覚悟があるのであれば、普通学級という選択でもよいと思うが、普通学級を選択したために、子どもにとっては様々な困難が生じていたということについては、読み落とさないで欲しいと思った。

 これまで自閉症をテーマにした本では、自閉症者の特異な行動様式は多く記載されていても、自閉症者がどうして、そういう行動をとるのか、その思考様式を推察したものは、ほとんどなかった(一部の高機能自閉者が書いた文献から、私たち非自閉者が推察するしかなかった)。そのなかで、この著書には、実娘の思考様式が記述されている部分があって、これは貴重だろうと思った。
 こうした、自閉症者に寄り添った本というのは、これまでは、村瀬学『自閉症』(ちくま新書、2006年)くらいだったんじゃなかろうか。
 自閉症者の思考様式と知るというのは、いうなれば、その人の全人格を肯定することから始まることなのだから、臨床的なアプローチではなく、親愛の情が必要ということなのだろう。

矢幡洋『数字と踊るエリ』(講談社、2011年)


自閉児の味覚について

2011-07-17 11:27:35 | 養護学校の日常
 自閉傾向の人にとって、感覚が健常の人と比べてユニークであるということは、よく知られている。特定のことが過敏に感じるのである。
 例えば、聴覚。マイクを通して聞こえる音が、健常の場合よりも、キツく聞こえてきて、とてもうるさいということがあるようだ。あるいは、花火の音やピストル音では、パニックになる子どもも多いから、運動会では配慮が必要となる。
 あるいは、皮膚感覚。衣類のタグがちくちくしてダメな人というのは、自閉症でなくてもよく耳にすることがある。
 では、味覚はどうか。こちらも、自閉症の人は独特である人がいる。酸っぱいものが、健常の場合よりも、何百倍酸っぱいと感じるという人がいるらしい。あるいは、これは味覚よりも触覚なのかもしれないが、炭酸水のシュワーがものすごく不快という人もある。多分、口の中で、羽蟻のような昆虫が大暴れしているような感覚じゃないかしら。
 虫といえば、混ぜご飯がたべられない子どももそうじゃないかと思う。白米は平気なのだけど、わかめご飯とか、まぜご飯がとにかくだめ。これも、白米のなかに虫がうごめいて見えているのかもしれない。
 そうした、ユニークな過敏とは別に、自閉症特有の「こだわり」によって、偏食がつよい子どもも多くいる。この見極めは難しいところである。総じて、学校教育は、こだわりを崩す方に重きをおいている。私も、彼らが、社会で生きていくのであれば、「こだわり」はない方が、より社会で生きやすいだろうと思うから、どんどん「こだわり」をくずす。
 できれは、感覚過敏も、できるだけ慣れるようになった方がいいと思う。それは、障害特性ではあるけれど、結構、克服できるものではないかと思うからだ。

特別支援の子どもの楽しみ

2011-07-10 10:38:21 | 養護学校の日常
 普通の中学生が日常の生活のなかで、楽しみにしていることって何だろう。
 友人との関わり合いか? 部活動か? それとも、ネットやゲームや音楽や読書といった趣味か? あるいは、つき合っている異性と過ごす時間か?
 人それぞれだろうけど、だいたいが、今あげたところじゃないかなあ、と思う。では、知的な遅れのある子ども達だったら、何を楽しみに生活をしているか想像がつくだろうか。
 友人との関わり?これは、子ども達同志で会話が成立しないから難しい。部活動?これはそもそも、知的の特別支援学校にはない。ネットやゲームは、難しくて楽しめない。彼らの多くはテレビを見ても楽しめない。
 そういう彼らが、日常生活のなかで楽しみにしていることは何か?というと、その多くは「食べること」となる。毎日の食事、これが知的な遅れのある子ども達の生活のなかでの楽しみごと、といってよい。好きなものを食べられたら、より楽しいだろうが、そうでなくても、毎日三回、お腹一杯食べること、これが彼等の楽しみとなっているのだ。
 こうしたことは、特別支援学校の教師達にはよくわかっているので、学校の朝の会などでは、給食の献立をていねいに知らせることが多い。

 「食べること」が楽しみな知的な遅れのある子ども達は、困ったことに、カロリーをなかなか消費してくれない。同年代の子ども達と比べて、圧倒的に運動量が少ないのである。だから、体質にもよるけれど、肥満気味の子どもが多い。そうなると、大好きな食事の量を減らさなくてはいけなくなる。可哀相だけど、彼等の健康を考えるとやむを得ない。運動をさせていることにはさせているけど、それにも限界があるから、食事量の制限で肥満を解消するのだ。この辺りの論理は、肥満傾向の健常人と同じである。

 そういうわけで、「食べること」が楽しみな多くの知的な遅れのある子ども達は、欲求が制限されている状況にある。この欲求とは、腹をすかせている、というわけではい。食べ物に飢えているのではなく、「食べる」という楽しみが制限されている状態なのだ。
 つまり、ゲームの好きな子どもがゲームを取り上げられている状態なのと同様に、楽しみを取り上げられているというわけである。そうなると、多くの知的に遅れのある子どもは、こと食べることに関しては、情熱を燃やすことになる。知的な遅れのある子ども達の食欲からくる、可笑しくともびっくりするようなエピソードは、特別支援学校の教員であれば、一つや二つ必ず持っているはずである。
 私の持っているエピソードその1。
 自宅で早朝、冷蔵庫を開けて、茄子やキュウリを生で食べたという子ども。保護者が起きると、冷蔵庫の前で食べていたという。何という情熱。そして、知恵も働かせている。だって、冷蔵庫のなかにある、生で食べても大丈夫な食べ物、というのを認識したうえで、それらを食べるのであるから。なんでもかんでも食い散らかしたわけではない、ということが、なかなかすごいなあと思う。
 エピソードその2。
 これは私が知っている最大の強者。それは、やっぱり早朝なのだが、家の炊飯ジャーに直接生卵を割って入れて、ジャーを抱えてスプーンで食べていたという子ども。これは幾重にもすごい。ジャーを開けるというのもすごい(恐らく、そんな経験は家ではさせていないと思う)が、それに生卵を割って入れて食べよう、という発想がとにかくすばらしい。そして、その発想を実現するには、生卵を割る、ジャーに入れるという一連の行動ができなくてはならない。こうした行動には、高い手指機能が求められるのだ。こうした子どもの行動は、叱るまえに、ほめてしまいたいくらいに、すばらしいことだと思う。

給食とアレルギー食材の話

2011-07-03 16:49:50 | 養護学校の日常
 私が教員になった15年前には、すでにソバは給食の献立からはなくなっていた。
 ソバの場合は死に至ることもあるから、アレルギーとしては別格なのだろうけれど、その他のアレルギーをもよおす食材、たとえば、卵やエビやナッツといったものは、今でも普通に給食の食材に入っている。
 
 ちなみに私には、いわゆるバラ科の果物にアレルギーがある。リンゴ、桃、サクランボといったものだ。はじめに気がついたのは、給食でサクランボを食べて。給食といっても、教員になってからのことで、20代後半の頃だ。子どもの頃は、これらの果物を食べても全然平気だったから、この時期に私の身体に重大な変化が訪れたのだろう。それはともかく、当時は、自分がアレルギー体質になっているなんてわからなかったから、どうして喉がひりひりするのか、見当もつかなかった。恐らく、職員室で「喉が痛いなあ」なんていう話をして、同僚から「それってアレルギーじゃないの」と教えてもらって、はじめてわかった、という感じだったろう。
 そうして、サクランボだけではなく、リンゴや桃も食べると喉がひりひりするという、アレルギー症状がでるのは経験的にわかったけど、これらがすべてバラ科の果物だと知るのは数年後のことだ。リンゴとサクランボと桃が同じ仲間だとは、信じられなかった。大体、あのバラの花と、リンゴやサクランボや桃が同じ仲間であるということすら、私には驚きであった。さらに、バラ科には、ナシやイチゴも含まれると知ったのは、もっと数年後である。今のところは、ナシやイチゴは食べられるけど、そのうち食べられなくなるんだろうなあ。
 当時、私はリンゴが給食で出るたびに、生徒に、今のウチにしっかり食べておきなさい、そのうち食べられなくなるかも知れないよ、と繰り返し繰り返し言っていた。

 特別支援学校には、アレルギー体質の子どもは多いことだろうと思ったけど、実際勤務してみて、それほどでもないことがわかった。普通校より少し多いくらいだった。それに、現在のところ、小麦アレルギーの生徒も勤務校にはいないから、給食の献立で大きな代替食が必要となる子どもはいないのだった。ちょっと、かわったところでは、特定の銘柄のそうめんにアレルギーの症状をもよおす生徒がいる。だけど、これは本当にアレルギー症状なのかどうかはわからない。食べさせて確認するわけにもいかないし、謎のままである。
 基本的に、学校給食では、アレルギーの食材が入っていたら、よけて食べなさいという指導が主である。先ほどの小麦アレルギーならともかく、卵やエビやナッツのアレルギーで、その生徒にだけ、給食の献立を変えて代替食にせよというのも難しいだろう。なので、こうした指導は、これは仕方がないといえる。それに、給食のみならず、食べられない食材は、自分で見つけて食べないようにしなさいと教えるのも、学校教育としては大切なことだろう。
 特別支援学校の場合だったら、担任が生徒個々のアレルギー食材を把握して、生徒が食べてしまわないように、よける、ということになる。
 私の学級であったら、スイカ、バナナ、エビ、それぞれにアレルギーをもよおす生徒がいるから、それらが献立に出た場合は、食べさせないようにするということだ。

 私のこれまでの教員生活では、アレルギーによって生徒が重篤な状態になったということはなかった。けれど、気をつけないと、呼吸困難とかになる場合もあるので注意が必要である。

 ただ、アレルギーではないが、ある薬を飲んでいる生徒にはグレープフルーツを食べさせてはいけないということは、特別支援学校に勤務してはじめて知った。薬との相性がよくないためなのであるが、フルーツとして柑橘類のなかでもグレープフルーツに特定されるのが面白いと思った。