憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

インクルージョン(包括)教育の現状と、いくつかの提案~その1

2011-05-14 21:11:15 | 特別支援教育
 障害を持った子どもと健常の子どもが共に学ぶという、いわゆる「インクルージョン(包括)教育」という理念は、理念としては全く正しいので、これを批判するという言説は、今のところはない。
 ただ、理念としては正しいのだが、これを完全に現場で行うことは無理である。重度の知的な遅れのある子どもが通常の教室にいても、その子どもの学ぶ権利は全く保障されることはない。あるいは、全盲の子どもが通常の教室にいても、恐らくは聴覚による認知でしか学ぶ権利は保障されない。つまり、そういう子どもも含めた完全なインクルージョン教育というのは、現実には不可能である。
 ただし、こうした現実的に不可能なのにもかかわらず、理念を現実に無理矢理当てはめていこうという、イデオロギーは存在する。つまり、重度の知的な遅れのある子どもも、全盲の子どもも、健常の子どもと同じ教室で学ばせるべきであるという主張である。しかし、こういう主張は私に言わせれば、理念を実現することが目的的となってしまっているといういささか狂信的な主張といえ、このような主張はひたすら理念を押し通すだけで、恐らく建設的な議論にはならない。であるから、こうした一部のイデオロギーはここでは除外しよう。
 では、現状としてはどうなのかと言えば、このインクルージョン教育というのは理念としては全く正しいのだけど、されど、現場で完全に実現するには不可能であるといえ、結果的に今以上に浸透することはないだろうというのが、現在の学校現場での現状といえよう。
 特殊教育が特別支援教育に移行したのは、インクルーションの理念に基づいているだろう。しかし、それは、インクルーション教育の完成なのか。それは違うだろう。特殊教育から特別支援教育への移行というのは、インクルージョン教育の出発であろう。なぜなら、それまでインクルージョン教育の実践は行われていなかったのだから。特別支援教育に移行して、ここから、インクルージョンの実践が始まると考えるべきだろう。
 では、そうやって出発したインクルージョン教育の実践は、現在、どこまで進んだか。私見を述べれば、それは出発から一向に進んでいないというのが現状ではないか。
 この進んでいない現状というのを考えるなら、インクルージョン教育という理念は、理念として正しいには違いないのだが、相当粗い理念でもあるということだ。もちろん、理念というのはそういうものだという主張は成り立つ。しかし、そうであればなおさら、批判を含めて、インクルージョン教育について多くの議論がなされるべきではないか。現状は、そうした議論が特別支援教育の現場を変化せしめるようにはなっていない。
 私は、インクルージョン教育についての言説に触れるたびに、どうも知的怠惰性というのを感じずにはいられないのである。
(この話題は、多分次回に続く)


1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今はそう呼ぶんだ。 (たかぴろ)
2011-05-21 21:41:54
オラが教育実習に行った頃=十年以上前は、統合教育、って呼ばれてたけど、なんか呼び方変わったんだ。(wikipedia にもそう書いてあった。)
返信する