教師が生徒を呼ぶとき,どんな風に呼ぶか。
「山田」「鈴木」と呼び捨てか。それとも,「横山君」「大西さん」と「くん」「さん」とつけるか。あるいは,「健一」「まき」と名前を呼ぶか。いやいや「やっち」「ななちゃん」と愛称で言うか。
いま4つの例を出したが,それぞれ教師によって呼び方がある。
大まかな傾向で言えば,「鈴木」「山田」の<名字呼び捨て派>は,年配の男性教師に多いだろう。中堅以上の女性教員は,<「くん」「さん」派>が多い。
私の場合。新卒のころは,基本的に<名字呼び捨て派>だった。しかし,面と向かって話すときや,何か改まって生徒を呼ぶときは,「くん」「さん」をつけていたりした。新卒4年目あたりから,名字の呼び捨てはどうもいかんなと思って,「なおき」「あかね」と名前を呼ぶようにした。周りの私と同年代の教師がみんな<名前で呼ぶ派>だったから,それにならったわけだ。けど,この名前で生徒を呼ぶのは私にはどうもあわなかった。ので,1年ほどでやめた。そして,現在にいたるまで,私は,すべての生徒に「大西君」「横山さん」の<「くん」「さん」派>である。
ただし,教育相談などで話をするときや,お互いの関係性もじゅうぶんにできていると確信するときには,「啓太くん」「理恵さん」と名前で呼んだりする。けど,「健一」「まき」という名前の呼び捨ては,私にはありえない。
そういうわけで,私は<「くん」「さん」派>なのだが,これは非常に楽である。誰でも彼でも「くん」「さん」だ。ほめるときも,叱るときも「くん」「さん」だ。わけ隔てなく,いつでもどこでも「くん」「さん」だ。私としては,これがとても楽チンだなのだが,今の学校では,私のような<「くん」「さん」派>は少数派のようだ。
どうして少数派なのだろうかしらと考える。考えるに,やはり,よそよそしい感じがするからなのかなと思う。
ウチの学校での多数派は,「優子」「あきら」の<名前で呼ぶ派>だ。これが主流をしめている。
もちろん,私としては他の教師が生徒をどう呼ぼうとかまわないのだが,教師間で生徒の話題で喋るときは,ちょっとだけ面倒になる。「健一がねえ…」と話題をふられたときに,私は,「健一」ってだれかなあ,ああ「山田健一」だなと,名字に変換をするわけで,時間がかかる。これが,面倒なことだ。
若い教師の場合,これに「やっちがね…」とか,「さなぴいは…」とか<愛称で呼ぶ>派が加わるから,私は,「やっちってだれ?」と聞き返さなくてはならなくなるのだった。
そういうわけで,現在の私は,マイノリティの悲哀を味わっているのである。
私は「くん」「さん」をつけて呼ぶのが,最も有効だと思っているのだが,他の先生はそうは思っていない。
私にとって,<名前で呼ぶ派>,ましてや<愛称で呼ぶ派>なんてのは,生徒指導するにはとてもやりづらいと思う。だから,<「くん」「さん」派>のよそよそしさで,かまわないと思う。
他方,名前で呼ぶ先生は,生徒の信頼関係をしっかり持って指導を進めたいという考えなのだろう。そういう親愛の情をこめて,名前や愛称で呼んでいるのだろう。
さて,この話題で私は何がいいたいのかというと,結局のところ,生徒をどう呼んでもいいのだということだ。<「くん」「さん」派>であろうが,<名前で呼ぶ派>であろうが,別に良くも悪くもないということなのだ。全くありきたりの主張なのであるが,ただ言えるのは,生徒の呼び方ひとつとっても,そこには教師のキャラクターが関わっているということだ。
例えば,ウチの保健室の養護の先生は50代の年配教員であるが,女子生徒を「ちゃん」づけで呼ぶ。もし,これが私のような30代の男性教員だったら,気持ちが悪いだろう。せいぜい,休み時間の談笑のネタとして,呼ぶこともありえなくはないというところだろう。そんなことを考えると,私が自分のキャラクターを立てるまでに,新卒より5年くらいかかったということだ。私のキャラクターでは,<名字呼び捨て派>や<名前で呼ぶ派>ではしっくりこなかったのだ。<「くん」「さん」派>で,キャラと合致したのだ。
そして,私のような<「くん」「さん」派>が今の学校で少数派ということは,私のようなキャラクターの教師が今の学校では少ないということだ。多くは,生徒との信頼関係を醸成しながら,指導を進めるキャラクターのタイプが多いようだ。また,生徒を呼び捨てにするような,高圧的な教師は,ウチの学校にはいない。
私の場合は,必要に応じて高圧的にする。そういう態度を出すときは,名前ですら生徒を呼ばず「キミの考えはおかしいよ」などと「キミ」呼ばわりして,突き放して指導をする。「あなた」「お前」よりも,冷たい感じがして,私のキャラクターにあっていると認識しているからだ。
ちなみに…,生徒は私のことをどう呼ぶか。今は,100%「桑原先生」だ。30歳を超えたあたりから,それしか呼んでくれない。まったくサミしい限りである。20代の頃のように,「ゆうちゃん」とか「ゆうたろう先生」とか,もう一度,呼ばれないかなあ…。
「山田」「鈴木」と呼び捨てか。それとも,「横山君」「大西さん」と「くん」「さん」とつけるか。あるいは,「健一」「まき」と名前を呼ぶか。いやいや「やっち」「ななちゃん」と愛称で言うか。
いま4つの例を出したが,それぞれ教師によって呼び方がある。
大まかな傾向で言えば,「鈴木」「山田」の<名字呼び捨て派>は,年配の男性教師に多いだろう。中堅以上の女性教員は,<「くん」「さん」派>が多い。
私の場合。新卒のころは,基本的に<名字呼び捨て派>だった。しかし,面と向かって話すときや,何か改まって生徒を呼ぶときは,「くん」「さん」をつけていたりした。新卒4年目あたりから,名字の呼び捨てはどうもいかんなと思って,「なおき」「あかね」と名前を呼ぶようにした。周りの私と同年代の教師がみんな<名前で呼ぶ派>だったから,それにならったわけだ。けど,この名前で生徒を呼ぶのは私にはどうもあわなかった。ので,1年ほどでやめた。そして,現在にいたるまで,私は,すべての生徒に「大西君」「横山さん」の<「くん」「さん」派>である。
ただし,教育相談などで話をするときや,お互いの関係性もじゅうぶんにできていると確信するときには,「啓太くん」「理恵さん」と名前で呼んだりする。けど,「健一」「まき」という名前の呼び捨ては,私にはありえない。
そういうわけで,私は<「くん」「さん」派>なのだが,これは非常に楽である。誰でも彼でも「くん」「さん」だ。ほめるときも,叱るときも「くん」「さん」だ。わけ隔てなく,いつでもどこでも「くん」「さん」だ。私としては,これがとても楽チンだなのだが,今の学校では,私のような<「くん」「さん」派>は少数派のようだ。
どうして少数派なのだろうかしらと考える。考えるに,やはり,よそよそしい感じがするからなのかなと思う。
ウチの学校での多数派は,「優子」「あきら」の<名前で呼ぶ派>だ。これが主流をしめている。
もちろん,私としては他の教師が生徒をどう呼ぼうとかまわないのだが,教師間で生徒の話題で喋るときは,ちょっとだけ面倒になる。「健一がねえ…」と話題をふられたときに,私は,「健一」ってだれかなあ,ああ「山田健一」だなと,名字に変換をするわけで,時間がかかる。これが,面倒なことだ。
若い教師の場合,これに「やっちがね…」とか,「さなぴいは…」とか<愛称で呼ぶ>派が加わるから,私は,「やっちってだれ?」と聞き返さなくてはならなくなるのだった。
そういうわけで,現在の私は,マイノリティの悲哀を味わっているのである。
私は「くん」「さん」をつけて呼ぶのが,最も有効だと思っているのだが,他の先生はそうは思っていない。
私にとって,<名前で呼ぶ派>,ましてや<愛称で呼ぶ派>なんてのは,生徒指導するにはとてもやりづらいと思う。だから,<「くん」「さん」派>のよそよそしさで,かまわないと思う。
他方,名前で呼ぶ先生は,生徒の信頼関係をしっかり持って指導を進めたいという考えなのだろう。そういう親愛の情をこめて,名前や愛称で呼んでいるのだろう。
さて,この話題で私は何がいいたいのかというと,結局のところ,生徒をどう呼んでもいいのだということだ。<「くん」「さん」派>であろうが,<名前で呼ぶ派>であろうが,別に良くも悪くもないということなのだ。全くありきたりの主張なのであるが,ただ言えるのは,生徒の呼び方ひとつとっても,そこには教師のキャラクターが関わっているということだ。
例えば,ウチの保健室の養護の先生は50代の年配教員であるが,女子生徒を「ちゃん」づけで呼ぶ。もし,これが私のような30代の男性教員だったら,気持ちが悪いだろう。せいぜい,休み時間の談笑のネタとして,呼ぶこともありえなくはないというところだろう。そんなことを考えると,私が自分のキャラクターを立てるまでに,新卒より5年くらいかかったということだ。私のキャラクターでは,<名字呼び捨て派>や<名前で呼ぶ派>ではしっくりこなかったのだ。<「くん」「さん」派>で,キャラと合致したのだ。
そして,私のような<「くん」「さん」派>が今の学校で少数派ということは,私のようなキャラクターの教師が今の学校では少ないということだ。多くは,生徒との信頼関係を醸成しながら,指導を進めるキャラクターのタイプが多いようだ。また,生徒を呼び捨てにするような,高圧的な教師は,ウチの学校にはいない。
私の場合は,必要に応じて高圧的にする。そういう態度を出すときは,名前ですら生徒を呼ばず「キミの考えはおかしいよ」などと「キミ」呼ばわりして,突き放して指導をする。「あなた」「お前」よりも,冷たい感じがして,私のキャラクターにあっていると認識しているからだ。
ちなみに…,生徒は私のことをどう呼ぶか。今は,100%「桑原先生」だ。30歳を超えたあたりから,それしか呼んでくれない。まったくサミしい限りである。20代の頃のように,「ゆうちゃん」とか「ゆうたろう先生」とか,もう一度,呼ばれないかなあ…。