憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

寺脇研『ロマンポルノの時代』(光文社新書、2012年)を読む

2012-09-01 18:56:18 | その他
 4月より中学生になった娘に、使っている教科書を見せてもらう。
 その教科書を見ると、どうにも可笑しい気分になる。
 現行指導要領下で、教科書は見事に先祖返りを果たしていたのである。

 中1の場合、数学はそうでもないのかもしれないが、社会科と理科、英語は顕著ではないだろうか。
 特に、英語は、昭和55年指導要領下よりも教科書の内容は難しくなっているのではないかと、素人目には思った。
 
 ここで、学習指導要領の変遷について、おさらいをしておく。現行の指導要領とは、平成23年改訂指導要領のことをいうが、中学校は、今年度すなわち平成24年度から完全実施なので、今年が初年度である。今回は「脱・ゆとり教育」と言われている通り、30年ぶりに授業時数も増加したし、教育内容も増えた。当然、教科書も厚くなった。こうしたことは、改革とか変革というよりも、単に「ゆとり前」に戻った、つまりは先祖返りした、という方が正しいと私は思う。
 わが国では、昭和46年改訂指導要領下での学校教育が、もっとも教育内容が多かった時期だった。「教育の現代化」なんて言われていたが、同時に「落ちおぼれ」という言葉が一般的に言われるようになったのも、この時期だ。私は小学生だった。
 続いて、その反省を受けた昭和55年改訂指導要領から、少しずつ教育内容は削減されていく。この時期、私は中学生。そののち、「生きる力」がキーワードとなる平成4年改訂と続く。この時期、私は教員養成系の大学生。指導要領の勉強も、教員採用試験の勉強も、この平成4年版がベースである。
 そうして、私は中学校社会科教員となって、平成4年版の教科書で授業をし始めたのであるが、自分が中学生だった頃とは、さほど教育内容は変化していなかった。逆に、歴史や公民は最新の内容が取り入れられて、教えることが増えているような印象すらあった。
 だから、ゆとり路線は昭和55年から始まるなんていう議論がされるけど、平成4年版までは、そんなに現場レベルでは教育内容は削減されている体感はない。
 やはり、なんといっても、その次の改訂である平成14年改訂指導要領が現場ではドラスティックだった。普通の中学校教師だったら、これもあれも教えなくて、本当にいいの?と思ったはずである。社会科では、歴史や公民の重要語句が間引きされた。地理では、従来教えていた単元がスコンと消えていた(理科も同様とのこと)。この平成14年改訂からの10年間が、いわゆる「ゆとり教育」と呼ばれているもの。
 そして、今回の平成23年改訂の現行指導要領で、教育内容は元に戻ったのだった。社会科でいえば、「ゆとり」で消えていた教育内容がめでたく復帰。特に地理は、「ゆとり」下で批判されたいわゆる地誌教育にカリキュラムが戻り、完全に先祖返り。理科も単元が戻り、従前となっているとのこと。英語は、イディオムは平成4年版とは大きな変化はないものの、テキストの量は増加して平成4年版よりも難しくなったのではないか、というのが私の印象。
 そういうわけで、中学校の社会科、理科、英語あたりは中1の教科書を見る限り10年前の「ゆとり」前に戻ったのであった。つまり、あの「ゆとり」の10年間は何だったの?ということなのだ。

 文科省は「ゆとり路線」をやめて、元に戻しましたとは絶対に言わないけど、教科書は露骨である。日本の戦後教育は「ゆとり」の10年間だけ「異端」だったことが、はっきりとわかるのである。

 このような「異端」な文教政策を推し進めた戦犯は誰かといえば、寺脇研だ。もちろん、氏の一人の力だけで、こんな大きな政策を推進できたわけでもないし、氏は当時「ゆとり」推進のスポークスマンとしての役回りを演じただけ、ということもいえる。だから、「ゆとり」失敗に対し、氏ひとりに詰め腹を切らせる(事実、中央から飛んだ後、文科省を辞めたわけだけど)のも気の毒かもしれないが、現在ですらメディアに露見して、「叩かれて虐められる可哀相な元官僚の絵」を自分で演出している風にもみえるので、叩いても別にいいだろう。
 現在、テレビに出ては「ゆとり路線」は間違っていたと伏し目がちに言っておきながら、ネット上では「ゆとり」教育はいいこともあったと平気で言うような氏は、当時、文教政策の中枢に居るべきではなかった。教育は国家百年の大計であるから、「ゆとり」で学力低下をまねき、今後、「ゆとり」で育った国民によって国力低下をもまねくであろう文教政策を推進した寺脇氏には、これから百年は国賊者としての汚名を着せ続けるべきであろう。

 さて、今回、氏を話題にあげたのは、寺脇研『ロマンポルノの時代』(光文社新書、2012年)を読んだから。
 氏は、文部省の官僚の頃も、映画時評を雑誌に掲載しているライターだったのね。それも、ロマンポルノを愛する。
 氏が、映画好きということは知っていたけど、ここまでのめりこんでいたとは知りませんでした。氏のにっかつロマンポルノへの愛惜の情が溢れる、とても素敵な新書。私としては、80年代の後期作品に対する評論が、70年代の初期作品より少ないのが残念であるが、ロマンポルノを映画芸術として、正当に評価している点が何とも素晴らしい。また、氏の自伝的な部分も、鼻につかない程度に書かれていて、そんなことにも好感。
 こういう著書を読むと、私には氏への敬愛の念が生じる。
 こうやって官僚とライターの二足のわらじを履いていれば、それはそれで幸せな人生だったろうにと、余計なお世話ながら思う。けれど、氏は官僚としてのデキが良かったものだから出世してしまい、文教政策の中枢に入り込み、のっぴきならないところにまで行き着いてしまったのだろう。
 現在の、映画評論家という肩書きに、氏は果たして満足しているのだろうか。