憂太郎の教育Blog

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京都祇園軽自動車暴走事故について

2012-04-14 22:14:59 | その他
 京都市東山区で軽乗用車が暴走し歩行者7人が死亡した事故について。
 事故当日、4月12日の21時からのNHKニュースでは、「発作」までは報道していたが「てんかん」という言葉は、アナウンサーもレポーターも一切発しなかった。無論、NHKの方針によるものに違いなかった。運転者の家族のコメントも流していたが、「てんかん」というコメントはカットしていて放送されていない。しかし、報道の内容は、どうみても「てんかん」発作による事故ということを伝えていた。こうした、あまりに露骨な事なかれ主義に私は嫌悪した。
 しかし、翌日の新聞報道では、運転者の家族が「てんかん」だったとコメントをしたことで、見出しには「てんかん」と載った。家族が言っているからOKという新聞社の報道姿勢に、私はもっと嫌悪した。たとえ報道によって、一般の「てんかん」者が差別を受けようが、家族が言っているのを報道したまでだという、報道者側の責任回避ともいえる報道姿勢に、報道者としてのプライドはないのかと思った。そのうえ、これでは、まるで今回の事故は加害者家族に責任があるかのようなリードとなっている。(もちろん、家族には法的な責任はないし、医師にも責任はない)。こうなると、悪辣さも感じてしまう。
 これでは、まだNHKニュースの方が、良心的であった。

 今後である。
 報道に関していうならば、今後、報道機関は「てんかん」について正確に報道することだろう。そして、わたしたちは「てんかん」について正しい理解をすることだろう。別に、差別するなとか、共生社会を目指せとか、そういう価値的な規範について議論する必要はない。
 そうではなく、単純に知識として「てんかん」とはどういうものなのかを、わたしたちは知ることだ。
 正しく理解をすれば、今回の事故は、運転者の犯罪的行為に他ならないことがわかるだろう。そして、「てんかん」者の免許取得制度についても、今後は、見直されて取得の条件がより厳しくなるかもしれないが、取得禁止になることはないだろう。現在でも、発作の危険性のある者には免許は与えられないのだ。発作の危険性のない者だけが運転できる。これが現行の制度だ。できることといえば、免許取得時や更新時や取り締まりの時に、発作の危険性を測定することなのだろうが、これも現在では不可能であるということは、「てんかん」についての正確な理解の範疇に入るだろう。
 せいぜい、罰則の強化ということだろうけど、それによって、今後もこうした事故のリスクが軽減されるとは思えない。

 今回の悲惨な事故によって、世論が「てんかん」者への自動車運転に対して、否定的な情動にかられてしまわないかどうか注視したいと思う。