今はやりのモンスターの本。
諸富氏は「悩める教師を支える会」の代表である以上,われわれ教師に耳の痛い議論は展開しないので,モンスターにやっつけられた教師が傷を舐めて貰うには格好の本といえる。それはそうと,教師が元気のなくなることは,結果的に子どもを不幸にしてしまうことなのであるから,こういう本を読んで元気を充填させてまた明日からのサバイバル戦に臨んで欲しいと願わずにはいられない。
人間だれしも,気力が充実しているときと,疲れて神経過敏になっているときがある。気力が充実しているときは,多少のクレームだろうか何だろうが解決できる気持ちの余裕があるだろうが,疲労感や徒労感で気持ちが沈んでいるときは,ほんの些細なことでも大きなダメージなってしまう。だから,実は教師にとって大切なのは,モンスターがどうとかということよりも,いかに我が身を健康な状態に保つかということなのではないか?
ところで,私の目下の関心は,何でここ最近になってモンスターペアレントなるものが出現したかということ。モンスターの暴れ具合を書いた本はいっぱいでているが,どうして出現したかの分析がどうも弱い。本書もここが弱い。氏は,保護者の世代の象徴として松田聖子をあげて,「松田聖子世代」論を展開する。けど,これはどうかなあ。固有名詞をあげて,モンスターの象徴が「松田聖子」というのはねえ。松田聖子が読んだら怒るでしょうに。けど,氏は松田聖子ならバッシングしてもへっちゃらと思っているんでしょう。
でね。そうなると,これは,すなわちモンスターと教師の関係とぴったり当てはまるの。モンスターは教師をバッシングしてもへっちゃらと思っているわけでね。というわけで,つまり,教師は松田聖子のように強くならんといかんということなのよ!
諸富祥彦『モンスターペアレント!?』(アスペクト,2008年)
諸富氏は「悩める教師を支える会」の代表である以上,われわれ教師に耳の痛い議論は展開しないので,モンスターにやっつけられた教師が傷を舐めて貰うには格好の本といえる。それはそうと,教師が元気のなくなることは,結果的に子どもを不幸にしてしまうことなのであるから,こういう本を読んで元気を充填させてまた明日からのサバイバル戦に臨んで欲しいと願わずにはいられない。
人間だれしも,気力が充実しているときと,疲れて神経過敏になっているときがある。気力が充実しているときは,多少のクレームだろうか何だろうが解決できる気持ちの余裕があるだろうが,疲労感や徒労感で気持ちが沈んでいるときは,ほんの些細なことでも大きなダメージなってしまう。だから,実は教師にとって大切なのは,モンスターがどうとかということよりも,いかに我が身を健康な状態に保つかということなのではないか?
ところで,私の目下の関心は,何でここ最近になってモンスターペアレントなるものが出現したかということ。モンスターの暴れ具合を書いた本はいっぱいでているが,どうして出現したかの分析がどうも弱い。本書もここが弱い。氏は,保護者の世代の象徴として松田聖子をあげて,「松田聖子世代」論を展開する。けど,これはどうかなあ。固有名詞をあげて,モンスターの象徴が「松田聖子」というのはねえ。松田聖子が読んだら怒るでしょうに。けど,氏は松田聖子ならバッシングしてもへっちゃらと思っているんでしょう。
でね。そうなると,これは,すなわちモンスターと教師の関係とぴったり当てはまるの。モンスターは教師をバッシングしてもへっちゃらと思っているわけでね。というわけで,つまり,教師は松田聖子のように強くならんといかんということなのよ!
諸富祥彦『モンスターペアレント!?』(アスペクト,2008年)