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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・余白余録

2017年04月19日 05時19分35秒 | メッセージ
ビリー・グラハム著『世界は燃えている』―死が、死んだ日―より
 「聖書はイエス・キリストの復活を、肉体的感覚をもって調べることのできる出来事として取り扱っています。それは、目を包含しています。なぜなら、弟子たちは、あらゆる考えられる状態のもとにおいて、イエスがお姿を現されるのを見たからです。ある場合には、ただひとりの弟子に、また、別のときには、500人以上にお姿を現わされたのです。ある者は、イエスを単独で見ました。ある者は、いっしょに見ました。ある者は、少しの間見ました。ある者は、長い間見ました。ある者は、遠くから見ました。ある者は、近くから見ました。ある者は一度だけ、ある者は数回見ました。復活は耳を包含しています。なぜなら、弟子たちは、イエスとの会話において、彼の御声を聞いたからです。それは触れることを包含しています。なぜなら弟子たちは、イエスに手を触れて、現実に彼がそこにおられることを確かめよと言われているからです。彼らは、イエスを見ただけではありませんでした。彼らはまた、イエスに触れ、彼とともに歩み、彼とともに話し合い、彼とともに食し、そして彼を調べたのです。このことは、イエスの復活による出現を、幻覚の領域から、論証し得る物理的な事実の領域へ移すものです。」