歌猫Blog跡地

漫画「鋼の錬金術師」と荒川弘について語るブログ。更新終了しました。

怖さが足りない(雑誌ネタバレ)

2005年01月28日 | ◆新刊読んだ!
「鋼の錬金術師」
んっとね。
批判つか批評的な記事は読んで楽しくない方は、読まない方がいいかも。
あと、ファンフィクション(いわゆる同人)を、原作との引き合いに出すなんて言語道断!って方も、そのお気持ちはすごくよく分かるので、どうぞ読まないでください。
でも、作品そのものの批判のつもりはありません。だって、やっぱファンなんだもん。


今月号。
エドの、悪夢のシーン。
読んで、既視感をもった。見たことあるような感じ。
それはファンフィクションの読み過ぎだろー!って話もあるかもだけど。
んー、ちがう。
結論から言うなら、怖さが足りない。

似たものを見ていても。
それまでの物を越えていれば、それが初めての印象となるんだ。それが一番の印象になる。
見たことある、聞いたことある、それはそれがオリジナルとなるだけの、力が足りないからだ。

3ページちょっともページを割いてるのに、それを満たすだけの怖さが無い。
悪夢なら「お母さんはちゃんと作ってくれなかったのね」のが、絶対的に力がある。


逆に。
埋葬場所を掘り起こすシーン。
ここも、既視感がある。アニメで似たのがあったから?ファンフィクションではエドが精神的苦痛に吐くとかも、まあ、ありがちっちゃあ、ありがちだ。
けど。こっちは、こっちがオリジナルだ。
こっちが上だ。力があるから。

打楽器が低く切羽詰って響く、BGMを感じるような画面。
怖い、痛い、それでも。
「逃げてたまるか」 がつんがつんに響くエドの決意。

比べて、悪夢のシーンは?


作者さんは、例えば、ビルの屋上に追い詰められた怖さを描くのは上手だ。ヤバイ後が無いどうしよう!っての。
でも、ビルに閉じ込められた怖さは?
正面に刃物を突きつけられる怖さも、真後ろでシャリン、と鞘鳴りのする怖さも上手いけど。身動きできない後頭部の髪の毛をシャリシャリと削がれるような怖さは?

ハガレンって、すっごい、つかみ所が「ある」。質量がある。
だから荒唐無稽なトンデモ設定にも実在感があって説得力があってそれは作者の力量だなあと思う。

だから、つかみ所の「ない」、悪夢とか、そういう生理的な恐さ、じゅるっとぬめって湿っぽくて天も地も今も未来も無いような、そういう怖さを描くのは、うーん。

苦手なんだろな、つか、好きじゃないんだろな。そうゆうの。



ところで。埋葬場所を掘るシーンについて、ファンサイト春酔庭の1月21日付の感想で「雨の音」について語っていて。
以下、引用。
「雨の音」ではなく土を掘り返す音が勝り、手を止めた途端エドの耳を支配した音も雨ではなく心臓の鼓動。雨の音が前面にでるのは235頁、エドワードが最初の確証を手にした瞬間。(中略)実際に己の取り違えを手にして自失したところは無音で、そんな自分を笑い飛ばしたところだけ音が入る。そして今後につながるところは無音―
そのメリハリが、重い過去をひっくり返すダイナミズムを(以下略)

なるほどそうか。
そう、映画のように。ここぞという時に、音が消え、そして音が入る。
そう。映画のように。映像が生きているんだ。このシーン。読者にとって。それはつまりそれ以上に作者の中に。
まざまざと、映像が浮かんでいて、それを切り取って紙に載せる。

悪夢のシーンは、映像が、たぶん、浮かんでなかったんじゃないか。と、私は思う。「悪夢のシーン」というシナリオに沿って描かれた絵。だから、きっと、力が足りないんだ。


そりゃあ、そんなの、私の勝手な思い込み。
でも、そう、感じるんだ。

じゃあ、ハガレン、好きじゃなくなる?
そんなこと無い!
だって私を惹きつけるのは、禁忌や罪悪感や過去の行いに囚われるエドじゃなくて、それを乗り越えてゆくエドだもん。
私が求めるのは悪夢のシーンじゃなくて。
真直ぐに、前を向く、力強いエドなんだ!。

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