平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

福井-6 福井藩の財源再建を行った由利公正の寓居跡

2021年11月14日 | 幕末

 思想家、橋本左内は幕末の日本を維新へと導いた人物。その意思を受け継いだ由利公正。福井の天才二人が仕えたのは松平春嶽である。1856年末日本の将来を憂いていた左内は福井城に呼ばれ、藩主・松平春嶽の側近に抜擢された。このころ、左内は由利公正と出会う。福井藩の財政は軍事費の拡大により困窮を極めていた。井伊直弼の独断で日米通商条約が結ばれ諸外国との交易が始まると、由利公正は藩札を発行して元手を得、交易を始めた。また、左内は独断で交易を結んだことに怒りを覚えていた朝廷を利用して井伊直弼打倒を目指した。ところが井伊はこういう動きの徹底粛清を1858年7月始めた。いわゆる安政の大獄である。一橋派の公家には隠居謹慎を命じ、左内は1859年10月7日斬首となった。

 この5か月後、江戸城桜田門で井伊直弼は水戸脱藩藩士などにより暗殺され、幕府の権威は失墜し、これ以降維新の動きは加速する。背後に居たのは一橋派の面々である。藩札で諸外国と交易を行うことで多大な利益を上げていた公正の功績で福井藩は天下無比と云われるほどに富んでいた。これを聞きつけて訪ねてきたのが坂本龍馬。その後、自ら貿易に乗り出した龍馬は西郷などとも人脈を広げ新政府を打ち立てるため活動した。しかし直後の1867年11月に龍馬は暗殺され、公正は龍馬の志を受け継ぐことになる。1868年12月、公正は政府の財政を取り仕切る役職に就いていた。ところが戊辰戦争が勃発、莫大な戦費が必要となった。そこで由利公正は太政官札を3200億円分発行。課題は紙幣、つまり新政府に対する信用である。公正は五箇条の御誓文によってその信用を得たのである。新政府はこれを元手に旧幕府軍と戦い戊辰戦争に勝利し明治は始まった。

コメント    この記事についてブログを書く
« 福井-5 竜馬の歌碑(福井藩... | トップ | 福井-7 下部太郎、ウィリア... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

幕末」カテゴリの最新記事