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福井-7 下部太郎、ウィリアム・エリオット・グリフィス像

2021年11月14日 | 幕末

この像は、日下部太郎ならびにウィリアム・エリオット・グリフィスの師友関係を象徴したものである。日下部太郎(1854~1870)は、慶応3年(1867)福井藩で初めての海外留学生としてアメリカに渡った。ニューブランズウィック市のラトガース大学に入学し学問の研鑽に励んだ太郎は、広い分野で優秀な成績をおさめたが、卒業を目前にして病気のため26歳の若さで客死した。彼の死は大学関係者や一般の市民に惜しまれ、大学は太郎に卒業生と同等の資格を与えると共に、同校の優等生で組織されるファイ・ベータ・カッパー協会の会員として彼を推薦し、その印として金の鍵を贈った。

ウィリアム・エリオット・グリフィス(1843~1928)は、大学の先輩として太郎を指導していたが、その勉学態度を見て日本人の節度、勤勉さに心を動かされ、日本に興味をもつようになった。明治4年(1871)、グリフィスは福井藩からの招聘に応じ、藩校「明新館」における理化学の教師として来福し多くの若者を指導した。国内情勢の変化のため、グリフィスはわずか10か月で福井を離れたが、その後も『皇国』という本の出版をはじめ数多くの講演や執筆活動を行い、アメリカにおける日本の紹介と理解に貢献した。昭和49年(1974)、福井青年会議所の人々の働きかけにより日下部太郎とグリフィスの深い絆をいつまでも後世に語りつごうという気運が高まった。それをきっかけに福井市とニューブランズウィック市との交流が進み、昭和57年(1982)5月25日、両市は姉妹都市として提携した。平成14年(2002)に両市の姉妹都市提携20周年を迎えたのを記念して、2人の像を建てたものである。


【現地案内板より抜粋】

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