【フン族移動】
300 フン族(アッティラ王406-453)
┗遊牧民/騎馬民族フン族は牧草を求めて西へ移動 原因は寒冷化?
最終的に落ち着いたところが今のハンガリー(HungaryのHungが語源か?)
アジア系のマジャール人
名前は姓名の順:日本と同じ
375 西ゴート族(ゲルマン)が最初に移動---スペインで定住
東ゴート族(ゲルマン)はフン族につかまったまま
┗フン族が弱体化すると@西ローマ帝国滅亡の頃476
オドアケルを倒してイタリアに定住建国
ゴート:ゴシックの語源
【ゲルマン民族移動】--- 4世紀~8世紀で中世ヨーロッパが形成される
4世紀 ゲルマン民族の中のフランク族は今のフランスライン川中流域に移住し、やがて西ヨーロッパ全域を支配する。
375年に急に来たわけではない すでにローマで傭兵、下級役人、農奴(コロヌス)になっていた
フランク族は元々キリスト教アリウス派(イエスは人)であった
→ ローマ人に合わせてアタナシウス派(三位一体)に改宗した
395- ローマ帝国の分裂 : 理由は①内政弱体化 ②他民族外圧
→ 西(ローマ教皇:ラテン十字)
→ 東(コンスタンティノープル総主教:正十字)
アレクサンドリア/エルサレム/アンティオキア---イスラムに吸収された
410 西ゴート族(ゲルマン)がローマ略奪---西ローマ帝国はほぼ崩壊
435- ゲルマニアからスペイン経由(西ゴートに敗戦)で北アフリカに移住した民族をヴァンダル人といい、北アフリカカルタゴを首都とするヴァンダル王国をを建国した。
┗地中海の島々を制覇、ローマをも略奪(ヴァンダリズム)
彼らが北アフリカに進出する前に一時的に定着したスペインのアンダルシアが語源である。ゲルマン民族の中でもブルグント人はフランスの中東部地域に移動。ブルゴーニュ ワインで有名なブルゴーニュはブルグント人が語源である。
ヴァンダル : 南仏アンダルシア地方の語源
ブルグント : 西仏ブルゴーニュ地方の語源
5世紀 ゲルマン民族の中でもアングロ人、ジュート人、サクソン人の3部族はアングロ・サクソンという総称で呼ばれる。彼らはブリテン島への渡来を行い7王国を建てる。
フランク族 : 移動最小、統治方法(ローマ宗教に改宗) ゲルマン民族の生き残り戦略-1
476- 西ローマ皇帝(ロムルス・アウグストゥス)廃位 By 軍人オドアケル433-493
西ローマ(皇帝政治+教皇宗教)の政治力低下 : フランク族が原因の一端
481- フランク王国メロヴィング朝481-751(西ローマ皇帝廃位の頃)
ランゴバルド : 北伊ロンバルディア地方の語源
サクソン : 独ザクセン地方の語源
530- この様な大移動によってイタリア北部にいた東ゴート人は減少し、西ゴートへ移動する
┗その後、東ローマ帝国・ユスティニアヌス483-565は地中海を制圧、ペルシャと抗争
┗東ゴート、ヴァンダルを滅ぼす
568- ゲルマン民族のランゴバルド人はランゴバルド王国を築いた@イタリア半島
┗その後フランク王国によって滅亡
イタリア半島の変遷
┗オドアケルによる西ローマ皇帝廃位@476
┗東ゴート族侵攻 @493
┃ フランク王国クローヴィスがアタナシウス派に改宗@496
┃ ┗ローマ教皇と強固な結びつき
┃ キリスト教の正当性:ニケーア公会議
┃ アリウス派は異端
┗東ローマ侵攻 @530
┗ランゴバルド侵攻 @568
┗フランク王国侵攻@774
┗・・・ブルグント滅ぼす
フランク王国の変遷
┣初代クローヴィス466-511がフランク族を統一メロヴィング朝@481
┃ ┣祖父メロヴィクスにちなむ王朝名
┃ ┗祖父はフン族を撃退:カタラウヌムの戦い@451
┣妹を東ゴートのテオドリックに嫁がせる
┣自分はブルグントの王女クロティルダと結婚--体制安定策
┣アタナシウス派に改宗---ローマ教皇の権威を得る@ランス・ノートルダム大聖堂で戴冠式
┣西ゴート侵攻---イベリア半島に追いやる@507
┣東ローマと会談--アウグストゥス称号得る
┣ブルグント侵攻---クローヴィスの子の時代に滅亡@534
┣宮宰(国王の側近-カロリング家ピピン2世635-714)が力を持ち始める
┃ ┣トゥール・ポワティエ間の戦い@732⇔イスラム軍
┃ ┃ ┗西ゴート滅ぼす@721
┃ ┣カール・マルテル688-741(ピピン2世の子)が撃退---マルテル:意味は鉄槌
┃ ┃ ┗ピピン3世714-768 : ローマ教皇の許可を得て自分が王となる→ピピンの寄進(ラヴェンナ)
┗ ┃ ┃ ┗カロリング朝@751
┃ ┃ランゴバルド侵攻(ロンバルディアの語源:ミラノ周辺)→ラヴェンナ奪取(後の教皇領)
┃ ┗カール大帝742-814
┃ ┣ランゴバルド滅亡@774
┃ ┣東側勢力(アジア系アヴァール民族)撃退
┃ ┣カールの戴冠@800 Byカトリック教皇(ランスの戴冠の上位:西ローマ帝国皇帝)
┃ ┃ ┣ローマ文化+ゲルマン民族+カトリック
┃ ┃ ┣東ローマ帝国(エイレーネ女帝752-803)が東西統一を持ち掛けたが没
┃ ┃ ┣エレーネの失政が元でローマ教皇はカール大帝に近づいた
┃ ┗ルートヴィッヒ1世778-840敬虔王
┃ ┗3分割ヴェルダン条約@843(西、中、東)
┃ ┗メルセン条約@870
┃ ┣東フランク---断絶@936→選挙王政→オットー1世912-973
┃ ┃ 西ローマ皇帝戴冠→後に弱体化し・・・神聖ローマ帝国
┃ ┣西フランク---断絶@987→パリ伯爵ユーグ・カペー+諸侯の封建体制
┃ ┃ カペー朝
┃ ┗中フランク---断絶@855→1861迄都市国家(ヴェネツィア、ナポリなど)分立
┃
┗イスラム支配@イベリア半島は以降800年続く
726- 聖像禁止令 By東ローマ皇帝(レオン3世675-741) --- 西ローマ教皇は孤立
イスラムとの対立を避ける為
732- イスラム侵攻 --- ゲルマン民族・フランク族(カール大帝)がイスラム撃退@732 ゲルマン民族の生き残り戦略-2
751- カロリング朝誕生 カール・マルテル688-741の子ピピン3世714-768が初代@751
756- ⇒息子ピピン3世がローマ教皇・ステファヌス3世に領土寄進(ラヴェンナ地方) ゲルマン民族の生き残り戦略-3
800- カールの戴冠12/24 ローマカトリックは カール大帝742-814 に西ローマ皇帝の称号を与える(初代神聖ローマ皇帝)
⇒ローマカトリックにとってのカール大帝は収入源
⇒フランク王国の宮廷が置かれたのはアーヘン(ベルギー境界の近く)
⇒国王のカール大帝がここの温泉を気に入ったという。アーヘンの有名な菓子はプリンテン。
814- ⇒フランク王国は、滅亡して814年に東/中部/西フランクに分裂
⇒ゲルマン民族に対するキリスト教布教に聖像を利用
一方、東ローマはビザンツ帝国(ギリシャ正教)として以降1000年続く
⇒キリストは偶像崇拝を禁止しているとしてフランク王国と対立
以降は【フランス-1】 10世紀 フランス王国は元々ローマ帝国-カペー朝のフランス
遊牧民の分布