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高砂-2 新撰組・河合耆三郎の出身地は播州高砂

2021年11月21日 | 幕末

 河合耆三郎源義輝は新撰組勘定掛である。 天保9年(1838年)、播州高砂の米商人・小間物屋という裕福な商家・河合儀平の長男として生まれる。 妹きくの嫁ぎ先、大阪平野町の八百源から新撰組に応募したのは25歳のときで、勘定掛を務める。818の政変では京都御所南門の守備に当たっている。また、池田屋事件のときも出動しており金15両の報奨金をもらっている。さらに長州藩勢を迎え撃った禁門の変にも出動し、長州藩兵が撤退したあとの残務処理にあたっている。大阪町奉行所の依頼を受けて摂津に出張して敗走した長州藩が捨てた武器類を大阪まで移送するための人足の調達などを宿役人に命じている。河合耆三郎源義輝に同道したのは山崎大三郎。ところが1866年、近藤勇の妾、御幸太夫の身請け金五百両用立ての段になって、帳簿に対する不足金五十両が穴埋めできず、不正があったとして2月12日切腹になったという。一説には斬首。遺体は壬生寺に葬られて、後年姉・松浦鶴、妹。神田菊、らにより墓碑が建立された。享年29歳。

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