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越前藩を立て直した松平春嶽

2010年01月14日 | 幕末

 幕末の雄藩といえば薩長土肥が有名であるが、徳川の親藩・越前藩も松平春嶽という名君によって藩の建て直しが成功している。 土佐勤皇党であった坂本龍馬は開国論者・勝海舟に会いに行き(当初暗殺が目的であった)歴史は大きく動きたが、そのきっかけは松平春嶽にあるという。 坂本龍馬は最初、春嶽に会い勝を紹介された。 郷士の階級の人間が越前の殿様に会えるということは江戸中期では考えられないことであるが、国を思う優秀な人材には身分の壁を飛び越えて接する姿勢が春嶽にはあった。 後に勝海舟が神戸に海軍操練所を造ったときに、坂本龍馬を越前藩に使者として送り運営資金の調達を行っている。 このとき海軍の育成の重要性を理解した春嶽は5000両をだした。 これは春嶽の軍師・横井小楠のアドバイスでもあり、また同志として越前藩士・由利公正を龍馬に紹介している。 由利公正も横井とともに越前藩の財政立て直しを行った人物で、龍馬は新政府の財政立て直しを懸念して由利公正に相談を持ちかけている。 坂本龍馬が近江屋において暗殺され、王政復古後由利は新政府に招かれて財政を担当したが、このときに坂本龍馬の船中八策を整理し、新政府の根本方針としたのである。 五箇条の御誓文がそれである。 

 優秀な政治家・松平春嶽にはもう一人橋本左内という人物がいた。 西郷隆盛折り紙つきの男である。越前藩士の子として生まれた左内は16歳で大阪の緒方洪庵の門をたたき、3年間蘭学を学ぶなかで、日本の危機的な状況を理解することとなる。 左内の主君・松平春嶽は徳川一橋派であり、 徳川13代将軍の跡目には一橋慶喜を推していた。 ところが現実には幼少ではあるが老中以下の家臣が補佐すべきとして慶福を推す守旧派が幕閣を握っている。 そこで春嶽は朝廷から慶喜推薦の勅許を示してもらおうと考え、橋本左内を京に送り込み公家たちを説いた。 しかし春嶽の最大のライバルである守旧派幕閣・井伊直弼が腹心の長野主膳を送り、関白九条尚忠を見方につけたために一橋派は敗れた。 そして井伊直弼は大老となり春嶽を隠居の身に追い込むと、橋本左内は謹慎の身となり処刑されたのである。 

 

徳川家重1712-1761(9代将軍)     
 ┣徳川家治1737-1786(10代将軍)       
至心院┣千代姫    ┣-
   ┣万寿姫   倫子女王(1738-1771)閑院宮直仁親王の第6皇女 
   ┣家基1762-1779 
   ┃徳川家康    
   ┃┗宗尹(一橋徳川家初代当主)           
   ┃  ┃┏斉隆1777-1795福岡黒田氏藩主   
   ┃  ┃┣斉敦1780-1816一橋徳川家3代当主   
   ┃  ┃┃   ┣-
   ┃  ┃┃ ┏保子 
   ┃  ┃┃二条治孝1754-1826(左大臣)   
   ┃  ┃┃ ┃   
   ┃  ┃┃ ┣二条斉通1781-1798(母:嘉姫)   
   ┃  ┃┃ ┃   
   ┃  ┃┃ ┣九条輔嗣1784-1807(養子 父:九条輔家)   
   ┃  ┃┃ ┃ ┣九条尚忠1798-1871(関白左大臣)  
   ┃  ┃┃ ┃ ┃ ┣九条道孝1839-1906(左大臣 最後の藤氏長者) 
   ┃  ┃┃ ┃ ┃ ┃ ┗節子(大正天皇皇后 貞明皇后)  
   ┃  ┃┃ ┃ ┃ ┣九条夙子1833-1897(孝明天皇女御 英照皇太后) 
   ┃  ┃┃ ┃ ┃ ┗二条基弘1859-1928  
   ┃  ┃┃ ┃樋口基康娘   
   ┃  ┃┃ ┣西園寺寛季1787-1856(母:徳川宗翰娘)   
   ┃  ┃┃ ┃   
   ┃  ┃┃ ┣二条斉信1788-1847(母:徳川宗翰娘)    
   ┃  ┃┃ ┃ ┣二条斉敬1816-1878  
   ┃  ┃┃ ┃ ┃ ┗二条基弘1859-1928(養子) 
   ┃  ┃┃ ┃ ┃   ┗二条厚基1883-1927 
   ┃  ┃┃ ┃ ┃    ┗二条弼基1911-1965(養子) 
   ┃  ┃┃ ┃ ┗広子(有栖川宮幟仁親王妃)  
   ┃  ┃┃ ┣九条尚忠1798-1871(関白左大臣)   
   ┃  ┃┃ ┃   
   ┃  ┃┃ ┗隆子(常蓮院)   
   ┃  ┃┃   ┃ 
   ┃  ┃┃   ┣斉朝1793-1850(正室:家斉娘 淑姫)    
   ┃  ┃┣治国1776-1793(母:お富)   
   ┃  ┃┣斉匡1779-1848(徳川田安家2代当主   
   ┃  ┃┃ ┣松平慶永1828-1890(春嶽)田安家3代当主→越前松平氏15代藩主  
   ┃  ┃┃ ┣徳川慶臧1836-1849徳川尾張家13代当主  
   ┃  ┃┃お連以   
   ┃  ┃┃   
   ┃  ┗治済┓1751-1827(一橋徳川家2代当主)   
   ┣徳川家斉1773-1841(養子 第11代将軍)
 蓮光院(お知保)  ┃
        ┏━━━━┛
       ┣敦之助1796-1799(清水徳川家養子)正室近衛寔子 (広大院島津重豪娘)  
        ┣淑姫1789-1817(尾張徳川斉朝妻) 側室お万(勢真院)
    ┣家慶1793-1853(12代将軍)    側室お楽(香琳院)
     ┃ ┣家定1824-1858(13代将軍)   母:本寿院1807-1885       
     ┃ ┃┣-       
     ┃ ┃篤姫1836-1883       
     ┃  ┗慶昌1825-1838(一橋徳川家6代当主)母:清涼院         
     ┣敬之助1795-1797(尾張徳川家養子)側室お歌(宝池院) 
    ┣峰姫1800-1853(水戸徳川当主斉脩妻)側室お登勢(妙操院)         
     ┃治紀 ┣-       
     ┃ ┣徳川斉脩1797-1829(水戸8代藩主)       
     ┃ ┗徳川斉昭1800-1860(水戸9代藩主)       
     ┃   ┣徳川慶篤1832-1868(水戸10代藩主)      
     ┃   ┣徳川慶喜1837-1913(15代将軍)      
     ┃ ┏吉子女王1804-1893(父:織仁親王)      
     ┃ ┣有栖川宮韶仁親王1785-1845      
     ┃ ┗喬子女王1795-1840       
    ┃   ┣竹千代、儔姫
    ┃  家慶1793-1853(12代将軍)
    ┣斉順1801-1846(清水家3代当主)  側室お登勢(妙操院)          
    ┃ ┗家茂1846-1866(14代将軍)   母:実成院1821-1904          
     ┣斉明1810-1827(清水徳川家当主) 側室お八重(皆春院) 
     ┣斉民1814-1891(津山藩8代藩主)  側室お八重(皆春院)         
     ┣斉衆1812-1826(鳥取藩主)     側室お八重(皆春院)         
     ┣斉良1819-1839(浜田藩主)     側室お八重(皆春院)         
    ┣斉裕1821-1868(徳島藩13代藩主) 側室お八重(皆春院)     
    ┣斉荘1810-1845(田安家4代当主)  側室お蝶(速成院) 
    ┃ ┗昌丸1846-1847(一橋徳川家6代当主)          
    ┣和姫1813-1830(長州藩主毛利斉広妻)側室お蝶(速成院)  
    ┣浅姫1803-1843(福井藩主松平斉承妻)側室お美尾(芳心院)    
     ┣斉温1819-1839(尾張藩11代藩主) 側室お瑠璃(青蓮院) 
     ┣斉彊1820-1849(紀州藩12代藩主) 側室お袖(本性院)     
     ┣斉善1820-1838(福井藩主)    側室お似登(本輪院)        
     ┣斉省1823-1841(川越藩主)    側室お似登(本輪院)        
     ┗斉宣1825-1844(明石藩主)    側室お似登(本輪院)

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