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歴代天皇・皇后総覧

2007年05月17日 | 陵 古墳 墓 遺跡

歴代天皇・皇后総覧

 約1年前から天皇陵めぐりをしていますが、大変役に立っているのがこの本です。ぎっしり500ページにその内容が網羅されていて2000円というお買い得な本でもあります。 前半は天皇に関し、後半は皇后に関する情報が満載です。 天皇陵をめぐるときにはまずこの総覧にて前もってある程度の知識を得ておいて、当日に望みます。 帰ってきたら再度目を通して復習を・・・というところでしょうか。 ほとんど耳にしたことのない皇后様のことも簡単ではありますが知ることができて参考になります。 もちろん当ブログの内容についても総覧の中から抜粋させて頂いております。

 

 歴史に興味があるあなたも、一冊手に入れては如何ですか? さて、わたくし天皇陵のほとんどを巡り、今度は皇后陵を制覇すべく、奮起してみようかな、と思っています。 もちろん今までも天皇陵をめぐりながら、皇后・皇子・皇女の陵も参りましたが、制覇するとなると、天皇陵に比べて数倍困難であるということもわかってきました。 なぜならば、124人+5人(南北朝時代)の天皇の皇后陵もしくはお墓が全て存在するのかどうかが、不明です。 存在するということがわかっても見つけ出すのに一苦労しそうです。 

 たとえば、京都・宇治にある宇治陵は平安時代を象徴する藤原氏一族の墓があるらしいのですが、どれが誰の墓であるのかが不明だそうです。 ということで、可能な限りやってみようかと。。。  御陵・墓・火葬塚・灰塚・陵墓参考地など総計900に及ぶらしいのですが、今まで訪れたのは皇后・皇子・皇女陵墓あわせて約200箇所なので、ん~~・・・残りは700・・・。可能な範囲をどのあたりに設定しようか、悩みます。。 時代設定を平安に絞れば、どんなもんだろう。

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仁和寺宮墓地

2007年05月17日 | 陵 古墳 墓 遺跡

仁和寺宮墓地(11墓1塔)

 京都府京都市右京区花園扇野町の花園西陵に接してあるこの墓地には、仁和寺の門跡として歴代に名を残した御方が眠っています。(撮影:クロウ)

春の仁和寺

 

秋の仁和寺

 

 

後陽成天皇第一皇子・覚深親王

 天正16年(1588)誕生、若宮と称され、秀吉により儲君に治定。文禄3年(1594)親王宣下(諱良仁)。後陽成院は良仁親王への譲位を拒み、皇弟智仁親王への譲位を望んだが家康などに引き止められ、結局のところは女御近衞前子所生の三宮(後の後水尾院)へ譲位となった。慶長6年(1601)入寺得度。同19年(1614)叙一品。正保5年(1648)遷化61。母は藤原(中山)親子

後水尾天皇第七皇子・性承親王

 寛永14年(1637)誕生、豊宮と称する。正保4年(1647)親王宣下(諱周教)、入寺得度。明暦2年(1656)叙二品、延宝6年(1678)叙一品。遷化42。母は藤原(水無瀬)氏子

霊元天皇第二皇子・寛隆親王

 寛文12年(1672)誕生、二宮と称する。天和3年(1683)親王宣下(諱師永)、入寺得度。元禄2年(1689)叙二品。宝永4年(1707)叙一品。遷化36。(かんりゅう) 母:源福子

霊元天皇皇孫・守恕親王

 宝永3年(1706)誕生、稲宮と称する。享保3年(1718)霊元院の養子となり、親王宣下(諱周典)、入寺得度。同11年(1726)叙二品。同14年(1729)叙一品、遷化24。父は京極文仁親王

中御門天皇第四皇子・慈仁親王

 享保8年(1723)誕生、四宮と称する。同9年(1724)曼珠院相続。同14年(1729)仁和寺に転居。同17年(1732)親王宣下(諱良視)。同19年(1734)入寺得度。同20年(1735)叙一品、遷化13。母は小森瀬季・娘

中御門天皇皇子・遵仁親王

 享保21年(1736)誕生、政宮と称する。元文3年(1738)仁和寺相続。寛保3年(1743)親王宣下(諱寛全)。延享4年(1747)入寺得度、叙一品、遷化12。

霊元天皇皇孫・覚仁親王

 享保17年(1732)誕生、菅宮と称する。延享4年(1747)桜町院の養子となり、仁和寺相続、親王宣下(諱敬典)。同5年(1748)入寺得度、叙二品。宝暦4年(1754)叙一品、遷化23。父は有栖川職仁親王

東山天皇皇曾孫 鏗宮

東山天皇皇玄孫 喜久宮

東山天皇皇曾孫 深仁親王

霊元天皇皇曾孫 済仁親王

後伏見天皇十九世皇孫 彰仁親王髪塔

中山親子
 ┣良仁親王(覚深法親王) 櫛笥隆子(逢春門院)

107後陽成天皇        ┣桂宮3穏仁親王  明子女王(好仁親王娘)
 ┣聖興女王 水無瀬氏子  ┣光子内親王     ┣八条宮(桂宮4)長仁親王 
 ┣清子内親王 ┣性承法親王有栖川宮2良仁親王(111後西天皇)┏有栖川宮4正仁親王
 ┣政仁親王(108後水尾天皇)1596-1680       ┣有栖川宮3幸仁親王
 ┣尊英女王   ┃┃┣興子内親王(109明正天皇) 清閑寺共子
 ┣近衛信尋   ┃┃┣昭子内親王
 ┃       ┃┃┃  ┣近衛基熙(左大臣)  ━┓
 ┃       ┃┃┃  ┣好君(伏見宮貞致親王妃)┃
 ┃       ┃┃┃┏近衛尚嗣(関白・左大臣)  ┃
 
有栖川宮初代 ┃┃┃┗泰姫君(水戸藩主・光圀室) ┃
 ┣高松宮好仁親王┃┃┣高仁親王          ┃
 ┣一条昭良   ┃┃徳川和子(東福門院)      ┃
 ┣貞子内親王  ┃┣紹仁親王(110後光明天皇)    ┃
 ┣庶愛親王   ┃┣守澄法親王          ┃         
 ┣尊蓮女王   ┃園光子(壬生院)        ┃        
近衛前子(中和門院)┣常子内親王           ━┛      
         ┃             ┏8幟仁親王       鷹司吉子      
 
        ┃           ┏7韶仁親王       随願院┣5愛仁      
 
        ┃           ┃不明           ┣4孝仁親王      

         ┃松室敦子    不明 ┃┣済仁親王        ┃女房むめ
         ┃ ┃ 不明    ┣有栖川6織仁親王   大江磐代┃┣喜久宮
         ┃ ┃ ┣覚仁親王 ┃  幸子女王(承秋門院) ┣閑院宮3美仁親王
         ┃ ┣有栖川宮5職仁親王 ┣秋子内親王    ┃女房りて 
         ┣識仁親王(112霊元天皇) 
┃ 讃岐(伊藤一中娘)┃┣深仁親王
  園国子(新広義門院)┃ ┣栄子 ┣朝仁親王(113東山天皇) ┣閑院宮2典仁親王┓  
           ┃ ┃   ┃        ┃   ┃    ┣鏗宮  ┃
           ┃ ┃   ┣京極文仁親王  ┃   ┃    交野    ┃
           ┃ ┃   ┃ ┣守恕親王  ┃   ┃ 五条寛子    ┃
           ┃ ┃   ┃家女房     ┃   ┃ ┣遵仁法親王
           ┃ ┃   ┃        ┃閑院宮┃ ┃小森頼季娘 ┃
           ┃ ┃  松木宗子(敬法門院)┣1直仁親王 ┃┣慈仁親王
            ┃鷹司房子(新上西門院)   ┣慶仁親王(114中御門天皇)┃    
           ┣寛隆法親王   櫛笥賀子(新崇賢門院) ┃        ┃
          愛宕福子               ┣昭仁親王━┓   ┃
                           近衛尚子    ┃   ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛   ┃
┃姉小路定子(開明門院)       近衛維子(盛化門院)            ┃
┃      ┣遐仁親王(116桃園天皇)  ┣欣子内親王(光格天皇中宮)     ┃  
┗昭仁親王(115桜町天皇)     ┣英仁親王(118後桃園天皇)         ┃  
  ┣智子内親王(117後桜町天皇) 一条富子(恭礼門院)             ┃        
 二条舎子(青綺門院)                            ┃
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┃大中臣祐智女 欣子内親王                  
 ┃ ┣美仁親王   ┣温仁親王 鷹司繁子(新皇嘉門院)           
 ┗典仁親王    ┣悦仁親王 ┣安仁親王       
  ┣兼仁親王(119光格天皇) ┣慈悲心院宮    九条夙子(英照皇太后)         
  大江磐代(蓮上院)┣恵仁親王(120仁孝天皇)  ┣122明治天皇                 
         勧修寺婧子┃ ┣恵仁親王(121孝明天皇)    
              ┃正親町雅子(新待賢門院)     
              ┣摩尼珠院宮     
             鷹司祺子(新朔平門院)

仁和寺宮墓地と待賢門院・藤原璋子花園西陵

 

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