第97代後村上天皇檜尾陵
後村上天皇陵は河内・富田林市にある観心寺内にあります。 伝承では、700年頃、開創され、雲心寺と称されたとする。 その後、808、815年に空海がこの地を訪れ、自ら如意輪観音像を刻んで安置し、「観心寺」の寺号を与えたという。 観心寺の実質的な開基とみられるのは、空海の一番弟子にあたる実恵であるという。
後村上天皇は南朝第二の天皇で、後醍醐天皇の第7皇子。 母は阿野廉子(新待賢門院) 。 元弘討幕の後、新政府の策に従って北畠親房親子に擁せられ陸奥多賀城府へ赴き足利尊氏の叛乱により西上、叡山にいる父天皇のもとで元服し、再び多賀城にもどるが北軍に攻撃され霊山に移った。 1337年吉野にはいり、皇太子となった後、父の崩御後に即位した。 一時南北朝が統一され、北朝の崇光天皇が廃立されたことにより全日本の天皇となったが、南軍が京都・鎌倉の同時奪回に失敗すると、光厳・光明・崇光の北朝3上皇と廃太子直仁親王を賀名生に連れ去り、京都を回復した幕府は崇光の弟・弥仁親王を後光厳天皇として即位させた。 勢力を回復した南朝は金剛寺を行宮に、また河内観心寺、摂津住吉まで北上して崩御した。
後村上天皇には藤原勝子との間に第一皇子寛成親王(後の長慶天皇)、第二皇子熙成親王(後の後亀山天皇) の他に第五皇子で後亀山の皇太弟・泰成親王がおり、南北朝統一後の足利義満との対面でも知られている。 また、女御・源顕子との間に第一皇女:憲子内親王(新宣陽門院)がいる。
観心寺内の天皇陵へ参拝する時には200円の参拝料は不要です。(撮影:クロウ)