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源氏物語ゆかりの明石市

2007年05月21日 | 平安時代
 明石には源氏物語にゆかりのある善楽寺、朝顔光明寺などがあります。 JR明石駅から南西へ徒歩でもすぐのところにあり、明石の「たこ焼き 20個で800円」を食べた後、「魚の棚」 という新鮮な魚介類でいっぱいの市場を闊歩しながら、源氏物語に触れるというコースはお勧めです。 ちなみに明石の南には港がありますが、ここからは明石海峡大橋も望むことが出来てすばらしい眺めを堪能できることと思います。 写真は五色塚古墳から見た明石海峡大橋 (撮影:クロウ)
 
 

源氏物語 須磨・明石の巻

 政治的にもどんどん窮地に追い込まれ、落ち込んでいた源氏は、ふと、かって一度関係があった、亡き桐壷院の女御の一人麗景殿女御の妹(花散里:年齢不詳)のことを思い出します。いつもの性格から、五月雨の晴れ間に会いにでかけました。麗景殿女御や花散里と、昔話しに花を咲かせ、桐壷院を懐かしみ、心和むひとときをすごします。その後、源氏はその一生でもっともわびしかった須磨での生活を始めることになります。  源氏26才。事態はますます険悪となり、自主的に須磨への退去を決意します。紫の上を、ひとり京に残し、花散里、朧月夜らに別れを告げ都を去ります。  須磨の住居は、在原行平の伝説で名高いあたりで、風流ところではありますが、秋がきて須磨のわび住まいはあわれもひとしおで、源氏は琴をひき、絵を描き、和歌を詠みすごします。都では、月日がたつにつれ、帝をはじめ人々が源氏を惜しみ懐かしく思い出しますが、弘徽殿大后の意向をはばかって都からの便りも途絶え、須磨の冬がやるせなく過ぎていきます。

 一方、源氏の血続きでもある、明石入道(桐壷更衣の従兄弟)が、源氏の噂を聞き、最愛の娘を源氏に奉りたいと願っています。ある日、源氏は海辺で開運の祓えをさせていました。海辺はうららかに一面凪いで、源氏は過去のこと将来のことなどを次々に思い出していました。不思議なことに、にわかに空がまっくらとなり、風雨は一晩中吹き荒れ、明け方源氏は、怪しい夢におびやかされます。何やら気味わるく、急にこの地を去りたいと思い始めます。 二条院(都の源氏の邸)からの知らせで、京都でも暴風雨が吹き荒れ、奇怪な何かのお告げだとして、政(まつりごと)も途切れている・・とのこと。源氏が、ふとまどろんだ夢に、故桐壷院が現れ、住吉の神のお導きに従って、早くこの地を去れという。翌朝明石の入道の一行が住吉の神のお告げと称して、源氏を迎えにきます。

明石入道の浜辺の館とされている「善楽寺」      善楽寺にある「明石入道の碑」

 

 源氏(27歳)は、昨夜の夢の桐壷院のお告げを思いだし、入道の申し出を受けて明石に移ることにします。 明石入道の住まいは、須磨にくらべ人けも多く、都の住まいにも劣らない凝ったたたずまいでした。藤壷宮や紫の上に、明石に移った一部始終を知らせ、ようやく身も落ち着きを取り戻します。明石入道は、源氏を厚遇し、しきりに自分の娘(明石の君 17歳)のことを話します。源氏も入道の人柄と、その娘にだんだん興味をもち始めます。ある夜、源氏がひさしぶりに琴を弾いていると、入道も自ら琴を弾き、娘も琴が上手だと、娘の話しをします。源氏はそれを聞いて、自分が都からこの地にやってきたのは、その娘に逢う運命であったのかも知れないと悟り、入道の望みを入れて、その娘に手紙を送ります。しかし、娘はなかなか気位が高く、そうやすやすとはなびきません。それがかえって刺激となり、源氏は次第にこの明石の君にのめりこんでいきます。

光源氏が明石の君のいる「岡辺の館」へ妻問う時に通った道とされる「蔦の細道」


 一方、京都は太政大臣がなくなり、皇太后まで病床に臥すなど、凶事が続き、弱気になった帝は、源氏が無実の罪で逆境にいるその報いではないかと思うようになります。 明石の源氏は、ひとり寝もわびしく、ときどき入道に娘と合わせるようにけしかけます。入道は、こっそりと吉日を見計らって、ひとり勝手に事をはこび、八月十三夜の月明かりの夜、源氏は明石の君と結ばれます。しかし、その後、都にいる紫の上のことを思うと明石の君とも疎遠がちとなり、明石の君は、それを嘆きます。身ごもった18歳の明石の君に、源氏は琴を残して別れを惜しみ、帰京します。帰京した源氏には、華々しい復権と栄華の路が待ち受けていました。 光源氏が「秋風に 波やこすらむ 夜もすがら あかしの浦の 月のあさがほ」と詠んだ「朝顔光明寺」の「月見の池」

 

 須磨での2年と4か月のわびしい生活に終止符がうたれ、源氏や昔の左大臣家の人々に再び明るい春が訪れてきました。「冷泉帝」が即位し、源氏も内大臣となります。その喜びの中で、これまで出会った数々の女君たちのその後が語られます。
朱雀帝は、長からぬ余命を心細く思い、退位を決断します。翌年2月。東宮が元服し、冷泉帝となります。それを機に、朱雀帝は譲位し、源氏は内大臣となり、前左大臣も太政大臣に復帰して、かくて源氏方の人々が政界の主流にすわるようになります。  三月、明石の君に姫君が誕生しました。明石入道は、源氏の配慮をありがたく思い、源氏と別れて物思いに沈んでいた明石の君も、源氏の心配りに慰められていきます。心おだやかでない紫の上ですが、その嫉妬の姿に、源氏はかえって魅力を感じるのでした。 

 藤壷が、我が子冷泉帝の即位により、異例の女院となり、権中納言(もとの頭の中将)の娘が、冷泉帝に入内して弘機殿女御となります。 その秋、源氏が住吉詣でをしたその地で偶然に参詣に来合わせた明石の君は、源氏一行の栄えばえしい盛儀を目の当たりにして、あまりの身分差に、そのまま逢わずに引き返してしまうのです。源氏はこのことを供人から聞いて悲しみ、明石の君を都へ迎えようと文を届けますが、明石の君は決心がつかず、また物思いを重ねる日がつづいてしまいます。 

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