先日NHKハイビジョンで放映されたドキュメンタリーなのだが。
これを見て、あまりにも無神経な作りだと感じたのはわたしだけか?
映像は非常に良かったと思う。
猫はとても可愛く撮れていたし。空気感も美しかった。
だが、人間へのインタビュー部分がひどい。
最初からどことなく違和感を持っていたのだが、後半に行くに従って、正視出来ないほど
無神経に感じられた。インタビュアーが素人か?それともディレクターが不慣れなのか?
編集がひどいのか?
この番組は、猫との関係性を中心に据えて、そこから幾人もの人生を
少しずつ切り取って紹介する、というもの。
A.語り手を務めた、夫、13歳の娘と暮らす主婦。
B.捨て猫の世話を精力的に行う女性。
C.仕事も持たず生活費は家族からの仕送りに頼りながら、一日中猫へ餌をやり続ける青年。
D.1年前に難病の子供をなくした女性と、その恋人。
E.4人の子供を育てるシングルマザーとその息子。
F.マルタ猫協会の会長(たしか)。
他にもいたかもしれないけど、思い出せる分はこんなところ。
とにかく「なんて無神経な訊き方をするんだろう」と眉をひそめるようなインタビュー。
そんな質問が出来るほど、相手との間に深い信頼が育っているのか?
たとえば、Bに「猫を子供のように捉えていることはありますか?」と訊いたり。
(彼女は5回流産をして、最終的に出産を諦めた過去がある)
Cに「クリスマスはどうするの?」と訊いて、「何も。友達がいないからね」と答えさせたり、
(そんなことはそれまでの描写で推察出来ているのだ!)何度も亡くなった母親の話をさせたり。
Dに「亡くなった息子さんと猫の関係はどうでしたか」と訊いたり。
ほんと、文字で書くと伝わらないかもしれない。普通と言えば普通の質問に見えるし。
でもこういう内面に踏み込む質問って、それなりの信頼関係が築けた上で
初めて赦されるものである気がするのに、そういう部分が全く感じられない。
編集が悪いのかどうなのか、
「初めまして」→インタビュー開始→「亡くなった息子さんと猫との関係はどうでしたか」
という、恐ろしいばかりに無神経な流れになっているようにしか感じられなかった。
インタビュアーは、それぞれの人物の境遇に合わせていくつもの質問を用意しただろう。
もちろん仕事としてそれは当然のことだ。しかし、問うて聞くだけでいいのか。
インタビュアーならば、相手に語らせるべきではないのか。
机上で「ふんふん。この人はこういう境遇なのね。じゃあこういう質問をしてみましょう。
方向的にはこっちに持って行きたいんだから、この質問も必要ね。シメはこの質問にしようかな」
……こんな感じの段取りしか感じられない。
それは方法論として決して間違ってはいないし、不誠実なわけではないのだが、
相手の気持ちを忖度することなく、自分の頭の中だけで、自分たちの都合だけで
組立てた質問を単に順番に投げつけたようにしか見えなかった。
わたしが訊かれる方だったら
「あんたにそんなこと訊かれる筋合いはないわよ!!」と怒るよ。
質問をされたDの女性は一瞬黙った。そのほんのわずかな沈黙に耐えられず、
傍らにいた恋人の方が「sorry sorry,僕はこの(インタビューの)場にはいられない」と
大声で言ったじゃないか。
sorry sorry.
その切迫した言い方が、彼のいたたまれなさを表している。
大声で言ったことが、意識してにせよ無意識にせよ、その状況への抗議になっている。
彼は黙って席をはずすことだって出来たんだから。
こうなってしまったのは一体誰が悪かったんだ。
ディレクターか。初作品かなんかだったのか。詩情を醸し出そうとして、
人間ドラマを引っ張り出そうとして、未熟なままついやってしまった勇み足だったのか。
まあいずれにせよ、最終的に責任を持つべきはディレクターでしょうから、
視聴者が見てて辛い作りにしてしまったのは、ディレクターのせいですよ。
わたしは恥ずかしかった。マルタの人に、日本人ってこんなに無神経、と思われるんじゃないかと。
翻って、わたしはマルタの人の忍耐強さと穏やかさに感心した。
そういう意味ではこの番組にも収穫はあった。
小さな島国に暮らす彼らは、優しく優しくなることで、お互いの間に生じる
色々な軋轢を避けてきたのかもしれない。その恩恵を無神経な日本人も受けたのかも。
まあそれはわたしの美しい誤解である可能性はあるけれども。
あれ、そうなるといつかはマルタに行かなければならないのか?
うーん……。行くとなるとコトだなあ……。場所的に結構つらいものが。
シチリアとカップリングか?チュニジアとカップリングか?
3億円が当たれば、組み合わせに迷うことなく、シチリア・マルタ・チュニジア1ヶ月の旅、とか
かるーく出来るんですけどね。
※※※※※※※※※※※※
これに関連して思い出したが、はるか昔に井上章一という学者?が
大女優たちに一対一でインタビューする番組があった。NHKだった、たしか。
あ、多分これだな。
「いちばんきれいなとき 女優たち・美の自分史」。NHKBS2。
2000年の放送。「美人論」の出版とはちょっと時期がずれるが、
インタビュアーとしてここで彼が出てきたのはやはり「美人論」の著者としてだろう。
この番組の中で、彼は無理くり自分の望む答えを相手から得ようとしたんだよね。
質問も答えも実際何だったかは忘れてしまったけど、
「一番美しかった時はいつだったと思いますか」(すでにここから過去形……)というような質問で、
得たい答えは「外見的な美しさは若い頃が一番だけど、今は内面の美しさがある」とか、
紋切型なくだらない答えだったような気がする。
それを言わせようとしてしつこくしつこく誘導してさー。
わたしは画面に向かって「あんたは一体何をしたいのだ!」と怒っていた。
ほんと見てて腹立たしかった。
そうしたら――今でも強烈に覚えている――有馬稲子が怒って。
「あなたは私に何を言わせたいんですか」とびしっと叱り。
大女優の風格に井上章一はタジタジですよ。
ああもう、かっこよかった。有馬稲子。溜飲が下がった。
――ま、今から考えれば、何せ素人がインタビューしてるんだし、
彼は一応学者として(……正直わたしはこの人を学者とは言いたくない)、
「美人論」も出してしまったんだから、自分の論に引きつけたことを言わせたい気持ちは
わかるんだけどね。でも大変みっともなかったよ。
それに対して、あっさり誘導に乗ったのが岡田茉利子だったのは覚えている。
不甲斐なさを感じつつ、それがカワイさなのかもしれないと思った。
意外だったのは真っ先に怒りそうな加賀まりこが、はっきり不愉快な色を浮かべながらも
最後まで爆発はしなかったこと。あの高飛車なキャラは多少なりとも営業用か。
そういえば最近見ませんね。加賀まりこさん。
これを見て、あまりにも無神経な作りだと感じたのはわたしだけか?
映像は非常に良かったと思う。
猫はとても可愛く撮れていたし。空気感も美しかった。
だが、人間へのインタビュー部分がひどい。
最初からどことなく違和感を持っていたのだが、後半に行くに従って、正視出来ないほど
無神経に感じられた。インタビュアーが素人か?それともディレクターが不慣れなのか?
編集がひどいのか?
この番組は、猫との関係性を中心に据えて、そこから幾人もの人生を
少しずつ切り取って紹介する、というもの。
A.語り手を務めた、夫、13歳の娘と暮らす主婦。
B.捨て猫の世話を精力的に行う女性。
C.仕事も持たず生活費は家族からの仕送りに頼りながら、一日中猫へ餌をやり続ける青年。
D.1年前に難病の子供をなくした女性と、その恋人。
E.4人の子供を育てるシングルマザーとその息子。
F.マルタ猫協会の会長(たしか)。
他にもいたかもしれないけど、思い出せる分はこんなところ。
とにかく「なんて無神経な訊き方をするんだろう」と眉をひそめるようなインタビュー。
そんな質問が出来るほど、相手との間に深い信頼が育っているのか?
たとえば、Bに「猫を子供のように捉えていることはありますか?」と訊いたり。
(彼女は5回流産をして、最終的に出産を諦めた過去がある)
Cに「クリスマスはどうするの?」と訊いて、「何も。友達がいないからね」と答えさせたり、
(そんなことはそれまでの描写で推察出来ているのだ!)何度も亡くなった母親の話をさせたり。
Dに「亡くなった息子さんと猫の関係はどうでしたか」と訊いたり。
ほんと、文字で書くと伝わらないかもしれない。普通と言えば普通の質問に見えるし。
でもこういう内面に踏み込む質問って、それなりの信頼関係が築けた上で
初めて赦されるものである気がするのに、そういう部分が全く感じられない。
編集が悪いのかどうなのか、
「初めまして」→インタビュー開始→「亡くなった息子さんと猫との関係はどうでしたか」
という、恐ろしいばかりに無神経な流れになっているようにしか感じられなかった。
インタビュアーは、それぞれの人物の境遇に合わせていくつもの質問を用意しただろう。
もちろん仕事としてそれは当然のことだ。しかし、問うて聞くだけでいいのか。
インタビュアーならば、相手に語らせるべきではないのか。
机上で「ふんふん。この人はこういう境遇なのね。じゃあこういう質問をしてみましょう。
方向的にはこっちに持って行きたいんだから、この質問も必要ね。シメはこの質問にしようかな」
……こんな感じの段取りしか感じられない。
それは方法論として決して間違ってはいないし、不誠実なわけではないのだが、
相手の気持ちを忖度することなく、自分の頭の中だけで、自分たちの都合だけで
組立てた質問を単に順番に投げつけたようにしか見えなかった。
わたしが訊かれる方だったら
「あんたにそんなこと訊かれる筋合いはないわよ!!」と怒るよ。
質問をされたDの女性は一瞬黙った。そのほんのわずかな沈黙に耐えられず、
傍らにいた恋人の方が「sorry sorry,僕はこの(インタビューの)場にはいられない」と
大声で言ったじゃないか。
sorry sorry.
その切迫した言い方が、彼のいたたまれなさを表している。
大声で言ったことが、意識してにせよ無意識にせよ、その状況への抗議になっている。
彼は黙って席をはずすことだって出来たんだから。
こうなってしまったのは一体誰が悪かったんだ。
ディレクターか。初作品かなんかだったのか。詩情を醸し出そうとして、
人間ドラマを引っ張り出そうとして、未熟なままついやってしまった勇み足だったのか。
まあいずれにせよ、最終的に責任を持つべきはディレクターでしょうから、
視聴者が見てて辛い作りにしてしまったのは、ディレクターのせいですよ。
わたしは恥ずかしかった。マルタの人に、日本人ってこんなに無神経、と思われるんじゃないかと。
翻って、わたしはマルタの人の忍耐強さと穏やかさに感心した。
そういう意味ではこの番組にも収穫はあった。
小さな島国に暮らす彼らは、優しく優しくなることで、お互いの間に生じる
色々な軋轢を避けてきたのかもしれない。その恩恵を無神経な日本人も受けたのかも。
まあそれはわたしの美しい誤解である可能性はあるけれども。
あれ、そうなるといつかはマルタに行かなければならないのか?
うーん……。行くとなるとコトだなあ……。場所的に結構つらいものが。
シチリアとカップリングか?チュニジアとカップリングか?
3億円が当たれば、組み合わせに迷うことなく、シチリア・マルタ・チュニジア1ヶ月の旅、とか
かるーく出来るんですけどね。
※※※※※※※※※※※※
これに関連して思い出したが、はるか昔に井上章一という学者?が
大女優たちに一対一でインタビューする番組があった。NHKだった、たしか。
あ、多分これだな。
「いちばんきれいなとき 女優たち・美の自分史」。NHKBS2。
2000年の放送。「美人論」の出版とはちょっと時期がずれるが、
インタビュアーとしてここで彼が出てきたのはやはり「美人論」の著者としてだろう。
この番組の中で、彼は無理くり自分の望む答えを相手から得ようとしたんだよね。
質問も答えも実際何だったかは忘れてしまったけど、
「一番美しかった時はいつだったと思いますか」(すでにここから過去形……)というような質問で、
得たい答えは「外見的な美しさは若い頃が一番だけど、今は内面の美しさがある」とか、
紋切型なくだらない答えだったような気がする。
それを言わせようとしてしつこくしつこく誘導してさー。
わたしは画面に向かって「あんたは一体何をしたいのだ!」と怒っていた。
ほんと見てて腹立たしかった。
そうしたら――今でも強烈に覚えている――有馬稲子が怒って。
「あなたは私に何を言わせたいんですか」とびしっと叱り。
大女優の風格に井上章一はタジタジですよ。
ああもう、かっこよかった。有馬稲子。溜飲が下がった。
――ま、今から考えれば、何せ素人がインタビューしてるんだし、
彼は一応学者として(……正直わたしはこの人を学者とは言いたくない)、
「美人論」も出してしまったんだから、自分の論に引きつけたことを言わせたい気持ちは
わかるんだけどね。でも大変みっともなかったよ。
それに対して、あっさり誘導に乗ったのが岡田茉利子だったのは覚えている。
不甲斐なさを感じつつ、それがカワイさなのかもしれないと思った。
意外だったのは真っ先に怒りそうな加賀まりこが、はっきり不愉快な色を浮かべながらも
最後まで爆発はしなかったこと。あの高飛車なキャラは多少なりとも営業用か。
そういえば最近見ませんね。加賀まりこさん。
何ディレクター目線で語ってんだ(笑)
サブいぞ、テメー!