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プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 赤瀬川原平「少年と空腹 貧乏食の自叙伝」

2025年08月08日 | ◇読んだ本の感想。
赤瀬川さんが亡くなってからもう10年以上経ったのか……
わたしが(図書館で借りて)読み続けてきた著作もあと7、8冊。昭和は遠くなりにけり。

これは1993年頃に連載されたエッセイのようですね。
私見だが、2000年代以降の赤瀬川さんはわりと内容が薄くなるので、
発行年代順に読んでいて、近年そんなに面白いエッセイはなかった。
でもこれには内容を感じた。ブンガクだった。

だが、読んでてツライ内容だった……。
いつもの赤瀬川さん、ほわほわでのんびりしていて、笑える内容の少年時代のエッセイかと
思いきや、けっこうシビアなんですよねえ……。いうたら犯罪告白になってる。
犯罪も、こどもの頃のガム1個とかお菓子1個とかどころじゃないですよ。

青年になってからの食パン4本と大瓶のチョコ1瓶分。
定期券の偽造3ヶ月?4カ月?
隣の友人の米・味噌複数回窃盗。

その他にも、なかなかエグいテーマも多くて、前半3分の1くらいは引いてました。
後半は素直に面白く読めるんですけどね。


しかし昭和12年生まれの戦後食糧事情はかなり厳しい。
しかもこの人は兄弟が5人か6人で……まあこの年代だとそれほど珍しいことでもないが、
食べ盛りが5人もいたら、それは食べ物がいくらあっても足りないですよ。
そして、ないんだからね。食べ物が。
お腹が空いて、お腹が空いて、どうしようもない時代の思い出。
ユーモアの皮をかぶっているとはいえ、痛ましいのだ。

あと珍しく、妻と娘の姿をスケッチしている一篇もあって、珍しいと思った。
妻は若干出て来るけど、娘はエッセイを読んでいてもほとんと出て来ない。
意識して出さないようにしていたんだと思う。気を遣う人だし。
一度書いて出してしまったら、なかったことには出来ないからね。


ちなみにこの本の解説が久住昌之。そうか、そういえば赤瀬川さんの弟子筋だったねえ。
この人も美味しかったと言っているけど、赤瀬川さんのエッセイに
度々出て来る「りゅうきゅう」はわたしも食べてみたいなあ。

多分大分へ行けばどこかの店で食べられるとは思うが、
書いてある通り、コンニャクのりゅうきゅうがなさそうなのよね。
作るしかないか。そんなに面倒ではなさそうだが、ずーっと作ろうかどうしようかと
迷ったまま作ったことがない。作らないままのような気がする。


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< 日日是好日 >

2025年08月05日 | テレビで見た映画。
これ、「にちにちこれこうじつ」ですか。「ひびこれこうじつ」だと……
と、前にも思った気がするなあ。ひびこれこうじつの方が語調がいいと思うけど。

3、4年前の映画だと思っていたら、7年前の公開ですか。時間感覚が……
劇場に見に行こうかどうか迷って結局行かなかった。劇場に行ってたら
ちょい不満は持ったかもなあ。今回はテレビ放映を見て吉。

わたしは原作者の森下典子には「デジデリオ・ラビリンス」で好意をもっているが、
原作は読まなかった。
映画としては地味。かなり。そこを納得した上で見る分にはいいけど、期待が大きすぎると
退屈を感じるかもしれない。
でもじっくりお茶を描いてくれるのはありがたい。しかも実に一般人目線で。


高校生の時「お菓子が食べられるから」という理由だけで茶道クラブに入った。
部活ではなくクラブ。週に一回、時間割に組み込まれているヤツ。
なので、最初の最初の袱紗さばきなんかはごくかすかに覚えており、なつかしく見た。

わたしが茶道クラブに入ったと言ったら、父が妙に喜び、さっさと茶せんを買ってくれた。
茶せん以外の、最低限の茶道具は家にあった。――どうやら亡くなった祖母が若い頃、
お茶を教えていたらしいんです。

だからといってクラブでお茶の作法をちゃんと覚えるわけでもなく。
茶せんはごくまれに、てきとーに抹茶を泡立てて飲むのに使っていた。
抹茶は次第にバニラアイスクリームに混ぜて飲む量の方が多くなり、
何度か買って終わった。ここ何十年は全然買ってません。


というようなことを思い出させてくれる映画でした。
小学6年の時に亡くなった祖母は、茶道を教えてくれることはなかったけど、
茶道から派生したことをちょこちょこ教えてくれた。

いわく――煎茶の淹れ方。急須の持ち方から始まって、茶葉の量、どのようにして
(ポットから)お湯をいれるか、どのくらい待ってから湯呑に注ぎわけるのか。
均等に注ぎ分け、一滴も残さないように急須を置く。
湯呑の正面を相手に向けて、茶托に乗せて、両手で「どうぞ」
――これを幼稚園児相手に繰り返した。辛抱強く。ちょっとでも出来ると大きく褒めた。
祖母の友達や親戚が家に来るような時、わたしはいさんでお茶を淹れて、
「すごいねー」と褒められることを喜びとした。

いわく――美しいものはじっと見よ。
両手をついて、真剣に見入ること。「拝見しました」と感謝をもってお辞儀すること。

いわく――「あなたは美しいものが好きね」。
うかうかとその言葉に乗せられて、美術と花が好きな人生になった。

祖母はわたしの人格形成に良い影響を与えている。



わたしは黒木華が長らくうっすらキライで……。
最初の出会いが「真田丸」だったのが悪かった。
知らない地味な女優が大河のヒロイン!?ということに
強い拒否感を持ったようなんですよ。当時の自分は。
あとは名前の読み方もキライ。華をハルとは読まんやろ!読めるのがいい名前なのだ!

まあその後何年も経って、いい女優だと思うし、嫌いではなくなったが、
どうも最初の印象はかなり後をひいて、結局そんなには見てないかなあ。
出てきたら出て来たでうれしい女優ではあるんだけど、
主役ではどうも惹かれないというか。

がっつり出たので見たのは「ビブリア」と「下剋上球児」。……どちらも話があんまりね。
「重版出来!」も「凪のお暇」もこの人が主役じゃなかったら見ただろう。
難しいもんですね。

でもこの人に本作は合ってたね。森下典子のイメージとは違うけど、
まあそれはあんまり関係ないしね。
道具とか掛け軸とかを深く受け取っていたように見えた。嫌味なく。
最初の大学生役の時には年齢のせいかちょっとツライように見えたが。
30過ぎまでを演じるのなら相応だろう。実際年を重ねるごとに似合ってきて、
見やすくなっている。着物も似合ってたし。

多部未華子は好きな女優。最初、役柄は逆でもいいのでは?と思ったが、
やはり人生に悩むところは黒木華の方が座りはいいかなあ。
今となっては多部未華子と黒木華が一緒の作品に出るのは意外な気がしますね。

樹木希林が出ることで、伝説の先生的な扱いにするのかと思っていたら、
わりと(理念的なことは)何も知らなくて笑った。でもそういう造型にしたのが吉。
亡くなった後に見ると、この静けさが心に残りますねえ。

折々の小さな自然を丁寧に映してくれるのが良かった。
でもねー、これ実際にやると話の密度とは対立する部分だから、難しいのよねー。
見ていて満足出来る映像美に持ってきてくれてればいいが、
ただ自然を映していたからいいってもんじゃないしねー。
美しくても、それで話が薄いと感じれば物足りないし。
今回はありがたい方の自然描写でした。

映画館で見たら、わたしは物足りなかっただろうなー。ちょっとさりげなさすぎて。
なので、今回テレビ放映で見たのはちょうど良かったのではないでしょうか。
これを映画化しようと思ったのもある意味で驚きだが、結果は吉だったと思います。



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◇ 丸島和洋「図説 真田一族」

2025年08月02日 | ◇読んだ本の感想。
真田氏・武田氏についてちょっとまとめて読みたいなーと思って
(「真田丸」を見終わった後だから、2017年くらいに課題図書リストに入れた)
関連の本をこの1年くらいで10冊内外読んだ。

その中だとこの人の著作が面白い気がするなあ。
特にこれは図説だからね。読みやすい。
図説で有名なのは「とんぼの本」「ショトルシリーズ」などがあるけど、
あれはあれでいいけれども、内容の密度はやや薄目。そこがいいんだけどさ。
これは読みでがあって、ちゃんと歴史について書いてあって満足。

これはシリーズになってるのかね?戎光祥出版という出版社で、
あんまり聞いたことなかったんだけど。クオリティ高いと思いました。
これシリーズだったら読むかも……と思って出版社のHPをチェックしたら、
一応シリーズはシリーズみたい。
でも「図説シリーズ」と「図説 日本の城郭シリーズ」があるのよね。
合計して、現行おそらく45冊で、……さすがに45冊読むのはちょっと……。

テーマもちょっとマイナーで面白そうなんだけどね。
「佐竹一族」「中世島津氏」「常陸武士の戦いと信仰」……微妙なところを抑えてる。
ちょっと面白そう。だがちゃんとリストアップするにはギリギリ及ばないという
ほんとーに微妙な範囲。
まあとにかく、いい仕事だと思いました、丸島和洋さん、戎光祥出版さん。
シリーズものとしてのネーミングをちゃんと考えたらいいのではないか。


それはさておき。

真田昌幸の前二代、真田幸綱、信綱についてもしっかり書いてあるのが良かった。
全体の3分の1くらいがこの2人。4分の1か。
昌幸の事象が一番ボリュームがあったな。それは時代的にいろいろあったということ。
何しろ武田が滅び、上杉と北条と徳川と織田の間で永遠にわちゃわちゃやっていた頃だから。
この辺りのことは本当に面倒なので、この本だけでは正直言ってカバーできないと思う。
もしくはこの本くらいのボリュームであっさり読むのもあり。

幸村といいたくなる信繁については期待よりは若干少なめなのだが、
何しろこの人は表に出ていた時期が短いからね。仕方ないね。
信繁の娘が伊達家家老の片倉重長の妻になった話を、地方史の本で読んだばかりだから、
重長に乱取りされた説があるという話を読んで、えーっ!と思ったが。
どうなんだろうか。信繁が戦場であいまみえた重長を見込んで託したという話は素敵だが、
やはりそれはそれで無理があるように思う。

信繁が幼少で、木曽義昌に人質に出されていた時(!)親族の男性に書いた手紙は興味深い。
信繁の生年がはっきりしていないから、書いた正確な年齢はわからないが、
11歳、12歳のころではないかという手紙。
内容が興味深いのではなく、ほぼひらがなで書かれているのが面白い。

信之が「天下の飾り」と称された話は好きだ。
大河ドラマに影響を受けたイメージだが、自由奔放な父と弟に翻弄された苦労人……
という気がして。まあ人生の最後まで苦労続きだったようだが、
「天下の飾り」とまで言われれば、周りからそれなりのもてなしも受けただろうし、
若干むくわれたのではないか。



あと3冊くらいこの著者の本を読んで、武田氏・真田氏の関連本は終了ー。


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< ケヴィン・サリバン脚本作品の赤毛のアン(1989年) >

2025年07月30日 | ドラマ。
この作品を特定出来る名称っていうとこうなりますかね?

わたしはたしかこの映画を映画館で見たような気がする。
そして見た後に、元々はテレビ映画として作られたもので、だいぶカットされたものだと
聞いて、なーんだと思った記憶。今回は前後編を3時間でやってくれたから
多分完全版でしょう。見たことのないエピソードが多々出て来たから。

――わたしはコレは認めるのよ、ケヴィン・サリバン。
で、たしか「アンの青春」も……若干「ん?」とは思ったけど(知らない人が出て来たし)
ん-、まあ原作もこの部分は地味と言えば地味だから仕方ないかなあ、と納得したのよ。
それはひとえに「赤毛のアン」への評価が高かったから。

だが、それ以降のアン作品は「一体どこがアン???」といいたくなる
……いいたくなるだけではなくて、怒髪天を衝いてサリバンを正座させて
詰めたくなるほどヒドイ出来。なので、サリバンを赦しているわけでは全然ないが、


――しかしこの「赤毛のアン」作品だけは大好きですねえ。
ほんとに、これこそアン!といいたくなる。
この作品を作れる人が、どうして次回作以降あんな作品を作ってしまうんですかねえ。
そこに愛はないのか?

主役の子は少し実年齢が高かった、というのを当時パンフレットで読んだ気がする。
引き取られた時、アンはたしか11歳くらいだったっけ?
それを実年齢15歳くらいの女優が演じたはず。
でも映画の終盤では15、6歳になっているはずだから、結果的にはちょうど良かったかも。
続編がそこから何年もあとに2作作られるんだから。

ミーガン・フォローズで良かった。魅力的なアンになってた。
わたしは小説以外の派生作品はこの映画しか見聞きしてないが
(宮崎駿のアニメ版すら見てない)もうこれ1作で十分に満足している。

なにしろ全てのキャラクターが完璧。
……まあそれは言い過ぎかもしれない。ダイアナもちょっと年上感があったし、
一番イメージが違うのはリンド夫人。マリラとリンド夫人は、体型的にも性格的にも
真逆というのが一つのミソだったはずなのよね。
演じた人は役者としては文句はなかったけど、原作のイメージとは違った。

だが、マリラとマシューが完璧……!
アンとマリラとマシューがこれだけ良ければ、他に多少難があっても文句はいえませんよ。
コーリーン・デューハースト。厳しくて、塩対応で、しかし心の底にあふれるほどの
愛情を湛えている。そんなマリラを見事に演じた。
マシュー役の俳優は名前を覚えるには至らなかったけど、あの優しい、明るい目が
言葉よりも雄弁に愛情を語っていた。

ギルバートも好きだったな。高校の時好きだった先輩に似てて。
原作を読んでてもそうだけど、映画を見ても、
「アンはそろそろ許してやれよ……」と思います。
この役者は10年前に若くして亡くなってしまったんですよね……

そして何よりも。
プリンス・エドワード島の美しい自然が美しく撮られているのが良かった。
天国的な美しさ。海も森も草原もすべて美しかった。
昔は、いつかは行ってみたいと思っていたなあ。今は行き先を厳選する必要性から
多分行けないと思うけど。

「続・赤毛のアン」も連続して放送されたので、録画はしてあるんだけど
疑問点も多々あることから、見て満足出来るかどうか……
まあ見るんですけどね。そのうち。



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東北大学交響楽団 第184回定期演奏会

2025年07月27日 | その他映像関連。
どこでかは忘れたけど、たしか店頭でポスターを見たのよ。
ふーん、大学のオケねー。女性ゲスト指揮者か。ハープがソロか。(※注・嘘)
ほほー、チケット代1500円?安いねえ。1500円なら多少音がピーとかプーとか
いっても気にならないなあ。

で、結局1000円のA席を買って行きました。
わたしは出来る限りスマホを購入ソースとして利用したくないので、
ネット購入時にはパソコンを使うのですが、ここでは紙印刷が出来ない様子。
そうかーそうかー。スマホ表示かー。もし表示されなかったらどうしよう。

だがわりと平和にチケットまでたどり着けました。
入口でも問題なく表示出来て重畳。

でも中に入って席までたどり着けない。問題がどこにあるかというと、
……ここ、ステージ自体が「2階」なんです。それをちゃんと意識してないと混乱する。
いや?2階席だが?1階に席がないが?わたしは2階に行くべきなのか?

萩ホールは相当前に2回くらい来ました。東儀秀樹と古澤巌のコンサート。
ここってとてもいいホールなんだそうですよ。演奏している本人たちが
「いやー、このホールは本当に音がいい!」って高揚していて、ノリノリでした。
それ以来の萩ホール。……違うな、その間に萩ホールのカフェに一度来てるな。


閑話休題。



※※※※※※※※※



驚いた。その音に。

最初に、今回の演奏曲じゃなくて、東日本大震災への追悼として「祈りの演奏」から始まる。
この時は拍手なし。あの時の記憶に思いを致して、風化させないよう――ということで、
毎回ここから始まるらしい。

その最初の音を聴いた時。

おおお、きれいな音!と驚いた。おやおやおや。ピーだのプーどころじゃないですよ。
予想したよりレベルが3段階くらい上の音を出している。
この曲はウィリアム・バードという人の「3声のミサ曲」に基づき、
元副指揮者(高橋信雄という人)が作曲?編曲?した「追悼曲(祈りの音楽)」らしい。
優しい、柔らかい曲調と音がどちらも気持ちいい。

これは定演のたびに演奏しているから上手いのか?と思ったが、
1曲目の「ウィンザーの陽気な女房たち」もそのままの流れできれいな音。
2曲目のグリーグの「交響的舞曲」は、もうちょっとテンポ早い方がいい部分と
ボリュームが欲しいなーと思う部分がなかったわけではないけど、十分堪能した。

3曲目が知っている曲だったのでテンションが上がった。
……だがしかし!!わたしは「新世界より」といえば、「家路」だと思っていたのだが、
第3楽章ってあれだったんですか!第4楽章もあれなんですか!知らなかった!

わたしはクラシックをまれに聴かないではないんですが、曲とタイトルが覚えられなくて。
得意な覚え方として、文字で覚える・図で覚える・耳で覚えるの3タイプがあるでしょう。
わたしは耳で覚えるのがすごく苦手。そして、音楽は耳でしか覚えられないから
(いちいち楽譜を見て覚えられるかというと疑問だが)定着しないのよね。
そして現時点で多分第4楽章とホルストの「惑星」のどれかがごっちゃになっている……。

「新世界より」は全体の音のボリュームも十分。
やっぱり生音はいいですよ。音波が心をマッサージしてくれている感じ。
これは心理的な面だけじゃなくて、音波という物理も作用している気がする。
いいですねーいいですねー。テンション上がるわー。

クラリネットの人が――上手だったですね。音がまろやかでとても幸せ。
音が歌っていた。

盛り上がったまま、フィナーレを迎える。拍手が鳴りやまない。
でも今回はアンコールはなかったのよね。近年、アンコールがないコンサートは
珍しいくらいだと思うので、1曲くらいして欲しかった気がする。




と、勝手なことを書いたが、大変楽しく聴けて幸せでした。
学業と両立させている学生さん、他校から通ってきている学生さん、OB、OGとして
参加されているみなさん、裏方の人もサポートの人も。
心から。ありがとう。

12月に次の定演があって、行きたいんですが、覚えてられるかどうかが問題なのよねー。
まあアドレスを登録しておくという方法があるのだが……
そういえば、ずっと前に東北大学邦楽部の存在を知った時に演奏会聴きに行きたいと
思ったけれども、その後思い出さずに未達なのよね。

コンサートプログラムのデザインが可愛くて良かった。プラハの水彩画。
こういうもののセンスがいいって珍しい気がする。

そういえば、今日左の上腕部がうっすら痛くて、昨日なんか重いもの持ったっけ?と考えたところ、
一所懸命拍手をしたからであることに思い至りました……
というよりも、この程度で筋肉痛になる軟弱さよ。

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< 薬屋のひとりごと 第2期(25話~48話) >

2025年07月24日 | ドラマ。
これの前の話が第2期までだと思っていたら、今回のが第2期だったようです。
2023年の10月から2024年3月放映までが第1期。24話。
2025年1月から6月までが第2期。24話。たっぷり。

うん。前回に引き続いてなかなか面白かった。
だが、言っていい?
……そんな2年近く前の話なんか忘れちゃうのよー。
第1期の前半に出て来たキャラがどんなんだったかなんて、覚えてられないのよー。

興味を持続している層は折に触れて前に見た内容も思い出すだろうから、
関係性とかエピソードを忘れることはないかもしれないが、
テレビの録画を見ている30分しかその世界に触れてないわたしにとって、
今まで細かく張った伏線の話を最後にまとめてされてもわからなさすぎる。

怒涛のラストを見て、これ、覚えていられれば相当に面白かったんじゃないかなあ……
と思いましたよ。あの人とあの人が同一人物なんて、すごく驚いたもの。

あと中国物は、音だけで聞いても名前が定着しなくて困る。
主人公の猫猫や壬氏はさすがに音でも字面でも見るから定着するとして、
かろうじてガオシュンと玉葉と楼蘭と阿多妃も何とかなるとして、
それ以外の人の名前が定着しないのだ~~。
先帝と現帝との関係性もいまいち理解できなかった……。

まあそれは、定着するまでの興味を持てないわたしの責任だが。ながら見だしね。
でも出来れば、本筋の話をもう少し詰めてくれればなーと思ったな。
本筋以外の、毎回一話完結の話を見て、これはそういう感じで見ればいいんだろうと思ってた。
「名探偵コナン」でいえば、毎回起こる事件を楽しんでればいいんだろうなと考えていたのに、
実は黒の組織に関わる本筋もありました、みたいな。

なので、出来れば2時間くらいのスペシャルとか、映画とかでまとめてくれると
わたし向きかもしれませんね。まあないだろうけど。

実はこの第2期までで原作小説2巻分なんだってね。そして現行16巻刊行済み。
ここまでじっくりやったんだから、今後も1巻1期のペースでしっかり作って欲しいですね。
……わたしはハイキュー!!でそれをやって欲しかったけど。
映画も面白かったけど、なにせアニメの尺と比べると全然違うから、アニメの長さで
じっくりやって欲しかったのよね。今さらだが。



3期が決まっててね。いつから放映するかは未定なのかもしれない。
今から作るとしたら、最速でも来年1月あたりですかね。その次くらいですかね。
楽しみにしてますよ。でも最初の振り返りは丁寧にやってね。わたし忘れるからね。


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◇ R.C.ウィルスン「時間封鎖 上下」

2025年07月21日 | ◇読んだ本の感想。
この話はなかなか面白かったんだ け ど 。
でもSFってやっぱりわたしには向かないな、と思った。この期に及んで。

大人の読書を星新一、新井元子、平井和正(と田辺聖子と永井路子の歴史もの)から
始めたわたしとしては、SFが苦手だと告白することは正直しのびない気がする。
だがたまに読んでも好みの合わなさを感じるのよねー。
特に海外SFがね。年に1、2冊がんばって読むんだけど、いつも読むと苦労する。

SFは究極の「設定厨」のジャンルだからなあ。
設定が8割。ストーリーが2割。キャラクターはほぼ0。というイメージがある。
わたしはストーリー7割、キャラクター2割、設定1割くらいのフィクションが好きかな。
ストーリーと設定は不可分ではあるけれども。

それに加えて、特に海外SFは新概念の単語の訳が致命的なんだろうなー。

今回の作品でいえば「仮定体」。原文の単語でいえばsubjunctive presenceとか
そんな感じ?知らんけど。
でも日本語で「仮定体」と読んでイメージできるものがないでしょう。
存在としては宇宙文明としての先行者、みたいな感じで始まるんだけど、
結局この存在がなんなのかというのが最終的なテーマ(の半分)だから、
重要なキーワードすぎるのよね。このキーワードが「仮定体」ではツライ。
日本語であまり恣意的に訳するのも違うんだろうし、結末にも大きく関わるし、難しいわ。


でもこの作品は、他のSFに比べて、ストーリーとキャラクターの部分に
なかなか力を割いていた。
なので面白かった。まあストーリーは全体的に苦難に耐えるもので、多分こういうところが
わたし好みじゃないところなんだろうけど。
もう少しユーモラスというか、可愛げがあるストーリー展開なものが好きだ。

数ある海外SFにはそういうものも当然あるんだろうけど、翻訳される作品は、
評価の定まったものが多くなるのは仕方ないし、評価が定まったものは壮大になりがち。

本作は大設定が秀逸。
ある夜、突然夜空から星が消えて、――それは宇宙のどこかの誰かが他の宇宙と地球を
隔てる「膜」を人工的に張ったから。そしてその「膜」の中と外は時間の流れが変わる。
この時間差がものすごく、地球での数年が地球以外での数億年に相当するすさまじさ。

ここから、2つの面白い展開があるわけですよ。
1.太陽があっという間に巨星化し、地球の滅亡が迫る。
2.それに対する対策として、火星を何とかテラフォーミングして、有機物の種を送る。

有機物は数億年をかけてあっという間に知的生命体に進化し、人間型の文明を築き、
(だがある時間が経ったところで火星も「膜」に覆われて、時間の流れは地球と揃う)
火星人の代表が一人、地球にやってくる。地球よりも高度な文明を築いたあとの。

太陽が膨張して地球が呑み込まれそうになって絶体絶命、というシチュエーションは
何百作品も書かれてきただろうが、そこに時間の流れを絡ませたアイディアが秀逸。
そこから火星との関係性もうまく物語を複雑にしている。



だが、言っちゃっていい?












結局エンディングはご都合主義にはなっていると思う。
文庫本350p×上下巻の話で、残り50pくらいまではサスペンスフルだが、
あとはゆるやかにエンディングに向かう。
これがきっちり収束するというよりは、まあ不満はないけど……的な結末。
なので、なるほど!という爽快感はない。

キャラクターもなかなか立っている。関係性もストーリー性がある。
でもみんな辛い思いをする人たちだから……結局そこがね。
楽しい、きれい、コミカル、という話が好きなわたしには合わない。
SFとしては面白かったけれども。


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< 謎解きはディナーの後で >

2025年07月18日 | ドラマ。
これは原作をずーっと昔に読んで、その後に出た実写ドラマを見て、
そして今回アニメで見た。ついでに同時期に実写ドラマ版がテレビで再放送されてたので、
それも見直した。……見直した、というか見直してる途中。
平行して見ているとネタバレをくらいますね。
まあネタバレどうこういうものではないですが。

大変にキャラクター数が少ない。省エネのアニメでしたね。
こういうの嫌いじゃない。ヘタに無駄に大人数が出て来るよりよほど良い。
だが世界的な財閥のおうちで、執事以外の使用人が一人も出て来ないのは
実写にしてもアニメにしても、むしろホラー。

今回のアニメで、梶裕貴はちょっと見直した。あんまり好きな声優じゃないけど、
この執事は良かった。
宮野真守はこれ以上ないほどはまり役。なんなら実写として目に浮かぶ。
花澤香菜は本人はかなり好きなんだけど、いかにもアニメ的演技しか見たことないので
演技的には少々苦手。でも今回の刑事パートの演技は落ち着いていていい。

これはそのうち続きますかね?どうとでも出来るようにふわっと終わりましたね?
多分原作はまだまだ分量があるだろうから、他に作品のネタがなくなれば
都合よくひっぱりだしてこれる素材だろうなあ。
まあ声優が豪華だから、スケジュールを押さえておくのが大変だろうが。

次もあったら見る。



実写ドラマの方は……なんでこの役に櫻井翔?とは当時から思っていた。
でも軽いドラマだからミスキャストだろうとなかろうと、そんなに気にならない。
北川景子は後年の一分の隙もない外見よりはまだ隙があって、可愛らしかった。
でもこの人はお化粧しなかったら別人なんだろうなあ。




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◇ 塩野七生「ローマ人の物語Ⅱ ハンニバル戦記」

2025年07月15日 | ◇読んだ本の感想。
カルタゴ関連の話は、どっち側から見るかによって、いつも気持ちが変わる。

世界帝国になりつつあった軍事大国ローマが、カルタゴを滅ぼして街に塩をまいた、
なんてエピソードにはカルタゴへの憐憫の情が増すし、

ハンニバルが強くて強くて強かった頃には、ローマの無力さが気の毒になるし、

といって若いスキピオが台頭してきて、ハンニバルが追い込まれていくのは憐れだし、
ハンニバルが本国カルタゴの支援を十分に受けられなかったのも憐れ。

大カトーのイチジクのエピソードも、最初読んだ時は「継続は力なり」の
ポジティブな印象を持ったが、なんかだんだん粘着質のしつこさを感じて嫌いになってきた。

――というようなことを、今回初めて時間軸に沿ってまとめて読ませてくれたのが価値。


前作でも思ったけど、「ローマ人の物語」はけっこう平易に書いてくれてるよね。
こういう戦いの記録、しかも戦術も書くのは面倒だと思う。
でも正直、図は必要最小限だし、文章で説明されているところは多いし、
文章の説明はありがたいんだけど、悪いけど映像で(配置図を)見たいなあとは思った。

カルタゴのテレビ特番はごくまれにあったりするけど、
ポエニ戦争についてがっつりというのは多分見たことがない気がする。
これ、2時間くらいで作ってくれたら面白いだろう。
まあ今ポエニ戦争を取り上げるきっかけは特にないかもしれないが。

塩野さんにしては珍しく、ハンニバルの「人間」について書いてた気がする。
めったに台詞を使わないイメージだったが、ちょこちょこ出て来たし。
これは史料にあるからだろうね。

平易でありながら詳しく書いている弊害なのか、前半3分の2くらいはうっすら退屈。
これを2分の1くらいの分量で書いてくれたらちょうどだったのではないか。


スキピオが好きかハンニバルが好きかというのは一概には言えないが、
とにかくハンニバルがカルタゴからの支援を十分に受けられないのは気の毒だよねー。
あんな戦上手、ちゃんと支援してたらローマは敗れて帝国にはなってなかったかもしれない。
あと象がひたすら気の毒。

この作品の書き方だと、パックス・カルタゴーナ(ナをつければいいというものではない)が
実現したとは思えないから、ローマが勝って良かったのかもしれないが。
まあねえ、塩野さんが書くと、ローマがかっこ良すぎるのよ。
そんなに良かったか?というのは時々思う。贔屓だから仕方ないけどねえ。



政治がまったく機能してない日本が、この成長期のローマを参考に出来ないかといつも思うが、
参考にするも何も、そもそも政治家が何かを参考にしようなんて向上心を
持ち合わせてないだろうというのが絶望的ですね……



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< 対岸の家事 >

2025年07月12日 | ドラマ。
今期唯一見てたドラマ。他は途絶した。

テーマは大して興味なかったが、多部未華子好きなので。
まあまあ好きだった橋本環奈、永野芽郁と次々にスキャンダルで倒れていく中、
多部未華子にはスキャンダルを起こさずにガンバって欲しいものです。

江口のりこがこういう普通の役なのも新鮮ー。うれしー。
朝ドラでもいいお母さん役をやってるし、役幅が広がっていっぱい出られてアリガタイ。
ディーン・フジオカは微妙に嫌いめではあるのだが、役柄によっては好きですね。
今回のこれははまり役。ものすごくはまり役。いい役でした。

そして、わたしは今回は一ノ瀬ワタルを推したいです!
「アンナチュラル」「エール」「そろばん侍」で見ているんだろうが、
ちょい役だと覚えてないよね。……ちょいじゃなくても覚えてない可能性もあるのに。
この人、今後も見たいなあ。こういうがっつりコミカルな役で。
こんなヤツおらんやろ~!と思いつつ、「いちごぉぉぉぉお!」の再々の絶叫に
心が洗われていた。

全体的に話は、いい話なんだけど……ちょっと無理がない?という作りではあった。
多部未華子が聖人過ぎ、正義過ぎ。再現性がないというか。
まあ、必ずしも再現性を求めているわけではないんだけど、「これで話が済むなら
警察はいらねー」的にも思える。全体的に多分に安易。

でも気持ちのいい話だったから、見ててまあ良かったけどね。
あと多部未華子と江口のりこが好きだから。一ノ瀬ワタルと。

あ!いちご役の子役がすごかったね!2歳くらい?3歳くらい?
最近の子役はみんな達者だが、さすがにここまで小さい子でこんなに出番があって、
立派にやり遂げるとは……えらい。本人もスタッフもお母さんもがんばった。

最終話を見て、そういえばコロッケが食べたいなと思い、そのうち作ろうと思いました。
めんどうだからめったに作らないけど。こないだジャガイモ安かったから買ったんだ。


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◇ 夏目漱石全集7「行人 満韓ところどころ 思い出す事など」ちくま文庫

2025年07月09日 | ◇読んだ本の感想。
「行人」はタイトルからして意味がわからん。「行者」のイメージに引きずられるのか、
仏教系の言葉かと思ったら、……いや、「ぎょうにん」と読めば「行者」のことになんですね。
「こうじん」と読めば、道を行く人。通行人。旅をする人という意味。
作品としては「こうじん」と読むらしい。
うーん。どういう意味をタイトルに込めたのか……
ここがわからないってことは読めてないんでしょうね。


その上で言わせてもらうが、これは小説としてはダメダメですよ。
いや、わたしは夏目漱石が好きで、日本の文豪としては多分唯一くらいで好きだが、
上手い小説書きでは全然ないと思っている。

わたしが好きなのは「猫」と「三四郎」と「夢十夜」と「倫敦塔」。
「夢十夜」と「倫敦塔」は短編だから置くとして、「猫」もまるまるの小説というよりは
小説の皮を被った日常エッセイみたいなところがあるし、
「三四郎」もぎりぎり成立している、くらいの小説。
「それから」と「門」はけっこう小説か……。
あとはほとんど読み込んでないからなあ。

こないだ読んだ「彼岸過迄」もこれも、ほんとにゆるゆるだもんね。
本作なんかものすごい尻切れとんぼだもんね。
これはもう放り出したといってもいいだろう。実際放り出したんだろう。

多分漱石は、後になればなるほど、自分の哲学を書きたいのよね。
そこが根本で、小説というガワは方便として使っているだけなのよね。
だから本当に書きたいことを誠実に書こうとすると、ガワは二の次になってしまう。

正直、最初の三沢の入院部分なんか要らないもんねえ。全然後半とリンクしてない。
多分漱石はひとまず書いてみて、あとは「筆に訊いてくれ」ってタイプ。
つらつら書いていって、ようやくテーマを見つけて、話が深まって(?)いく。
こういう人はね。新聞小説に向きません。そもそも小説に向かないのでは。


まあでもわたしは、一郎さんの心情や葛藤は面白く読みました。
わたしは漱石の(描く)葛藤は共感できる。頷きながら読める。
ガワの部分を考え始めたらもう全然ダメですけれど。
嫂さんも書き足りないし、一郎も書き足りないし、そもそも二郎がこれから
どうなるのか、どうするのか、さっぱりわからん。

……だが、この終わりぶりにはびっくりですよ!!
これでいいのか!漱石は百歩譲っていいとして、いいんですか、朝日新聞は!
まあ今さらダメともいえん。もう100年以上前に連載終わってるんだし。


※※※※※※※※※


そういう意味では随筆の方がずっと安心だね。

「満韓ところどころ」は紀行文だし、そんなに苦労せずに書けたんではないか。
書きたいかどうかというと、それほど書きたくはなかったかもしれないが。
義理か生活のたつきで書かなきゃならんかったんかね。

面白かった点は、満州の風俗。まあ上へ上へ扱われている漱石が見た範囲の風俗だから
(それに漱石は特にジャーナリスティックな性向はない)、範囲としては狭いだろうと思うが、
その代わりに、漱石の交友関係がそこそこわかるというのは面白み。

当時の大学、帝大は今と違って本当に日本の最高学府、エリート養成所だったから、
そこを出た漱石が旅行で行くところのほとんどが、
同級生や同窓生がエライさんをやっている組織。

特に今回頻繁に出て来る是公――わたしはよく知らんが、中村是公といって満鉄総裁らしい。
これが仲の良い学友。是公、是公と昔から呼び捨てだが、周りが総裁総裁というから
遠慮して自分も総裁と呼ぶ、なんてくだりがある。
学友の漱石からの視点で見るとただの友達で血が通う。ちょっと楽しい。


――が、こんなに胃が痛い胃が痛いと言っている人が長期旅行はしない方が
良かったんじゃないかねえ……。
まあ100年前に死んだ人の話を今さら言っても仕方ないが。
読んでて、「もう家へ帰れ」と何度言いたくなったか。

みんなもてなそうとして宴を企画したり、当然するでしょう。
食いしん坊だから、出されたら食べたくなるでしょう。
若死にでしたよ。もっと生きて欲しかった。
老年期、どんな作品を書くのか見たかった。


※※※※※※※※※


「思い出す事など」は、その胃病を原因とする大喀血をした後にかろうじて生還し、
その時のことを振り返って書いた随筆。
まあ本人だし、時間がだいぶ経っているので言えることではあるんだろうが、
だいぶユーモアに寄せてますね。そんな呑気な話ではなかっただろう……

だが結局、胃病により早死にしてしまうんだから、後世で読んだいる我々は
「その後、何とか養生していれば……」と思いますよ。



まあとにかく漱石は好きですよ。ちくま文庫版はあとは10巻だけ。
その後、恐怖の岩波の底本に移行します……


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< ゴジラ ー1.0 >

2025年07月06日 | テレビで見た映画。
こないだ(?)見た「シン・ゴジラ」は面白くなく、
昭和29年制作の「ゴジラ」には感心し、
そして本作。――まあまあ面白かったですかね。後半はね。

冒頭から序盤にかけては、うーん……と思いながら見ていた。
モノクロかあ……。現代において白黒で作る意味がある作品になるのかね?
単に安易なオマージュ風になるだけだったりしない?
という不安が払拭されないうちに、御大ゴジラ登場。

このゴジラの登場の仕方がねー。ほんとにただ出て来ただけだったんですよね。
あっさり出てきやがって……、もとい、出ていらっしゃって、なんら期待感も特別感もない。
ファーストゴジラでは特撮の技術も何もなかったところで、
ひっぱってひっぱって、神秘性を高めてましたよ。ライティングを上手く使って。

今回のゴジラの登場は「はい、これがゴジラです~」という司会の声が聞こえんばかりの
あっさり具合。さらにその時のゴジラの動きがあまりに人間すぎてさー。
ゴジラをどういう存在にするのかというのは監督なり、脚本なりで作品ごとに異なるだろうが、
わたしは大自然の力・タタリ神という位置づけに納得しているので、
単にあっさり登場されても困るのよ。

怪物で怪獣で手に負えないほど凶暴、というのはそうなんだけど、
それに神性や神秘性、わずかにしても知性が感じられないと「ゴジラ」としては物足りない。
これが全然物足りなくて。
むしろ「なんであんなに雑に登場させた?」と不思議になるレベル。

その後も脚本的には疑問な展開が続き。
神木隆之介はあの時撃てないかねえ。撃てないという筋はわかるが、
演技としてというか、脚本の流れとして釈然としない。
もう少しイジればすんなり納得出来たと思うんだけど。
どこをどうイジれば良かったかはノーアイディア。

安藤サクラの反応もちょっと異常だと思った。
それなりに近所付き合いがあったお隣さんなんですよね?
いくら子供を3人失っているからと言って、戻って来たその場で神木を責めるか?
まずは「よく生きて帰ってきた」だろうと思うのだが……
まあ癖のある人柄を印象付けたいというのはあったのだろうが。

典子との出会いのシーンも陳腐すぎ。
血がつながってない子供をあの状況で育てるのも無理があるが、
それを丸抱えする神木の行動もねえ。
まあ当時の状況的に「ない」とは言い切れないのかもしれないけど、
そこにディテイルがほとんどないからなんかもやもやする。

ここらへんまででもやもやばっかりだったので、もう少しで視聴中止にしそうでした。
中止にしなかったのはほんとたまたまとしか言えない。
でも船に乗り組み始めたあたりからは普通に面白くなって最後まで見た。

ゴジラが銀座へ上陸した時の描き方は神性を感じられていいと思った。
もう少し攻撃力が少なくてもいいかな……とは思った。
そしてラジオ、新聞の記者たちのシーンはもう少し現実感がある方が良かった。

海上でのゴジラとの対峙とか、絶体絶命になった時の何だかっていう戦艦?
(でも武器を搭載した艦船って当時の日本にあったんですか?)
が駆けつけて救ったのはかっこ良かったが、……まあすぐやられちゃいますけどね。

元海軍軍人が集められたシーン、一番偉い人が腰が低いという演出は意外だった。
もっと勇ましく、威圧的に描くのかと思った。
勇気ある撤退をする一般人を入れたのも良かった。が、こんな人数が残るかなあ。
撤退が多数派になるんじゃないかなあ。

そしてこのシーンを見て、海外勢はどう思うんだろう。
そのヒロイズムに共感するんだろうか。それとも第二次世界大戦の日本の歴史に思いを
馳せたりするんだろうか。


吉岡秀隆はそんなに好きではない……そのドラマによって好きだったり嫌いだったりする
役者だが、今回はこの人が出て来ることでなんだか妙にほっとした。
はまってたもんね。この人が(わたしにとって)この映画を救った。

浜辺美波はところどころ上手いなあと思って見ていた。
この人と神木隆之介は「屍人荘」で共演してましたね。
その頃は可愛いなあと思うと同時に、その細さに恐れさえいだいたが、
今回は特にそういうことはなく。

青木崇高の役柄は最初と最後に上手に使われてたね。いい人で終わって良かった。
大団円は「いや、それはないやろ~」といいたくなるほどハッピーエンドでしたが、
まあそれでもいいよね。浜辺美波の復活まではやりすぎかとも思ったが。



ゴジラには今までほぼ興味がなく、本作含めて3作見ただけだが、他にこれを見るべき!
という作品はあるんだろうか。海外制作ではゴジラをどう描くかはちょっと気になる。
一番出来がいい作品は見てみたいが、どれがいいのかわからん。



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◇ 谷崎潤一郎「陰翳礼賛・文章読本」

2025年07月03日 | ◇読んだ本の感想。
ずっと昔、「陰翳礼賛」は読んだことがある気がする。
が、内容はまったく覚えていない。
今回の感想は、「でもわたしはどこでも本が読める程度の明るい照明が好きだ」ということ。
おうちに間接照明が欲しいと思う人の気がしれない(失礼)もんね。
なので、陰を愛する谷崎潤一郎とは対極に位置する。

まあ陰翳という意味でわたしが納得できるのは、屏風や障壁画を見る時くらいかな。
たしかに昔の暗い照明で見た時の方が、金箔や金泥の味わいは増えそう。
それは見てみたいとよく思う。だがそんなチャンスなんてないわけじゃないですか。
だいたい見る時は美術館の展示ケースのなかで、なんだし、
そうなると暗めとはいえ照明が当てられてるしね。



でもこの本の目当ては「文章読本」でした。文章読本シリーズ、川端康成に続いて2作目。
で、読んだ感想は。

うーん、読んでいて面白いところは多々あったけど、読み終わってみると、
あとに残る「これぞ!」というプリンシパルがなかった。
唯一残るとしたら……「はっきり書くな」かなあ?
おぼめかして、余韻を大事にするのが良い文章。……というのは、一般的な良い文章とは
真逆に位置することかと思うが、谷崎ならまあそうなるのかもね。

これは要約しにくい内容だと思います。そもそもわたしは要約が苦手だ。
だが、谷崎が大事だと思うところは太字にしてくれていて、
ああ、ここを読めばいいんだなと思って読んでも、……これってそこまで大事な部分?
という疑問が抜けない。まあまあたくさんの箇所を太字にしてますからね。

任意の2ページ中、こんな感じ。

「文章の味と云うものは、芸の味、食物の味などと同じ」

「感覚と云うものは、生れつき鋭い人と鈍い人とがある」

「心がけと修養次第で、生れつき鈍い感覚をも鋭く研くことが出来る」

「出来るだけ多くのものを、繰り返して読む」

「実際に自分で作ってみる」

これらの行の間にいろいろ書いているんだから、太字部分だけを抜き書きしても
正確な意味は表さないと思うけれども、……なんか、そこまで重要?と思う。

なにより、わたしは「太字で強調する文章は文学的ではない」と思っているので、
よりによって谷崎がそんなことをするのは驚きだった。

まあそれはそれとして、内容は外国語と比較したり、源氏物語を引用したりして
興味深かったですよ。自分が文章を書く時の即効性のあるパッチにはならんけれども。

ちなみに、よりわかりやすい文章上達法を目次から拾えば、
「文法に囚われないこと」「感覚を磨くこと」
だそうです。うーん。これだけ見てもよくわからんが……
まあでも別に文豪の文章読本に即効性だけを求めているわけでもなく、
読んでいて面白かったことは面白かったので、結論としては読んで損にはならない。

ただ、川端の方が納得感はあったなあ。

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< スタンド・バイ・ミー >

2025年06月29日 | テレビで見た映画。
名作と名高い本作。いまさらの初見。
そして……ほぼ面白くなかったんですよ。むしろツライ。

何がいけないかというと、……道具立ての殺伐さですねー。
粋がって煙草を吸う子供たち。虐待を受けている子供たち。
不良の若者たち。車を盗むとか、ポストを無目的に破壊するとか、子供たちを脅迫するとか。
銃を持ちだす子供たち。本人たちはいいんだろうけど、口汚くののしりあうじゃれあい方。
死体を戦利品扱いする無神経さ。
もう全部見ててツライものばっかりで嫌悪感さえ抱く。
これは全然楽しくない。苦行でした。

今回すごいズレを感じるのは、
子どもたちってそれぞれすごい葛藤を抱えているわけじゃないですか。
ゴーディが「兄の代わりにお前が死ねば良かった」なんて言われており。
そんなの精神が危機に瀕するほどの虐待でしょう。(これは夢だったらしいけど、
そんな夢を見るほど追い詰められているのだから、本人にとっては現実とほぼ同じ)
テディだって、父への愛情と憎しみが激しく、とても正常な精神状態ではいられない。

クリスの苦悩も深いけれども、それは精神のバランスを崩すまではギリギリいたらない苦悩、
しかしゴーディとテディの苦悩はその何倍も危険な苦悩。に見える。

でもこの映画ではそこら辺を一緒くたに描き、友情が苦悩を救ったという話にするんだよね。
納得できないなあ。これは「ゴーディがクリスの友情によって救われた」という話であるべきで
「12歳の(少年時代の)友情って特別だよね」という一般的なノスタルジーの話に
するべきではない。

友情が救う話にしたかったのだったら、個々の少年が抱える苦悩は
もう少し軽いものであるべきではなかったか。そうして欲しい。

わたしは「少年時代の一夜の冒険が友情を深める」という話だと思っていたから、
全然違う話で違和感がすごかった。まさか本当に死体があって、死体を映して、
しかもそれをただの戦利品扱い……。ほんとデリカシーがないよね!

わたしはスティーブン・キングの作品は1冊しか読んだことがなくて、
その時読んだ「図書館警察」、は全然ピンとこなかったらしい。
後味というか、全体的に味が悪い。苦々しい思いを抱く。
ここらへんはこの映画と通底しているかもね。要はやりすぎなのよ。



感受性の部分で、わたしはアメリカ的なものとは相容れない気がしている。
これはもう昔から。子供のころからアメリカには親しみを感じない。

いわゆるアメリカ的なもので好きと言えるものは……
ディズニー映画の何本か(単なる「好き」ならもう少し増えるが)、
ハリウッド映画のいくらか(なんのかんのいってある時期は映画世界を牛耳ってましたよ)、
マクドナルドとKFCはそこそこ好き、なくなったら寂しい。ミスドってアメリカ?
……あとはティファニーのステンドグラスと、「風と共に去りぬ」、
――すごく限定的になってしまう。あと何かあるかな?
あ、「たんぽぽのお酒」は好きだな。

あとはジョニー・デップと。でもデップはアメリカ的に感じない。むしろイギリスな気がする。NBAは以前好きで見ていた。でもスポーツはアメリカ的というより何より、
強いのが面白いという側面もあるから、どっぷりアメリカであっても
それを「アメリカ的」というのは違和感がある。

アメリカのマッチョイズムがイヤなのかなあ、と分析しているのだが……
強さが正義と思うシンプルさ?というか、単にシンプルさ?なのか。
あまりにシンプルな考え方には共感出来ない。
でもそれもわたしの思い込み、ステレオタイプの可能性が大いにある。
だってわたしは「アメリカ」を知っているわけではないし。


ここ数年で初めて「E.T」を見たんだけど、あまり面白くなかったのよね。
この時代の映画が好きじゃないのかな。それとも時宜を得た視聴じゃないと
心に響かないってことかな。それはそうなのだろうけど。

うーん。この映画、わりと楽しみにして見ただけに、残念だった。




ずっと前に「宗教からよむアメリカ」という本を読んだことがあって、
これがいたく納得出来る内容だったのをかすかに覚えている。
この感想を書いてないわけはないのだが、検索にひっかかってこない。
gooブログが終了するに伴って不具合が出ているのか。
「プロテスタント」で検索してもほぼ引っかからないところから、
多分検索機能がもう効いてないんだと思う。

タイトルは「宗教としてのアメリカ」とした方が内容を表していたように思う。



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< 浮世の画家 >

2025年06月26日 | ドラマ。
何ヶ月か前に録画していたドラマ。
……もっと前に見れば良かったなあ。スキャンダルの前なら普通に見られただろうけど、
イロイロあると作品を見るのに脳内にノイズが入って邪魔なんですよね。

まあそれはそれとして。


そもそもカズオ・イシグロの原作小説がふわーっとした話なんだよね。
当時イシグロの作品をだいたい読んで(といっても寡作な人なので数作)、
それなりに気に入った方なんだけど、今となって振り返ると、
状況をあいまいにして(サスペンスフルにして)、その宙ぶらりんの読み手の心理を利用し、
そこに詩的な文章を使って文学性の高さと錯覚させる……という気がして、
ノーベル賞……?と思うようにはなっています。
まあわたしは読解力がないからね。シンプルに面白いエンタメ小説が好きですよ。


それをドラマ化したものなので、ドラマとして話がわかりにくいという前提はある。
だからといって話をわかりやすくすると、それは全然イシグロではないわけで、
これはそういう意味ではかなりがんばったドラマだったと思う。難しいと思うよ。
イシグロらしい、不安定さ、不安感、ふわふわ感がよく出ていた。
しかしその不安定で不安でふわふわしているドラマが面白いかどうかというのが。

結局節子の台詞の謎とかは明かされませんからね。
これがミステリなら、伏線回収が出来てない!といいたいところですよ。
最後の方で、斎藤博士がお父さまのことを知らないというのも……一体ナニ?と思うんだが。

というか、そもそも何が起こったのかが、なかなか出て来ないのよねー。
見方によっては最後まで出て来なかったと言ってもいい。
本人も疑っているし、他人が断言するわけでもない。
むしろ「気のせいだよ」って言いくるめられている世界。「ガス灯」ですな。
そのサスペンスを延々と見せられるドラマ。

しかしどうかなー。一番ドラマとしてツライというか難しいと思ったところは、
小説と違って、ドラマでは「絵」を見せなきゃいけないじゃないですか。
そこらへんは結局文字で説明するしかない――文字で逃げられる小説が楽。
「絵」を見せちゃうとね、その絵に納得できるかどうかで説得力が全然違う。

あの絵でわたしは納得出来たとはいいかねる。
だって日本画で美人画を描いていた人ですよ?あれ油ですよね?急に油ってどうかと思う。
それまでどんな絵を描いていたのかは結局出て来ないんだからあれだが、
全然関連性がないのではないか。

あと「独善」の文字が。あれは原作由来の言葉なんでしょうか。
独善の言葉の意味がわからないよ。独立した善といいたいのか?とか。
それも無理があるよなあ。

黒田に喋らせないのがイシグロなんだろうね。喋ると決定的になっちゃうしね。
黒田の弟子の演技が上手かったし、台詞回しの台本が上手いなあと思って見ていた。
ただ萩原何某も何だかありましたよね……またノイズが。そもそも渡辺謙もノイズが。

それも遠因だと思うけど、ここ最近、渡辺謙のこってり具合に食傷している。
食傷するほど見てない気もするけど。
ずっといい役者だと思っていたんだけどなあ。今もいい役者ではあるんだろうけど、
上手なのが鼻につく気味がある。年も年なのに脂が抜けずしつこい。
松本白鴎なんかも同じカテゴリですかね。
そろそろ年齢相応に枯れた味わいが出てもいい気がするが……

「国宝」に出るんですねえ。これは原作を読んだばっかりで、
……って、もう1年経ってましたか!?(この時点で5月頭)
せいぜい半年くらい前の感覚なんだが。げげげ。
原作が面白かったので、映画も期待してます。



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