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プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 柳広司「虎と月」

2025年05月17日 | ◇読んだ本の感想。
虎と月といえば「山月記」で、それは想像通りだったが、冒頭を読み始めた時には
「え、これ短編……?」というような薄さというか小ささで、これがまさか1冊分の
長編になるとは思わなかった。なりましたね、長編に。

久々に面白かったと思った。
柳広司は最初の3冊くらいすごく面白く、今まで10冊ちょっとくらい時系列で読んでいるが、
やっぱり数が増えるとそこまでではないものも出て来て……ここんとこ
ちょっと物足りなかったのよね。

この人は歴史や文学作品を基にして、そこから話を作っていくタイプ。
古代ギリシャが舞台とか、漱石の作品とか、楽しませてもらった。

この話はちょっと不思議な雰囲気の話でしたね。
異世界ファンタジーみたいな趣も少しある。14歳の少年が主人公で一人称の語り手なので、
ライトノベルくらいの感覚で読める気がする。
多分、最後の数行は「山月記」の引用じゃないかな。

中島敦は20年近く前に全集を読んだな。全集と言ってもたしか全4巻。
短い生涯の人だったから。
中島敦の文章は好きだった。水のように端正。名文章といってまず思い浮かぶのは
この人です、わたしの場合。おすすめ。

……柳広司の本の感想だったはずだが、中島敦の話になった。
まあ面白かったということで。

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◇ 池澤夏樹個人編集世界文学全集Ⅲー02 カプシチンスキ「黒檀」

2025年05月09日 | ◇読んだ本の感想。
最初は小説だと思って読み始めたが、実はルポでした。紀行文という側面もあるけど、
よりルポでしょうね。
こういうジャンルは自分では絶対に手に取らないので、全集を読んでいる功徳、
と思いながら読み進めた。

――が、わりと最初の方でつまづく。
まえがきで「公式のルートは避け通したし、宮殿とか、重要人物とか、
政治の大舞台なるものは、極力敬遠した」と書いてあり、なるほどと思ったのだが、
14ページではもうガーナの教育情報相、コフィ・バアコと会っているのよね。

この人は重要人物では?――と思うと、もういけません。
「極力敬遠した」と書いてなければ全然気にならなかったはずの内容がひっかかる。
その後も何人かのお偉方には会っているようだしね。

それでも3分の1くらいまではそこまで疑問は持たなかった。
書き手の身分というか、職業が「ジャーナリスト」だと知る前は。
ジャーナリストにはね、……偏見があるのよねー。

ジャーナリストは基本的に「現在を見て文を書き、それを売って生計にする人」。
それを高精度で実現するには、現在を見る洞察力とともに現在の基盤である過去――
風土と文化を知る必要がある。
そして過去を高精度で知るためには、ものすごい蓄積が必要だと思うのだが、
ジャーナリストのあり方として、一つ所をじっくりと何年もかけて取材はしないだろうと思う。
なぜなら数をこなさないと生活が立たないから。そして同じ場所で地味な記事を書いても
その記事は売れないから。

このカプシチンスキという人はまえがきで、40年間の仕事のうちとびとびに8年
アフリカに滞在したと語っている。
8年は、一般的に考えればたしかに長い。しかしどのくらいのスパンのとびとびなのか。
その土地を深く知るためには、本当の意味で知るためには10年くらいかかるだろう。
半年程度ではその土地の表面を撫でることしか出来ないだろう。

そしてアフリカ大陸は広いのだ。国の単位で考えても10や20ではない。
その中に複数の部族があって、文化も気質も違う。とびとびに滞在するカプシチンスキは
一体いくつの言語に精通出来たのか。たとえアフリカの言語を日常会話程度なら
5種類覚えられたとしても、深い話、抽象的な話、独自な文化の話や考え方は
日常会話程度の言語力では高精度には伝わらない。


このことについて個人的な経験がある。二十年ほど前、イギリスから地元へ観光に来た友人を
観光名所である江戸時代初期の藩主の墓に案内した。安土桃山様式の豪華なお堂に眠る骨。
立札には殉死した家臣がいたことが書いてあった。
それをつたない英語で説明し、ま、いわゆるハラキリだね。と締める。
「Oh」と彼女は言った。「Terrible.So Sorry」と。

それを聞いた瞬間、頭がガンと殴られたような気がした。
カルチャーショック。

心底、亡君に忠義を尽くして死出の旅の供をしようと思った人々。
殉死をするだろうと周囲からプレッシャーをかけられ、嫌々ながら死んでいった人々。
殉死した人の家族にかけられただろう「立派なご最期だった」という声。
それを聞いて家族は何を思ったのか。
愚かであり、哀れであり、ほんのり輝く後世の我々からの目。
「武士道」という言葉の魔術。

フラッシュバックのように、説明したいことがさまざまに浮かんだ。
殉死にはいろいろな立場や思惑が含まれている。歴史的にも心情は移り変わっていったはず。
――しかし単なる観光客として来た友人には絶対に理解出来ない。
理解するためには膨大なインプットが要る。

それを説明するのは、難しくもあり不必要なこととも思える。
これが研究者などであるのなら別、ただの観光客に対して20分も30分もかけて
「殉死」に対する日本人の歴史的な背景、心情などを事細かに説明しようとは思わない。
その能力もない。

だがそういった情報を欠いた「殉死」は、「殉死」の内容としてあまりにも薄く、
TerribleでSo Sorryな出来事でしかない。
――こういうことは、ひたすら果てしなく、アフリカの諸民とカプシチンスキの間でも
起こっていたと思うのだ。

時間をかければその部分が多少なりとも改善された可能性はある。
しかしカプシチンスキは世界を股にかけた――それを誇るタイプの
ジャーナリストだったと思われる。実際世界のあらゆるところへ行っているらしい。
訳者の一人によるあとがきでは、訪れた国は100を超えるとある。

50年の活動期間、講演で訪れた国もあるらしいから、実働が数年はマイナスされるとして
まあ45年で100国以上となれば1年3カ国。……と単純に計算は出来ないとしても、
たまには自宅にも戻っただろうし、「じっくり」という言葉とは縁がなかっただろう。



まえがきでカプシチンスキは次のように語る。

   かくて、これはアフリカに関する書物ではなく、何人かのあちらの人々、
   そこで出遭い、共に時間を過ごした人たちを語る著作である。あの大陸は、
   描き出そうにも、あまりに大きい。あれこそは、真の大洋、別個の惑星、多種多様で、
   かつ優れて豊かな調和世界(コスモス)だ。アフリカ――とわれわれは呼び慣わす。
   だが、それは甚だしい単純化であり、便宜上の呼び名にすぎない。現実に即するなら、
   地理学上の呼称はそれとしても、アフリカは存在しないのである。

まえがきは短く、全部で12行。上記の引用は5行に当たる。後半の5行。

そうだろう。あんなに広いアフリカを「アフリカ」とだけ思うべきではない。
たしかに最大の大陸はユーラシア大陸で、アフリカ大陸はそのおよそ半分でしかないが、
ユーラシア大陸の半分を一つのかたまりとしてとらえることの乱暴さを考えれば、
まえがきでカプシチンスキが言っていることは、まさにその通り!

……なのだが、この「黒檀」で、それほど個々を大切に扱ってくれてる気がしない。
全体は冷静で公正な書きぶり。文章の上手さは感じるし、アフリカの風景に対しては
美しさを感じさせてくれる――詩情、文学性がある。
だが、アフリカの人々にもう少し美点を探して欲しかった。共感が欲しかった。

訪れた場所はのべ21カ所。ここを何年かけての文章かはわからないが、
唯一印象に残った個人がマダム・デュフだけというのが不満というか、納得しにくい。
まあ解説によれば、彼女は数十年をかけて変化した「アフリカ」の象徴だそうだから、
一人カラフルに表現されているのは必然なのかもしれない。

基本的には「アフリカの現在」(ただし数十年前)のルポなので、政治状況の分量も多い。
――だが政治状況の部分は外側から書けないものでもなかった気がする。
現地に行ったからこそ書けるという部分が比較的少ない印象。全部とは言わないが。

文学性のある文章は楽しめたけれども……全体的には結局疑問を感じつつ読んだ。



ああ、それから。
ここはひどいと思った、という部分があって。忘れもしない267ページ。

   
   つまり、ヨーロッパの文化が他の文化と違うところは、批判能力、なかでも
   自己を批判的に見る能力がある点だという話である。分析し掘り下げる技術、
   普段の探求心、安住しない姿勢。ヨーロッパの思考は、自身に限界があることを認め、
   自身の欠陥を否定しない。懐疑的で、安易に信じず、疑問符を付ける。

   概して、他の文化にはこの批判精神はない。
   それどころか、自己を美化し、自分たちのものはなにもかもすばらしいと考える
   傾向がある。つまり自己に対して無批判なのである。

   あらゆる悪いことは、自分たち以外のもの、他の勢力(陰謀、外国の手先、
   さまざまな形での外国による支配)のせいにする。自分たちへの苦言はすべて、
   悪意ある攻撃や偏見や人種差別だと見なす。
   
   こうした文化の代表者たちは、批判されると、それを個人への侮辱であり
   愚弄でありいたぶりでさえあるとして、憤激する。
   彼らに向かって町が汚いと言えば、彼らはまるで自分たちが不潔な人間と
   言われたかのように、耳や首や爪が汚れていると言われたかのように、受け取るのだ。

   自己を批判的に見る精神の代わりに、悪意、歪んだコンプレックス、妬みや苛立ち、
   不平不満や被害妄想でいっぱいだ。結果、彼らは、恒常的・構造的な文化上の
   特性として、進歩する能力に欠け、自らの内に変化と発展への意志を
   創り出す力を持たない。


(注・読みにくかったので適宜、行を分けました。原文は改行なし)


これはエチオピア長期在住のイギリス人男性とカプシチンスキが話し合った内容だという。
(ちなみにカプシチンスキはポーランド人)
この「ヨーロッパ文化は素晴らしく、その他の文化は~」という文章は、
それだけで、筆者に対する信頼を失わせるものだった。

それは(常にわれわれが直面している)西欧世界の傲慢ではないのか。










公平にいえば、この部分以外はそこまでアフリカ世界に対する偏見は感じない。
というか、積極的に美点を見つけようとしない姿勢は気になるけれども、
まあ政治的アフリカであればこうなるのか……と、テーマに疎いわたしはそう思う。
民俗的アフリカは非常に豊かだろうけど。この人が書くのはそこではないしね。

とはいえ、アフリカの人が「黒檀」を読んで、どんなことを思うか、
それは聞いてみたいと思う。

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◇ 「夏目漱石全集6 門/彼岸過迄」(ちくま文庫)

2025年05月03日 | ◇読んだ本の感想。

「門」はたしか2度目だなあ。
雰囲気は覚えていたが、後半の流れは忘れていた。
特に最後、こんなにほの明るく(同じくらいほの暗く)終わるんだっけ?
破滅を暗示して終わるような気がしていた。「それから」に引きずられているか。

夫婦の精神的な結びつきを丁寧に書いているところがいいね。
明治~昭和くらいの日本文学って、恋愛話というより、単に男と女の話って感じで
じめッとしているイメージ。森鴎外でさえ「舞姫」あたりも男から見た女。

でも本作では御米も女というより人間。こんなに違う性をちゃんと書けるんだと意外。
もっと漱石は朴念仁な気がしていた。というより今でもしている。
奥さんにブツブツ言っているシーンが多いからだろう。
でも奥さんともそれなりに仲が良かったのかな。随筆を読むとそうは思えないのだが。
真実は藪の中。



「彼岸過迄」は初めてかもしれない。漱石作品の主なものは一度は読んだと思っていて、
「彼岸過迄」も読んだと思ってたが、内容に全く覚えがない。
あんまりつまらなさそうだったので止めたのかな。

正直、半分はつまらなかったですね。
とにかく前半はつまらなかった。敬太郎に焦点が当たっている部分はほぼつまらない。
あんなぼんやりな男のことを事細かに読んで何が面白かろう。

後半になって、須永の告白になってから、ようやく漱石の真骨頂。面白くなる。
まあストーリーとしては特にこれといったものはないんだけどね。
でも漱石の良さはしんねりむっつり書く心理描写だから。
須永も相当に面倒くさい奴だが、これが嫌いなら特に漱石を読む意味はないだろうし。

須永の告白の前と後で、松本叔父のキャラクターが変わったのが納得出来なかった。
だいぶつまらない人物になってしまいましたもんね。めっきが剥げたというか。

そして松本のうわごとのような、締めにならない締めで話が終わる。
正確には敬太郎パートで数ページあって最後なんだが、もうほんとこれは
いかにも苦し紛れにくっつけただけで、この部分は全然ダメだろう。


この作品は伊豆の大病の後、しばらく療養してのちの執筆第一作らしい。
前書きでわざわざいうほど面白い作品にしたいと気張ってたようだし、
むしろ気負いすぎたんじゃないのか。

おそらく漱石はプロットをしっかりと考えて小説を書くタイプではなく、
ふだんから自分の中にある哲学を取り出してみせるために小説という形をとる。
書きながら話を整えていくタイプ。
前半は書きたいことまでなかなか届かなかったのであんなにうだうだしてたんじゃないのねえ。

ようやく須永が語り始めたので興にのって書いたが、須永で話を終わらせることが出来ず、
だからといって松本が今さら内輪を語っても仕方なく、どうしようもなくなったんだと思うよ。
もし面白い漱石作品だけ読みたいと思うなら、「彼岸過迄」はやめといた方がええで。
もっと面白いものはあるから。


次の巻からは随筆が多いようなので楽しみにしている。
随筆は数冊蔵書があるけどそこまで読んでない気がする。
漱石は随筆を書いていればよかったんじゃないですかね。
本当にいいたいことがあって、それを書きたい場合、小説という形式じゃなくて、
随筆でストレートに書いた方がはかが行くだろうと思うのよ。


漱石で好きなのは「倫敦塔」。「夢十夜」。「猫」。「三四郎」。
おっさんがロマンティックなのが好きなら、特にこの4つで十分。
「それから」「虞美人草」は読んでもいいかな。

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89ers、4月23日の試合。

2025年04月24日 | ◇読んだ本の感想。
勝たせてもらいたかった……(泣)。

なんか動きも良かったし、上手なプレイも多々あって、前半はリードしていた。
けっこう良かったと思ったんです。もしかして来たか!?と思った。

……が、やっぱり負けちゃったんですよー。
相手もだいぶミスしてくれてたしチャンスだったのになあ。
とにかく4Qの終盤の3ポイントが決定打。
惜しかった。惜しかった惜しかった。勝ちたかったなあ。

ナベショー!がんばってる!
キッドもなかなか!
今日は青木だったね!勝ってたら文句なくMVP!

最後のホームゲーム、土日の北海道戦は両方勝て!
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◇ 稲見一良「男は旗」

2025年04月21日 | ◇読んだ本の感想。
わたしは男臭い話は好きではない。つまりハードボイルドはあんまり好きではない。
しかし稲見作品はなんとか読める。ものによるけれども。
これは柔らかい方のノリなので読めた。

いや、これはハードボイルドというより、大人向けの皮を被った少年冒険小説ですね。
特に後半。前半は首を傾げつつも、かろうじて普通の話ではあるんだけど、
後半は何しろ宝島を探す話ですから。
全体的にリアリティがない。これはなあ……と思うところ多々あり。


――でも、書きたかったんだろうなあ。
多分。わたしは稲見一良の詳細を知らないけれども、多分。
この本の発行は1994年2月15日。そして稲見一良の命日は1994年2月24日。
死因は10年闘病を続けた癌だそうだから、多分発行日には相当に弱った状態だろうと。
そのせいか、この作品の版権はEmiko Inami。奥さんか、娘さんか。

これは前半部を1991年の小説新潮に連載し、後半は書き下ろしというイレギュラーな
作品らしい。書き下ろしだからこそ形を成したということはあるかも。
よく言えばファンタジー色強め、悪く言うと子供っぽい。

ただその子供っぽさが悪い一方かというと、そこまでではない。
リアリティが!とはいいたくなるけど、爽快ではある話。キャラクターがみんな可愛いし。
少年の夢の話を書きたかったんだろうと思う。その気持ちはわかる気がする。


そして、この話をこのわずかな残りのページ数でどうまとめるのか……?と
思いながら読んだが、なかなかの力技だが、ほー!こう来たか!という意外性があった。
これなら短いページ数でまとめられるし。絵面も派手だし。なかなかいい。
子供っぽいが。

この話は主人公の飼っているコクマルガラスの一人称の視点なんだよね。
一人称のわりには露出が控えめだが、鳴き声の違いの部分は気分が盛り上がった。
作者の烏に対する愛情を感じる。さらに登場人物全員に対する愛情も感じるので――
大人が書いた「ワンピース」的な話、と例えるのはありかな。
もちろんワンピースのボリュームには遠く及ばないわけだが。

欠点はあるが、可愛らしさも感じる作品。
おそらく最晩年に書いた作品だろうと思うので、そこを含めると温かく見たくなる。
稲見一良は、好きだとはいえないけど、きれいな文章を書く人だった。
かっこつけたいところがたくさんありすぎたきらいはあるが繊細で誠実な書きぶりだった。

わたしが稲見一良を読んだのは最近なので、すでに亡くなっていたんだけど、
こういう人が(比較的)若く亡くなるのは惜しい。

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◇ 磯田道史「近世大名家臣団の社会構造」

2025年04月15日 | ◇読んだ本の感想。

これはなかなかの良著。

……良著ではあるが、読むの時間かかった~。
正味で10時間とかは読んでたかもしれない。
講談社学術文庫で本文480ページだから、まあボリュームもそこそこあるんだけど、
とにかく理解しようと、あわよくば記憶しようと努力して読んだから大変だった。
集中力を必要とする。

数年前から磯田道史をつぶしているので今回たまたまこれを読んだのだが、
まあちょうどいいといえばちょうどいいタイミングでしたね。
この本、「社会階層としての武士とは何か」というテーマを含んでましたから。

もともとは論文だったようなんですよ。だから内容としてはかなりガチガチです。
適切な章立てはされているとはいえ、段落も1ページに2つあるかないかですからねー。
詰まっている。密に詰まっている。
でも文章は明晰だし。……正直言って、この細かい内容をこんなに明晰に書けるのは
頭いいんだなあ、と見直した。テレビだと単なる歴史オタク(←一応褒めてる)だけど。
データ分析も細かい。本人がやったのなら驚嘆するし、研究室の学生がやったのなら、
ちゃんとバイト代をあげて欲しいレベル。

――いや、しかしそんな感想はどうでもいいのだ!!
内容です。


これをしっかり定着させるために、ノートを取りたくなった。
が、実際に取るのはあまりにも面倒で。多分高校レベルのノートの取り方をしていたら、
この本でノート1冊はいく自信がある。
100分の1――200分の1かもしれないが、ほんとーに浅い部分だけでもメモっておく。
浅い部分だけでも、もう一度読み直さなければならないんだから大儀ですよ。

ちなみに、この本は個人の論文だからして、内容の一から十までが「正確な歴史」ではない。
「正確な歴史はこうではないのか」という個人の研究である。
歴史は常に「確定的な事実」ではない。
なお、以下のA、B、Cなどの番号振りはわたしの便宜上。
それから、内容については個人的な理解によるので、文責はわたしにあります。


A:「武士」の階層は大きく分ければ「侍・徒士・足軽」。とはいえ、時代や地域、
  藩でも相当の相違がある。名称のバリエーションも多い。
  「給人・中小姓・徒士・足軽」と4つに分けることも。その下に中間・小者。
  この著書では主に3つ分けを採る。

B:宇都宮藩(戸田家)の場合の格分けは十種類、七段階。
  御家老ー御番頭・御用人・御取次ー御給人ー御中小姓ー御供徒・御使徒ー小役人ー足軽
  この場合は御給人以上が侍、真ん中が徒士、小役人以下が足軽。

C:上記宇都宮藩では給人以上が「武士」。これは騎馬し、扶持は知行取の人々。
  「侍」は徒士まで。
  ただし「侍」「士分」「侍中」など、藩によって用語と定義は違う。

D:彦根藩の明治3年の藩政改革による区分の変化。
  士分・徒士・銃手小役人・諸仲間→上士・下士・卒・使丁
  
E:中小姓は藩によって士分に含まれたり、徒士に含まれたりする。

F:同じ部屋に入れるのは同格の者だけ。呼びかけ、書式の様・殿の区別も厳しい。

G:絹物を着られるのは徒士以上。足軽は少なくとも公の場では禁止。
  足軽には足駄・雪駄・下駄・白足袋を禁止した藩もある。

H:対面時の礼儀は厳しい。特に足軽に対しては厳しく、藩によっては士分と行き会ったら
  下駄を脱いで最敬礼、あるいは土下座。(Gの下駄禁止と矛盾するようだが、
  藩によって違うということか?)

I:Hから、徒士と足軽の格の差は現行のイメージよりも大きいのではないかという意見。
  足軽は士分に土下座、あるいは最敬礼しなければならない(藩がある)こと、
  百姓・町民身分が足軽相手に土下座は求められていない藩がある。
  
J:格による礼儀は厳しく設定されていた。相手と自分の格によって、さまざまな敬礼義務を
  守らなければならなかった。どんな礼になるかは文書によって厳密に設定されていた。
  シチュエーションによっても違い、非常に煩雑なものであった。
  礼を失すれば処罰された。

K:身分表象は刀の有無と思われがちだが、「袴」の方がより明確な表象である可能性もある。
  徒士以上は袴着用可、足軽は不可。(役務によっては一時的にあり)

L:狭義の「御家中」は士分のみ。時代によってだんだん御家中の範囲が広がり、
  徒士も含むようになる。足軽も無礼打ちの対象だった場合がある。
  なお少数だが、徒士も無礼打ちの対象になっていた藩もある。

――以上が第一章分。約100ページ分の話。はー、疲れた。
第一章は全体に対して5分の1だから、かなりボリュームがありました。
100ページを一言にまとめるのは乱暴にもほどがあるが、ここでのポイントは、
AとIだと思います。

士分・徒士・足軽。
そして現行では足軽は一般的に武士の側に入っているけど、一概にそうは言えないかもしれない
ということ。それを補強する内容として第二章へ続きます。……あー、大変……。




a:婚姻相手について。戦前に書かれてよく引用される論文があり、その「武士の婚姻は
  藩内婚・身分内婚・降嫁婚傾向」の内容が通説となっていた。
  が、磯田道史は「それは根拠の史料として最上クラスの武士のみを扱ったためでは
  ないか」と問題提起する。

b:近年、新しく「士分と軽輩」の違いに注目した論文が出た。
  士分は士分同士かあるいは他藩の同格の家、軽輩は軽輩同士か近隣の百姓とも婚姻した。
  だがこれは明治初期の戸籍簿による調査で、少々時期が限定的なうらみがある。
  
c:磯田は、今回岡山藩とその支藩の鴨方藩の「婚姻願」により統計を出した。  
  一例として鴨方藩の徒士の妻の27人の実家を挙げると、百姓・17人、町人1人、
  神主1人、同藩藩士1人、岡山藩藩士5人、岡山藩陪審2人。

d:結果をざっくりいうと、藩士(士分)社会では格式相応の通婚が主流。
  降嫁婚か昇華婚、どちらかの明確な傾向は見られない。知行高はかなり近接している。
  それに対して徒士層は百姓との通婚が多い。ただし百姓への嫁入りは少ない。

二章は史料の分析が主なので丁寧に読めば数字の納得感は高いが、まとめは難しい。
  

い:養子率は3割~4割。異姓養子は東アジアでは珍しい存在だが、
  日本では異姓養子が過半数(←これは少々疑問)。

ろ:史料があった清末藩については、徒士層に百姓が養子に入る例はかなり稀。
  松代藩では徒士層に百姓が養子に入る例はある。

は:もし同姓からの養子以外を拒絶した場合、100年程度で7割の家が断絶する試算。
  父から子への俸禄はほぼそのまま継承されていた。士分の場合。

に:次男などが養子に出ることで階層移動が起こるデータはなさそうだ。


三章は養子の実態について。



――ああ!もうだめだ!めんどくさい!これ以上出来ない!止めます。
今後の内容をざっくり言うと、

4章:士分は比較的早婚。徒士はけっこう晩婚。宇和島藩の史料では士分の平均初婚年齢
   23歳、徒士層31歳。この差は主に収入額の差ではないかと思われる。

5章:徒士層における一代抱え(能力・フィジカル重視)→世襲化への流れ。
   足軽は「譜代」という存在もあったが、基本は一代抱え。後に「株」という形で
   身分を譲り渡すことも広く行われる。

6章:足軽はより一層能力重視。見た目・体格も重要だった。
   能力重視なため、幼年者が足軽身分につくことはありえない。

7章:隠居年齢。

8章:足軽の編成実体。

9章:足軽・中間(ちゅうげん)はここでは武家奉公人と扱われている。
   津山藩の場合、足軽へは10~25俵の切米、中間は13~15俵という史料がある。
   武家奉公人は近隣の農村から供給されることが多数。町人はごくわずか。
   町人を抱えると風紀が乱れるという意見もあった。

10章:足軽・軽輩(仲間、小者など)は近隣の百姓が務めることが多かった。
    一軒の家から2人以上奉公に出ている家もある。
    基本的には城下へ居住していることが多いが、通いの奉公人もいた。
    なお徒士層は(特に世襲化した後の徒士層は)、もらえる扶持は足軽よりも
    多かったにせよ、それ以外の収入がほそぼそとした内職程度しかなかったので
    百姓としての収入もある場合の軽輩層より貧乏なことは珍しくなかった。

11章:士分の経済状態。普通、知行の4割くらい支給されるのが普通だったが、
    時代が進むにつれて2割、1.5割に減ってくる。
    さらに奉公人の給料が2、3倍に上がって来るので、どんどん士分が貧乏に。
    一家の奉公人の数は時代が下がるにつれて半減している。    


本人が終章として45ページで内容を要約している。
この要約もなかなか手際がよく、ここだけを読んでも内容はつかめる。
しかしせっかく読むなら具体的な事例を読んで納得しつつ読みたい。
……が、7章8章はわたしも興味が続かなくて、ほとんど読んでない(^^;)。




ああああ~、めんどくさかった~~~!!



この本でわたしが残したいことは、
AとI。bと10章、11章。あ、そうそう、Kもか。


ただし問題は、――徒士って何なのかわからないことだ!
時代によってもいろいろ違ってくるんでしょうねえ。地域によっても。藩によっても。

徒士って、ふだん何やってるのかわからないのよねえ。
それをいうなら足軽もわからない。この本の中に足軽の職務は、門番、飛脚と何とかと何とか、
4つくらい並べられていたんだけどどこだったか忘れた。
戦国時代だったらまあ歩兵ということで、槍兵、鉄砲とかのイメージはあるけど、
平時は何をやっていたのか?

多分幕府において旗本は士分ですよね。で、御家人は徒士でしょう?
ここにはお目見え以上とお目見え以下という区分もありますよね。
騎乗と徒歩という区分もありますね。
でもこの区分では徒士と足軽の区別も大してつかないのよね。

足軽はふだんどんな服装をしていたんだろう。袴着用不可というから……着流し?
それもなあ。
中間は奴さんみたいなイメージではあるが、いつもいつもその恰好なのか?

wikiには「筆書・測量・算術のほか、塗物師・左官・小細工・大工・紙漉
白銀(彫金等)細工の棟梁、薬師や塗物師」などとあるが、これは逆で、
これらの技術職が徒士として抱えられたとか、特殊技能の気がする。

「武士の家計簿」の猪山家は士分だろうなあ……。
奉行所の与力は徒士格だろう。御家人。
時代劇に出て来る「浪人」は士分だろうか。士分もいただろうが、徒士もいたんだろうか。
まあフィクションでそこまで背後事情を設定してはおらんだろうが。

坂本龍馬は下士?とすれば徒士?でもたしか彼は才谷屋……。足軽?
あ、本家が才谷屋か。いや?でもたしか長兄は商人だった気が?
商人→徒士というのは、この本によるとなかなかなりにくかったんじゃないの?
それも藩ごとの個性の範囲なのか。

初めて坂本龍馬について読んだ時は、「土佐藩は上士と下士の溝が深く、それも幕末の
土佐藩の倒幕活動に影響を与えた」とあった気がしていて、上士に反感を抱いていたが、
その後、長曾我部系家臣と山内家臣の反目だったようなことも読み、
「そりゃ無理ない」と思うようになった。


この本でなあ。徒士と足軽の定義というか、姿をわかりやすく描いておいてくれればなあ。
まあ論文の趣旨と離れるので難しいだろうが。
だったらあとがきで説明して欲しかった。ここがわからないので、
今回この本で啓蒙された知識と、今まで知っている「武士として描かれた姿」が
きっちりと結びつかない。残念だ。



根性と頭がないので、本の5%くらいしかまとめられなかったが、書かないよりはましだろう。
以上。疲労困憊。ここまでといたします。
ありがとうございました。

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◇ クロフツ「クロイドン発12時30分」(半分以降パラ読み)

2025年04月09日 | ◇読んだ本の感想。

「樽」のクロフツ。「樽」を12年前に読んだあと、「樽」以外は面白いのか?と思い、
今回読んでみた。

……いやー、よく書けてる作品だとは思うんだけどねー。
なにしろこの話、犯人(=主人公)の内心をじっくり書いていくタイプの作品で。
決して悪人ではない犯人が、どういう過程ののちに殺人を犯していくのか。
ほんとに丁寧に書くから、……主人公に同化して読むタイプのわたしにはツライ。

ツライというか、心が痛いというか、いたたまれない。
半分までは、辛かったけどなんとか読んだ。しかしその辺りから
ばれずに済んだと安堵している主人公が次第に追い詰められていく展開で、
もう我慢できなかった。あとは解決篇まで飛ばしました。
どうせ名探偵が結局解決するんでしょ?

全体的には緻密でしっかりした作りの作品なのだが、若干淡々としすぎているきらいが……
とりわけ解決篇は完全に予定調和で(まあ仕方ないんだけど)、
名探偵フレンチ主席警部は食事会で自らの推理を披露し、全員が彼をほめそやすという。
褒めてもいいけど、褒め続けることは不要だったのではないかと思う。褒めすぎ。

殺される人も、良くは描かれていないのよね。
不況で会社経営に苦しむ主人公(甥)に「お前の努力が足りないのだ!」と言い放つ前経営者。
たしかに主人公は多少甘いかもしれないけど、そんな言い方しなくったって……
少しは知恵を貸すとか励ますとか、やってくれてもいいだろうと。


クロフツなあ。緻密な作家なのはいいけれど、こう書かれるとわたしにはツライかなあ。
もう少しユーモラスなものが好きかもしれない。もう1、2冊読むが、どうだろう。

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◇ 榎村寛之「斎宮――伊勢斎宮たちの生きた古代史」

2025年04月03日 | ◇読んだ本の感想。

今回斎宮についての本を、結果的には5冊読んだことになった。
そのうちの3冊はこの人の著書。どれも面白かったですね。
現在御年65歳だから今はどうかわからないが、8年前のこの本の出版時点では
三重県立斎宮歴史博物館の学芸普及課長だった人。

ま、斎宮はある意味マイナーなテーマでしょうから、研究者もそこまで多くはないと思う。
その中でまさに斎宮研究真っただ中の立場ということかね。
何しろ博物館に勤めてたんですから。


今後、斎宮についての本をなんぼか読みたい人に向けて、この3冊を簡単に説明します。
番号は便宜上。

1.「伊勢斎宮と斎王」
2004年発行。一番柔らかい内容。短い話題に分かれたコラム的なので読みやすい。
最低限の数字も挙げられているので簡単過ぎない。牽引もついている。
特筆すべきは、一つの話題について前半部がより基礎的な内容、後半部が
【もっと知りたい人へ】とあって、より掘り下げた内容になっている。
これいいシステム。ボリューム的には半々で、これがちょうどいい。
もっと各所に広がって欲しい。


2.「斎宮――伊勢斎宮たちの生きた古代史」本書
2017年発行。中公新書。中公新書といえばそれで説明は足りるであろう。
これはいい方の新書。わたしは中公新書を信頼している。読みやすく、内容もある。

面白い試みとして、ほとんど世には知られていない歴代斎宮を、人によりそって
――資料がとても少ないので、比較的有名な斎宮でも目鼻がはっきりするほど
キャラ立ちはしてないわけだが――の視点で書こうとしている。

取り上げられてるのは5人くらいだったかな。
それぞれ面白かったんだけど、何しろわたしは記憶力に問題があるので、
斎宮女御という人がかろうじて頭に残った。藤原忠平の孫で村上天皇の女御らしいよ。
歌人としても有名でサロン的な集まりがあったとか。


3.「伊勢神宮と古代王権 神宮・斎宮・天皇がおりなした六百年」
一般書だが内容は研究に近いので、読むのにけっこう時間がかかるし、
ここまで読まなくてもいいと思う人もいるだろう。若干重め。
が、内容は詰まっているし、読んだらとても面白い本。
これは別に独立して記事にしているので、こちらを参照ください。

わたしは3→1→2という順番で読み、それはそれで全然問題なかったが、
読みやすさで言えば1→2→3なので、勘案してもいいかもしれない。
だが細部の情報を入れてから簡単なものを読むと、読んで味わいが深まるので……
まあどっちがベストかは人による。要はどっちも楽しめる。



――この本について言いたいことがもう一つ。
あとがきでね。氷室冴子の名前が出て来るのよ。
著者は彼女と二度ほど面識があり、斎宮が出て来る小説について話したこと、
それが実現しなかったことが残念だと。通り一遍ではない哀悼の意を表している。

好きな作家だった。氷室冴子の死は。早すぎた。
まあ読んだのはほぼ時代物だけで、全体の作品に対しては3割程度だとは思うけど。

今でもめったにない、平安時代を舞台に面白い小説を書いてくれた。
源氏物語など古典の翻案ではなく、オリジナルのエンタメ小説はレアだった。
こんなん書けるんだ!と驚いたよ。こういうものの考証は常に不安だが、
少なくとも違和感のある話づくりはなかった。
面白く読んだよ。大好きだった。今でも惜しむ。

歴史・古典エッセイでわたしを古典の世界へ引っ張ってくれたのは
田辺聖子だが、氷室冴子も同じように田辺聖子のエッセイに導かれて平安時代へ入りこんだ。
わたしにとっては同窓の先輩のような人。


――ということで、著者に対してはこの件で親しみを覚えました。
内容もいいので、斎宮についてさらっと知りたい人はおすすめです。



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◇ 榎村寛之「伊勢神宮と古代王権 神宮・斎宮・天皇がおりなした六百年」

2025年03月27日 | ◇読んだ本の感想。
大変興味深かった。面白かった。けっこう難しかったけど。

半分くらいまで読んで、間に一週間くらい空いて、後半一気に読んだら
前半の細部は忘れているし、後半は2時間くらい続けて読んだら内容が細かくて若干飽きた。
書いてある内容は興味深いんだが、わたしの知識がそれをはっきり理解できるほど深くない。
加えて記憶力がない。

まあでもとにかく、前半の驚きは――かなり大きな驚きは、
伊勢神宮と斎宮は全く別組織だったということ。
なんだったら利害の対立さえあったかもしれないということ。

わたしは最上位に斎王がいて、伊勢神宮の大宮司がいて、まあ実務及び実際の権力は
大宮司が持っていたかもしれないけど、あくまで斎王が最高権力者だと思っていた。
斎王が参加しない伊勢神宮の儀式もあったと読んで「え!?」と思った。

伊勢神宮は祭主を世襲したい大中臣氏。その下につく宮司たち。
宮司たちに反発をする禰宜層。
それらとは違う権力構造を持つ斎宮。省庁としての機能もある。
経済基盤も違う。奪い合ったり競い合ったりもしたことだろう。



後半は、意外に斎王の重要性は流動的で、重んじられたこともあったし
それに伴って権力を持っていたこともあったが、思ったよりも王権からは離れていたこと。
時代的にゆるやかに衰退したり隆盛したりはしただろうと思っていたが、
むしろ天皇の代それぞれの政治戦略によってがらりと変わったようだ。
皇女を出しているんだから、王権との距離はある程度近いんだろうと思い込んでいた。
そうでもないらしい。

伊勢神宮自体も歴史的に祭神も祭神の立場も変わるし、権力者も変わるし、
もう本当に流動的なんだなあ。
斎宮はおろか、伊勢神宮さえこんなにあやふやな立場だとは思ってなかったよ。

本が終わりに近づくにつれて、内容はどんどん細かくなっていき、
なかなかついていくのが苦労になるが、そこらへんもがんばって読んだ。
頭には入らなかったけど。
メモを取りながら読んだら大変ためになると我ながら思うけれども、
そこまでする根性が……

伊勢斎宮についての本をあと2冊読もうと思って借りてきている。
が、良いのか悪いのか、他の2つも同じ著者なんだよね。
この本がとても良かったので著者自身に不満はないが、史料もそれほどない、
研究者もそれほどいないテーマだと、一人の見方で何冊も読むしかないから
視点が一面的になるよね。
出来れば2、3人の著書があるといいんだが、どうやら市の図書館にはない。
あとは専門書になる。まあ専門書を読むまでではなあ……

いい本でした。





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◇ 中村弦「クロノスの飛翔」

2025年03月22日 | ◇読んだ本の感想。
中村弦3作目。そしておそらく最後の作品。
この後多分書いてないんだよね。うーん、そうかあ……。
本人が書かないと決めたのか、依頼する人がいなかったのかわからないが、
わたしとしては少々惜しいけどなあ。

前二作がふわりとしたファンタジーだし、このタイトルだったので、
同じようなものを予想して疑いもしなかったのだが、今回はだいぶ毛色が違いました。
何しろ戦争のシーンから始まりますからね。
それも泥臭く、いや~な感じ一方の戦争。非人間的な上長とか。

で、戦争に出ていた主人公が戻ってきて、戦後の生活の中でようやく平和な生活が
始まるのかと思いきや、なかなかいつもの中村弦にならない。
もしかしてずっとこの暗めのトーンでいくのか?珍しー。

結局のところ、最後は後味いいし、ファンタジーでもあるということで
通常営業と言えないこともないが、いつもの中村弦よりもだいぶ暗めでした。
まあわたしにとっては暗め。普通の人が読んでツライと感じるレベルではない気がする。


伝書鳩の話なんですよね。戦争中に伝書鳩係をやっていた主人公が、
戦後は新聞社に入って記者をやっているんだが、新聞社で飼っている伝書鳩に
数奇な縁を感じて……というところから始まる。

鳩が可愛かったです。健気で。鳩視点の部分もほんのちょっとあり、
もちろん鳩が何を考えているかなんてのは想像でしかないわけだが。
この人の主人公は誠実でいい人だから、共感が出来やすくて好き。

だが、正直言って終盤になるに従って少々ストーリーは無理になる。
いや、無理というほどではないか。作者は納得感にかなりこだわる人で、
こういう結果になるからここで描写や設定を作っているんだなあというのがよくわかる。
こういう部分、いいと思う。納得できる。


この人の作品は、地味は地味だったが。でも丁寧に書いてあって好感は持てたね。
ものすごく好きかというとそこまでではないが。
丁寧に書くから準備に時間がかかるタイプだろう。
まあなあ。何年かに1冊のペースだと本業は止められないだろうし。
本業が忙しくなったらその他に本を書くのは大変だろうしなあ。
3冊。楽しませてもらった。ごきげんよう。


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