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プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 万城目学「八月の御所グラウンド」

2025年09月07日 | ◇読んだ本の感想。

2 023年下期の直木賞受賞作品。

これで受賞するのはなー。正直にいうと納得感が低い。
あんまり「これぞ万城目!」って作品ではないですよね。だいぶあっさりしてるし。
むしろ読みやすさを評価して、そういう作品を直木賞に選ぶことで販促を狙ったのか……
と、うがったことを考えてしまう。

この人は基本的に変な話を書く人ですね。そして全般的にはもう少しこってりです。
今回のこれは、短いし、話としてもあっさりめ。おかげで手軽に読めましたが。

しかし「八月の御所グラウンド」というタイトルで、最初に全然関係ない短編、
次に「八月の御所グラウンド」という中編。これで1冊、という作り方はいいのか。

短編の「十二月の都大路上下ル」は女子駅伝の話。これはこれで面白かった。
面白かったが、……わたしはこの話を1冊分読むつもりで読んでいたので、
唐突に終わってしまった時は驚いた。ええ?これ短編だったの?っていう。
目次もそんなに目につかないし、中表紙も章扉だと思ったし、
これ順番逆の方が普通なんじゃないかな。どうしてこの順番にしたんだろう。

わりとこの二作、仕掛けは同じ。短編の方は正直、仕掛けにあまり意味を感じないが。
まあこれはこれで、軽めの話ってことであまりうるさく言わなくていいんだろう。

そして中編の方は、仕掛けにちゃんと意味があったしね。
万城目学ならあそこで終わらせないで、もっとシツコク書くのが本領という気がするけど。
あれはあれでアリなんだけど、どーも万城目学っぽくない。
もっと足掻くイメージがある。良くも悪くも。

でも基本的には読みやすい、いい話でした。


ということは「六月のぶりぶりぎっちょう」も同じ仕掛けの話ってことですかね?
……もしかしたら、今後12か月分書いていって、全部を合わせてみたところで
何か大きな絵が浮かび上がるということですかね?
いやー、万城目学ならそれくらいのことはしてくれるかもしれない。して欲しい。
「ヒトコブラクダ層ぜっと」を書いた万城目学なら出来るはず!
期待。



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◇ タニス・リー「闇の公子」

2025年08月26日 | ◇読んだ本の感想。
多分「影に歌えば」を読んだんだよね。で、「闇の公子」を読んでいるってことは、
「影に歌えば」が少なくともそこそこは面白かったんだろう。全然覚えてないけど。
いや「冬物語」だったか?あ、これは少し覚えてるな、中編二作が1冊だったよね。
面白かった気がする。

本作はものすごく絢爛豪華。主人公は闇の世界を支配する妖魔の公子。
魔術を使ってできないことはなく、しかも良心や劣等感もないので、史上最強ですわ。
愛していた少年が自らに背いた時も、あっさりと行かせ、しかしその復讐はねっちりと。
少年を死に追いやってしまう。もちろんそのことは公子にとっては単に
過去にペットだった存在の面白い死に方でしかない。心に影を落とすことはない。

妖魔が下手に人間味あるよりはいいんじゃないだろうか、人でなしでも。人でないんだから。
公子は思い切り美形で、……ありがちだが、この設定でカッコよさにリアリティを入れても
仕方ないからなあ。

とにかく文体が豪華絢爛なのよね。
好みぴったりというにはわずかに粘度が高いが、許容範囲。
「気になるところがあるけどまあまあ好き」という感じ。

特にありがたかったのは、連作短編というか、一篇が長めのショートショートくらいなので、
この絢爛たる文体・こってりしたファンタジーが胃もたれしないということ。
ちょこちょこ読んで吉。ただ前の話は忘れるが。
多分シリーズものなので、飽きるまでは以降の作品も読んでみる。



本作の翻訳者の浅羽莢子さんは「セーラ・ケリングシリーズ」で大変お世話になった。
ドロシー・セイヤーズでもちょっとお世話になった。
2006年に53歳で逝去。若かったね。――ご冥福をお祈りします。


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◇ 連城三紀彦「造花の蜜」

2025年08月20日 | ◇読んだ本の感想。
初連城三紀彦。

ん-ん-ん-。
ネタバレをするので、今後、連城三紀彦作品を読むかもしれない人は、
わたしの轍を踏まないように、以下の文章は読まないでください。




























よ。




この作品を、わたしは「最後の最後のどんでん返しが!」というような文章を見て、
どんなどんでん返しなんだろうと興味を持って読んでみたんですよね。

――だが、よく考えてみれば、「どんでん返しがある」と知って読んでいては、
そのどんでん返しを楽しむことは出来ないのだ!!盲点でした。
なので、どんでん返しについては全然知らない状態で読むのが正解です。
(余談だが、「もうてん」を変換すると最初に「蒙恬」が出て驚いた。)




実は連城三紀彦って、わたしがあんまり好きなタイプのスタイルじゃないんじゃないかと
思いながら読み始めたんですよね。

実際、全体的なスタイルはあんまり好きではない気がする。
でも上巻については、意外にもすごくテンポが良く、謎の出し方が非常に上手で、
これは面白いなと思った。好きにはなれないかもしれないけど面白いと。
一気に読んだ。

だが、文庫本で下巻に移ったとたんに恐れていたことが起こってしまった。
……悪く言えば2時間サスペンス的な雰囲気になって来たんですよね。
じめっとしてて、無理があって、ありきたりなの。

上巻は謎や伏線をポンポンと出してて、それだけで楽しめた。
だが下巻は、半分くらいまではある登場人物とある登場人物の関わりだけを述べるので、
しかもそれがお定まりの「ファム・ファタルにのめりこんでいく若者」という話だから、
読んでて退屈だった。

いろいろ無理があるんだよなあ。
まず出会いがさー。わざと交通事故を仕掛けて知り合いになるんだよ。
しかも若者のみならず、我が子が乗った車に当て逃げするの。
厳密には女の車の方がひかれた形になるんだけど、そんな上手く小さい事故で済むわけあるか!

いや、小さい事故で済む可能性もあるけど、まかり間違ったら大きな事故になる。
女が自分の運転にどれだけ自信があったとしても、相手の反応もあるし、
ちょっとの違いが大きな違いになるし、
――要は、単なる出会いにそこまで大きなリスクを取る理由がないのだ!

面倒なのでいちいち言及しないけれども、とにかくいちいち大なり小なり無理がある。
ここまで状況をドラマティックにする必要はない。というか、ここまでいじると
嘘くさくなる。その嘘くささが受けいれられない。
だってここまでアレコレ出来るのなら、女は超巨大な犯罪組織の長ですよ。

この作者はいろんなところをドラマティックにするのが好きなんだろうなあ。
だがそれが無理を生む。この無理が平気な人は平気だろうけど、わたしは無理。
多分これはこの人の全作品的な傾向だろうと思う。

そして、登場人物の誰をも好きになれないフィクションも好みじゃないのよね。
キャラクターはあんまり魅力的じゃない。共感出来る人物がいない。
上巻くらいのテンポの良さなら、キャラクターが好きじゃなくても面白いが、
下巻になるとじめじめ感が辛くなる。

そして最後のどんでん返しは、たしかに……知らずに読んでいたら、やられた!と
思ったかもしれないが、待ち構えているとちょっと中粒に感じた。

そうねえ、話の骨格はすごく考えられてていいんだけれど、そこに肉付けしていく過程で
不満を持つなあ。無理が。やはり無理が気になる。


あと「戻り川心中」を読んでみるが……代表作の一つだろうし。
でもタイトル的にこれもじめっと系ですかね。たくさん書いた人だし、好きなら
たくさん読むのにやぶさかではないが、現時点ではこの2冊になりそう。

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◇ 塩野七生「ローマ人の物語 3 勝者の混迷」

2025年08月14日 | ◇読んだ本の感想。
2はポエニ戦争について。次がおそらく三頭政治。
なので今回は若干小粒な、谷間の雰囲気がなきにしもあらず。
とはいえ、ちゃんと知識があれば面白い時代なんだろうけどね。
まあ知識がなくても読んでいれば面白い。記憶にはなかなか定着しないけれども。

今回の登場人物は以下の通り。

グラックス兄弟。
マリウス。
スッラ。
ポンペイウスの若年時代。

「プルタルコス英雄伝」はとにもかくにも一度は読んだから――スッラの名前くらいは
かろうじて覚えていたけど、内容はまるで覚えていない。まあ数十年前だしね。

なかなか面白かった。地味ではあったが。
グラックス兄弟の人生は悲劇的だと思ったし、マリウスには軍事と政治の能力は
やはり別物だよなあと(ごくごく当たり前のことを)思ったし、
スッラはもう少し謙遜する心があればより上手く行っただろうと思ったし、
ポンペイウスは、次からがおそらく真骨頂だろうから、それほど強烈な存在には
まだなっていない。


だが、ここらへんになると、やはりほころびが見えて来る。古代ローマに。

やはり任期がなし崩しになってしまったのが明確なつまづきだと思うなあ。
権力は結局は腐敗する。連続任命の禁止はそれに対する唯一の対抗策ではないかと
現代のわたしも思うのだが、何度かの(例外としての)緊急時の連続任命を経験すると、
「例外適用が常態」になってしまう。やはり前例というのは厄介なものです。

気分とか勢いというものもあるしねえ。こういうののタイミングってほんとにぬるっと
いってしまうのよね。気分で法律が運用されることがないように、
ブレーキ機関をちゃんと設定しておかないといけないが、
設定していてさえ、ブレーキとなり得るかは不確定。
やはり民衆の「気分」に対抗するのは大変な勇気を必要とする。
下手すると血祭りに上げられないとは言えない。

あと、やっぱり一度登った国家は停滞する。弛む。
この時期の古代ローマはまだ停滞というには早いかもしれないが、
やはり青春時代と比べれば少し緩んでいる。理想を追う時期ではなくなっている。
上り坂の時には相当無理がきくものだと思うけど、それは永遠には続かない。
日本で言えば、明治時代が青春時代だろう。

というか、永遠に同じシステムが通用しないんだよね。政治は。
時代により、規模により。周囲の国も興亡し、同じ相手ではない。経済も移り変わる。
それに合わせていける国が栄える。というより、偶然合っている時代だけ繁栄する。

まあ結果的にローマは合わせられたんでしょうけどね。
なにしろ東ローマ帝国まで含めればおよそ2000年――くらいですか?
続いたんだから。まあ東ローマ帝国は別物か。

考えてみれば、これまでのところ、けっこうエジプトの存在が空気ですね。
もう少しエジプトについての言及があってもいい気がするけどなあ。
当時も大国だったんだろうし。
あと20年くらいでクレオパトラとカエサル、アントニウスといろいろあるエジプトは、
もっとローマと影響を与え合っていたのではないか。

ヌミディア王国とか、パルティア王国とかが脇役ながら印象的ですよね。
まあここらへんも書こうと思えば塩野さんはたっぷり書けたんだろうが、
きりがないから「まあここらへんでカンベンしといてやろう」と思ったのかな。

次が古代ローマのメイン、塩野さんが大好きなカエサル。

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◇ 赤瀬川原平「少年と空腹 貧乏食の自叙伝」

2025年08月08日 | ◇読んだ本の感想。
赤瀬川さんが亡くなってからもう10年以上経ったのか……
わたしが(図書館で借りて)読み続けてきた著作もあと7、8冊。昭和は遠くなりにけり。

これは1993年頃に連載されたエッセイのようですね。
私見だが、2000年代以降の赤瀬川さんはわりと内容が薄くなるので、
発行年代順に読んでいて、近年そんなに面白いエッセイはなかった。
でもこれには内容を感じた。ブンガクだった。

だが、読んでてツライ内容だった……。
いつもの赤瀬川さん、ほわほわでのんびりしていて、笑える内容の少年時代のエッセイかと
思いきや、けっこうシビアなんですよねえ……。いうたら犯罪告白になってる。
犯罪も、こどもの頃のガム1個とかお菓子1個とかどころじゃないですよ。

青年になってからの食パン4本と大瓶のチョコ1瓶分。
定期券の偽造3ヶ月?4カ月?
隣の友人の米・味噌複数回窃盗。

その他にも、なかなかエグいテーマも多くて、前半3分の1くらいは引いてました。
後半は素直に面白く読めるんですけどね。


しかし昭和12年生まれの戦後食糧事情はかなり厳しい。
しかもこの人は兄弟が5人か6人で……まあこの年代だとそれほど珍しいことでもないが、
食べ盛りが5人もいたら、それは食べ物がいくらあっても足りないですよ。
そして、ないんだからね。食べ物が。
お腹が空いて、お腹が空いて、どうしようもない時代の思い出。
ユーモアの皮をかぶっているとはいえ、痛ましいのだ。

あと珍しく、妻と娘の姿をスケッチしている一篇もあって、珍しいと思った。
妻は若干出て来るけど、娘はエッセイを読んでいてもほとんと出て来ない。
意識して出さないようにしていたんだと思う。気を遣う人だし。
一度書いて出してしまったら、なかったことには出来ないからね。


ちなみにこの本の解説が久住昌之。そうか、そういえば赤瀬川さんの弟子筋だったねえ。
この人も美味しかったと言っているけど、赤瀬川さんのエッセイに
度々出て来る「りゅうきゅう」はわたしも食べてみたいなあ。

多分大分へ行けばどこかの店で食べられるとは思うが、
書いてある通り、コンニャクのりゅうきゅうがなさそうなのよね。
作るしかないか。そんなに面倒ではなさそうだが、ずーっと作ろうかどうしようかと
迷ったまま作ったことがない。作らないままのような気がする。


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◇ 丸島和洋「図説 真田一族」

2025年08月02日 | ◇読んだ本の感想。
真田氏・武田氏についてちょっとまとめて読みたいなーと思って
(「真田丸」を見終わった後だから、2017年くらいに課題図書リストに入れた)
関連の本をこの1年くらいで10冊内外読んだ。

その中だとこの人の著作が面白い気がするなあ。
特にこれは図説だからね。読みやすい。
図説で有名なのは「とんぼの本」「ショトルシリーズ」などがあるけど、
あれはあれでいいけれども、内容の密度はやや薄目。そこがいいんだけどさ。
これは読みでがあって、ちゃんと歴史について書いてあって満足。

これはシリーズになってるのかね?戎光祥出版という出版社で、
あんまり聞いたことなかったんだけど。クオリティ高いと思いました。
これシリーズだったら読むかも……と思って出版社のHPをチェックしたら、
一応シリーズはシリーズみたい。
でも「図説シリーズ」と「図説 日本の城郭シリーズ」があるのよね。
合計して、現行おそらく45冊で、……さすがに45冊読むのはちょっと……。

テーマもちょっとマイナーで面白そうなんだけどね。
「佐竹一族」「中世島津氏」「常陸武士の戦いと信仰」……微妙なところを抑えてる。
ちょっと面白そう。だがちゃんとリストアップするにはギリギリ及ばないという
ほんとーに微妙な範囲。
まあとにかく、いい仕事だと思いました、丸島和洋さん、戎光祥出版さん。
シリーズものとしてのネーミングをちゃんと考えたらいいのではないか。


それはさておき。

真田昌幸の前二代、真田幸綱、信綱についてもしっかり書いてあるのが良かった。
全体の3分の1くらいがこの2人。4分の1か。
昌幸の事象が一番ボリュームがあったな。それは時代的にいろいろあったということ。
何しろ武田が滅び、上杉と北条と徳川と織田の間で永遠にわちゃわちゃやっていた頃だから。
この辺りのことは本当に面倒なので、この本だけでは正直言ってカバーできないと思う。
もしくはこの本くらいのボリュームであっさり読むのもあり。

幸村といいたくなる信繁については期待よりは若干少なめなのだが、
何しろこの人は表に出ていた時期が短いからね。仕方ないね。
信繁の娘が伊達家家老の片倉重長の妻になった話を、地方史の本で読んだばかりだから、
重長に乱取りされた説があるという話を読んで、えーっ!と思ったが。
どうなんだろうか。信繁が戦場であいまみえた重長を見込んで託したという話は素敵だが、
やはりそれはそれで無理があるように思う。

信繁が幼少で、木曽義昌に人質に出されていた時(!)親族の男性に書いた手紙は興味深い。
信繁の生年がはっきりしていないから、書いた正確な年齢はわからないが、
11歳、12歳のころではないかという手紙。
内容が興味深いのではなく、ほぼひらがなで書かれているのが面白い。

信之が「天下の飾り」と称された話は好きだ。
大河ドラマに影響を受けたイメージだが、自由奔放な父と弟に翻弄された苦労人……
という気がして。まあ人生の最後まで苦労続きだったようだが、
「天下の飾り」とまで言われれば、周りからそれなりのもてなしも受けただろうし、
若干むくわれたのではないか。



あと3冊くらいこの著者の本を読んで、武田氏・真田氏の関連本は終了ー。


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◇ R.C.ウィルスン「時間封鎖 上下」

2025年07月21日 | ◇読んだ本の感想。
この話はなかなか面白かったんだ け ど 。
でもSFってやっぱりわたしには向かないな、と思った。この期に及んで。

大人の読書を星新一、新井元子、平井和正(と田辺聖子と永井路子の歴史もの)から
始めたわたしとしては、SFが苦手だと告白することは正直しのびない気がする。
だがたまに読んでも好みの合わなさを感じるのよねー。
特に海外SFがね。年に1、2冊がんばって読むんだけど、いつも読むと苦労する。

SFは究極の「設定厨」のジャンルだからなあ。
設定が8割。ストーリーが2割。キャラクターはほぼ0。というイメージがある。
わたしはストーリー7割、キャラクター2割、設定1割くらいのフィクションが好きかな。
ストーリーと設定は不可分ではあるけれども。

それに加えて、特に海外SFは新概念の単語の訳が致命的なんだろうなー。

今回の作品でいえば「仮定体」。原文の単語でいえばsubjunctive presenceとか
そんな感じ?知らんけど。
でも日本語で「仮定体」と読んでイメージできるものがないでしょう。
存在としては宇宙文明としての先行者、みたいな感じで始まるんだけど、
結局この存在がなんなのかというのが最終的なテーマ(の半分)だから、
重要なキーワードすぎるのよね。このキーワードが「仮定体」ではツライ。
日本語であまり恣意的に訳するのも違うんだろうし、結末にも大きく関わるし、難しいわ。


でもこの作品は、他のSFに比べて、ストーリーとキャラクターの部分に
なかなか力を割いていた。
なので面白かった。まあストーリーは全体的に苦難に耐えるもので、多分こういうところが
わたし好みじゃないところなんだろうけど。
もう少しユーモラスというか、可愛げがあるストーリー展開なものが好きだ。

数ある海外SFにはそういうものも当然あるんだろうけど、翻訳される作品は、
評価の定まったものが多くなるのは仕方ないし、評価が定まったものは壮大になりがち。

本作は大設定が秀逸。
ある夜、突然夜空から星が消えて、――それは宇宙のどこかの誰かが他の宇宙と地球を
隔てる「膜」を人工的に張ったから。そしてその「膜」の中と外は時間の流れが変わる。
この時間差がものすごく、地球での数年が地球以外での数億年に相当するすさまじさ。

ここから、2つの面白い展開があるわけですよ。
1.太陽があっという間に巨星化し、地球の滅亡が迫る。
2.それに対する対策として、火星を何とかテラフォーミングして、有機物の種を送る。

有機物は数億年をかけてあっという間に知的生命体に進化し、人間型の文明を築き、
(だがある時間が経ったところで火星も「膜」に覆われて、時間の流れは地球と揃う)
火星人の代表が一人、地球にやってくる。地球よりも高度な文明を築いたあとの。

太陽が膨張して地球が呑み込まれそうになって絶体絶命、というシチュエーションは
何百作品も書かれてきただろうが、そこに時間の流れを絡ませたアイディアが秀逸。
そこから火星との関係性もうまく物語を複雑にしている。



だが、言っちゃっていい?












結局エンディングはご都合主義にはなっていると思う。
文庫本350p×上下巻の話で、残り50pくらいまではサスペンスフルだが、
あとはゆるやかにエンディングに向かう。
これがきっちり収束するというよりは、まあ不満はないけど……的な結末。
なので、なるほど!という爽快感はない。

キャラクターもなかなか立っている。関係性もストーリー性がある。
でもみんな辛い思いをする人たちだから……結局そこがね。
楽しい、きれい、コミカル、という話が好きなわたしには合わない。
SFとしては面白かったけれども。


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◇ 塩野七生「ローマ人の物語Ⅱ ハンニバル戦記」

2025年07月15日 | ◇読んだ本の感想。
カルタゴ関連の話は、どっち側から見るかによって、いつも気持ちが変わる。

世界帝国になりつつあった軍事大国ローマが、カルタゴを滅ぼして街に塩をまいた、
なんてエピソードにはカルタゴへの憐憫の情が増すし、

ハンニバルが強くて強くて強かった頃には、ローマの無力さが気の毒になるし、

といって若いスキピオが台頭してきて、ハンニバルが追い込まれていくのは憐れだし、
ハンニバルが本国カルタゴの支援を十分に受けられなかったのも憐れ。

大カトーのイチジクのエピソードも、最初読んだ時は「継続は力なり」の
ポジティブな印象を持ったが、なんかだんだん粘着質のしつこさを感じて嫌いになってきた。

――というようなことを、今回初めて時間軸に沿ってまとめて読ませてくれたのが価値。


前作でも思ったけど、「ローマ人の物語」はけっこう平易に書いてくれてるよね。
こういう戦いの記録、しかも戦術も書くのは面倒だと思う。
でも正直、図は必要最小限だし、文章で説明されているところは多いし、
文章の説明はありがたいんだけど、悪いけど映像で(配置図を)見たいなあとは思った。

カルタゴのテレビ特番はごくまれにあったりするけど、
ポエニ戦争についてがっつりというのは多分見たことがない気がする。
これ、2時間くらいで作ってくれたら面白いだろう。
まあ今ポエニ戦争を取り上げるきっかけは特にないかもしれないが。

塩野さんにしては珍しく、ハンニバルの「人間」について書いてた気がする。
めったに台詞を使わないイメージだったが、ちょこちょこ出て来たし。
これは史料にあるからだろうね。

平易でありながら詳しく書いている弊害なのか、前半3分の2くらいはうっすら退屈。
これを2分の1くらいの分量で書いてくれたらちょうどだったのではないか。


スキピオが好きかハンニバルが好きかというのは一概には言えないが、
とにかくハンニバルがカルタゴからの支援を十分に受けられないのは気の毒だよねー。
あんな戦上手、ちゃんと支援してたらローマは敗れて帝国にはなってなかったかもしれない。
あと象がひたすら気の毒。

この作品の書き方だと、パックス・カルタゴーナ(ナをつければいいというものではない)が
実現したとは思えないから、ローマが勝って良かったのかもしれないが。
まあねえ、塩野さんが書くと、ローマがかっこ良すぎるのよ。
そんなに良かったか?というのは時々思う。贔屓だから仕方ないけどねえ。



政治がまったく機能してない日本が、この成長期のローマを参考に出来ないかといつも思うが、
参考にするも何も、そもそも政治家が何かを参考にしようなんて向上心を
持ち合わせてないだろうというのが絶望的ですね……



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◇ 夏目漱石全集7「行人 満韓ところどころ 思い出す事など」ちくま文庫

2025年07月09日 | ◇読んだ本の感想。
「行人」はタイトルからして意味がわからん。「行者」のイメージに引きずられるのか、
仏教系の言葉かと思ったら、……いや、「ぎょうにん」と読めば「行者」のことになんですね。
「こうじん」と読めば、道を行く人。通行人。旅をする人という意味。
作品としては「こうじん」と読むらしい。
うーん。どういう意味をタイトルに込めたのか……
ここがわからないってことは読めてないんでしょうね。


その上で言わせてもらうが、これは小説としてはダメダメですよ。
いや、わたしは夏目漱石が好きで、日本の文豪としては多分唯一くらいで好きだが、
上手い小説書きでは全然ないと思っている。

わたしが好きなのは「猫」と「三四郎」と「夢十夜」と「倫敦塔」。
「夢十夜」と「倫敦塔」は短編だから置くとして、「猫」もまるまるの小説というよりは
小説の皮を被った日常エッセイみたいなところがあるし、
「三四郎」もぎりぎり成立している、くらいの小説。
「それから」と「門」はけっこう小説か……。
あとはほとんど読み込んでないからなあ。

こないだ読んだ「彼岸過迄」もこれも、ほんとにゆるゆるだもんね。
本作なんかものすごい尻切れとんぼだもんね。
これはもう放り出したといってもいいだろう。実際放り出したんだろう。

多分漱石は、後になればなるほど、自分の哲学を書きたいのよね。
そこが根本で、小説というガワは方便として使っているだけなのよね。
だから本当に書きたいことを誠実に書こうとすると、ガワは二の次になってしまう。

正直、最初の三沢の入院部分なんか要らないもんねえ。全然後半とリンクしてない。
多分漱石はひとまず書いてみて、あとは「筆に訊いてくれ」ってタイプ。
つらつら書いていって、ようやくテーマを見つけて、話が深まって(?)いく。
こういう人はね。新聞小説に向きません。そもそも小説に向かないのでは。


まあでもわたしは、一郎さんの心情や葛藤は面白く読みました。
わたしは漱石の(描く)葛藤は共感できる。頷きながら読める。
ガワの部分を考え始めたらもう全然ダメですけれど。
嫂さんも書き足りないし、一郎も書き足りないし、そもそも二郎がこれから
どうなるのか、どうするのか、さっぱりわからん。

……だが、この終わりぶりにはびっくりですよ!!
これでいいのか!漱石は百歩譲っていいとして、いいんですか、朝日新聞は!
まあ今さらダメともいえん。もう100年以上前に連載終わってるんだし。


※※※※※※※※※


そういう意味では随筆の方がずっと安心だね。

「満韓ところどころ」は紀行文だし、そんなに苦労せずに書けたんではないか。
書きたいかどうかというと、それほど書きたくはなかったかもしれないが。
義理か生活のたつきで書かなきゃならんかったんかね。

面白かった点は、満州の風俗。まあ上へ上へ扱われている漱石が見た範囲の風俗だから
(それに漱石は特にジャーナリスティックな性向はない)、範囲としては狭いだろうと思うが、
その代わりに、漱石の交友関係がそこそこわかるというのは面白み。

当時の大学、帝大は今と違って本当に日本の最高学府、エリート養成所だったから、
そこを出た漱石が旅行で行くところのほとんどが、
同級生や同窓生がエライさんをやっている組織。

特に今回頻繁に出て来る是公――わたしはよく知らんが、中村是公といって満鉄総裁らしい。
これが仲の良い学友。是公、是公と昔から呼び捨てだが、周りが総裁総裁というから
遠慮して自分も総裁と呼ぶ、なんてくだりがある。
学友の漱石からの視点で見るとただの友達で血が通う。ちょっと楽しい。


――が、こんなに胃が痛い胃が痛いと言っている人が長期旅行はしない方が
良かったんじゃないかねえ……。
まあ100年前に死んだ人の話を今さら言っても仕方ないが。
読んでて、「もう家へ帰れ」と何度言いたくなったか。

みんなもてなそうとして宴を企画したり、当然するでしょう。
食いしん坊だから、出されたら食べたくなるでしょう。
若死にでしたよ。もっと生きて欲しかった。
老年期、どんな作品を書くのか見たかった。


※※※※※※※※※


「思い出す事など」は、その胃病を原因とする大喀血をした後にかろうじて生還し、
その時のことを振り返って書いた随筆。
まあ本人だし、時間がだいぶ経っているので言えることではあるんだろうが、
だいぶユーモアに寄せてますね。そんな呑気な話ではなかっただろう……

だが結局、胃病により早死にしてしまうんだから、後世で読んだいる我々は
「その後、何とか養生していれば……」と思いますよ。



まあとにかく漱石は好きですよ。ちくま文庫版はあとは10巻だけ。
その後、恐怖の岩波の底本に移行します……


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◇ 谷崎潤一郎「陰翳礼賛・文章読本」

2025年07月03日 | ◇読んだ本の感想。
ずっと昔、「陰翳礼賛」は読んだことがある気がする。
が、内容はまったく覚えていない。
今回の感想は、「でもわたしはどこでも本が読める程度の明るい照明が好きだ」ということ。
おうちに間接照明が欲しいと思う人の気がしれない(失礼)もんね。
なので、陰を愛する谷崎潤一郎とは対極に位置する。

まあ陰翳という意味でわたしが納得できるのは、屏風や障壁画を見る時くらいかな。
たしかに昔の暗い照明で見た時の方が、金箔や金泥の味わいは増えそう。
それは見てみたいとよく思う。だがそんなチャンスなんてないわけじゃないですか。
だいたい見る時は美術館の展示ケースのなかで、なんだし、
そうなると暗めとはいえ照明が当てられてるしね。



でもこの本の目当ては「文章読本」でした。文章読本シリーズ、川端康成に続いて2作目。
で、読んだ感想は。

うーん、読んでいて面白いところは多々あったけど、読み終わってみると、
あとに残る「これぞ!」というプリンシパルがなかった。
唯一残るとしたら……「はっきり書くな」かなあ?
おぼめかして、余韻を大事にするのが良い文章。……というのは、一般的な良い文章とは
真逆に位置することかと思うが、谷崎ならまあそうなるのかもね。

これは要約しにくい内容だと思います。そもそもわたしは要約が苦手だ。
だが、谷崎が大事だと思うところは太字にしてくれていて、
ああ、ここを読めばいいんだなと思って読んでも、……これってそこまで大事な部分?
という疑問が抜けない。まあまあたくさんの箇所を太字にしてますからね。

任意の2ページ中、こんな感じ。

「文章の味と云うものは、芸の味、食物の味などと同じ」

「感覚と云うものは、生れつき鋭い人と鈍い人とがある」

「心がけと修養次第で、生れつき鈍い感覚をも鋭く研くことが出来る」

「出来るだけ多くのものを、繰り返して読む」

「実際に自分で作ってみる」

これらの行の間にいろいろ書いているんだから、太字部分だけを抜き書きしても
正確な意味は表さないと思うけれども、……なんか、そこまで重要?と思う。

なにより、わたしは「太字で強調する文章は文学的ではない」と思っているので、
よりによって谷崎がそんなことをするのは驚きだった。

まあそれはそれとして、内容は外国語と比較したり、源氏物語を引用したりして
興味深かったですよ。自分が文章を書く時の即効性のあるパッチにはならんけれども。

ちなみに、よりわかりやすい文章上達法を目次から拾えば、
「文法に囚われないこと」「感覚を磨くこと」
だそうです。うーん。これだけ見てもよくわからんが……
まあでも別に文豪の文章読本に即効性だけを求めているわけでもなく、
読んでいて面白かったことは面白かったので、結論としては読んで損にはならない。

ただ、川端の方が納得感はあったなあ。

コメント
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