お母さんと読む英語の絵本

読み聞かせにぴったりな英語絵本から、米国の子どもたちの世界をご紹介
子どもをバイリンガルに…とお考えのお母さんに

ズボンをかぶる:バイリンガル育児の笑い話(001)

2013-08-17 | with バイリンガル育児


 ママ友が電話してきました。お互いの子どもが小学校1年生のときのことです。
 「ねえ、ねえ、うちの子ったら今日『ズボンをかぶる』って言ったのよ。それで、『じゃあ帽子は?』って聞いてみたら、『帽子は着る』だって。もう、日本人じゃないわ、あの子」

 電話をきるなり娘に聞いてみました。
 「ねえ、帽子はなにするもの?」
 「帽子?帽子は、かぶるものだよ」
 「じゃあ、手ぶくるは?」
 「手ぶくろは、はめるもの」
 「じゃあ、ズボンは?」
 「ズボンは、はくもの!ねぇ、オヤツまだぁ?」
 やれやれ、まだマシか・・・何がマシなんだか・・・、でも、訳もなくちょっとホッとする、笑えない笑い話です。

 日本語はむずかしい!これを,日々実感させられるのがバイリンガル育児です。

 身支度するとき、英語ではたいてい何でも "put on" で用がたります。シャツもズボンも手袋も靴も、なんでも "put on" する(「身につける」)だけ。でも、日本語では、Tシャツは着る、ズボンははく、手袋ははめる、帽子はかぶる、そして靴ははく、ものです。

 洋服はなんとか日英バイリンガルで正しく着られた娘も、常に混乱する単語がありました。"take" です。

 "take" もいろいろな場面で使える、便利な単語。take a job, take a nap, take shower, take lunch, take your time.........何かを「とる」ときに、ほとんど何にでも使います。

 娘は小さい頃「仕事をとる」「お昼寝とる」と言っては、私をあわてさせました。日本語では仕事に就く、お昼寝する、です。

 バイリンガル育児では油断大敵!聞き流していると、そのまま身に付いてしまうからです。それにしても、シャワーはあびる、ランチは食べる。そして "take your time" にいたっては「ごゆっくり!あわてないで!」。やれやれ、日本語はむずかしい。

 さて今日のおすすめのひとつは "Don't Put Your Pants On Your Head, Fred" です。何度読んでも思わず笑ってしまう、親子で楽しめる絵本です。

Don't Put Your Pants on Your Head, Fred!
Hodder & Stoughton


 もうひとつは日本語の絵本「おててがでたよ」です。ちっちゃな赤ちゃんもよろこぶこと請け合い!なので、出産祝いに最適。娘もゼロ歳からお気に入りで、洋服を着るたびに、まわらない舌で暗唱していた、なつかしい絵本です。

おててがでたよ
福音館書店


 

 



 
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日本発『バイリンガル絵本』のおすすめ

2011-03-23 | with バイリンガル育児


バイリンガルも、バイカルチャラルも、言うは易し、聞こえもよいのですが、でも、実際に、母国語と違う環境に身を置く生身の子どもにとっては、幼いときから、時には拮抗することもある二つの文化の間で、ともすればすり減りそうになる自我を保ちつつ、なお自己形成してゆくことは、決して楽しいばかりではありません。

バイカルチャラルがどうの……と言ったって、むずかしい話ではありません。例えばアメリカでは、幼稚園でも学校でも、たいていクラスのスタートは「サークルタイム」といって床にみんなで車座に座ってホームルーム活動をします。床に座る時は、男の子も女の子も胡坐。胡坐!です。今は分かりませんが、娘とアメリカで暮らし始めた20ン年前には日本では女の子は、少なくとも公衆の面前で(ましてや先生の前でなど!)胡坐などかかないものとされていて、日本的にはひどく”お行儀の悪い”ことでした。だから若い母親だった私はけっこう悩みました。日本の不作法がアメリカのお行儀のスタンダードだなんて……これが身についちゃったら困るなぁ……日本の祖父母が見たらいったい何と言うかしら……やれやれ……これを娘には何と言って説明すればわかることやら……。

胡坐に限りません。アメリカでは「会話するときには相手の目を見て話しなさい」と教わります。会話相手の目を見つめるのが礼儀で、やたらに目をそらすと時には失礼にあたります。だから叱られている時も真剣なまなざしで相手の目を見て聞いています。でも、日本では会話の時に終始相手の目を見ている人は少ないでしょう。時には、直視しないで目をそらす方が礼儀にかなっている場合もあり、叱られているときなどは俯いているくらいがちょうどよく、真剣な目をしてじっと見つめ返していたりすると、「なんだ、その目は!生意気な!」なんて、もっと叱られてしまうことも。実は、このマナーの違いを日米で使い分けるのは、おとなでも至難の業です。

そう、バイカルチャラルって日常生活の問題で、だから大変なのです。文化の問題ですから、どちらが正しいとか間違っているとかと決めることができず、要するに『正解』がない。なんとも困りものです。

要は『TPOの問題』なのですが、子どもというのは「正しいか間違っているか」という二次元の問題はわかるのですが、「場違い」という三次元のコンセプトはなかなか理解できません。だから、バイカルチャラル子育ての親は、ちょっとした注意やお小言で済むはずのことに、二倍も三倍も説明を重ねなければならず、全く不本意にもくどくどとうるさくお説教する印象になります。アメリカに暮らし始めた最初、娘が小さい間は、私は、この「いつもいつも注意しなければならない」こと、その都度「いちいち説明しなければならない」ことがイヤでイヤでいつも憂鬱でした。親だっていちいち注意なんかしたくないし、くどくど説明なんかしたくないのです。

でも、やはり大変なのは子どもであって、親ではありません。自己形成は苦しくても子どもが自分で成し遂げなければならない孤独な作業。そんな子どもに、せめても親がしてやれることは、ふたつの国の文化にできるだけ豊かに接する機会を創り、バイリンガルであり、バイカルチャラルであることが、『半分・半分』ではなく『二倍に豊か』であることを意味するようにと祈ることくらい。あとは子ども自身が語彙を豊かにし、理解力を伸ばし、感性豊かな表現力を身につけて、バイカルチャラルのすばらしさを体現してくれる以外ありません。

そうは言っても、海外暮らしでは、子どもが小さい時にできるのは、せいぜい美味しい日本食を食べさせることや、日本の優れた絵本に触れさせることくらい。私の手料理はどうだったか知りませんが、でも、娘のために読んだ日本の絵本は、どれをとってもアメリカの絵本にまったく遜色がないどころか、実に掛け値なしに素晴らしかった!

バイリンガルの子どもの語彙を豊かにするには、日本語と英語の併読、すなわち同じ本を日本語と英語の両方で読むことが効果的です。こう書くと、日本人の私たちはたいていは英語の絵本の日本語版を読むことを考えます。でも、ちょっと発想を逆転させませんか? 既に日本語で愛読している絵本の英語版を併読するのです。お子さんが海外で育っている場合にはとくにこれをお勧めします。

日本の絵本を英語で読むことの利点はいくつもありますが、まずはなんといっても日本を誇りに思えること。日本にはこんなに素晴らしい絵本があるのよ、こんなにクリエイティブなアーティストがいるのよ、こんなにきれいな本を印刷できる技術があるのよと子どもに伝えることができます。海外で育つ子どもたちが母国を誇らしく思うことはとても大事なことです。

もう一つ大事なのは、その絵本が英語に翻訳・出版されていたら、子どもたちはそれを学校や友達のところに持っていって一緒に読む(share)ことができるからです。誇らしい気持ちを、そのまま実際に行動にして、友達に見せて共有することができるのです。日本の子どもが大好きな絵本は、きっとアメリカ人の子どもも大好きにちがいありません。そうして「日本の絵本っておもしろいね!」って言われたら、やっぱり嬉しい! でも、どんなにすてきな絵本も日本語のままではなかなか友達と共有できないから、英語になっている日本語の絵本を知っておくのも大事なことです。

英訳されている日本の人気絵本には、例えば、半年くらいからの赤ちゃんなら誰でもきっと大好きな、松谷みよこ作『いないいないばあ』、困った2歳児(terribile two)にぴったりな、せなけいこ作『いやだいやだ』があります。また、のんびり牧歌的な詩情あふれる『かばくん』や『ぞうくんのさんぽ』も翻訳されています。『ぐりとぐら』も忘れてはいけない一冊ですし、お昼寝のおともにぴったりな「がたんごとん、がたんごとん」や、夜のベッドタイムに合った『おつきさまこんばんは』も英語で読み聞かせられます。娘と私のお気に入りだった『どうぞのいす』や、親友の息子のお気に入りだった『あーんあん』が翻訳されているのは嬉しい限り。

個性的な日本の絵本作家はアメリカでも人気です。たとえば五味太郎さんの「みんなうんち」は、何度も書きましたが、大人にも熱烈なファンがいますし、また「きんぎょがにげた」は小さい赤ちゃん向きの知的な探し絵絵本として高く評価されています。知的な探し絵といえば、かこさとし作「とこちゃんはどこ?」もすばらしい作品です。これ、娘の愛読書のひとつでした。それから、かこさんの『だるまちゃんとてんぐちゃん」が翻訳されているのは、バイカルチャラル的快挙! 伝統と現代を両方きっちり見せながら、掛け値なしに面白い絵本です。既に古典というべき宮沢賢治の「注文の多い料理店」も翻訳すみ。どうぞあらめてお楽しみください!

さて、今日のイラストは、娘と私が初めて日本語と英語の両方で読んだ『はらぺこあおむし』です。この絵本は、ちょっと大げさに言えば、私にとって「子どもをバイリンガルに育てる」と決心するにあたっての試金石とも、記念碑ともなった絵本です。言わずもがな、日本でもポピュラーなエリック・カールの傑作。このブログでもすでに何度かご紹介してきました(にほんごえいご 併読のパワー 2)。

大変ですが、バイリンガル子育てもまた楽し、です。




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必読!アメリカの『お受験』

2011-03-16 | with バイリンガル育児

どこの書店でも、さまざまな受験対策の本はベストセラーのひとつ

「アメリカには日本のような『受験』がなくていいですね」とよく言われます。確かにアメリカには、「決まった受験日のテスト結果で合否を決める」という日本のような受験制度はありません。が、実はアメリカにもそれなりの受験制度があり、子どもたちはそれなりに熾烈な競争に晒されて高いストレスを抱えています。受験が原因で子どもが自殺するという悲劇も、ほぼ毎年のように繰り返されています。

アメリカの受験にも、私立中学校から大学や大学院までほぼ共通のパターンがあります。一斉テストが基本の日本と違い、アメリカの受験の基本は書類選考です。

アメリカの受験生は [1] 学校指定の応募用紙に必要事項を記入し、[2] 在学中または卒業した学校の成績表と偏差値、[3] SATと呼ばれる全国一斉学力テストの総合得点、[4] 志望校の出題による小論文(1-2本)、[5] 学校の先生はじめ指導者からの推薦状、[6] その他自薦・他薦の根拠となる提出物、を添えて志望校の入学審査担当(Admission Office)宛てに送ります。

[1] 応募用紙(Applicatuon Form)に記入するのは、受験生(と家族)の個人情報、志望動機、それから学業以外の活動についてです。学業以外の活動として問われるのは、スポーツやアートなどの活動歴、ボランティア等の地域活動の実績、学校内外でリーダーシップをとった経験についてです。いずれも「そのような活動経験があれば書きなさい」という要請ですが、各項目別に記入枠があり、志望動機も活動歴も、それぞれ簡潔ながら必要十分に詳しく作文することが求められますから、空欄になるとかなり目立ちます。つまり応募用紙は、ただの事務手続きの書類ではありません。受験生が自分自身についてかなり詳しく『自己紹介』するための書類なのです。従って、いかに簡潔に且つ魅力的に自分自身を語れるかが勝負になります。

[2] 成績表は学校の教務担当が出す成績証明書。

[3] SAT(Scholastic Assessment Test)は受験を希望する生徒が学校外で受ける「一斉学力テスト」の成績です。1901年に全米の高等教育機関の評議会によって導入されたもので、アメリカ国内だけでなく、海外からの受験生にもスコアの提出が要請されます。試験は毎年7回実施され、志望校の願書提出期日にさえ間に合えば、いつ受けても、また(理論的には)何度受験してもかまいません(実際にはいろいろテクニックがあります)。『英語・歴史・社会・数学・自然科学・外国語』の5分野から、一度に3科目まで受験できることになっており、各科目800点満点。SATは、言うまでもなく生徒の実力判定です。成績表は在学している学校内での相対的な評価になりますから、当然、学校によって差がでます。SATはそのような学校間格差をこえた生徒の実力をみるためのもの、とされています。

[4] 小論文(Essay)は志望校の出題に従って書きます。課題は『自由』という場合もありますが、複数の課題が出る場合には、そのうちの1本はたいてい志望動機を問うか、受験生に自分自身を語らせるものです。「なぜこの大学への入学を希望するか」という単刀直入なものから、「本学があなたを入学させたら、あなたは本学に、また卒業後社会にどのような貢献ができるか」などの、ややひねった問いかけの場合もあります。私のスタンフォード大学時代のアシスタントが医学部(大学院相当)を受験した時、2本の課題小論文のひとつは「あなたが『自分は医師に向いている』と考える理由を説明せよ」という課題でした。

自分が行ってきた諸活動について詳しく書かせる場合もあります。「課外活動(スポーツ、アート、地域活動など)の経験から学んだことを書きなさい」というような出題が典型です。

娘の中学受験時は二者選択のエッセイ課題でしたが、1つは「20年後の自分が過去を振り返って伝記を書いていると想定して、現在から20年後までのあなたの人生についてできるだけ詳しく書きなさい」。もう1つは「今すぐ誰か自分以外の人になれるとしたら、誰になって、何をしたいですか?」でした。受験もなかなか「クリエイティブなのね~」と感心させられたので憶えています。

[5] 推薦状は、まずは自分自身の学業成績をご存知の先生(つまり教科担任の先生)に書いていただきます。英語か数学、またはその両方の先生に書いていただくのが基本です。つまり今日でもこの2科目(読み書きそろばん、つまり3Rsですね)が学業の基本とみなされているわけです。また特に得意とする科目については、その担当教官から推薦状をもらいます。たとえば『人となり』については担任の先生から、スポーツで奨学金への推薦を得ているような場合にはコーチやクラブの先生から、また生徒会の活動やクラブのキャプテン経験などについては、それぞれの顧問の先生に書いていただきます。学外の活動については、それぞれ、その活動を最もよく知る人(たいていはその活動の指導者)に書いてもらいます。

[6] 自薦他薦の根拠となる添付物としては、「絵が自慢」という場合には作品のポートフォリオを、「音楽が得意」な場合には演奏を録音したメディアを、また「文章が上手」なら出版されて活字になっている記事/論文などを送ります。「スポーツ」は試合での活躍の様子の映像や受賞記録を、ダンスや舞台などの「パフォーミング・アーツ」にも映像を加えます。そこは、さすがアメリカ。なんでも好きなものを添付して送ることができます。

以上が中学から大学・大学院に至るまでのアメリカの受験に共通の提出物です。娘の中学受験や大学受験でも、私の助手たちがスタンフォード卒業後に医学部やロースクールあるいはさまざまな大学院を受験したときにも、求められる情報は基本的に同じでした。

アメリカの受験は「一発勝負ではない」という意味では楽に見えるのですが、実はそれだけに、受験生に求められることは、あたかも受験までの人生の総体を示すと言っても過言ではありません。一朝一夕では身につかないことばかりです。しかも、学業はもとより、課外活動も、ボランティア活動も、リーダーシップの経験もとマルチタレントであることが当然のごとくに前提されています。ですから、『一夜漬け』が効かないだけでなく、いわゆる『受験勉強』だけしていればよいというわけにもいかないのです。その意味でアメリカの受験もかなり大変です。

アメリカでも受験に際しては学業成績が重視されます。というよりも、進学して勉強したいと言うからには「学業成績が良いのは当たり前」と日本以上に明快に考えられています。だから、SATの点数や学校の成績が悪ければ、いわゆる一流校には入学できません。が、学業成績は『必要条件だが、必要十分条件ではない』というのがアメリカ流の考え方です。だから学業以外のアートやスポーツなどの活動歴が問われ、これを問うことで創造性やチームスピリッツを身につけているかどうかが、また継続的な努力やコミットメントができるタイプの人間であるかどうかが問われます。課外活動を聞かれた時に欠かせないのが地域でのボランティア活動経験です。市民性やチャリティ精神を示す活動を日ごろからきちんと実行していることが重視されます。最後に、必ず問われる質問はリーダーシップについてです。具体的には生徒会の運営経験や、スポーツチームや地域活動での組織づくりやリーダーとしての経験の有無が問われます。

さて、たかが受験の願書と言ってしまえばそれまでなのですが、実は、ここからかなりはっきり見えてくるものがあります。それはアメリカの大学が、ひいてはアメリカ社会が若者に求めている『期待される人間像』です。受験から浮かび上がってくるアメリカ型『期待される人間像』は、学業優秀かつ創造的で、継続的に何かに取り組む精神的・肉体的なタフネスとチームワークの精神を合わせ持ち、組織を作ったり、その組織を率いたりするリーダーシップがある人、すなわち優秀で勤勉でタフで思いやりのあるリーダーです。もちろんよき市民としての責任感があり、ボランティア精神があることは当然の常識です。

つまりアメリカの大学は、受験を通じて、受験生と社会に、大学が求めている「期待される人間像」を明示しているばかりでなく、ひいては受験生に自らそのような人間であることを証明してほしいと求めているのであり、さらに言えば、受験生をしてそのような人間たろうと努力させるように導いてもいるわけです。

もちろん「そんなもの、ただの『タテマエ』じゃないの?」と揶揄するのは簡単です。が、たとえタテマエでも、アメリカの若者は幼い子どもの時から大学や大学院に至るまで、ずっとこの同じメッセージを受け取り続けているのです。そのように考えると、アメリカ流『期待される人間像』の影響力というものは案外無視できないのではないかと思われます。

さて翻って日本の受験制度を考えてみると、では、日本の大学が、日本の社会が、今の受験制度を敷くことによって受験生に「かくあれ」と期待し、求めているのはどのような人間像なのでしょうか? 日本の大人たちは、現在の受験制度を維持しつづけることで、若者に「どのような人であれ」と語りかけているのでしょう?




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学校のダンスパーティ

2011-03-02 | with バイリンガル育児


子どもの学校行事にも『アメリカならでは‥‥』がけっこうあります。なかでも、日本でまったく経験がなくてとまどったのは、学校を会場にして開かれるダンスパーティでした。中学生になると、まだ大半が12歳の一年生からしょっちゅうダンスパーティがあるのです。もちろんディスコダンスです。

パーティはたいていは金曜日。夜8時くらいから夜中まで(!)。学校の体育館や屋内競技場などに遮光カーテンをめぐらせ、ミラーボールを回したりレーザー光線を走らせたり、とディスコまがいのセットをしつらえ、音楽もプロのディスクジョッキーや生演奏のバンドを雇ったりと本格的。食事は出ませんが、会場の外で子どもたちが持ち寄った飲み物や簡単なスナックが売られます。主催者は子どもたち。ですが、未成年どころか、まだほんとうに”子ども”ですから、お目付役に駆り出されたボランティアの保護者が要所要所に立ち会って監督します。また学校によっては、駐車場や渡り廊下などにプロのガードマンを配備するところもあります。

音楽はいろいろ。ラップやファンクにまじって、80年代風ロックや時には60年代のビートルズの『なつメロ』が流れたりもします。でも、パーティの最後にはちゃんとスローバラードが流れて本格的に照明が暗く落とされ、ラストダンスはチークで……大人のパーティ顔負けの演出が当然のごとく……とあっては、監督の親たちは内心やきもきさせられたり、逆に親がボランティアに出ている子どもはなんとなく居心地悪い思いをしたり……。

パーティ開催の趣旨はファンドレイジング(寄付金集め)。パーティ券を売りさばいて収入を得るのが目的です。もちろん、会場で売るスナックや飲み物の売り上げも寄付に組み入れます。1回のパーティ開催で数百ドルの売り上げになりますので、子どもとってはかなり高額の資金調達のチャンス。売り上げはクラスの活動資金にしたり、修学旅行の経費に充てたり(学年で貯金しておいて旅行費用を下げるために使います)、生徒会の活動費に充てたり、クラブの遠征費の足しにしたりします(広大なアメリカでは州内の移動だけでもかなり経費がかかります)。いずれにしても、お金の使い道はしごく真っ当で生真面目です。

一方、そんなわけで、どこの学校でもダンスパーティが開かれるので、しっかり売り上げるためには企画にもそれなりの戦略が必要になります。まずはスケジュール。人がたくさん集まりそうな週末を選ぶところから始めます。定期試験の時期はダメ。みんなが泊まりがけで出かけてしまう三連休の前の金曜日はダメ。スポーツのハイシーズンはダメなどなど……いろいろ制約があり、けっこう大変です。

人気スポットの週末はパーティラッシュで、同じ学校内でも施設の予約が奪い合いになることもあり、またよその学校とかち合うとお客さんの取り合いになってしまいます。だから、企画を立てるまでが既にひと仕事。たとえ同じ学校でも他学年やクラスとぶつからないように、また近隣の他の学校のパーティとも衝突しないように、事前にヒアリングや根回しをしてスケジュールを調整しあいます。このあたり、最近の子どものネットワーク力は大したものです。

次に大事なのは、人気者のディスクジョッキーやバンドの調達。大人のプロを雇うこともありますが(中学1年生が大人のディスクジョッキーを雇う?そうなんです!)、でも回りには芸達者が案外多くて、「友達のいとこ」とか「お姉さんのボーイフレンド」とかが玄人はだしのDJだったりして、プロより安い"知り合い料金"で引き受けてくれたり、時にはボランティアしてくれるので、コストを下げつつ、パーティをおもしろくするために駆け回ります。

当日会場で売る飲み物やスナックは、親に寄付を募ったり(実際には、ショッピングついでに「これ買っていい?」とねだる)、みんなで家から持ち寄ったり(買い置きのソーダやボトル水を持ち出す)。ドリンクやスナックは会場でひとつ1-2ドルで売りますので、原価がタダならかなりの収入になります。

パーティ券は5ー7ドル程度。値付けは売り上げに大きく影響するので工夫が必要です。友達ネットワークをとことん活用して売りさばきますが、時には寄付として保護者にまとめ買いしてもらい(ドリンク寄付の代わりにパーティ券を買い上げる、という感じ)、それを割引価格で友だちに売ったり、あげたり。こうなると、とにかく参加者を確保して、あとはドリンクやスナックで売り上げようという魂胆です。

さて、学校のさまざまな活動に資金がいるのはどこの子どももお互い様。だからどこの学校でも資金調達のパーティを開きます。そうなると、子どもたちもそれなりに義理堅く、自分のパーティに来てもらったら、次には相手のパーティに出かけて売り上げに協力することになり、お互いに行ったり来たり忙しいことになります。学校はたくさんあるので、いつもどこかしらでダンスパーティが開かれていますから、そうなると、親の目には子どもたちが毎週のように夜遅くまで遊び歩いているように映るのです。このあたりが、ティーンエイジャーになりたて(あるいはティーン目前)の子どもたちと、初めてティーンエイジャーを持つことになった不慣れな親との小競り合いの始まり……というのが世間一般の相場ではないかと思います。

先日、目下アメリカの世論を湧かせている「中国式の教育ママ Tiger Mom」についてご紹介しましたが(ブログ記事:
このごろの子育て論争』)、元祖タイガーマザーのChua教授に限らず、教育に厳しい中国人の家庭では、学校のダンスパーティへの参加を禁じているという例が稀ではなく、わたしの知り合いにもひとりならずそういう子どもたちがいました。でもアメリカの良いところは、『自由な選択』という考え方が徹底していることで、たとえダンスパーティに参加しなくても、その子の学校生活にはなんら問題も支障もありません。他の理由から参加しない子の場合も、もちろん、まったく同じです。




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いまも むかしも コレクターズ

2011-01-12 | with バイリンガル育児
昔なつかしい『ビーニーベイビーズ』。「Original Nine」と呼ばれる1993年に発売されたこの9種類がブームの火付け役となりました。

おもちゃメーカーの究極の成功は、コレクターを熱狂させる”シリーズおもちゃ”を出すこと。ベースボールカード、バービー、スターウォーズのフィギュアなど、熱狂的なコレクターを集めているおもちゃに並んで、これから大きなブームを巻き起こすか?と今アメリカで注目されているのが「スキンキー (Squinkies)」と「ズーブルズ (Zoobles)」。

日本のアニメキャラのような大きな目をしたマスコット型フィギュアです。スキンキーは全部で300種類発売されていて、ひとつずつが小さなカプセル(日本のガチャポンのような)に入って、16個入りパックが10ドル。一方、繭のようなボールに入ったズーブルズはひとつ6ドル前後で、モデルは全部で180種類あるそうです。いずれも昨年発売され、子どもたちの間で静かなブームになっています。

コレクターを熱狂させる秘訣は、愛らしい姿かたちで且つユニークなおもちゃであることはもちろん、発売初期からブームに火がつくまでの価格付けが適切であること(ブームになったら悠々と値上げ!)。モデルにコレクション対象となるだけのバリエーションがあること。加えてタイミングよく「非常に手に入りにくい」モデルを意図的に創りだし、コレクターを熱狂させること。そしてブームが定着したら、比較的手に入れやすい本体価格に比して、こちらはかなり高価だけれども、どうしても欲しいと思わせるさまざまな付属品や関連商品を売ることです。

かつて女の子にはシリーズ物の『お人形』が、男の子にはかっこいい『自動車』が人気の定番でした。バービーには今でも熱狂的なコレクターがいてオークションを白熱させていますし(参照:ブログ記事『ニューヨーク・バービードール事情 』)、60年代終わりから出ているマテル社製の「ホットホイール」という車シリーズには800種類のモデルに1万以上のバリエーションがあって、コレクターを退屈させません。

古典的なコレクションといえば、代表はベースボールカード。でも今や、カードのコレクションと言えばむしろポケモン。任天堂のポケモンは、1998年にアメリカに上陸するやいなや、ゲームからテレビまでを席巻して子どもたちをノックアウト。コレクションの目玉は、ご存知!めったに手に入らない稀少カードで、これ欲しさにパッケージを買いあさって、アメリカ中の子どもたちが「たちまち貯金箱を空っぽにしてしまった(cleaned out their piggy banks)」とまで言われました。

わが家の娘がどっぷりハマったのは、ポケモンより少し前に大流行した『ビーニーベイビーズ』。おとなの掌に載るくらいの大きさの小ぶりのぬいぐるみで(ベイビーの名の由来)、ぬいぐるみの中には綿やスポンジではなく、お豆のような感触の詰め物がしてありました(ビ―ニ―の呼び名の由来はビーン”Bean=豆”から)。発売は1993年でしたが、世界的なブームになったのは90年代後半から。娘は小学生でした。

発売元の ty がブームに火をつけるためにとった戦略はまさに教科書通り。(1) 個々のモデルのぬいぐるみが耳や頭につけている ty のラベルにモデルの名前と誕生日を明記してユニークさを強調し、(2) 一定期間発売した後にはモデルを『リタイア(製造停止)』させて、「早く買わなくては……」とコレクターの焦燥感をあおりました。(3) またダイアナ妃のご成婚記念、オリンピック記念など、世界的なイベントの折々に数量限定の特別デザインの稀少モデルを発売したのです。戦略は教科書通りに機能。世界中でブームになりました。

初めは子どもでも手が出る数ドル程度の値段だったのが、徐々に高くなり20-30ドルのモデルが続々と登場。限定モデルには100ドル近いのもあり、親としては悩ましかったのを憶えています。コレクションのスペシャルは、マクドナルドと提携してハッピーミールのために特別にデザインされたミニチュアサイズのシリーズ。これ欲しさに毎週のようにハッピーミールを食べに行っていました。

ビ―ニ―は販売戦略もなかなかのもので、数少ない稀少モデルは、しばしば空港のお土産物屋さんだけで売られていました。オリンピックやダイアナ妃のご成婚式典を見に来る観光客に『限定!ご当地モデル』という意図もあったと思いますが、飛行機で出張する親が、お留守番の子どものお土産に、というのが狙いだったのでしょう。空港ですから値段もかなり高いのですが(街中では10ドルもしないご当地Tシャツが空港では50ドル!っていうコンセプト)、お土産だと思うとつい財布のひもが緩むのが人情。私も当時は出張が多く、ワシントンDCのダラス空港限定とか、成田空港限定とかいうキャッチフレーズに負けて、ついつい買っていました。

かくして娘が集めたビーニーベイビーズは、旧式で大型のスーツケースふたつにぎっしり。先日「コレいらないなら、オークションで売れないの?」と聞いてみたら、「数量限定って言ってたけど、実際にはものすごい数が出回ってたのよ。だからあんまり価値ないの」という回答。なぁ~んだ。でも、そういえば……あのとき、出張先の空港で飛行機に乗り遅れそうになりながらギフトショップに駆け込んで買ったなぁ……。帰ったら娘が眠い顔して頑張って起きて待っていたなぁ……。そうそう!『パティ』のラベルを切り取っちゃって、娘にすごく怒られたなぁ……。急いでもうひとつ買ってきたら「誕生日が違うから、もう前のとおんなじ価値はないの!」って一蹴されたっけ……。やっぱり、ひとつひとつに思い出があります。う~ん、案外、コレクションを持っていたいのは……娘でなくて私かもしれません。

スキンキーやズーブルズはいまごろ誰のところに集まっているのかな?



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