お母さんと読む英語の絵本

読み聞かせにぴったりな英語絵本から、米国の子どもたちの世界をご紹介
子どもをバイリンガルに…とお考えのお母さんに

時間と人生の GAP

2011-01-10 | with バイリンガル育児

写真:Gap Yearを海外で、というのは洋の東西を問わず人気のイベント

新年が明けると、いよいよ大学の合格発表の季節が始まります。日本のような一斉入試をとらないアメリカでは、合格発表も決まった日時に発表されるのではなく、1月から3月まで"さみだれ式”に、受験生それぞれに個別に合格通知が届きます。資料の入った大きな封筒が届けば合格、定型サイズの小さな封筒の場合は不合格か補欠の通知です。(参照:ブログ記事『大きな封筒、ちいさな財布』)

どんなに遅くとも、4月第1週には合否が確定しますが、アメリカの大学では、新入生は合格したあとで入学を半年から1年間遅らせること(deferral)が可能です。もちろん大学と交渉し許可を得ることが必要ですが、入学するタイミングを遅らせて、この間に、働いたり、ボランティア活動をしたりすることができます。

最近では、いったん大学に合格してからこの制度を利用して入学を遅らせたり、あるいは現役受験をしなかったりで、高校卒業後にすぐには大学に行かない子が増えていると言われています。ウォールストリート・ジャーナル紙によれば、最近では、高校を卒業してから実際に大学に入学するまでの期間は『Gap Year』と呼ばれていて、この時期に積極的に「寄り道」をするのがむしろ新しいトレンドになってきているとのこと(Delaying College to Fill in the Gaps, Personal Journal, The Wall Street Journal 2010年12月29日)。

UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)が最近実施した調査では、調査対象となった30万人の米国各地の大学1年生のうち、1.2%の学生が大学入学時期を遅らせています。

確かに、身近にもGap Yearをとる子が稀ではありません。娘の周囲を見回しただけでも、先輩の一人はスタンフォード大学に合格したあと、約一年間入学を先送りしてインドネシアにボランティアに行きました。水害で大きな被害を受けた村にやっと再建された小学校でボランティアを始めた彼女は、学校にも、子どもたちの家にも「ほとんど本がない」ことに気づき、学校に図書館をつくることにしました。インドネシアでは本は貴重品でインドネシア語で出版された本でも都市部を離れるとなかなか一般の人の手に入らないのだそうです。ましてや子ども向けの本などはほとんど出版されておらず、学校では先生の板書を頼りに、教科書なしで勉強しているとか。彼女の話を聞いたカリフォルニアの家族や友人はもちろん喜んで彼女に協力し、「インドネシア語の本を買う」お金を集めたり、あるいは英語の絵本を送ったり。彼女は皆の協力をコーディネートして一年間の滞在のうちに学校併設の図書館をつくりあげ、現地の人にとって「はじめて見る図書館」の管理や運営の方法もマニュアルに作り上げて、すっかり日に焼けて大学に戻ってきました。

娘の同級生の中には、1年飛び級して高校卒業を早め、しかしすぐには大学進学せず、一年間アフリカにボランティアに行った子もいましたし、高校卒業後に北京で一年間ひとりで暮らして中国語を学んでから大学に進んだ子もいました。娘自身も6月に高校を卒業してから半年間働いて(9月入学でなく)翌年1月から大学に通い始めました。が、その後は、結果的には9月入学の同級生と一緒に3年半で大学を卒業してしまい、「一年遅れて卒業することもできるんだから、もっとのんびりしたらいいのに」と思っていた親を驚かせました。が、考えてみれば、半年間休んだことで蓄積したエネルギーがその後の3年半をスピードアップさせる原動力になったのかもしれないと思います。一方、娘と同じように半年遅れで入学した大学の同級生は、うちの子とは逆に卒業を1年延期して4年半在学し、最後の数カ月はじっくり論文だけに専念。書きあげた卒論で優等賞を得て卒業しています。

Gap Yearを取ることにはさまざまな意義や効果があると言われていますが、もっとも多いのは、大学受験で疲弊した心身を立て直すこと、もうひとつは将来つきたいと思う仕事の一端を経験して自分の気持ちを確かめること。

先のウォールストリート紙の記事には、好きなスポーツも諦めて受験勉強に専念して念願の志望校に合格した男子学生が、合格通知を手にしたとたんに「大学に何しに行くのかわからなくなっている」自分を発見したという事例がレポートされています。彼は山岳トレーニングのプログラムに参加し、ネパールの村にホームステイして、一年間ひたすらヒマラヤに登り続けました。翌年大学にもどった彼は「受験勉強の重圧で何もする気になれなかったのが嘘みたいだ。今では『むずかしいことに挑戦するのは楽しい』と思うようになった。大学に戻ったら勉強も楽しくてしかたないから、成績は高校時代よりも圧倒的によくなった」と語り、スポーツチームにも属し、校内誌の編集長も務めるなど、活発な大学生活を送っています。

海外ではなく米国内(シカゴ都市部スラム)で子どものためのボランティア活動に参加した女子学生は、「社会のために必要なのに人手もお金も足りない仕事が世の中にはいっぱいあるとわかった」と語り、「大学で学んだら社会に貢献できる人になりたい」と語っています。

一方、こんな例も報じられています。大学を出たら「開発途上国援助の仕事に就きたい」と考えていた女子高校生は、大学合格後にNPOからのボランティア派遣でインドの村に行きましたが、一年間の滞在予定を終える前に帰国しました。彼女は率直に、「大学に入る前にインドに行ってよかった。自分には途上国援助に携わるような準備がまだ全然できていないと身にしみてわかったから。開発途上国で働きたいという思いが強かったから、高卒後のいま行かなかったら、きっと大学を出てからでも同じことをしたと思う。でも、大学を出てからいまわかったことを理解しても遅かったんじゃないかと思う。そんなことになったら大学教育にかかった20万ドル以上のお金と4年間の時間お無駄にするとになったかもしれない……」と語り、さらに「将来の志望は考え直したけれど、大学に戻る意欲は十分。自分で見きわめられたことは、すごくよかった」とも語っています。

そこは市場原理の効いたアメリカ社会。昨今のトレンドに合わせてさっそくGap Year向きの”商品”が高校生向きに提供されるようになってきています。内容はワーキングホリデー的な働き口の紹介から奨学金付きの留学まで多様。新たな市場を形成するか?と注目されています。

が、ウォールストリートジャーナル紙のインタビューに応えての専門家たちのアドバイスは揃って「慎重に、よく考えて決めるように」「無理にGap Yearをとる必要はない」。代表的なコメントは「Gap Yearをとることの(心理学的な)積極的な意味は『自分はGap YearをとってXXXXをやった!』と達成感をもてること。挫折の経験になってしまっては意味がないので、安易に考えず、一年間の期限内に達成できる適切なゴールを設定して、有意義だったと思える時間の過ごし方ができるよう、活動内容は慎重に選んだ方がよい」です。



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親と地域が支える パブリックスクール

2010-12-13 | with バイリンガル育児

シリコンバレーの人気高校、クパチーノ・ハイのゲート

アメリカでは高校までは義務教育で、原則、無償です(参照:ブログ記事『スーパーマンを待ちながら‥‥』)。が、これはあくまでも公立学校(パブリックスクール)の話で、私立(プライベートスクール)にはあてはまりません。日本と同様、アメリカでも、私立校は授業料から教科書・教材、諸活動費まで有償。しかも、日本の"私学助成"に匹敵するような公的補助の制度はなく、私立は完全に独立採算で経営されているので、子どもを私立学校に通わせるには日本の常識では想像しにくい高額のお金がかかります。

具体的に言うと、ここシリコンバレーの私立高校の今年度の授業料(授業料のみ。諸経費/寄付は別)をみると、年間約$25,000(Pinewood School, Los Altos)から$34,000(Menlo School, Menlo Park)。これを日本の私立高校の授業料と比べてみると、たとえば慶応高校は年間74万円ですから、昨今の円高でも$10,000程度。アメリカの私立学校の授業料がいかに高いかがわかります。

比較的所得水準の高いシリコンバレーでも、平均の世帯年収は$75,000ほどなので、私立高校に子どもを通わせれば、授業料だけで世帯年収の半分近くが飛んで行くことになります。もちろん子どもを育てるには、授業料だけでなく、食べさせて着せて教科書や学用品を持たせ、学校では授業料以外に修学旅行など諸活動の経費がかかり、学校外ではスポーツやおけいこ事の経費もかかります。2人以上子どもがいれば全員の教育費を考慮しなければならず、そのうえ高校卒業後にはもっとお金のかかる大学進学が待ち受けているとあっては(大学は入学初年度だけで$40,000から$60,000かかります。参照:ブログ記事『大きな封筒、小さな財布』)、それまでの教育にあまりお金を費やすわけにもいかないというのが現実。ですから、私立高校に子どもを通わせるのは親にとってかなりのチャレンジです。

では私立校にあげない場合、親にできることは?というと「よい学校区に居住して、成績優秀な公立校に入学させる」ことです。

よい学校区を探し出すのはさほど難しいことではありません。『情報公開法』に従い、公立学校の成績は毎年一律の基準で評価され、評価結果は一般に公表されなければならないことになっているからです。また高校までが義務教育にあたるアメリカでは入学には選抜試験がなく、居住地域を決めれば、ほぼ自動的に地区の学校を選ぶことができます。

というわけで、成績の良い学校区には居住希望者が殺到します。すると何が起きるか……というと、その学校区の不動産価格が高騰します(参照:ブログ記事『不動産価値を左右する学校』)。ですから、よい学校区を探すのは簡単なのですが、その学校区に住むとなるとそう簡単にはいきません。でも一般には、子どもを私立に上げるのにかかる金額を考えれば、よい学校区に持ち家を買って授業料分でローンを払う方がよい(子どもは優秀な学校に行き、親は優良物件の不動産が買えて一石二鳥)と考えられています。よい学校区にある家は値下がりしませんので、不動産投資として考えても好都合なのです。

シリコンバレーにもそういう人気の高い学校区がいくつかあります。中でも、とりわけ教育熱心な親が集まっていることで知られているのが、かのアップル社発祥の街『クパティーノ(Cupertino)』です。

ところが昨今は、成績優秀な学校区に住んだからと言ってウカウカしていられなくなってきました。というのも、長びく不況で行政の教育予算がどんどん削減され、教育現場は圧迫される一方だからです。カリフォルニア州もご他聞にもれず、この春、2010年度からの教育予算を大幅削減、教員を大量レイオフして小学校のクラス定員を20人から一挙に30人にふやすと発表して保護者を震撼させました。

さぁ大変です。でも、そこは、優秀な学校に入れるためなら転居もいとわないという筋金入りの教育ママと教育パパたちのこと、「行政ができないと言うなら自分たちで何とかする」まで、とばかり、不満を言う時間も惜しんで、即刻、解決のための行動を起こします。

とはいえ、予算削減対策?教員のレイオフ反対?少人数クラスの維持?いずれにも解決策はひとつしかありません。そう、予算不足を補う自前の資金づくり(Fund Raising)です。

クパティーノ学校区でも『州の予算削減-->教員レイオフ-->クラス大幅増員』計画が発表されるや、親たちが2人、3人と語らって、さっそく草の根の資金作りを開始しました。というのもこの学校区では、2009年度末の5月にPink slip(解雇通告書)を受け取った教員は107人にものぼったのです。これは学校区内の数校の小学校が閉鎖できるほどの人数。まさに小学校の教室の定員が一挙に1.5倍に膨れ上がる……という事実がひしひしと実感されたのです。

親子協力して、地域の人々の理解と協力を得るために資料を作成し(タイトルもズバリ『クパティーノの学校を救済しよう! Save Cupertino Schools』)、子どもたちは空き瓶を抱えて知り合いを回っては1ドル、2ドルと募金を頼み、親たちは校庭や街頭に立って募金活動を展開しました。夜間は、学校やコミュニティセンターなどに住民や地元企業の人々に集まってもらって学校の苦境を訴えるミーティングを精力的に開催し……そして1カ月。正確には25日後、クパティーノ学校区の草の根活動家たちは、合計$2ミリオン(日本円で約2億円)の資金を集めたのです。

クパティーノ学校区の親たちの快挙は全米に報道されました。ABCニュースのインタビューに応えて、活動の発端をつくった母親の一人は「やればできるんですね!(Wow! We did it!)」と驚きと喜びを率直に語り、集まった資金で一旦はレイオフされた仕事に戻ることが決まった教師の一人は「この学校区が、ここに住む人たちが、いかに公立学校を大切にしているかの証です!」と誇らしげに語りました。が、募金活動は、まだ終わっていません。州の教育予算が削減され続ける限り、これまで築いてきた教育の質を維持するために、不足分の資金調達は来年も再来年も続きます。そしてクパティーノの成功がメディアで報道されるや、全米各地でこうした学校救済のための草の根の募金活動が始まっています。

さすが!クパティーノ!

でも、アメリカではいったん公立学校で子どもを育てると決めたからには親にはこの気概が必要です。実際、優秀な公立学校は有名私立高校に比べてもいささかも遜色なく有名大学に続々と進学していますが、その教育の質は、実は学校だけでなく、親が一緒になって担保しているのです。事情はクパティーノ学校区もまったく同様です。

選んでそこに住んでいる親たちにとっては、学校のレベルを維持するのは当然の前提。そのためには学校を支えるための労をいとわないだけでなく、資金作りの寄付だってするのです。

地域住民も、自分の家に学齢の子どもがいなくても、地元の学校に寄付をするにやぶさかではありません。もちろん近所の知り合いの子どもたちが通う学校だからという思いもありますが、もっと実際的には、すでに書いたように学校の評価が学校区の不動産価格荷影響するという事情もあるでしょう。持ち家の資産価値が下がるリスクに比べたら多少の寄付などいとわないというのも、また住民のインセンティブのはずです。





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必読!アメリカの『お受験』

2010-12-01 | with バイリンガル育児

どこの書店でも、さまざまな受験対策の本はベストセラーのひとつ

「アメリカには日本のような『受験』がなくていいですね」とよく言われます。確かにアメリカには、「決まった受験日のテスト結果で合否を決める」という日本のような受験制度はありません。が、実はアメリカにもそれなりの受験制度があり、子どもたちはそれなりに熾烈な競争に晒されて高いストレスを抱えています。受験が原因で子どもが自殺するという悲劇も、ほぼ毎年のように繰り返されています。

アメリカの受験にも、私立中学校から大学や大学院までほぼ共通のパターンがあります。一斉テストが基本の日本と違い、アメリカの受験の基本は書類選考です。

アメリカの受験生は [1] 学校指定の応募用紙に必要事項を記入し、[2] 在学中または卒業した学校の成績表と偏差値、[3] SATと呼ばれる全国一斉学力テストの総合得点、[4] 志望校の出題による小論文(1-2本)、[5] 学校の先生はじめ指導者からの推薦状、[6] その他自薦・他薦の根拠となる提出物、を添えて志望校の入学審査担当(Admission Office)宛てに送ります。

[1] 応募用紙(Applicatuon Form)に記入するのは、受験生(と家族)の個人情報、志望動機、それから学業以外の活動についてです。学業以外の活動として問われるのは、スポーツやアートなどの活動歴、ボランティア等の地域活動の実績、学校内外でリーダーシップをとった経験についてです。いずれも「そのような活動経験があれば書きなさい」という要請ですが、各項目別に記入枠があり、志望動機も活動歴も、それぞれ簡潔ながら必要十分に詳しく作文することが求められますから、空欄になるとかなり目立ちます。つまり応募用紙は、ただの事務手続きの書類ではありません。受験生が自分自身についてかなり詳しく『自己紹介』するための書類なのです。従って、いかに簡潔に且つ魅力的に自分自身を語れるかが勝負になります。

[2] 成績表は学校の教務担当が出す成績証明書。

[3] SAT(Scholastic Assessment Test)は受験を希望する生徒が学校外で受ける「一斉学力テスト」の成績です。1901年に全米の高等教育機関の評議会によって導入されたもので、アメリカ国内だけでなく、海外からの受験生にもスコアの提出が要請されます。試験は毎年7回実施され、志望校の願書提出期日にさえ間に合えば、いつ受けても、また(理論的には)何度受験してもかまいません(実際にはいろいろテクニックがあります)。『英語・歴史・社会・数学・自然科学・外国語』の5分野から、一度に3科目まで受験できることになっており、各科目800点満点。SATは、言うまでもなく生徒の実力判定です。成績表は在学している学校内での相対的な評価になりますから、当然、学校によって差がでます。SATはそのような学校間格差をこえた生徒の実力をみるためのもの、とされています。

[4] 小論文(Essay)は志望校の出題に従って書きます。課題は『自由』という場合もありますが、複数の課題が出る場合には、そのうちの1本はたいてい志望動機を問うか、受験生に自分自身を語らせるものです。「なぜこの大学への入学を希望するか」という単刀直入なものから、「本学があなたを入学させたら、あなたは本学に、また卒業後社会にどのような貢献ができるか」などの、ややひねった問いかけの場合もあります。私のスタンフォード大学時代のアシスタントが医学部(大学院相当)を受験した時、2本の課題小論文のひとつは「あなたが『自分は医師に向いている』と考える理由を説明せよ」という課題でした。

自分が行ってきた諸活動について詳しく書かせる場合もあります。「課外活動(スポーツ、アート、地域活動など)の経験から学んだことを書きなさい」というような出題が典型です。

娘の中学受験時は二者選択のエッセイ課題でしたが、1つは「20年後の自分が過去を振り返って伝記を書いていると想定して、現在から20年後までのあなたの人生についてできるだけ詳しく書きなさい」。もう1つは「今すぐ誰か自分以外の人になれるとしたら、誰になって、何をしたいですか?」でした。受験もなかなか「クリエイティブなのね~」と感心させられたので憶えています。

[5] 推薦状は、まずは自分自身の学業成績をご存知の先生(つまり教科担任の先生)に書いていただきます。英語か数学、またはその両方の先生に書いていただくのが基本です。つまり今日でもこの2科目(読み書きそろばん、つまり3Rsですね)が学業の基本とみなされているわけです。また特に得意とする科目については、その担当教官から推薦状をもらいます。たとえば『人となり』については担任の先生から、スポーツで奨学金への推薦を得ているような場合にはコーチやクラブの先生から、また生徒会の活動やクラブのキャプテン経験などについては、それぞれの顧問の先生に書いていただきます。学外の活動については、それぞれ、その活動を最もよく知る人(たいていはその活動の指導者)に書いてもらいます。

[6] 自薦他薦の根拠となる添付物としては、「絵が自慢」という場合には作品のポートフォリオを、「音楽が得意」な場合には演奏を録音したメディアを、また「文章が上手」なら出版されて活字になっている記事/論文などを送ります。「スポーツ」は試合での活躍の様子の映像や受賞記録を、ダンスや舞台などの「パフォーミング・アーツ」にも映像を加えます。そこは、さすがアメリカ。なんでも好きなものを添付して送ることができます。

以上が中学から大学・大学院に至るまでのアメリカの受験に共通の提出物です。娘の中学受験や大学受験でも、私の助手たちがスタンフォード卒業後に医学部やロースクールあるいはさまざまな大学院を受験したときにも、求められる情報は基本的に同じでした。

アメリカの受験は「一発勝負ではない」という意味では楽に見えるのですが、実はそれだけに、受験生に求められることは、あたかも受験までの人生の総体を示すと言っても過言ではありません。一朝一夕では身につかないことばかりです。しかも、学業はもとより、課外活動も、ボランティア活動も、リーダーシップの経験もとマルチタレントであることが当然のごとくに前提されています。ですから、『一夜漬け』が効かないだけでなく、いわゆる『受験勉強』だけしていればよいというわけにもいかないのです。その意味でアメリカの受験もかなり大変です。

アメリカでも受験に際しては学業成績が重視されます。というよりも、進学して勉強したいと言うからには「学業成績が良いのは当たり前」と日本以上に明快に考えられています。だから、SATの点数や学校の成績が悪ければ、いわゆる一流校には入学できません。が、学業成績は『必要条件だが、必要十分条件ではない』というのがアメリカ流の考え方です。だから学業以外のアートやスポーツなどの活動歴が問われ、これを問うことで創造性やチームスピリッツを身につけているかどうかが、また継続的な努力やコミットメントができるタイプの人間であるかどうかが問われます。課外活動を聞かれた時に欠かせないのが地域でのボランティア活動経験です。市民性やチャリティ精神を示す活動を日ごろからきちんと実行していることが重視されます。最後に、必ず問われる質問はリーダーシップについてです。具体的には生徒会の運営経験や、スポーツチームや地域活動での組織づくりやリーダーとしての経験の有無が問われます。

さて、たかが受験の願書と言ってしまえばそれまでなのですが、実は、ここからかなりはっきり見えてくるものがあります。それはアメリカの大学が、ひいてはアメリカ社会が若者に求めている『期待される人間像』です。受験から浮かび上がってくるアメリカ型『期待される人間像』は、学業優秀かつ創造的で、継続的に何かに取り組む精神的・肉体的なタフネスとチームワークの精神を合わせ持ち、組織を作ったり、その組織を率いたりするリーダーシップがある人、すなわち優秀で勤勉でタフで思いやりのあるリーダーです。もちろんよき市民としての責任感があり、ボランティア精神があることは当然の常識です。

つまりアメリカの大学は、受験を通じて、受験生と社会に、大学が求めている「期待される人間像」を明示しているばかりでなく、ひいては受験生に自らそのような人間であることを証明してほしいと求めているのであり、さらに言えば、受験生をしてそのような人間たろうと努力させるように導いてもいるわけです。

もちろん「そんなもの、ただの『タテマエ』じゃないの?」と揶揄するのは簡単です。が、たとえタテマエでも、アメリカの若者は幼い子どもの時から大学や大学院に至るまで、ずっとこの同じメッセージを受け取り続けているのです。そのように考えると、アメリカ流『期待される人間像』の影響力というものは案外無視できないのではないかと思われます。

さて翻って日本の受験制度を考えてみると、では、日本の大学が、日本の社会が、今の受験制度を敷くことによって受験生に「かくあれ」と期待し、求めているのはどのような人間像なのでしょうか? 日本の大人たちは、現在の受験制度を維持しつづけることで、若者に「どのような人であれ」と語りかけているのでしょう?




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いよいよ入学:日本?アメリカ?

2010-11-17 | with バイリンガル育児
おなじみの黄色いスクールバスで登校する、アメリカの小学生たち

遊び友達欲しさに、3歳にもならないうちにプリスクールに通い始めた娘の入園前後の顛末についてはすでに書きました(ブログ記事:プリスクールの難問)。でも、毎朝泣きべそだった時期を克服すると(ブログ記事:サークルタイムのサバイバル術)、すぐに友達ができて「学校大好き!」な子どもになり、やれやれとひと安心。

このままアメリカで教育を受けさせようか・・・日本に連れて帰って学校に上げようか・・・と悩んだのは、娘が就学年齢に達した時でした。聞かれてもひとりでは意思決定ができない年頃の娘を前に、でも、このままアメリカで就学させ続けたら日本には帰れなくなる・・・と思い、一方では、娘の人生の重大事を親の考えだけで決めてよいのだろうか・・・と迷い、考えても考えても結論が出ませんでした。それで思いきって娘を連れて一時帰国し、4月の入学式から日本の小学校に上げてみることにしたのです。2月生まれの娘は、日本での入学は4月、アメリカでの入学は9月でしたので、先に日本の学校に通わせてみることにし、夫が単身赴任して暮らしていた町の公立小学校に入れました。

日本での入学にあたって驚いたのは、入学準備のために親がやらなければならないことが山のようにあることでした。入学式の前に準備しなければならないものが、とにかくたくさんありました。まずは靴。外履きと内履きを区別する日本では、学校でも子どもは一日に何度も靴を脱いで履き替えます。したがって外履きを用意するのはもちろん、学校指定の上履きを買い、これに名前を書いておかなければなりません。給食用のエプロンやナプキンと、それらを入れて持ち歩く袋を準備しました。洗い替え用に複数セット必要でした。教科書は無料だけれども、合わせて買い求めることになっている『指定教材』は有料で、しかも数が多い。これらを間違いなく買い揃えるだけでなく、ひとつひとつに名前をつけなければなりません。筆箱に入れる鉛筆や消しゴム(余談ですが、消しゴムに名前を書くのって至難の技です>笑!)から、算数の教材セットに入っている、信じられないくらい細い竹ひごや1円玉よりも小さいオハジキのひとつひとつに至るまで全部に名前をつけるのです。体操服などもみんなお揃いなので、区別するためには名前が必須。体操服を入れる専用の袋もあったような気がします。

そんなこんなで入学前には何日もかかって子どもの持ち物に名前をつけていた記憶があります。夜なべ仕事で名前をつけながら(日本の子は、こうやって持ち物を管理しながら自分の名前を覚えていくのか・・・)と感慨深く、でも一方で(算数セットなんか、皆が同じものを使っているのなら、隣の子のものと入れ替わったって同じだから困らないのでは?名前なんかつけなくてもいいのでは?)と疑問に思っていたのを憶えています。だって、名前がついていたら「自分のものを探さなければならない」ので手間がかかるけれど、名前がついていなければお互い様「数さえ揃っていればいい」で済むような気がしたからです。それと、もうひとつ気になったのは、日本語が不自由な外国人の親御さんは日本語で名前をつけるという課題をどうやってクリアしているのだろう?ということでした。

さて、そうこうするうちに入学の日になり、親子そろって体育館での入学式に出て、校長先生のお話をききました。桜が咲いていました。

その後、娘はアメリカに戻り、同じ年の秋からアメリカの公立小学校に入学しました。日本とアメリカでの大きな違いは、日本ではたいていの行事が『学校単位』なのに、アメリカでは『クラス単位』だったこと。日本では入学予定の親子を講堂に集めて就学説明会があり、学校全体で催される入学式にも親子一緒に出席して新学期が始まったのですが、アメリカでは入学予定者を一堂に集めての就学説明会などはなく、親は事務室に行って個別に説明を聞き、入学手続きを済ませます。入学の説明会はクラスごとに先生の都合で開催され(夕方からの開催で、保護者は仕事を終えてから出席)、大がかりな入学式などはなく、新入生といえども始業の日に自分のクラスに行くだけ。淡々としたものです。要するに、日本に比べるとはるかに個々の先生の権限が大きいのです。学習課程の進め方もクラス運営も先生の裁量に任されているので、どこの学校に行かせるかも大事ですが、むしろどの先生に担任していただくかで子どもが受ける教育の水準や質が決まってしまうというのがアメリカの実態。でも、アメリカの制度をろくに知らなかった私は、子どもを実際に入学させてみるまで、そんなことも知りませんでした。

さてオープンハウス(クラスごとの就学説明会)では、娘の担任予定の先生が一年間の「履修内容や指導方針など」を説明されるのを聞きました。堂々たるベテランの先生で安心しましたが、いつまでたっても教科書はおろか子どもの持ち物についての説明がありません。日本の学校で入学式をやってきたばかりの私は(教科書はどこで買うんだろう?教材やノートはどうするの?体操着は?)と頭の中は疑問符だらけ。そのうち、持ち物の説明はないままに、とうとう説明会はお開きになってしまいました。そこで、私は思い切って先生のそばに行って質問しました。「あのぅ、子どもには毎日何を持たせればよいのでしょう?」

先生は一瞬「え?」という表情になりましたが、すぐにニッコリ。「何も要りません。必要なものは教室に揃えてありますから。」「教科書も、筆記用具もですか?」と重ねて聞くと、先生はもう一度「何も要りませんよ」と言われて、それから急いで「ああ、お弁当だけは持ってきてくださいね。」と再びニッコリ。でも、私は(教科書もないの?ノートもなしにどうやって勉強するの?宿題は?)とかえって疑問符だらけに。

でも、実際、子どもはお弁当しか持っていかなかったのです。娘が1年生を過ごしたアメリカの公立の小学校では、教科書も教材も文房具も教室にあるものをみんなが共同で使いました。だから、どれが誰のという区別はありません。もちろん名前もついていません。教科書は図書館の本と同じような、クラスの備品です。ノートにあたるプリントも先生がつくって配られるので、子どもたちはいわゆる学用品を持っていく必要がありませんでした。鉛筆も消しゴムもクラスの備品で、共同で使います。そして驚いたことに、与えられた予算の中でそういうものを揃えておくのは『先生の仕事』なのです。もちろん教科書や最低の文房具など基本的なものは教育委員会から支給されますが、副教材や副読本始めそれ以外のものは先生が予算の範囲内でやりくりして自分で用意しなければなりません。先生の裁量が大きく、クラス運営の自由度が大きいということは、逆に言うと先生の自己責任も大きいということなのです。したがって永年のキャリアがあって、その間に蓄積した教材や本などをたくさん持っていらっしゃるベテラン先生と新任の先生とでは、クラスの備品も雲泥の差というようなことも珍しくありません。こんな目に見える格差がクラスごとにあったら、日本の公立学校では大問題になるのではないでしょうか。考え方の違い、文化の差というのはかくも大きいものか、と実感しました。

余談ですが、子どもをアメリカの学校に上げたことで、再確認した『日本の良さ』というのがいくつかありました。その一つが日本の文房具の品質の素晴らしさでした。鉛筆も消しゴムもコンパスも定規も、なんでも優れていましたが、とりわけ『消しゴム』の品質の差が大きく、当時、日本ではすでに一般的だったプラスチック消しゴムがアメリカではなかなか手に入らず、子どもたちは教室で、こすってもなかなか消えないひどい品質の消しゴムを使っていて、書き損じをするたびに消しゴムのせいで紙が破れてしまうという状態だったのです。見かねて、日本から取り寄せたプラスチック消しゴムを大量に教室に持っていったときは大変に喜ばれました。それからは日本のお土産には日本製の文房具が欲しいというリクエストが娘の友達から相次いだのをなつかしく憶えています。



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絵本とアート

2010-10-04 | with バイリンガル育児


新学期、新年度で駆け回る9月は毎年たちまち過ぎてしまい、いつも、あっという間に10月になります。月が変わったことは、八百屋さんの店先がパアッと明るいオレンジ色になるのでわかります。オレンジ色と言えば、そう、ハロウィーンのかぼちゃ。わが家の近所の八百屋さんにもかぼちゃが山積みになりました。例年通り、大きいかぼちゃは店先にごろごろと無造作に並べられ、小さめのかぼちゃは干し草やトウモロコシで飾りつけたワゴンに山積みにされています。形も色もとりどりでそれぞれに表情のあるかぼちゃたちにはいつまで眺めていても飽きない不思議な魅力があり、まさにアメリカの秋の風物詩

……というわけで、このブログでは10月はいつもハロウィーンを意識して絵本を選んできました。でも改めて言うまでもなく、秋はいろいろな形容詞が似会う季節です。なかでも相性が良いのはアート。そこで今年は、ハロウィーンとともに、アートをテーマに何冊かの絵本を選んでみることにしました。

考えてみると、絵本は赤ちゃんが生まれて初めて目にするアートではないでしょうか。お母さんが読み聞かせてくれる絵本を一緒に眺めている時には、語彙も実体験も少ない子どもたち、また識字どころか発語以前の赤ちゃんは、まさに文字ではなく「絵」を見ているのですものね。ところがこれまで、『絵本』は『本』の赤ちゃん版/子ども版という扱いで、『本』として「テキスト」や「お話」に優先の観があり、「絵」はどちらかと言うと”挿絵”あるいは”イラスト”として副次的なものとして扱われてきたように思われます。

でも実は、アーティストが「挿絵」画家の立場を超えて自由に描き、創作した絵本には独特の伸びやかな味があります。たとえばクリケット・ジョンソン(Crickett Johnson)は、1945年の初版以来いまだに売れ続けている人気絵本"The Carrot Seed"の挿絵画家として知られていますが、その後1955年に、彼自身が出版した絵本"Harold and the Purple Crayon"でブレイクし、多数の絵本を刊行しました。"The Carrot Seed"と"Harold and the Purple Crayon"を読み比べてみると、いかにもお話先行型の"The Carrot Seed"に対して、主人公のハロルドが自由に描いていく絵がそのままストーリーになっていく"Harold and the Purple Crayon"には、なるほどア―ティストにはこういう仕事ができるのか・・・と思わず納得してしまう説得力があります。

このブログに何度も登場している"No David!"もしかり。全編、どのページもテキストは(イラストには登場しない)お母さんの一言だけ。でも、見開きページいっぱいに描き出されたデイビッドの「絵」が状況を、事情を語りつくしてあまりあります。この絵本、作者にしてアーティストのデイビット・シャノン(David Shannon)が、まだ幼くて"No"と "David"の2語しか文字が書けなかった時に描いた絵本が下敷きになっているそうですが、さもありなん、言葉がなくても絵だけで十分に饒舌な絵本です。

安野光雅さんも言葉のない絵だけの絵本で高い評価を得ている作家です。「10人の愉快な引っ越し」、「旅の絵本」など数え上げればきりがありません。日本の写真家である姉崎一馬さんの「はるにれ」も素晴らしい作品だと思います。

素晴らしいアーティストである絵本作家はほかにもたくさんいます。ところが、これらの作家たちの作品をアートとして評価しようという動きは最近ようやく始まったばかりの観があります。まとまった評論としては、最近出されたディリス・エバンス(Dilys Evans)の"Show and Tell : Exploring the Fine Art of Children’s Book Illustration"があります。

ディリスは、永年、絵本画家たるアーティストたちのエージェントを務めてきたアートディレクター。"Show and Tell ... "は、絵本の「絵」がいかに「言葉」以上に子どもたちの感情に訴え、いかに深い影響を子どもたちに与えるかを説き、子どもたちが人生で最初に出会うアートとしての絵本の「絵」の質がいかに重要であるかを説得力もって語っています。

絵本作家として知られるアーティスト自身が自らのアーティストとしての活動をまとめた本もあります。「はらぺこあおむし」他のポップで愉しい絵本の作家として日本でも大人気のエリック・カール(Eric Carl)による"The Art of Eric Carle by Eric Carle"がそれ。

あんなに明るい作品ばかり書いているエリックが、実は第二次世界大戦当時のドイツで少年時代を過ごしたこと。彼の挿絵画家としての最初の仕事は料理本のイラストだったこと。担当編集者が彼の才能を見込んで絵本作家に転じるようすすめたこと。アメリカの印刷技術では彼の絵が十分に美しく絵本にできなかったために最初の絵本(1, 2, 3, to the Zoo)はなんと日本で製作されたこと‥‥などなど、ファン必読のエピソードや写真が満載です。

アートの秋。お手元の絵本もあらためてご鑑賞ください。



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