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犬猫ネタがないので、主に見た映画と食べたものを記録するだけのブログ

う~に~と私

2012-02-07 21:51:05 | う~に~(犬)のこと(思い出話)

自分が撮った写真にはなかった、自分とう~に~の写真。

当たり前ですね
撮ろうと思えば撮れるんでしょうけど、そんなことしようと思ったことがない。

ダンナが撮った写真には、私が写りこんでるのがある。
リード持って近くにいるから、撮りたくなくても入っちゃうのだ
今日はそんな写真を集めてみた。
2月のある日の、う~に~と私。


2007年、白州。こんなふうに、うまいこと顔が切れてると使いやすい


2007年、伊豆旅行の帰途に寄った公園。
見知らぬ猫に友好的なう~に~と警戒心いっぱいの猫


2007年、箱根。強羅公園のカフェ。
クッキー食べる私をガン見。「それ、ちょっとくれませんか


2008年、軽井沢。雪にはしゃぐう~に~。
カメラ向けるダンナに駆け寄ろうとしてる。
たぶん私は「こらー、転ぶから走るなー」と焦っていた、と思う。

  

若い頃のう~に~は、拾い食いが激しかった。
う~に~より先にヤバイものを発見できるよう、私はいつも2~3m先の地面を見て歩いていた
それでも時に、石やら手袋やら何だかわからないものを拾われてしまい、
取り上げるのに失敗して、飲み込まれてしまうことがあった

何度もガッカリし、凹み、自分に怒り、う~に~の身体を心配して。
信頼関係ができていないんだなーと落ち込み、育児ノイローゼっぽくなったこともあった。

それでも、一日も休まず続けた基本的な訓練。
早朝と帰宅後の散歩では、必ず訓練と、一緒に遊ぶ時間を作った。

その成果かどうかわからないけど。
いつの間にか、う~に~は拾い食いをしなくなった。
たまに私がボンヤリしていると、こっそり石を拾うことがあったけど、
取られまいとして飲み込むことはなく、「ほらほら、これ見てごらん」と
わざと嬉しそうに見せびらかすのだった。
「ワタシといるのに他のこと考えてないで、ちゃんとこっち見てよ!」ということだったのだろう。
拾った石は、ほぼ強制的に(笑)私の手に渡してくれた。おやつと引き換えに
う~に~は、いつでも私とコミュニケーションをとりたがっていたのに、
私がう~に~を見ていなかったんだね。

年を重ねて、いつしか私とう~に~は、顔を見合わせて会話しながら歩くようになっていた。


2008年、軽井沢。雪の道を散歩。「楽しいねー」と言ってたかも知れない。


上の写真の続き。そうだったなー、こうやって歩いてたんだな~

シツケ本を読んで、コマンドを教えることに躍起になっていた時代もあったけど、
本当に大切なのは命令に従わせるのではなくて、いい関係を築くことなんだって、
一緒に暮らしてみてわかった。

本当に信頼関係が築けていたのか、私だけの自己満足だったのかは、今となってはわからんけど。

下ばかり見て歩いていた時代が終わり、う~に~の顔ばかり見て歩くようになって、
結局私はいつでも前方不注意だったな(笑)。


2009年、お台場。
14歳7ヶ月にもなると、ピクニック的なお散歩が多くなった。
お弁当の卵焼きを楽しみにしているう~に~。


お台場は年をとってからも楽しめる場所だった。


2010年、世田谷公園。15歳7ヶ月のう~に~。
お散歩といっても、公園の短いコースをやっと1周する程度。
それでも途中で休憩して、噴水見物。

このころは、アイコンタクトして歩くことは少なくなった。
首上げて歩くのも大変だし、まっすぐ前向いて歩かないとバランス崩して危なかったのだ
だけど16歳近くなっても、トイレ散歩に出ると、ふらつきながらも鼻を私の手に押しつけて、
おやつくれ~って尻尾ふってたな。可愛かったな。

今はもう、自分の左下を見て歩くこともなくなってしまった。
左手に押しつけられた、う~に~の冷たい鼻の感触も、いつも握っていた革のリードの手触りも、
だんだん遠い記憶になっている。

  

いつまでも、もういない犬のことばかり書いてすみません。
ほかに書くことないのかよって思われそうですね。
はっきり申し上げます。他に書くことないんです~
コメント (11)
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