グエル公園 バルセロナ スペイン
アントニ・ガウディ(1852-1926)の作品群の一つ。ガウディが彼の後援者で実業家のエウゼビ・グエル伯爵との夢を叶えるべく、自然と芸術に囲まれた新しいスタイルの分譲住宅。しかし買い手がつかず中断、グエル伯爵の没後、公園としてバルセロナ市に寄付された。1984年に世界遺産に登録されている。美しい破砕タイルのオブジェは愛弟子ジュゼップ・ジュジョールの作品。右は門番小屋(別名・お菓子の家)
栃木博子さんからスペインに行ってきましたと、彼女が撮った写真を送って頂いた。1月30日正午オランダ航空で成田を発って、アムステルダムで乗換え、バルセロナに着いたのが午後8時、時差が8時間あるから16時間の長旅だ。スペインはどうしても行きたい国の一つ、彼女の主目的はガウディの建築群とピカソのゲルニカ・プラド美術館、後輩の友人はセコビアの水道橋(ここを訪れるツアーは少ないそうだ)が見られるならということで11日間のツアーに参加した。彼女が送ってくれた写真とコメントを中心に最初の訪問地・バルセロナから紹介しよう。右の写真は中央広場を縁取る破砕タイルのベンチ、左は回廊、公園にはガウディが住んだことがある家がガウディ記念館として公開されている。
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サクラダ・ファミリア
1882年着工、2代目の建築家として任命されたのは未だ無名に近かった31歳のアントニ・ガウディ。彼は一から設計し直し、後半生のす べてをこの建築に費やした。彼の後援者だったグエル伯爵が1918年 亡くなったあとは、熱心なカトリック教徒としてこの建築に集中したと言われている。ガウディが完成させたのは、東側の「イエス・キリストご生誕」のファサード(写真:左上)と4本の鐘楼。 北・東(誕生)・西(受難・写真:左下)のファサードはほぼ完成しているが、メイン・ファサードである南側はイエスの栄光をたたえるもので未完成である。ガウディ没後100周年の2026年を完成目標としていたが、ガウディの設計思想を忠実に表現する建築作業工程とすでに長い年月が経過しているので修復作業もあり、今から250年後と予測されている。
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サン・パウ病院はガウディのライバルだったモンタネールによって1902年~1930年にかけて設計・建築された。ステンドグラス・タイル・彫刻などが施されている。現在も病院として使われている。1997年世界遺産として登録された。
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パブロ、ディエーゴ、ホセー、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソがパブロ・ピカソの正式な名前。落語のじゅげむじゅげむ・・・を思い出すが、パブロとピカソの間にある名は洗礼名で、聖者や縁者の名前を並べたもの。下の写真は栃木さんからお土産に頂いたピカソ美術館の絵葉書、1937年に描いたゲルニカ、作品の大きさは349.3×776.6cm。
(続く)
バルセロナ