GA12月号から安彦良和インタビュー
オデッサ編のギャンについて
オリジンを始めた当初、テキサスコロニーの件では、マ・クベやギャンは必要ないと思っていたので、登場させる予定はなかった。
マ・クベの鉱山管理人という位置づけは不満だった。ジオン側の地球侵攻軍のキャラクターが薄すぎる。オリジンではWBの航路を変更しているので自然とマが侵攻軍司令にになる。司令になるとアニメのテキサスでの行動と整合性がなくなるので、ギャンの出番もなくなると考えていたがファンの間で人気のあるMSらしいので、最後の花道を飾る形であれば出せるかな、と思い直した。
マは地球の文化を愛して、キシリアに仕えていた男。そうだとしたらジオニズム思想に同調できるはずはない。そのことを彼の口から言わせたかった。ジオンの二つの派閥、ギレン派とキシリア派。まだ先の話だがラストでの一件は思想の違いからだと思う。キシリア派の筆頭がマ。死ぬ間際に「壺を届けてくれ」とまで言ったくらいだから、たぶんキシリアにも地球文明に思い入れがあって、二人は趣味が合致していたのではないか。
ジオン将校の軍服については、将校はある程度偉くなると自前で軍服を作る。マとキシリアが違う軍服を着ているのは地球文化への憧れで、ジオンぽいのが嫌だからじゃないか?
ララァ編について
続きはWBが宇宙へ出るところから始める。映画で言えば「めぐりあい宇宙」から。これ以降は構成の大幅な変更はない。
ララァは現実に生きている少女というより、観念的に肥大した存在。とっつきにくい、分かりづらいやっかいなキャラクターで描きにくい。ただ、その分からない部分も含め描きたい。ララァ自身、自分は何者なのか何をしているのかよく分かってない感じの子として。
開戦編では、家族の写真を持っていたり、まだ現実や日常があった頃のララァを描いた。シャアに拾われて以降ニュータイプの研究対象となって次に登場する時にはもう彼女は現実的な存在では無くなっている。
ニュータイプについて
シャアが「人の革新」と言っているが、僕はそういうものではないと思っている。人々が心に秘めていた願望が何らかの状況や人物によって不可思議な現象として発現したとき、それは奇跡として語り継がれる。アムロ達の資質は奇跡の一環で人類の進化とは違う。
幕末の日本のようにこれまでの常識からすれば特異とされるような才能を持った人物が集団で現れることもある。けど、それが人の革新かというと違う。振返れば、未だにあれだけの才能を持った人物が傑出された時代はなかったと総括されるわけですから。
社会制度や状況が変化したとき、そういった才能が世に出やすい。それは世代論であって人の革新や進化とは僕には思えない。ずっちそのスタンスで関わってきた。
ニュータイプとか超常現象的な要素はあくまで作劇上必要だったから加えられた物語のスパイス。それをテーマとして作ろうとしたわけではない。
ガンダムの何が新しくて魅力だったのかというと、生身のどこにでもいるような人たちの話を大事に描いていたから。人は決してわかり合えない。そのわかり合えないということが人間社会のいろんな悲劇を生んでいるわけですけど、それはしょうがない。永遠の願望としてララァのようなニュータイプが出てくる。が、こんな話はありえないし、それを是とするのはむしろ悪魔の道。
「人の革新をしなくてはいけない」というヤツは昔からいっぱいいた。けど本気になったらこんなヤバイ話はない。ありえない姿を強引に実現しようとしているだけで、悲劇しか生まないと歴史が証明している。ガンダムでは単純なNT礼賛なんかしていないし、冷静に見ればわかるはず。
ガンダムは、人はわかり合えないけど、生きなければいけないし、これからも生きていくという話だと思っている。これは物語上でのNTという設定を否定したりその是非を問うつもりもない。このNTの設定のおかげで物語は非常に感動的に終わることができたと思っている。
アムロと親父の再会は描くあそこは重要なシーン。死んでいてくれれば思い出することも出来るし、普通に生きていてくれれば再会を喜ぶこともできるでしょうが、ああいう形で再会するというのは凄く残酷。サイド6の一連のエピソードは好き。みんな魅力的なエピソードなので、たぶんアニメのままの構成になる。
あとは「ララァ編」と「光る宇宙編(仮)」の二章くらい。全20巻で考えている。あと3分の1
オリジン終了後は連載ではなく単行本の描きおろしで好きなことをやりたい。











幕末の日本のようにこれまでの常識からすれば特異とされるような才能を持った人物が集団で現れることもある。けど、それが人の革新かというと違う。振返れば、未だにあれだけの才能を持った人物が傑出された時代はなかったと総括されるわけですから。
社会制度や状況が変化したとき、そういった才能が世に出やすい。それは世代論であって人の革新や進化とは僕には思えない。ずっちそのスタンスで関わってきた。
ニュータイプとか超常現象的な要素はあくまで作劇上必要だったから加えられた物語のスパイス。それをテーマとして作ろうとしたわけではない。

「人の革新をしなくてはいけない」というヤツは昔からいっぱいいた。けど本気になったらこんなヤバイ話はない。ありえない姿を強引に実現しようとしているだけで、悲劇しか生まないと歴史が証明している。ガンダムでは単純なNT礼賛なんかしていないし、冷静に見ればわかるはず。



