憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

有閑の上皇ご夫妻、那須へ軽井沢へ、ご静養のはしご。

2023-08-23 23:05:28 | 美智子さま
22日、上皇ご夫妻の軽井沢静養が【速報】で報じられた。



😐 歴史を紐解くと平安期に入ると祭祀に明け暮れ制約の多い天皇位を嫌って、上皇になりたがる天皇が続出した、などと書いてある。
コロナが5類になった途端堰を切ったように、お楽しみの外出に明け暮れる上皇ご夫妻を拝見すると、人の心は3千年、2千年、経ってもそう変わらないものなのだろうな、と思う。
天皇位はしんどくて窮屈。譲位して権威権力を温存したまま上皇になって思うままに暮らしたい、という古の天皇達の心は天皇になった者にしかわからないものなのだろうとも。

平成の天皇は「天皇は祭祀だけしていろと言うのか」と、いう御気持ちも吐露されているが、天皇皇后ともども、祭祀には熱心に取り組んで来られた。
平成の天皇皇后が熱心に祭祀に取り組んでおられる報道に接するたび、何かしらほっとしたものでしたが…。
天皇が祭祀をする。皇后はそれを扶ける。それが天皇の存在意義だと言っても過言ではあるまい。令和の天皇皇后は祭祀(祈り)を天皇の存在意義に直結する務めとは考えておられないようですね。

【速報】上皇ご夫妻が4年ぶりに軽井沢でご静養 満州引き揚げ者の開拓地区訪問も
8/22(火) 13:20配信 FNNプライムオンライン

上皇ご夫妻は長野県軽井沢町で静養に入られた。 22日昼前、上皇ご夫妻はお住まいのある赤坂御用地を車で出発された。

ご夫妻はその後、新幹線で長野県の軽井沢駅に到着し、集まった人たちににこやかに手を振って応えられた。

ご夫妻は29日まで軽井沢で静養し、滞在中には戦後、中国の旧満州から引き揚げてきた人たちが開拓した大日向地区に足を運ばれる予定。

軽井沢は1957年夏にご夫妻が出会ったゆかりの深い場所で、以前は毎年のように夏を過ごされていた。

軽井沢での静養は2019年以来およそ4年ぶり、コロナ禍以降初めて。

@23日 大日向開拓地区ご訪問


昭和天皇 歌碑
浅間おろし つよき麓にかへりきて いそしむ田人 たふとくもあるか

😐 たふとくもあるか、、昭和天皇の御製はどうしてもこうも胸を打つのでしょう。

歌碑の前での上皇ご夫妻の会話。
(テレ朝NEWSより)
 美智子さま:「青空が出て参りました」
 上皇さま:「青空ね、本当ね。この花は何でしょうね、キク科植物だけどね」
 美智子さま:「イモ?なんとかイモって言うんじゃなかったかしら」
 上皇さま:「そうなんだ」
 美智子さま:「いつもここに来るたびに。あちらにアサマフウロがございますよ」
 上皇さま:「ああ…アサマフウロね」



(FNNプライムオンラインより)
上皇さま「虫なんかも...よく育っているんでしょうね」

上皇さま「これキャベツ畑ね、なかなか大きいね」
美智子さま「いつものキャベツ」


😊 広々としたキャベツ畑にぽつんとお二人。

@キャベツ畑の会話は、報道社によって差異があり流れがよくわからない。
戦後、上皇は宮内庁職員と共にキャベツを育てた経験があることだけは一致しているのだが、その耕作地がどこにあったのか、「食糧難で助かった」と言ったのはだれなのか、判然としない。

例年、大日向開拓地を訪問された際には、農家の方々との交歓の様子が報道されていたのですが、今回は、この言葉を伝えるのみ。

(テレ朝NEWS)
農作業中の人:「また元気な姿を生で見られるのが私たちの励みかなって」

😱 「また元気な姿を生で見られる、、、」
生で見られる、、生でみられる、、、生で見られる
この女性に悪意は無いのでしょうが、、天皇とは、そういう存在になってしまったのか、と慨嘆。


@1952年立太子礼を終えた皇太子(現上皇)が乗車した列車を迎える人々。京都木津駅


@1962年皇太子ご夫妻(現上皇ご夫妻)が乗車する列車に手を振る人々。宮崎県。

皇太子、皇太子妃に対する人々の憧れや敬虔な気持ちが伝わって来るではありませんか。

それが、今では「生で見られる」😱 まあ、ご本人に悪意が無いことも、嬉しく思われていることも解るのですが…。



おしあわせそうです。
愛子さまの将来、秋篠宮殿下の苦衷、悠仁殿下の教育、、、上皇后は「もう、引退しましたのよ。」の御心境なのか、それとも、まだまだ口を出す気はおあり?



最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (牡丹)
2023-08-24 11:50:42
上皇夫妻が摂政を嫌がり無理やり退位した理由は、表向きは昭和天皇が摂政をお務めの際に色々あったからとされていますが、本当の理由は別の所にあったのでしょう。
例えば
•皇太子妃の不出来により皇太子退位論が出たので、目の黒いうちに浩宮の即位を見たかった
•愛子内親王が未成年のうちに即位式を挙行する必要があった
などです。変わり種としては
•秋篠宮を皇嗣に就け皇統の流れを固定した
という説も。
それらとは別に、天皇位のまま摂政をおいて気楽に遊び歩くことが出来ない点もあるのでしょう。

退位したとて一切出歩くなとは思いませんが、今夏の美術鑑賞では多数の警官や市民を炎天下の中足止めしました。頻度やタイミングに問題があると思いますし、ご隠居さんの逐一の報道は不要に思います。
返信する
Unknown (かえで)
2023-08-24 20:15:56
如意さま、こんばんは。
天皇という立場の美味しいところのつまみ食い。
かたや、見る方からすると珍獣か天然記念物か。
なぜ、生前退位にこだわったのか本当のところは解りませんが、五類になってからのお出かけぶりを見るに「大事にされる立場でゆっくり遊びたかったから」とも見れます。
何を言おうと、行動に現れるのでしょうね。
「皇室とは祈りでありたい」と美智子さんはおっしゃっていました。あの頃は私もありがたいと拝見していました。
さて、現在は?
「何枚同じような服を持っているのかしら」と見てしまいます。
そして、殆んど働かない今上家族に代わり、休む間もなく働く弟一家にフォローもなく。
しかも、そこには継承者がお二人もいらっしゃるのに。高齢者になると自分のことしか考えられなくなると聞きますがどうなのでしょうね。
返信する
お返事 (如意)
2023-08-25 02:47:48
牡丹さん
こんばんは。
私は、退位の一番の理由は、平成の天皇の認知症が進行して人前に出せる状態なでなくなられるのが時間の問題になったからでしょうと見ています。
身近の責任ある立場のかたが子息に席を譲られた経緯とよく似ているからですが。。
上皇という気楽な立場になられたので、ああであって、天皇であったら、今の穏やかさでいられたかどうか。

日に日に認知症が進行する天皇と天皇の代理が務まらない摂政宮と妃、、、摂政宮でなく一宮家の立場で天皇と摂政宮の代わりに走り回る秋篠宮ご夫妻。いくらタフな秋篠宮殿下妃殿下でも、パンクされていたでしょう。想像するとぞっとします。海外訪問も天皇に来た招待を摂政宮を差し置いて秋篠宮殿下が出向くというわけにも行かなかったでしょうしね。
一宮家でなく皇嗣だから出来ることもある。間に合わない兄宮ご夫妻を摂政宮にするよりは天皇に繰り上げて秋篠宮殿下を皇嗣殿下に据えたほうが皇室は機能する、と、考えた、、とか?
それにしても、上皇上皇后の外出は多すぎる。
内廷費3億4000万円のうち、人件費等経費を除いた約2億3000万円くらいが五人の生活費、ということになるそうですが、お二人で約1億円の生活費、使い道に困ってのお出ましか。笑。

かえでさん
こんばんは。
そうですね。
天皇家推しの方々が「家族お三人で仲良くされているのを見ると癒される」とコメントするのを見ると、それって動物園で動物の親子を見て和むのとどこが違うのか、と私などは思ってしまいますわね。
美智子さまファンのかたには申し訳ないのですが、
>「皇室とは祈りでありたい」

聞いた時には、まあ、気取っていらっしゃること。。と思ってしまいました。
私は、天皇と祭祀の関係を「天皇の本分は祭祀にある」と理解しましたが、美智子さまはそのように理解されたのでしょうね。
返信する
Unknown (かえで)
2023-08-25 10:25:48
如意さま、返信ありがとうございました。
美智子さんの「祈りでありたい」
これは、後から考えるとよく解らないのですよ。
結局、如意さまの仰るとおり気取ってたのかしら?(笑)
皇室のことを考えていくのは天皇であって、その配偶者が口を挟むものではない、とも仰っていましたが、その後、当時の天皇(現在の上皇)が、「あちらは(美智子さん)はどういってるの?)とまず気にされていたと記事で読んでから、あんなに祭祀に熱心と聞かされていたけれど、今のお出かけぶりや、引越にまつわるあれこれ、懐かしの東宮御所に住みたいとやらを見ているに、皇室というものを単なるセレブにしていったのはここからだったかなという気も致します。
今上の今回の那須ご静養の記者との歓談中、寝袋で星を見た話がありましたね。
あの話し方を見ていたら、もう本当になんとも庶民的で…。オーラもなにも感じないです。
返信する
Unknown (如意)
2023-08-25 16:16:47
かえでさん
こんにちは。
「祈りでありたい」
私見ですが、、
クリスチャンの方々と多少の親交があるのですが、彼らは「祈り」と日常生活が密着しているようで、、
何かあるとすぐに「祈る」を口にされます。
時には「私のために祈ってください。」と言って、互いに祈りあっている。
方々との親交が長いのでクリスチャンと「祈り」の関係は大よそ理解できていると思っているのですが。
美智子さまには、クリスチャンの祈りが身に沁みついてしまって、天皇の祭祀をキリスト教の祈りとイコールのように理解されてのお言葉かと見ているのですが…。
クリスチャンの方々の日常を傍から見ているうちに何となく、解ったのですが、
キリスト教の「祈り」は、キリストを信じて、キリスト教の教えに朝な夕なに空気を呼吸するように接しているうちにその人の中に醸成されるもののようです。
そしていったん醸成されてしまうと、もう、そこから放れることはないのだな、と。
美智子さまが、母校のシスターをお住まいに招かれて心の拠り所とされていたことはよく知られています。
ですから、「祈りでありたい」でイメージされたのは、キリスト教が教える祈りであろうと、まあ、そのように推察しています。
でも、天皇の祭祀は、キリスト教的世界観をいったん捨てないと理解できないのではないでしょうか。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。