憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

雑記 その前夜の四方山話

2024-09-05 23:32:05 | 悠仁殿下
明日、悠仁殿下は満18歳を迎えられ、成年になられます。

その前夜に由無し事 など取り留めも無く…


ヌスビトハギ 花はそこそこ可憐ですがタネになると厄介です。
暑さを言い訳に放って置いたら、ヌスビトハギが蕾を付け始めました。
花が咲く前に一気に刈らなくては。
 ※別に何かを比喩しているのではありません、、、あるかな?


八幡先生が良いことをおっしゃっている
語弊を恐れず要約すれば
・悠仁殿下と佳子さまは良い調子だから、この調子でGO
・愛子さまは、今のままではダメ。ご自身も周囲も心を入れ替えて頑張りましょう。
・愛子さまは天皇になれないのだから、愛子天皇派は世迷言で世間を惑わしてはいけない。

女性自身秋篠宮ご夫妻に産児制限があったことを明かす
『女性自身』9月17日号


この記事、、、


ネットでは、この部分ばかりが取り上げられて騒ぎになっているが、、、
話を聞く限り、筑附は生徒に効率よく受験勉強させて有名大学合格者数を誇る進学校の授業とは違うようです。
筑附のような高校では教師は「受験勉強は各自で済ましている」前提に、授業では教科書やテキストを離れた質問をすることもあるから、思いもよらない質問が飛んで来て戸惑うことなど特に珍しい光景でもない。但し、クラスに1人2人くらいはスラスラ答える生徒もいることはいる。(😅 ははは見て来たようなこと書いていますね。)
悠仁殿下は優秀と言われていますが、天才奇才ではないのでしょう。
それにしても、口の軽い関係者がいるものですね。

この記事では、むしろこの部分に注目すべきだと思います。



😟 >東宮様の方に遠慮していたが『もうそろそろいいよ』とのお許しがあったもので・・・・

この部分ですが、、、当時、朝日新聞はそのようには書いていませんでした。
政府関係者?某(名前が書いてあったが忘れた)が昨年末に秋篠宮殿下と会話した際、殿下がにこにこと「おゆるしが出たもので」とおっしゃった、と、そのように書いてあったはずです。
<東宮様のほうに遠慮していたが、『もうそろそろいいよ』>は、後から付け加えられたものでしょう。
秋篠宮殿下は徳仁親王を語る時は皇太子時代も現在も「兄」とお呼びになっています。「東宮さま」は秋篠宮殿下らしくない言葉です。



当時、此処に書かれている朝日新聞の「お許しが出たので」と湯浅長官の記者会見を聞いた人々は、一様に「秋篠宮ご夫妻はこれまで(平成の)天皇皇后から産児制限を受けていたのだ。雅子さまにお子を望めないとハッキリしたので産児制限を解かれたのだ。」とピンときたはずです。私でもピンときましたもの。
当時は「(平成の)天皇と美智子さまはそこまで雅子さまに気を使っていたのか。」と驚きましたが、今思えば、雅子さまへの気遣いもあるでしょうが、上皇と美智子さまは皇太子が男子を得ることをギリギリまで待ったのでしょうね。それで、次男夫妻には男子がうまれないように産児制限。残酷ですね。

佳子さまが御誕生になったのは1994年。
2006年歌会始、秋篠宮ご夫妻はそろって「コウノトリ」の歌をお詠みになった。

秋篠宮さま
「人々が笑みを湛えて見送りしこふのとり今空に羽ばたく」
秋篠宮妃紀子さま
「飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる」

2006年2月7日紀子さまに妊娠の兆候が確認されたことが8日にはニュースとなったが、宮内庁の正式発表は24日であった。

そして、2006年9月6日。悠仁殿下が御誕生。

約10年の産児制限、、なんと貴重な時間を無駄にされたことか。そこまで気を使ってもらっても、雅子さまはずーっと文句たらたらのままで…。

😐 上皇ご夫妻から秋篠宮ご夫妻に対して約10年の産児制限はあった、と『女性自身』があらためて書いた意図は那辺にありや。


被せ者 進次郎
今上が3日に予定されていた稲刈りを4日に行ったのは、「6日は進次郎に任せた」だったのでしょうか。😁 
明日、11時から記者会見されるそうです。
ただし、6日に記者会見を開くことは先月28日に発表しています。