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憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

17日 両陛下追悼式典ご出席

2025-01-18 00:15:45 | 令和の天皇家
ご日程
1月16 日(木)
  午前 神戸空港       御着
  午後 ホテルオークラ神戸  復興状況・県勢概要御聴取
     兵庫津ミュージアム  御視察
     ホテルオークラ神戸  御宿泊
1月17 日(金)
  午前 ホテルオークラ神戸  御発
     県公館        御視察
     阪神・淡路大震災30年追悼式典  御臨席
  午後 人と防災未来センター 御視察
     神戸空港       御発

追悼式典会場は県公館である。
ご日程を見た他県の者は県公館と式典会場は別の場所と錯覚しそうですね。
水増し日程。

11時50分過ぎ、NHK中継は「式典は始まっています。間もなく天皇皇后両陛下入場されます。正午に黙祷します。」と繰り返していた。
県公館に何時に到着されたかは不明ですが、県公館御視察は時間調整のために設けられたご日程?

折角一泊されたのなら、早起きして市内各所で行われた地震発生の午前5時46分に黙祷する追悼式にもお出になったのなら、両陛下を見直すところですが、、、ホテルでゆっくり朝を過ごされてお出まし。
能登、東日本の被災地でも午前5時46分、夜明け前の寒く暗いなか戸外で黙祷する式典の様子をTVが伝えていた。

動画
天皇皇后両陛下が「阪神・淡路大震災30年追悼式典」にご出席 阪神・淡路大震災30年追悼式典 〈カンテレNEWS〉

見どころ
起立した参加者の間を歩いて入場されるのは珍しい。

😅 人々の間を進む雅子さまの帽子は見えるが、今上の姿はまったく見えない。


ご着席


黙祷のために立ち上がられた今上と雅子さま。
陛下をはじめ全員が厳粛な面持ちで正面を向くなかで、一人キョロと余所見される雅子さま。
公務でも宮中行事でもキョロキョロされるのは、ご病気だから?
いえいえ、ご婚約会見時にも賢所の階を十二単で重々しく歩まれた時もキョロキョロされていた雅子さま。雅子さまのキョロキョロ余所見癖はちっとも変わっていない。 

お誂えなのでしょうが安い既製服のように見える雅子さまの式服。
同じものでも美人が着ると良く見えるとも、本物でも身につける人によっては偽物に見えるというが、、、
雅子さま愛子さまの場合、身につけられた誂え品が安物に見えてしまうのは何故でしょう。

動画
6400人以上が犠牲「阪神・淡路大震災」30年 天皇陛下「心強く思います」震災の記憶を次世代へ|TBS NEWS DIG

見どころ
県公館での高校生らとの交流、防災センターの御視察。  
用意した高校生等の人選が良かったのか、交流も視察もこれまで見たなかでは一番良い出来ですが、どことなく、その場の方々のほうが浮きがちな今上ご夫妻に上手に合わせていらっしゃるように見えます。
動画中では30年前、地震発生の翌月と一年後に神戸を訪問された今上ご夫妻(当時皇太子ご夫妻)、の映像がみられる。


2000年、震災発生5年目の式典には、今上(当時皇太子)お一人が出席。

NHKは追悼式中継の中で「中東からの招きに応じてご訪問されたものの、ご日程を切り上げてご帰国された」と当時の今上ご夫妻の行動を説明していたが、、、

今上と雅子さまの阪神淡路大震災といえば、記憶から消えないのは「中東訪問事件」です。
地震発生3日後、ご夫妻は中東へ出発。

当初の主な日程(11日間)
1月20日 羽田発、シンガポール泊
21日 クウェート入り。歓迎式典。首長表敬、首長主催の晩餐会
22日 皇太子との会談、遊牧民の住居などの展示を視察、皇太子主催の晩餐会
23日 アラブ首長国連邦のアブダビ入り。アブダビ皇太子と歓談、皇太子の晩餐会
24日 ラクダレース見学、五輪代表候補による日・ア親善サッカー試合ご覧
25日 ドバイで運河を観覧、ドバイ皇太子午餐会、日本総領事館開館式
26日 石油施設視察、ヨルダンのアンマンへ、国王王妃表敬、皇太子夫妻の晩餐会
27日 王廟訪問(陛下)、赤新月社病院開所式(雅子さま)、ペトラ視察、アカバへ
28日 死海視察、国王・王妃主催の晩餐会
29日 王立科学院視察、記者会見、歓送式典、帰国へ(シンガポール泊)
30日 帰国

😐 26日ヨルダン、ハッサン皇太子主催の晩餐会の前にフセイン国王、ヌール王妃と歓談が行われた際、国王から「ご心配でしょうから帰っていただいても良いですよ。」とやんわり帰国を促されてしまった。
真意は「遊んでいる場合か、帰れ」でありましょう。恥ずかしい。

27日予定を変更して、その日のうちに帰国。
空港でブンむくれる雅子さまの姿が全世界に発信されてしまった。恥ずかしい。
後年、今上は「死海が見られなくて残念だった。」とこの訪問の思いでを語った。

1月28日羽田着。
2月26日、合同慰霊祭出席のために兵庫県を訪問。
「中東訪問中も心を痛めていた」と言う割には、震災地入りが遅すぎるような。

NHKがさらりと”あの”中東訪問を美しいエピソードに変えてナレーションしたように、30年もたてば記憶は風化していくのでしょう。
様々なマル秘資料が30年経てば公開されて新たな記憶となる一方、風化して行く記憶もある。
阪神淡路大震災が発生した同じ年、オウムサリン事件が起きた。あんなに国中が驚いた事件も、今は語られることがない。
伊藤律、、スパイかスパイで無かったのか。
最後にマスコミの前に現れた伊藤律は「私がスパイであったか、無かったか、それは歴史が証明してくれるでしょう。」となよなよと語り、口に手を当てて「ホホホ」と笑った。1989年死亡。
なるほど30年も経てば、マル秘資料も公開され、伊藤律がスパイだったか、スパイで無かったか明らかになるだろうと待っていたのですが、歴史が証明するどころか、今では名前を憶えているひとがどれだけいるだろうか。
30年、という時間は重い。

私には点数稼ぎのパフォーマンスとしか見えない、追悼式ご出席と御視察ですが、天皇ご夫妻の御訪問を喜び、力づけられる被災者のかたもいらっしゃるでしょうね。