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憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

雑談 立ち位置とかご会見とか

2024-03-16 21:58:43 | 雑感
3月12日 
・・秋篠宮皇嗣同妃両殿下は、来日したパラグアイ共和国ルベン・ダリオ・ラミレス・レスカノ外務大臣夫妻をご引見になりました。(宮内庁HPより)
場所 秋篠宮邸







紀子さまのようには私は到底できっこありませんが、 

雅子さまのようで間に合うなら私でも間に合いそう、、?😁 

いえ、接遇や会見ばかりでなく、諸般百般。







真ん中の目立つ場所に立っても背の高さの違いからか、両脇のご夫妻より見劣りされているご様子に心が痛む。
何故か雅子さまの隣に立つと天皇のオーラが消える今上と庶民臭が消えない雅子さま。


令和5年6月21日 主催・スルタン 客・今上



報道は切り取ってツーショットに仕上げた写真を使っている。



民族芸能鑑賞の場。これもツーショットになるように切り取られているがスルタンの隣にはスルタン妃がいらっしゃる。晩餐会の写真と同じく真ん中がスルタン。


平成3年(1991年) 平成の天皇皇后インドネシア訪問
場所は同じクラトン宮殿 迎えてくださったのも同じハメンク・ブウォノ10世 ご夫妻。隔世の感。日本はやはり凋落したようです。
”貧すれば鈍す”の象徴が今上と雅子さまなら悲しい。



平成17年7月6日 東宮御所主・当時皇太子だった今上 客・ネパール皇太子同妃


スリランカ国会議長ご夫妻


インド首相ご夫妻


ドイツ大統領


ロシア首相

ご会見の並び位置が違うように、記念写真の立ち位置に違いがあっても不思議は無いと思うが?どんなもんでしょう。


雑談・・愛子さまは常勤?非常勤?

2024-01-28 23:40:02 | 雑感

😁 愛子さまが大学卒業後、日赤に就職される。と発表された今見ると、この写真の見え方も違ってくる。

愛子さまの日赤での働き方は、常勤なのか、非常勤なのか。

22日 速報は「非常勤」だった。
【速報】愛子さま卒業後は就職…皇室活動を本格化
1/22(月) 17:00配信 テレ東BIZ
天皇皇后両陛下の長女愛子さまが大学を卒業後、日赤=日本赤十字社に就職されることを宮内庁は明らかにしました。

愛子さまは現在学習院大学の4年生で3月に卒業予定です。日赤で非常勤の嘱託職員として働く予定で、具体的な仕事の内容は入社されてから決まります。

愛子さまは福祉活動に興味があり、日赤が、名誉総裁の皇后さまに業務説明をする際にも立ち合われたことがあります。有給の非常勤とされていて、卒業後は皇室活動を本格化させることになります。


同日、速報後に出たNHKの配信には、「非常勤」の文字が無かった。
愛子さま 大学卒業後は日本赤十字社で嘱託職員として勤務
2024年1月22日 19時21分 NHK
天皇皇后両陛下の長女の愛子さまは、大学卒業後のことし4月から日本赤十字社で嘱託職員として勤務されることが内定しました。
愛子さまは、学習院大学文学部日本語日本文学科の4年生で、ことし3月に卒業される見込みです。

その後の進路について、宮内庁は22日、愛子さまが4月1日から東京 港区に本社がある日本赤十字社で、嘱託職員として勤務されることが内定したと発表しました。
日本赤十字社は、全国各地に病院や血液センター、それに看護師などの養成施設を持つ認可法人で、全国に6万人余りの職員がいて、皇后さまが名誉総裁を務められています。

愛子さまは両陛下の活動や大学での授業などを通じて、日頃から福祉活動全般に関心を持っていて、去年10月には、両陛下とともに日本赤十字社を訪ねて、関東大震災での救護活動を振り返る企画展を鑑賞されていました。

こうした中で、日本赤十字社の活動に携わることを希望するようになったということで、皇族としての務めと両立するため嘱託職員として勤務されますが、具体的な仕事内容や勤務条件などは今後決まるということです。

愛子さまは側近を通じて本年4月より日本赤十字社の嘱託職員として勤務することの内定をいただき、ありがたく思っております。日頃から関心を寄せている日赤の仕事に携われることをうれしく思うと同時に、身の引き締まる思いがいたします。これからもさまざまな学びを続け、一社会人としての自覚を持って仕事に励むことで、微力ではございますが、少しでも人々や社会のお役に立つことができればと考えておりますとお気持ちを述べられました。


また両陛下も愛子が日本赤十字社の嘱託職員として受け入れていただくことになったことを、ありがたく思います。この春から日赤の一員として仕事に従事することにより、多くの人のお役に立てるよう努力を続けるとともに、社会人の1人として成長していってくれることを願っています」と側近を通じてお気持ちを述べられました。

日本赤十字社社長「安心してご勤務いただけるよう 準備進める」
愛子さまがことし4月から嘱託職員として勤務されることが内定したことについて、日本赤十字社の清家篤社長は愛子内親王殿下が赤十字の活動にご関心を抱かれ、大学ご卒業後の進路として日本赤十字社の活動に携わりたいとお考えいただきましたことは、日本赤十字社にとりましてありがたいことだと考えております。私どもといたしましても、内親王殿下が4月から安心してご勤務いただけるよう、しっかりと準備を進めてまいりたいと思いますというコメントを出しました。

😅 愛子さまも両陛下もNHKも「嘱託職員」を連呼。


😃 当初「愛子さまは非常勤嘱託員」と言い交わしていた報道もネットも次第に「嘱託職員」という言葉を使うようになった。

さて、愛子さまの日赤での働き方は「常勤」「非常勤」のどちらでしょうか。

※もっと詳しく解説してあるサイトもあるのですが、URLが取得できないので、URLが取得できたサイトを参考に上げます。
<抜粋>
職種や企業によって解釈が異なることも
実のところ、労働基準法や労働契約法には、なにをもって常勤・非常勤とするかは規定されていません。基本的には、『1日8時間で週5日のフルタイム勤務』以外を非常勤とする場合が多いものの、企業によっては異なる解釈を取っているところもあります。

例えば、一部の国立大学の中では、定年まで働くことが前提の人を常勤、それ以外を非常勤と定義しています。
求人情報に常勤や非常勤と記載があっても、働き方は企業によって異なる可能性があるので、面接の場でしっかりと確認することが大切です。

正規・非正規は関係ない
常勤・非常勤は、しばしば正規・非正規雇用と同一視されますが、厳密には違います。正規や非正規とは雇用形態を表す言葉であり、就業形態を表す常勤・非常勤とは異なる性質の言葉です。

そのため非正規雇用のアルバイトでも、フルタイムで働いている場合は、常勤とみなされます。逆に正規雇用でも、時短勤務などをしている人は非常勤ということになります。
正規雇用か非正規雇用かを判別する場合は、常勤か非常勤かではなく、求人情報の雇用形態の部分をしっかりと確認しましょう。


😀 もう一つ、嘱託社員 についても見て見ましょう。
参考
<抜粋>
嘱託社員とは、一般的には、一定の期限を定めて雇用される非正規雇用の一つとされています。
つまり、契約形態は有期雇用契約の一つとなります。
ただし、嘱託社員は、法律による明確な定義がある言葉ではありません。そのため、いろいろなケースが考えられます。

  • 契約社員
    → フルタイム勤務の契約であるケースが多い
  • 嘱託社員
    → 短時間勤務や非常勤勤務(週の出勤日が5日未満)であるケースもよくある

😐 つまり・・・
常勤、非常勤、嘱託、、これらには法律による明確な定義はないので、各企業の裁量に任せてある。
ということでしょうか。

愛子さまの「嘱託職員」は、清家氏の言葉など漏れ聞こえて来るところを総合するに、一般的に有期雇用契約とされる嘱託ですが愛子さまは無期雇用?
眞子さんは雇用期限が来ての再契約が宮内庁から発表されていました。
愛子さまの働きかたは週3日程度、一日の勤務時間は短時間。それを一般的にはフルタイム勤務ではない「非常勤」と解するのですが、、、


宮内庁HP >ご略歴>秋篠宮家 より


😊 佳子さまは、全日本ろうあ連盟 非常勤嘱託職員。

両陛下と愛子さまが「嘱託職員」を連呼し、報道に「非常勤」という言葉を使わせないのは、「あちらは非常勤嘱託職員、ウチは嘱託職員!」と格の違いを見せつけたい、、、つまり見栄?

何でも有りの雅子さま愛子さま、常勤非常勤は解釈次第。日赤社長清家氏の言葉は「いかようにもご相談に応じます」と言っている。


閑話休題:小正月

2024-01-15 00:00:09 | 雑感
皇室関連、俗っぽい話ばかりでツマラナイ。


😇 この本をお持ちのかたも多いでしょう。
私も持っています。
平成の天皇皇后に対してはいろいろな評価がされますが、宮中の伝統文化を記録に残すことに熱心でいらっしゃったことは素晴らしいことと思います。
当時の浩宮、雅子さまの有様を見て「自分たちが伝統を記録に残しておかなければ、宮中の素晴らしい伝統文化が無かった事にされてしまう。」と、危惧されたのではないかなーと今は思います。
いや、ホント、記録に残して頂いておいて良かったですね。
令和の天皇皇后はおもちゃを振り回して投げ捨てる子供のように嬉々として皇室の伝統文化を破壊して行かれます。



😊 私など、写真を眺めているだけで、心が清々しくなります。神饌にも似た佇まい。
シンプルだけれど、実は食材を選び、丁寧に調理された逸品。


「小正月(こしょうがつ)」にあたる1月15日、両陛下のご朝餐に「小豆粥」が出されます。
土鍋に丸小餅を2つ入れた小豆粥を盛り、別皿に奈良漬瓜などの漬け物を添えます。
小正月は、宮中の新年の行事が一段落する時期にあたります。この頃、御所では皇后陛下の思し召しにより、侍従職(じじゅうしょく)に所属する女子職員が集まって、皇后陛下を囲んでの「小正月の手すさび」と呼ばれる小物作りの催しがあります。
忙しい新年の一連の行事を終え、一息ついた職員へのお労いのお心づかいでもあります。アクセサリーや小箱、縫いものなど、年によって作るものはさまざまです。出来上がった作品は、毎年12月に開催される宮内庁職員文化祭に出品されます。

😁 このように解説されていますが、此処に書かれているような光景はもう御所には無いでしょう。
あの雅子さまが、そんなことをしている筈がない。

小豆粥の写真からしか、雅な文化が息づいていた往時の皇室を偲ぶことができなくなったのは残念なことです。

この写真は俗臭ふんぷん。スタバです。
私が小豆粥の写真に感じる清々しさを解っていただけるでしょうか?

最近身辺が慌ただしく、せっかくいただいたコメントになかなかお返事がかけていません。失礼をおゆるしください。

また折角フォローをいただいても、新着記事を読んでリアクションボタンを押すのは今現在の約30人が私には限界で、フォロー返しを今は控えています。
こちらも失礼をお許しください。


雅子さまは〇〇の皇后・・と金

2023-12-26 19:34:36 | 雑感
平成の皇后美智子さまにマスコミは<慈愛の皇后>という称号を奉じた。
美智子さまが実際に慈愛の皇后であったかどうかは評価が分かれるところでしょうが、とにかく美智子さまを「慈愛の皇后」と呼ぶことはお約束となっていました。

令和も5年が過ぎ、そろそろ雅子さまにも〇〇の皇后という称号が定まっても良いころですが、マスコミは称号の選定に迷っているようです。
時折「国母」が出て来るが、国母は皇后の別称であり雅子さま独自のものではない。それに雅子さまを国母と呼ぶには大いに抵抗感がある。

で、考えてみました。
私が雅子さまをお呼びするなら、、、




「と金」の皇后、、、?

と金
とある将棋ブログより
と金とは、歩が敵陣に入って裏返り金に化けたものですね。
自陣から一歩ずつ進んできた場合は、三段目に入った時にと金になることができます。
持ち駒の歩を打つ場合は、敵陣の二段目、三段目、四段目のいずれかに打ち、次の手番の時に裏返してと金になることができます。

と金攻めは、実質歩による攻撃なので本当にいやらしいですよね。😱
じりじりと寄ってくる様子はまさにマムシのよう。非常に恐ろしい攻めです。

攻める時はウハウハ、攻められた時はガクブル、そんなと金に、、、←😁

まるで”歩”(庶民)から、ジリジリと皇太子に接近して”と金”(皇族)になり、宮中に入ってもご自分の思いを通し続けて譲ることなく、皇后になってからウハウハ、イケイケやりたい放題の雅子さまみたいじゃありませんか。でも雅子さま批判には滅法弱いメンタルでいらっしゃる。

歩から金に成った「と金」は成金と言う意味でも使われます。
小和田家は間違いなく成金でしょう。

鍍金 metal plating ときん と読んで、メッキのことです。
分厚くメッキを施されて皇太子妃なって以来30年。今やメッキも剥げ剥げの雅子さま。





父と娘の墓参り姿をマスコミに撮らせたツギハギの墓。この墓にも「メッキ、鍍金」の噂あり、、
当時の小和田本家は取材に「そんなひとは知らない」と答えている。



宮中の闇に花開く妖しい花。


ラフレシアに銀蠅



森田玲先生10月11日講演メモ②③ーー様々な暦・改暦と祭日の選択

2023-12-22 23:09:01 | 雑感
※今日は冬至。 (新暦12月22日 旧暦11月10日)


様々な暦

※自然歴
 経験的実体験的に知る季節の移り変わり

※実際には太陰暦と並行して太陽暦も用いられていた。
 二十四節気は太陽暦、季節とズレが無い。
 →太陰太陽暦


一年二季のサイクル
一年を二季で見ていた古代

『魏志倭人伝』の注釈書
其の俗、正歳四時(四季)を知らず、
但、春耕秋収を記して年紀とする。


※一年を二季で見る 
 前期(春夏)後期(秋冬) 
 6/晦日大祓 12/晦日大祓
 旧7/15盆 旧1/15小正月




大嘗祭・新嘗祭をモデルとした折口信夫による祭の起源説(『大嘗祭の本義』)
ハル・ナツ・アキ・フユは元々は季節名ではなく祭の名称であった。


改暦と祭日の選択

 
※明治六年改暦
 改暦に当たっての知識人の論説

●福沢諭吉『改暦弁』
「日本国中の人民この改暦を怪しむ人は必ず無学文盲の馬鹿者成り」
●柳田國男『年中行事覚書』
「月と盆踊り、五月節句の柏餅と、柏の葉の伸び方の関係ぐらいは、
喰いちがわぬようにはしたいものである」
(暦を制定する為政者は季節感に配慮すべきとの見解)


『改暦弁』(国立国会図書館蔵)

※エイヤっと改暦。結果、古代の春耕秋収二季からはじまり太陰太陽暦で培った日本人の季節感はすっかり混乱。今日に至る。

『沖縄手帳』(沖縄タイムス)
月の朔望と潮の干満を表記
(結婚式は満ち潮のタイミングで行う)