HORSE SENSE を 往く ≫≫

 この道は いつかきたみち

  このみちを また駈ける

   このみちは 心は遠い ・ ・ ・ ・ に

『開かずのトランク』

2013年01月25日 | 映画
BS3 <『開かずのトランク』本多猪四郎>より抜く

本多きみへの手紙
「・・・山一つ向ふには王鳳郭の一派が居ると云ふ 朝から雨だつた
途中上等兵が鮮人の若者を銃劍で突き殺す 鮮匪は中々大たんな行動をするらしい
しかし三名は射殺された 秋空のもとでノンビリとこんな記事を書いている
俺も現在の生活になれてしまつたのだ と云つても平気でいられなければ
気でも狂うか自殺でもしなければならない・・・」

親友黒澤明から本多猪四郎への手紙
「・・・実際に戦つている兵隊の苦労はしよせん内地にいちあわかる訳がない
すまんすまんと云うより外はなくそれもまた何か白々しく 結局心の隅の方に
絶えず戦つている兵隊さんのことが良心の呵責のやうに積りつもつて行く・・・」

三流の国 ― 配当金課税

2013年01月01日 | Horse
競馬の配当金に課税すると云う裁判沙汰 ―― 新春の繰り言

今の日本社会の空気に迎合 便乗した税務当局の行為と感じる
単に競馬で何億円配当金を手にしたと聞きそれに課税するのは
是か非かと問われればだれでも「あたりまえだ」と言うであらう

がしかしこの問題にはいろんなことがからんでいて税法制のみ見て
課税すればよいという話しではない また危険である
競馬行政 文化 税制 社会の仕組み いい加減さ 二枚舌 使い分け いかさま等々
いまここですべて陳べられないので何点か簡略に記したい

配当金は税法上一時所得扱いであるが
当局はこの金を何処かで盗んできたあるいは掠めてきた金くらいに扱つている
これは国民を盗人扱いするもので また人間として認めていないことと同じである
競馬をギャンブルともスポーツとも文化とも認めていないのであらう
賭博は非人間的な行為として社会悪として否定しながら国や自治体には
特例と言いつつ認める大きな矛盾と二枚舌

一方で税務当局と同じ国の機関(農水省 JRA)が競馬はスポーツだ文化だ国際交流だ
と言いつつ高賞金を掲げ競馬ファン(馬券購入者)の拡大 売上増収 勧誘に躍起になつている
競馬はロイヤルスポーツともいわれ高度文明 文化社会国家はほとんど持つている
日本もその一員でありそれが国際社会の位置を高めている一つの要素でもある
オイルマネーがドバイやサウジで競馬をし馬を持つのもその仲間入りしたい
という大きな願望の現われである
先進の国々には必ず騎兵(戦争に賛成するわけではないが)がいて騎馬警官がいるが
日本にはない(過去警視庁で何頭か見たやうな気はするが)これも文化である

勝馬投票券(馬券)1口は100円だが18~25パーセント(配当金によって変動する)
は購入した時点で国に天引きされ実際は75円券を買つていることになる
この25パーセントには主催者の運営施行経費等とともに国家納付金10パーセントが含まれている
馬券購入者はすでに国家納付金というかたちで消費税5パーセントの2倍に当る金額を
国家に納めている勘定になる また競馬場入場料金100円も合わせて払つている
これにさらに課税すれは二重三重の課税である いかさまである

ファンは当り馬券だけを買つている(買える)わけではない
それを買うには何倍もの券を余分に買わなければならないのである
買つた何枚かが当るのを願つて何口か買つている それで成立するシステム社会である
仮に全員が当れば75円の配当金しかないわけで元返しとして100円の配当とすれば
主催者の国(農水省JRA)は赤字で破綻し また競馬自体が成立しないことになる
平均的な購入者の馬券回収率は60~70パーセントあればましな方で我々では50パーセント
がせいぜい 大半は国家に税金代わりに納めているのである

配当金を得た一時一瞬のみとり上げて課税することは競馬の成り立ち仕組みを
まつたく無視し競馬そのものを否定することになる したがつて課税そのものが
成り立たない

いまインターネット投票が売上に占める割合が60パーセントといわれる
これはこれからも増えつづけるであらう 投票所に実際に買いに行くファンは減少の一途
今回これが税務当局に漏洩したということはJRAあるいは金融機関から税務当局に
タレこみがあつたとしかいえない
個人のネット購入記録(当たり外れ)はすでに1円まですべて国に把握されている
配当金だけに課税しやうと思えば国は全員にいま直ぐできるシステムになつている
馬券購入者は個人情報を国にすべて握られていてこれはこれで恐ろしいことである

未だ国民番号制も法制化導入されてなく国が個々人の所得把握できていない段階で
馬券購入者だけ把握特定されていることは社会の衡平を毀すものといえる

今は軍馬としての馬匹改良や農耕や生活使役の目的はなくなり我々は
単に競馬競走馬の遊び道具としか見ていないが 江戸時代以前明治大正昭和
と戦争中は軍馬として何百万頭も大陸に狩り出され ついさつきまで日常生活に
日本人日本社会に多大の貢献をしてきた

この問題について農水省JRA 競馬関係者(生産者馬主調教師騎手等々)が
一言も声を上げないのは不可解?
自らの生活存亡にかかわることなのに―――ファンあつての競馬であらう
裏返せばこれも日本で馬社会がいかに不当に扱われてきたかの証左と謂える