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 この道は いつかきたみち

  このみちを また駈ける

   このみちは 心は遠い ・ ・ ・ ・ に

なんでも「決断」の風潮は?

2013年10月01日 | 政事
今日 安倍首相が消費税を来年4月から既定方針どおり実施すると発表するという
小刻みに上げるのか8パーセントにするのか首相の「決断」は如何にと注目される

近年 為政者 トップ 責任者はては個人まで 何か事かあればその「決断」はと迫る
この風は この前までなかつたことで 平成それもここ数年やたらと目につき
主観的な「判断」「決心」まで「決断」とされてしまう
「決断」と唱えれば何かしら大きなことを成し遂げた如く感じ 心地よいのであろう
可笑しな風潮である

「決断心と呼ぶのは 不十分な知識のなかで行動する場合 疑惑の苦悩や躊躇の危険を排除する能力をいう」
また「主観的であるか客観的であるか 根拠があるか否かを問わず その人の心のなかに充分な動機が
存する場合には これを決断心とよぶことはできない」 そして「決断心というものは 疑惑の存在を前提
としている」(以上『クラウゼヴィツ 戦争論』より)

これに照らせば 安倍首相が消費税を既定方針どおり実施するか 否かの判断は
「動機」は明瞭であり 前提条件である「疑惑の存在」はなく「決断心」と呼べることがらは何一つなく
「決断」と言うものではない