HORSE SENSE を 往く ≫≫

 この道は いつかきたみち

  このみちを また駈ける

   このみちは 心は遠い ・ ・ ・ ・ に

原節子

2010年07月18日 | 映画




<東名建設工事のため取り壊し中の東宝砧オープンセット 昭和42年12月>
「七人の侍」 「用心棒」 「赤ひげ」などのセットもここに作られた
左端の大きな松と右端奥の大ケヤキは背景によく出てくる

月おくれになつてしまつたが 6月17日は 原節子さん卒寿の日
マスコミで報じられることはほとんどなかつたようだ
映画全盛時代に見たファンにとつては喜ばしく 感慨である
自分たち年代からすると母親というより長姉世代に近い

「永遠の処女」あるいは「伝説の女優」などと 全盛を見たことのない(知らない)後のマスコミが
勝手に神秘化 偶像化してしまつたが 現役時の彼女はそのようなタイプではなかつた
美人であつたが高慢なところはなく 思つていることをはつきり言い 明るく 気さくで行動的な
「頼りになるお姉さん」という感じであつた 平凡明星などのインタビューや対談記事でもそんな印象をもつた

引退表明後 鎌倉に隠棲するまえだつたが
住まいが世田谷区喜多見町(砧の東宝撮影所も近く)にあつた
職場が同じ喜多見町内にあつたので仕事の往き帰りに家の前を何度か通つた
喜多見の奥まつたところで
二階建ての(木造かRCだつたか忘れたが)大女優の家とは見えない簡素なたたずまいだつた
周りの垣根も低く首をちよつと伸ばせば居室が見わたせるくらいで
「会田」か「熊谷」だつたか表札がかかつていた
この辺りでは ここが原節子の住まいであつたことはよく知られていた

映画「山の音」で舅役だつた山村聡(当時44歳)の原節子評――
『普段は冗談言つたりして ものの言い方もがらつぱち それがああいう風情を作るのでしよう
嫁役を作るのも良いけども あそこまで初々しくやることはないんだ』
(ぴあ「成瀬巳喜男と映画の中の女優たち」発行平成17年8月27日より)

これから全盛期のスター女優陣が続々と米寿 卒寿を迎える
そのいちばん手は 日本映画史上最高の女優「デコちやん」こと高峰秀子さん
再来年米寿 「泣きみそ先生」も2014年卒寿――

追記 平成22年8月9日 「原節子 あるがままに生きて」(貴田庄著 2010年6月30日 朝日文庫)を読む
    そこにつぎのようにある 少し長いが引用したい

≪ 33章 狛江に家を買う
その一方で一九四八年は 原にとつて私生活の面でとても重要な年でした
それはこの年の初春 横浜市保土ケ谷から東京都北多摩郡狛江村岩戸(最寄り駅は喜多見)に引つ越したからです 横浜市保土ケ谷の土地は借地だつたようなので 原は狛江村岩戸に土地を買い 気兼ねなく住める我が家を持ちました 原が狛江の自宅で 楽しそうに大きな犬と戯れている写真や掃除をしている写真が残つています
原節子が高峰三枝子と対談したことがあります それは「魅力対談」と題するもので 一九四八年の『映画ファン』に載つています 対談の初めに 狛江に買つた家について高峰が 「お庭が広くて素敵じやあないの」というと
原はつぎのように答えています
  原   田舎なので・・・・・・ あれが街の中にあるといいんですけど
  高峰  ぜい沢 ぜい沢 喜多見なら東宝にも近いし 田舎つて言つたて たいしたことないわ
  原   とにかく 自分の家に落ちつけてほつとしたわ ≫

狛江と喜多見は隣り合わせにある

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