日本統治下でモーナ・ルダオは日本語をマスターし、中等学校を卒業した数人の山岳民族(日本は高砂族と呼んだ)の一人だった。身長は1メートル80センチを超え、セディック族の勇者として名を挙げていた。1911年彼は他の日本教育を受けた高砂族と共に皇民化教育の模範として日本政府が招待されて、日本各地を見学した。彼の妹は日本人の巡査と結婚したが、幸せなものでなかった。それが彼の霧社事件の原因となったわけではない。その理由づけは色々なされているが、はっきりしない。直接のきっかけとなったのは、部族の青年が威張り腐った巡査に散々殴りつけられたことだった。小さな不満や怒りが積もり積もって、大暴動に発展するということはよくあることだ。
モーナ・ルダオはひそかに”その日”に向けて、武器を揃えた。特に日本軍の武器倉庫の警備が手薄なことを突き止めていた。”その日”は1930年10月27日に決まった。連合運動会が霧社公学校で開かれることになっていて、この地区の全ての日本人が集合することになっていた。日本娘と結婚していたセディック族の二人の巡査には協力するように働きかけ、二人が日本側に通報することはなかった。二人は悩みに悩んだが、二人の裏切りは日本側には信じられないことだった。二人は後に”日本人”らしく切腹して死んだ。
ここではモーナ・ルダオが率いる300人の原住民の反乱部族が武器倉庫を押さえ、日本人134人を女、子供まで全員虐殺し、そして、およそ1000人の霧社セディック人が死に、500人が生き残ったことを述べて本題に入ろう。
ぼくが衝撃を受けたのは、その日まで、日本人虐殺計画は部族の女たちには伏せられていたが、女たちは皆、モーナ・ルダオに黙々と従って、山奥に逃げ込んだ。詳しいことは省くが、女たちも男に劣らず詩を恐れなかった。「虹の橋を渡れば、祖先の暮す楽園に行ける」と子供たちの首を絞めて殺し、自分たちは首つり自殺を遂げていたのだ。これは沖縄の集団自決の実態と全く変わらない。「早くあの世に行って、優しいウヤ・ファーフジ(祖先)に会おう」と自殺していった母親たちの気持ちを示している。しかし、沖縄では援護法による救済が悪用されて、軍の命令があったということにすれば、赤ん坊まで補償を受けられることになり、軍命令を出すはずのない梅澤裕さんと赤松嘉次さんの命令で集団自殺(この言葉も集団自決 → 集団死 → 強制集団死と変えられるという有様だ)が起きたことにし、途方もない大金を手に入れているのだ。それを隠して、恥ずかしいとも思わぬヤカラが、沖縄タイムスや琉球新報に毎日のように顔を出す文化人とか大学教授、作家、ジャーナリストたちなのだ。だが、それもXデーには終わりを告げるだろう。
ということで、セディック・バレとは「真の人」という意味だが、沖縄の新聞紙上にはたった一人の「真の人」もいない。
7月29日(月)午後1時10分に
福岡高等裁判所那覇支部にて判決が出ます。
徳永弁護士も手弁当で支援して下さっていますが、
打ち合わせ等をするにも交通費等の出費を無視できません。
カンパは支援している三善会にお願いします。
ぼくを応援してくれている皆さんに心より感謝申し上げます。
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