上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

控訴審第1回口頭弁論の資料をアップしました

2013-04-19 14:35:56 | 告知

昨日は裁判や報告会に参加した方はありがとうございます。

 

4月18日の控訴審第1回口頭弁論の裁判資料をアップしました。

裁判資料 ← クリックで移動します。

にありますので、ご覧下さい。

 

次回は5月30日(木) 午後1時10分に福岡高等裁判所那覇支部で第2回口頭弁論があります。

場合によっては結審となる場合があります。

 


暗闇から生還したウチナーンチュ 9

2013-04-19 09:24:11 | 暗闇から生還したウチナーンチュ

前回の続き

~轟の壕編~ 3

 壕の入り口に座を占めていた荒井警察部長が、怒鳴り込んできた兵隊に事情を説明すると、その兵隊は「一般人が入り込んだ、と思ったものですから。知事さんなら話は別です。こちらの入り口から壕の半分をあなた方で使用され、向こう側の入り口から半分を隊で使用することにしましょう」と。
 筆者はこの話を伝えながら、不快に思う。一般人と知事を差別していることだ。筆者は人を職業や地位で差別することはない。
 島田知事は警護の隈崎に言った。「今の様子では、ここにも長く居られそうにない。すまんが、代わりの壕を探してくれんか」。隈崎は嘆いた。一県の知事ともあろう方が、まるで野良犬のように追われ追われて、落ち着く場所もない。神州不敗などというスローガンを盲信した、自分たちの浅はかさが情けなかった。戦争は負けるんだ。だが、自分の最後の役目は知事を守ることだ。
 知事の一行は皆、敗戦を感じていたが、投降など誰の頭にもなかった。死ぬことが、国の、天皇陛下の大恩に報いる道だ、と信じていた。死ぬことが唯一の救いだった、いや、正確には逃げ道だった。
 だが、死ぬまでは立派に生き延びねばならない。隈崎は部下の与那嶺巡査部長と浦崎巡査に、近くのから知事の敷物を探してくるよう命じ、壕の外に出た。雨がやみ、近くを流れる与座川(正しくは報得川の中流)がS字の形を作って、流れが緩やかになっていた。そこに水浴びをしている住民がいた。戦争を忘れた至福の瞬間だ。隈崎もためらわず水に入った。島田知事も荒井警築部長も子供のように水浴びに参加してくる。水は人の悩みも苦しみも流してくれる。そう思った。だが、それも束の間の夢にすぎなかった。グラマン機が頭上をかすめて去り、夢は終わった。
 島田知事が福地森の壕に移ったことがいち早く近くの壕に伝わったらしく、県庁職員らが挨拶にやってきた。高嶺製糖の工場長が糖蜜酒を水筒に入れて、知事に贈呈した。いつも冗談を絶やさぬ大宜味衛生課長が「一県の長官にわずか水筒一本とは、シミッタレたやつだ」と言うと、工場長は「そんなに欲しいのなら、取りに来いよ」というわけで、大宣味医師と若い者二、三人は壕を出て、一時間もすると、鬼の首でも取ったような顔つきで帰ってきた。壕内にあった水筒の全てに糖蜜酒が詰められていた。
 その大宜味医師に知事は「怖がって外にも出ないやつが、酒だと目の色を変えて飛び出して行ったな」と軽口を叩いて言った。「ところで、衛生課長さん、この薬は湿ったようだが、大丈夫かな」。島田知事の手に一包の薬包紙が握られていた。「湿っても効果百パーセントですよ」と大宜床医師はいつものように軽口で返した。だが、その目は悲しそうに曇っていた。それは青酸カリの包みだった。
 隈崎は島田知事の指示に従って「壕探し」に出た。報得川に沿って、県道に出て大城森の西側の分岐点へ来ると、糸満の海が夜目にも輝いて見えた。かつて三山鼎立して覇を競った時代の南山城跡の西側の小道を進んだ。国吉、真栄里のを通り抜けて、海岸近くの目的の壕に着いた。それが轟の壕だった。
 冒頭で述べたように、この壕は巨大な穴が空に向かって口を開けている不気味な自然洞窟だったが、敵砲弾から逃げまくっていた者には、素晴らしい避難所に見えた。読者が持つ平常感覚は既に失われていた。戦場では不気味だとか美しいだとかの感覚は失われる。それどころか、気の毒だ、とか哀れだとかの感覚も失われるのだ。
 筆者の知り合いが語ってくれたことがある。道端で赤ちゃんが母親を求めて泣きじゃくっているのに、気の毒だとも哀れだとも思わなかった。敵の気配を感じて、闇の中、底知れぬ断崖を飛び降りた。恐怖心もなかった。グシャッとした台地に落ちた。それは人の死体の上だったが、何の臭いもしなかった。その人は身重の女性だったが、自分のおなかの子のことも頭になかった。生存本能だけの獣にすぎなかった、いや、それ以下だったと涙ながらに語ってくれた。
 そう、あの時は涙も出なかったのだ。彼女が戦場で涙を流したのは、爆風で吹き飛ばされて、気がつくと、あの”恐ろしい”アメリカ兵の腕の中に抱きかかえられていた時だ。その時、彼女はワァーと子供のように泣いた。人間を取り戻した瞬間だった。

つづく


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