~1フィート運動騒動記~ 20-4
さあ、これから読者と一緒に「未来への道標 ─沖縄戦1フィート運動の30年」と題する「疑問誌」、いや「記念誌」を開いてみよう。 エッ? 石川元平はひねくれて「記念誌」を渡さなかったはずだが、と読者は問うかもしれない。 これは内緒だが、ぼくにはスパイがいるのだ。 だから、実は簡単に手に入れることができた、ということだ。
こういう「自分たちだけに都合のよい本」は誰が編集に関わっているか知ることだ。 それには一番後ろの後付を見ることにしよう。
タイトル 未来への道標 ─沖縄戦1フィート運動の30年 = 題字 大田昌秀
発行日 2013年3月15日 編集 30年記念誌編集委員会
委員長 石川元平 事務局長 大山哲 委員 山根安昇、安仁屋政昭、宮城孝子、真栄里泰山
発行 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会
ウゲー! 偽善者たちが勢揃いで編集していることになる。
先ず初めに「ドゥフミー(自慢話)」の写真集があり、そこにはこの運動を創った上原正稔の写真は排除されている。都合の悪い男は消せ、というわけだ。
「発刊のことば」は12月27日の前代未聞の解散記者会見で上原正稔から「嘘つきの白痴(ハクチ)」と怒鳴られて、返答もできず、目線を45度も下げて、上原の目線を避け続けていた福地曠昭が相変わらず反省も見せず、自慢話で自分を飾りたてている。 当然、会の発端と醜い内幕には一切、触れていない。 当然、危険人物の上原正稔の名は出ない。
続いて誰が書いたか不明だが、1フィート運動理事会の名で「1フィート運動の収束にあたって」と「壊滅」と表記すべきものを「収束」と意味不明の言葉で綴った報告が続く。 これも福地の「発刊のことばと変わらず、自分たちが1フィート運動を壊滅させたことには触れず、「ドゥフミー」に終始している。
注目されるのは最後に「私たちも新しい平和運動に引き続き関わっていく決意であります」そして「記録映像のDVDは沖縄県学校用品株式会社で販売していくことになりました」と述べていることだ。 これは石川元平が1フィート運動を継続してゆくことを示しているのだ。
そして第1章の特別寄稿は本当に「沖縄をダメにした」元凶の大田昌秀が「永遠に語り継げ沖縄戦」と題して彼が恨み恐れている上原正稔の名は一切出さず、自分の自慢話と得意の嘘八百の演説文を羅列しているだけだ。 彼の「永遠に語り告げ沖縄戦」のタイトルは1983年12月8日に発表された1フィート運動の趣意書の文を引用したものだ。 その趣意書はいったい誰が書いたものなのか。
─つづく