http://news.yahoo.com/s/ap/20081225/ap_en_ot/obit_eartha_kitt
>アーサ・キット(優雅でセクシーな国際的な歌手/ダンサー/女優 サウスカロライナ出身)がなくなったことが明らかになりました。 彼女は81歳でした。
木曜日に直腸癌によってコネチカットで逝去しました。
彼女の猫のような喉を鳴らす歌唱法で「セクシーキャット」と呼ばれたキットはアメリカの最も多能なパフォーマーのひとりでした。エミー賞を2回獲得して、3度候補にもあがりました。 また、彼女は数個のトニー賞と2つのグラミー賞にも輝きました。
彼女のキャリアは60年間にわたりました、
キャサリンダナム一座の一員としてキャバレーの舞台でダンサーとしての彼女の芸能生活はスタートしました。
彼女は、南部で他民族の血の混ざった混血ゆえに不幸な幼年期をすごしましたが、映画にテレビにと彼女は活躍の場をどんどんと広げました。
1960年代にホワイトハウスへの訪問の間、ベトナム戦争を批判した発言を行ったことが当時大ニュースになりました。
80に近づいた近年でさえ、キットは、年令の半分以下ののファンをも魅了し活躍し続けていました。
彼女の本の「若返らせること」(健康なままであることへのガイド)が2001年に発行されたとき、キットは20歳代の女性がねたむほどのタイトな黒いドレスで本の表紙を飾りました。他にキットは3冊の自叙伝を残しています。
かつてオーソン・ウェルズによって「世界一刺激的な女性」と呼ばれました。
彼女の結婚生活は長続きせず生涯のほとんどを独身で過ごしましたが数々の浮名も流しました。
中略
キットははっきりとした性格の人物でした
彼女がレィディー・バードジョンソンによって接待されたホワイトハウス昼食会に出席したとき、ホワイトハウスで反戦コメントをしたことはセンセーショナルでした。
その後の4年間、キットは海外で専ら働きました。
その間すっと 彼女はFBIとCIAによって調査されてもいたのです。
中略
キットは北部、サウスカロライナ州で生まれました。
自叙伝に、彼女の母親が黒人系ネイティブアメリカンのチェロキーであり、父親は白人だったことで、彼女の母親の新しい夫(義父)が彼女を忌み嫌い、母親と引き離されて親類のところで育ったことが書かれています。
そこで彼女はニューヨークへ・・・そして偶然の出会いからダンサーのオーディションをうけ芸能界へと足を踏み入れたのです。
1950年代のダンサーと歌手として世界を旅している間、キットは、語学に堪能となり、フランス語、スペイン語、さらにおよびトルコ語さえの歌を彼女のレパートリーに追加しました。
「ウスクダラ」が彼女の出世作となりました。。
中略
長年、キットは彼女の出生地か生年月日が不確かでした。
1997年に、コロンビア大学の白人至上主義者の団体のメンバーが彼女の出生証明書の存在を見つけました(それは、1927年1月17日が彼女の生年月日でサウスカロライナ出身であるということです)。 キット自身はずっと1月26日に自分の誕生日を祝っていたそうです。 また、キットが貧しい綿農家の混血娘であったことも明らかにされました。
「私は孤児です。」 「しかし、私には皆さんがいてくれる。それは私の唯一の家族です。」と、彼女は語っていました。
「世界一大きい家族 それは私のファンです。」 と・・・
アーサーの母はチェロキーと呼ばれるネイティブ・アメリカンと黒人との混血で綿花のプランテーションで働く農民だった。白人にレイプされて授かった子供がアーサーだった... のです。
母がちゃんとした結婚をするとき... 追い出されてしまった陰にはこういった悲しい生い立ちがあったのです。
誕生日すら本当の日を知らずに育った...
黒人でもなく、白人でもなく、ネイティブ・アメリカン(インディアン)でもない... 誰からも見放された「孤児」は、実力で世界的なスターとなり、81歳で天に召されました。
---------------------------------------♪
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/s/%A5%A2%A1%BC%A5%B5%A1%BC%A1%A6%A5%AD%A5%C3%A5%C8
↑
このブログでの「アーサー・キット」さんを扱った記事をまとめておきました。
黒いミューズ
数奇な運命に翻弄されながらも世界的に活躍した大スター・・・
ご冥福をお祈りいたします。
<---ウェディングベルが盗まれた
チエミさんのジャズ・ポップス時代に彼女のカバー曲は「なくてはならない」存在でした。
<---昭和29年/紅白歌合戦でウスクダラを歌う録音。
<---本家/アーサー盤「ウスクダラ」。
---------------------------------------------♪
アーサー・キットはミュージカル女優を経てレコードデビューします。そのデビュー曲がウスクダラです。レコード発売は1953年RCAレコードからです。
♪しょしょショウジョウジ---の英語カバーもヒットさせました。
波乱の人生を歩み、トルコ・イスタンブールで働いていた頃にレパートリーに入れた楽曲が「ウスクダラ」でした。
枯葉/セ・シボン/ヤムミー・ヤムミー/ウェディングベルが盗まれた...や、後年「百万人の天使(新宿コマ/オリジナルミュージカル)」の劇中に歌いシングルカットされた「マイ・ハート・ビロング・トゥー・ダディ」...これら競作の楽曲ですが、チエミさんのおそらくは手本となったもの!...と感じるのが「アーサー盤」ではないかな?...と思います。
また逆にアーサー・キッドは江利チエミのカモンナ・マイ・ハウス(日本語版)をカバーしてLPに収録をしています。
◆江利チエミさんが吹き込んだ「ウスクダラ」
その発売に至る経緯について...
この歌は黒いミューズ「アーサー・キット」のレコード界へのデビュー曲です。レコード発売は1953年=昭和28年のこと...RCAレコードから。
キングとRCAは当時提携関係はなかった...
ではなぜ江利チエミがレコーディングを果たしたのか...
この影には キング と ビクター のプロデューサー同士の今では考えられない「友情秘話」が。
雪村いづみが「ポスト江利チエミ」として--->進駐軍--->日劇からビクターへ合格を果たすまでには時間はかかりませんでした。
なぜなら、ビクターは先ず「美空ひばり」を落としています。この時の審査員には中山晋平が...
そしてチエミも不採用に... もう2度と同じテツは踏めなかったのです。
ところが、キンキン声の雪村いづみに何を歌わせたら...と悩んでいたところ、キングのデレクターが、江利チエミがアメリカでレコーディング、公演ツアーを終え、ハワイでボーカルレッスンをすませた後に帰国し、帰朝記念として吹き込む予定(実際チエミ盤も発売されます。28年6月)だった「テレサ・ブリューワー」の Till I waltz again with you. を提案します。
いづみ盤は「想い出のワルツ」としてチエミ盤よりも早く5月に発売になりました。
(チエミ盤は「思い出のワルツ」)
このヒットで雪村いづみは「10年に一度の幸運児」「シンデレラ娘」としてスターの仲間入りを果たしました。
この御礼として、ビクターが「アーサー・キットのムードは黒っぽいチエミにいい!」と提案された曲...
それがウスクダラでした。
アーサーキットはパリやイスタンブールのステージなどにも出演した経験をもつ変り種!
ウスクダラはアーサー自身が持ち帰り、ミュージカル女優としてブロードウエイの舞台で歌ったのが好評をはくしてレコードデビューにこぎつけました。
チエミ盤は「ウスクダラ」で今度は先に29年8月発売され、いづみ盤「ウシュカ・ダラ」は帰らざる河のB面で翌月の9月にリリースされました。
この曲はチエミの代表曲の1つともなりました。
1作目の三人娘映画「ジャンケン娘」の中で替え歌でも歌われました。
さて、このウスクダラとは...
トルコの古い町「ユシュクダル」であると。
ユシュクダル--->文末に「ア」がつけば「ラ」。
ア...はトルコ語の助詞で日本語の ~へ/~に という意味になる後置詞です。
ゆえに台詞の部分では ウスクダは、トルコの西の外れにある...と言い、歌の部分では ウスクダラ と発音する由縁かと...
チエミ盤はアーサー盤の英語読み発音の影響を受け ウスクダ ウスクダラ と発音するのではとも思われます。
トルコは民主化後、文盲をなくす!...というスローガンからトルコ語を表音文字であるアルファベットで表記するようになりました。ユシュクダラ--->ウシュカダラ(本当はこの中間あたりの発音なのでしょうが)と英語文化圏の人間は発音してしまいがちなスペル...なのだと思います。
初回のテイクは、トルコ大使館に通ってみっちり特訓をうけた...というエピソードがあります。
ウスクダラとユシュクダラの中間...といった微妙な発音をしています。
しかしチエミさんは歌いこんでいくうちにどうも「わかりやすく歌う」という傾向があるように私は思っています...これはサービス精神からによるものではないでしょうか?!
30年代半ば以降の録音でも「ウスクダラ」とカタカナ発音をしています。
これは、江利チエミのEPタイトル・ウスクダラがそれだけ浸透したからだ...とも云えるかとも思います。
トルコのルーツは、隋・唐を脅かした「突厥」...これはテュルクの漢字表記です。
アラブ民族というよりむしろ西アジアの民族であり、モンゴロイド・コーカソイド...そのどちらにも似ているといわれます。ゆえに言語的にはアジアの影響が強く、日本語にも似ていると云われます。
ゆえに江利チエミの初回レコーディングのウスクダラ...
これが世界各国でカバーされたウスクダラの中で一番トルコ風...ではないかな?!と思えるのです。
ところで...
ウスクダラ ギデーリーケン オードダビリヤンムール...
原語の部分の意味は、訳詩とまったく違います。
チエミ盤の訳詩はアラビアンナイト...ハーレム...男がもててもててウハウハ...的な部分が見え隠れします。
しかし、実際は下記の内容なのです。
※引用/江波戸昭「世界の民謡をたずねて」(自由国民社)より
>ウスクダラに行った時は雨だった
キャーティップの着物の裾は長く、跳ね上がっていた。
キャーティップは起きたばかりなのか、目がぼんやりしていた。
キャーティップは私のもの
私はキャーティップのもの
腕を組めるのは...私だけ!!
女性からのラブソング...がもともとの意味なのだそうです。
しかし...
この真面目な本でも ウスクダラ で表記されていますね。これは江利チエミの功績の表れだと思います。
注)キャーティップ:アラビア語で「書記」...転じて「下級役人」「彼氏」「亭主」...の意。
そうですか、よくぞこのような辺境までお越しいただきました。ありがとうございます。
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/1dba8ef3d3d7b85b7e044462fee74880
↑
私が入手したアーサーさんのLPはここに記事にしています。
YOUTUBEにはかなりUPされています。
http://www.youtube.com/watch?v=FycWm8KUK90&playnext=1&list=PL54E3C5E9FA47AA1B
↑
ショージョー寺...はここです。
今、このブログも7年目で、なかなかネタがなく行進が滞り気味ですが、どうかたまに覗いてやってくださいまし。
アーサーキッドと検索したら、このブログが見つかった。ありがとうでやんす。