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つばさ

平和な日々が楽しい

指導者はやめる勇気を持てず、なお泥沼にはまっていったことを、あらためて悔いてもいい。

2013年08月14日 | Weblog
春秋
8/14付

 「本モノノ空襲警報ガ初メテ鳴ッタノハ昭和十九年十一月一日デアル」。内田百間の戦時日記「東京焼盡(しょうじん)」の序文に、こうある。その日、マリアナ基地から飛来したB29が東京に初めて侵入したのだ。やがて全国の都市を焼き尽くす本土空襲の、これが幕開けであった。

▼大戦の空襲というと、何年間も続いていたイメージがある。しかし敗戦前年の秋までは案外ノンビリ構えていたという。実際に焼夷弾(しょういだん)が雨あられと降りそそぎ始めたのは昭和20年の2月以降である。銃後の国民が逃げ惑い、命を落とし、日本中の都市が炎上していったのは、それからのわずか半年ほどの間の出来事なのだ。

▼「本モノ」の空襲の前に、なぜ戦争をやめられなかったか。歴史をたどれば誰もが思うに違いない。19年7月、サイパン陥落によって米軍が空爆拠点を確保したときに敗北は運命づけられたといわれる。しかし現実に目を向けず、なお1年余にわたって無謀な戦いを続け、かぎりない悲劇を重ねていった大日本帝国である。

▼いまでは太平洋戦争のこういう経緯さえ忘れられがちだ。惨禍を何倍にも大きくした本土空襲には、そして原爆投下には前史があったことをもっと知ってもいい。指導者はやめる勇気を持てず、なお泥沼にはまっていったことを、あらためて悔いてもいい。「熱涙滂沱(ぼうだ)として止まず」。玉音放送を聞き、百間はこう記した。

「長期的にみた日米間の最大のリスクは安全保障でも経済でもなく

2013年08月13日 | Weblog
春秋
8/13付

 「長期的にみた日米間の最大のリスクは安全保障でも経済でもなく、若い世代の結びつきが細っていることにある」。アメリカのルース駐日大使が先週、離任を前にそう語ったそうだ。リスクとはまた大げさな、というより、発言にむしろ慧眼(けいがん)と強い危機感とを感じる。

▼背景には互いへの留学生の数が少ないことへの懸念があったというが、大使の言葉は裏返せば「未来を担う世代が理解しあえていれば、これから起こる難題は解決しうる」ということである。それはもちろん、日米間に限った話ではない。米国よりずっと近くにあって、もどかしさとわだかまりがある国がまず思い浮かぶ。

▼先日、オランダ・アムステルダム中心部の広場で韓国の高校生が伝統芸能を披露する場面に出会った。踊りは見事で、取り囲む観光客らの拍手を盛んに浴びていた。ただ一つ、意味するところはさほど伝わっていなかったようだが、高校生が掲げていた「独島(竹島)は韓国の領土」と書かれた英語の横断幕が気になった。

▼サッカー日韓戦をソウルで観戦した若手社会学者の古市憲寿さんが、会場を「それほど政治的なものだとは思えなかった」と本紙に書いていた。その通りだろうが、アムステルダムの広場と同じリスクの芽がそこにも顔を出していなかったか。芽をつむには、日本を知りたい、韓国を知りたいという若者を増やすしかない。


盛夏の候を英語で、ドッグ・デイズと呼ぶんだってさ

2013年08月12日 | Weblog


夕歩道

2013年8月12日


 猛暑、酷暑。書くのも暑い。そんな盛夏の候を英語で、ドッグ・デイズと呼ぶんだってさ。直訳なら、「犬の日々」だよね。犬って夏の生き物だっけ。それともホットドッグのことなのかしら。
 実はこれ、夏の日の星物語。おおいぬ座のシリウスは、最も明るい一等星。中国では天狼星だが、英語ではややへり下ってドッグ・スター、犬の星。ギリシャ語の語源は「焼き焦がすもの」…。
 昼間は焼き焦がされそうな暑さだが、夜はやっと緩む。寝苦しい日々、開き直って星の浪漫に浸ってみるか。あしたの未明は、ペルセウス座流星群が、花火のように降りそそぐという空もよう。


大阪に住みつき男日傘かな

2013年08月11日 | Weblog
春秋
8/11付

 むかし上方では、男の日傘がはやったという。講談社版「日本大歳時記」の夏の部に「江戸後期には京阪地方で男の日傘が流行したことがあったが、後に禁制になった」などとある。禁制とはまた穏やかではないが、そのたたずまいがお役人のカンに障ったのだろうか。

▼「大阪に住みつき男日傘かな」小原野花。こちらの句はずっとのちの昭和の作だから、やはり関西には男性が日傘をさす習慣が残っていたとみえる。さて時は移り平成のいま、近畿方面にかぎらず男の日傘が見直されているようだ。年々ひどくなる暑さのなかで省エネ、クールビズのご時世、なかなか理にかなってはいる。

▼特設コーナーを設けたデパートもあるし、先日は炎天下をゆうゆうと行く黒いコウモリを見た。ならばためしに、と手持ちの折り畳み傘を広げて猛暑の街を歩いてみたら、これが思った以上によい。ちょっとした発見だ。まわりの人の目が気になるけれど、強烈な日差しで汗みどろになるよりずっとスマートかもしれない。

▼そう考える人が増えれば、男の日傘ももっと普及するだろう。18世紀の英国では雨傘だってもっぱら女性の愛用品だったという。ところがジョナス・ハンウェイという男がひとり使いはじめて、やがて男女の別がなくなっていったそうだ。世の常識なるもの、案外たいしたことはない。そんなことも思わせる傘事情である。

「私たちだって鋳型に入ってはござんせぬ」。古代人の啖呵(たんか)が聞こえる。

2013年08月10日 | Weblog
春秋
8/10付

 「菊の井のお力(りき)は鋳型に入った女でござんせぬ」。樋口一葉の「にごりえ」を引くまでもなく、「鋳型」には画一だの平凡だのといったイメージがつきまとう。ところが琵琶湖の西、滋賀県高島市で出土した銅剣の鋳型はこれまでの常識をひっくり返すものなのだという。

▼日本の銅剣は中国の東北地方をルーツに朝鮮半島を通って伝わったと考えられてきた。見つかった鋳型はそうした銅剣のどれとも違っている。起源は中国大陸をもう少し奥に入った北京の北や内モンゴル地方。紀元前8世紀から同3世紀にかけての春秋戦国時代につくられたオルドス式銅剣と、みかけも技法もそっくりだ。

▼日本だけでなく朝鮮半島にも出土例がない。ならば中国から海を渡って直接伝わったのか。鋳型から銅剣をつくっても刃の厚みは3ミリで武器としての実用に堪えない。ならば何に使おうとしたのか。そもそも鋳型には鋳造された跡がなく剣自体も見つからない。ならばこの形の銅剣は日本で1本でも実際につくられたのか。

▼謎だらけである。オルドス式の特徴が柄の先についた2つの輪なので「双環柄頭(そうかんつかがしら)短剣」と呼ぶそうだが、鋳型をみると柄には日本の青銅器によくある模様が刻まれてもいる。どこかで手に入れた伝統のデザインに日本風味をつけたということだろう。「私たちだって鋳型に入ってはござんせぬ」。古代人の啖呵(たんか)が聞こえる。

気軽で手ごろという長所は、そのまま落とし穴になる。しかし遊びを一切排した人生や社会も想像しにくい。

2013年08月09日 | Weblog
春秋
8/9付

 先週金曜日、午後11時21分50秒。日本全国から少なくとも、のべ14万人が参加しバルス祭りがピークを迎えた。といっても、どこか特定の場所に、これだけの人数が実際に集まったわけではない。ネットの掲示板などに一斉に「バルス」と書き込む。そういうお祭りだ。

▼バルスとは? この時間、あるテレビ局が映画「天空の城ラピュタ」を放映した。終幕で主人公たちが唱える滅びの呪文(じゅもん)「バルス」。その瞬間に合わせ同じ呪文を打ち込むのだ。ツイッターには1秒間に14万以上も書き込まれ、今年元旦の「あけおめ(あけましておめでとうの略語)」を抜き世界新記録を樹立したそうだ。

▼1977年から続く「レジャー白書」は、時代に合わせて新しい項目をランキングや集計に追加する。先週出た最新版で、新顔ながら参加人口で上位に食い込んだものの1つが「ツイッターなどのデジタルコミュニケーション」だ。ふだんはおのおの細切れの時間に参加し、たまのお祭りでは大勢の人と一体感も味わえる。

▼気軽で手ごろという長所は、そのまま落とし穴になる。携帯電話やパソコンに没頭するネット依存の中高校生は全国で50万人を超すと、厚生労働省は推計する。どんな遊びも過ぎれば生活を壊す。しかし遊びを一切排した人生や社会も想像しにくい。暑さも盛り。大人も子供も遊びとのつきあい方をうまく学んでいきたい。

「驚きは9日間しか続かない」言葉軽き人の繰り出す、学びたくない手口である

2013年08月08日 | Weblog
春秋
8/8付

 何を言いたかったのか、いまでもやっぱりわからない。麻生太郎副総理兼財務相が先月末に講演で口にして騒ぎになった「ナチス」うんぬんである。憲法改正に絡めてナチス政権を引き合いに出し、「あの手口に学んだらどうかね」。麻生さんはまさにこう語ったのだ。

▼「憲法改正は落ち着いた議論が必要。喧噪(けんそう)に紛れて進んでしまった悪しき例としてナチスをあげた」。海外でも批判が高まるやご本人はあわてて釈明して発言を撤回し、まわりも幕引きを急いだ。釈明を理解できぬでもないが、どうもチグハグだ。だいたい「手口に学べ」とはこれいかに。なぞの言語感覚というほかない。

▼そのへんをもっと丁寧に説明してもらいたかったのだが、院の構成を決めるための国会は淡々とそれだけを終え、きのう閉会した。野党の審議要求にも全然迫力なく、自民党としては逃げ切りセーフで大いに安堵したに違いない。へたをすれば副総理がまた余計なことを口走りかねない……といった心配も吹き飛んだろう。

▼秋の臨時国会は10月中旬からという。人の噂も七十五日、もうそのころはほとんど忘却のかなただろうか。いや西洋には「驚きは9日間しか続かない」ということわざもある。これにならえば、問題発言が飛びだしてからすでに9日が過ぎたから安全圏入りかもしれない。言葉軽き人の繰り出す、学びたくない手口である。

現役世代の重い社会保障負担も、自立する高齢者が増えれば和らごう。ヴェルディ、ドラッカーに続きたい。

2013年08月07日 | Weblog
春秋
8/7付

 イタリアの作曲家ヴェルディは「アイーダ」「椿姫」などのオペラで知られる。中でも指揮者や歌手が入念に準備する名作が「ファルスタッフ」だ。道楽者の老騎士と町の人々の人間関係を軽快に描いたこの喜劇は、音楽と台本が見事に調和した円熟の作品といわれる。

▼完成は1893年。ヴェルディ80歳の頃だ。「いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった」と創作の動機を語ったという。後年、その言葉を知って心を打たれたのが大学生のピーター・ドラッカーだった。いつまでも目標を持ち続ける姿勢を教えられたと書いている(「プロフェッショナルの条件」)。

▼「経験が豊かになると、それが作品にも投影する」とドラッカーは言った。1989年、80歳を目前に著した「新しい現実」は、国家の枠を超えた経済の相互依存関係や技術革新など世界の変化に目を注ぎ、ソ連の崩壊も洞察した。年齢を重ねるごとに考えを深め、作品の完成度を高めていった様子はヴェルディと重なる。

▼体力は落ちても思考力や創造性は磨ける。2人の歩みが示している。平均寿命が女性は世界一、男性も5位という日本が豊かになるには、もっともっと高齢者に活躍してもらうことが必要になる。問題になっている現役世代の重い社会保障負担も、自立する高齢者が増えれば和らごう。ヴェルディ、ドラッカーに続きたい。

同じ釜の飯を食って団結しよう

2013年08月06日 | Weblog
春秋
8/6付

 夏は合宿の季節である。合宿といえば緊張もするし、ワクワクもする。スポーツや楽器の特訓。大学のゼミや学習塾の集中講座もある。ほんの数日だけなのに、先輩や後輩たちと泊まり込みで頑張ると、驚くほど力がつくものだ。青春の合宿の記憶は汗と涙の味がする。

▼TPP交渉の作戦を練るため、約100人の官僚たちが研修所で合宿をした。直立不動の交渉チームを前に、担当大臣の甘利明さんが「同じ釜の飯を食って団結しよう」と熱く檄(げき)を飛ばしていた。まるで軍隊のようなその映像を、交渉相手はどう見ただろう。手ごわそうに映ったか。それとも奇異で滑稽な印象を抱いたか。

▼「合宿」の濃厚な語感に、ぴったり合う英語は見当たらない。強いていえば「トレーニングキャンプ」だろうか。参加した若手の官僚から「久しぶりに脳味噌が動いた」と興奮気味の声も聞こえてくる。普段は霞が関でライバルの他省庁と混成部隊を組み、缶詰めになって意見をぶつけ合うのは初めての経験だったらしい。

▼これまで日本の通商交渉チームは、諸外国から評判がよくなかった。立場が異なる外務、農水、経産の3省が同席し、相手国は同時に3人を相手にしなければならないからだ。合宿で事務方の結束力は高まっても、指示を出す肝心の政権や与党はどうか。官僚に団結を促した甘利大臣の言葉を、そのまま政治家に贈りたい。

文化を変えるのは、制度を変えるより難しい。しかし取り組む価値のある挑戦だ。

2013年08月05日 | Weblog
春秋
8/5付

 「朝活」という言葉が広がったのは2009年ごろ。始業前の時間を勉強会や趣味などに充てることを指す。東京駅前で開く「丸の内朝大学」で各種講座に通った人は、4年間でのべ1万人に達した。朝は頭がすっきりしており、本業のエンジン始動にも役立つという。

▼朝型人間の増加もヒントになったかどうか。伊藤忠商事が社員の働き方を朝型に変えていくそうだ。夜8時以降の勤務は原則禁止し10時に完全消灯。早朝の賃金は今より割り増す。残業全体の削減、健康増進と並び、夜の居残りが難しく、いま現実に朝早く出勤して仕事をこなしている女性社員の支援を目的に挙げている。

▼世の中を見れば、育児の負担を主に母親が担う家はまだ多い。男性も含め産業界全体が朝型になっていけば、保育園への迎えの分担などもやりくりしやすくなる。家族との対話も増えよう。最終目標は時間外労働をなくすことだとして、当面、夜の残業より早朝出勤の方が生活面ではプラスが多そうだ。ただし問題も残る。

▼働く女性が男性に比べ不利な理由の1つに、夜の酒場で交わされる男同士の非公式な情報・人脈の共有やノウハウの伝授が、仕事の出来や評価につながる現状がある。ここが不変なら男性はさっさと帰宅とはいかない。女性は不利なままだ。文化を変えるのは、制度を変えるより難しい。しかし取り組む価値のある挑戦だ。