goo blog サービス終了のお知らせ 

つばさ

平和な日々が楽しい

平和な日々の「うまいもん」食べ歩きも、やがて遠景となっていく

2013年08月04日 | Weblog
春秋
8/4付

 うなぎの「まむし」、かやくご飯に粕汁(かすじる)、関東煮(かんとだき)、あらかじめ混ぜてあるライスカレー……。織田作之助の「夫婦善哉」には大阪のB級グルメが次々に登場する。主人公の蝶子と柳吉は仲良くそれを食べ歩くのだ。そんな場面も精彩を放ち、物語は長く親しまれてきた。

▼オダサクは今年が生誕100年。NHKがこの代表作をドラマ化するなど、ちょっとしたブームらしい。じつは「夫婦善哉」には未発表の続編があって、6年前に完全なかたちで見つかった。最近それが岩波文庫に収められ、今月下旬から放映のドラマも正続あわせた内容になるという。なかなか強運の作品というべきか。

▼続編の舞台は九州の別府だ。相変わらずしっかり者の蝶子と頼りないボンボンの柳吉なのだが、そこに色濃く影を落とすのは戦争である。苦心して開いた店に商品が入らなくなってくるし、蝶子は国防婦人会の幹事となり出征兵士を送る。昭和18年ごろの執筆とみられ、検閲を恐れて雑誌編集者が掲載を見合わせたようだ。

▼正続を通して読むと「夫婦善哉」のイメージがちょっと変わるだろう。これは時代に翻弄される男と女の歴史でもあるのだ。平和な日々の「うまいもん」食べ歩きも、やがて遠景となっていく。オダサクは戦後まもなく亡くなった。もっと生きたなら、新しい世を闊達に渡っていくふたりを描くことができたかもしれない。

1人の首相とつきあうだけでいいだろうから「うらやましい」

2013年08月03日 | Weblog
本文春秋
8/3付

 「私は5人の首相とつきあった」。近く離任するジョン・ルース駐日米大使は安倍晋三首相との会食の席で、こんな感慨を口にしたという。自分とは違ってキャロライン・ケネディ次期大使は1人の首相とつきあうだけでいいだろうから「うらやましい」とも語った。

▼参院選で大勝した安倍さんは長期政権を保つと自分はみている。間接的な表現ではあるが、そうご本人の前で言ってのけたわけだ。ルースさんはもともと外交官ではないらしいが、なかなかよく練れた「外交辞令」を繰り出した印象だ。言葉の使い方がどうにも軽い麻生太郎副総理に爪のあかでも、などと思ってしまう。

▼そういえばルースさんが着任した時の首相が麻生さんだった。そして鳩山さん、菅さん、野田さん、安倍さん。4年以上つとめている駐日大使はみな経験したことではあるが、わが国唯一の同盟国の大使だけに苦労はいかばかりだったろう。「うらやましい」という言葉には、外交辞令に収まらない本音の響きも感じる。

▼難しい環境の中でルースさんはいい仕事をした、という声は多い。駐日米大使として初めて広島平和記念式典に出席し、長崎の原爆落下中心地碑に献花した。そして東日本大震災のときのトモダチ作戦。ないものねだりかもしれないが、いつの日か、つきあった5人の首相それぞれについての本音の感想を聞いてみたい。


ナショナリズムをむき出しにしたり、口汚くののしったりすればますます道を見失おう

2013年08月02日 | Weblog
春秋
8/2付

 韓流ブームのきっかけになった「冬のソナタ」に、いい場面がある。工事現場の男たちとの飲み会で、チェ・ジウさん演じるヒロインが一曲披露するのだ。雨降る湖南線 南行列車――韓国でかつて大ヒットした歌謡曲のひとつだ。これが、日本人の琴線にも触れる。

▼韓国文化をめぐるこうした「発見」が、あのブームの背景にあったのは間違いない。隣の国なのによく知らなかったけれど、なんだか不思議と懐かしいなあ。そういう親近感が日韓の自然な行き来につながり、女性だけの気軽なツアーなども増えた。韓国というだけでどこか身構えて接した時代は遠く去った、はずだった。

▼昨今の出来事をみていると、しかし、その関係がどんどん壊されていくようで悲しい。日本企業に対し元徴用工への損害賠償が命じられ、サッカー会場では政治的な横断幕が掲げられ、米国内には従軍慰安婦像が設置され……。振り返れば去年8月に当時の李明博大統領が竹島を訪れて以来、あっという間のきしみ拡大だ。

▼これでは日本のなかに嫌韓派を増やすばかりである。言うべきことは言わねばならぬが、努めて冷静でもありたい。ナショナリズムをむき出しにしたり、口汚くののしったりすればますます道を見失おう。やはりいちばん近い隣人なのだ。音楽、料理、ファッション、日々の暮らしぶり。韓国にはまだまだ「発見」がある。

世の中は便利になるけれど、夜の優しさも消えてしまうのは少し寂しい。

2013年08月01日 | Weblog
春秋
8/1付

 どんな仕事や勉強でも「締め切り」がある。明日の会議に提出するから、なんとか報告書を書き上げる。試験日が迫るから、無理しても暗記する。決算の締め日が決まっているので、営業は駆け回る。ひとは何かの区切りがなければ、四六時中がんばれるものではない。

▼一日の中で、最後のぎりぎりの締め切りは終電時刻だろう。どれだけ飲んだくれていても、仕事が片付かなくても、夜が更けるにつれ気になるのは、やはり終電である。ぼんやりした頭で駅までの距離を逆算し、慌てて帰り支度をした経験は誰にでもある。都内の地下鉄などで、その終電時刻を繰り下げる検討が始まった。

▼終電を逃したときの「やっちまった感」は、年々薄れていく気がする。もともと人は暗く静かな深夜の時間に、畏怖のような感覚を抱いていたはずだ。今はカラオケや漫画喫茶で過ごせば「草木も眠る丑(うし)三(み)つ時」など怖くはない。日本の夜が明るく短くなっていく。区切りがないまま、なんとなく今日が明日に続いていく。

▼谷川俊太郎さんにこんな詩がある。「夜のミッキー・マウスは/昼間より難解だ/むしろおずおずとトーストをかじり/地下の水路を散策する」――。物思いにふける者を包み込み、癒やす力が夜にはある。終電が延びて、元気さが暗闇に打ち勝ち、世の中は便利になるけれど、夜の優しさも消えてしまうのは少し寂しい。

新しい人の手が入ると愚作も時にあれっと思うほどよくなることがある。

2013年07月31日 | Weblog
春秋
2013/7/31付

 「詩人ってどこで詩を終わらせるのかどうやって決めるんでしょうね。画家もそうね。いつやめればいいのかなんでわかるのかしら。それがわたしにはわからないのよね」。ミステリーの傑作「八百万の死にざま」(L・ブロック著、田口俊樹訳)にそんな一節がある。
▼なるほど、読み返すたび、見返すたびに手を入れたくなる気持ち、ものを書く身としてよくわかる。そしておそらくこれは真理だが、愚作はいじったところでよくなりはしないのだ。組織の長もじつは似たようなものではないか。あそこもここもと自分の手で変えようとするうちに、いつ辞めればいいのかわからなくなる。
▼全日本柔道連盟の上村春樹会長がきのう、8月いっぱいでの辞任を表明した。女子選手への暴力的な指導や助成金の不正受給、理事のわいせつ行為。不祥事まみれの全柔連の頂で「10月までに改革の道筋をつけて……」とがんばる姿には驚きあきれもしたが、ゆがんだ組織の姿が本人の目に正確に映っていたとは思えない。
▼詩人や画家が作品への手入れをあきらめる手っ取り早い方法は、締め切りを設けることだ。上村会長も、内閣府から安倍首相名で8月末までに適切な措置をとるよう求める勧告を突きつけられての辞任前倒しである。そしてこれもおそらく真理だが、新しい人の手が入ると愚作も時にあれっと思うほどよくなることがある。

経験を積んで人は賢くなり、一方で高をくくることを覚える。

2013年07月30日 | Weblog
春秋
7/30付

 「経験」とは存外難しい言葉のようである。日本国語大辞典の「実際に見たり、聞いたり行なったりすること」という説明はわかりやすい。が、「人間が外界との相互作用の過程を意識化し自分のものとすること」と説く広辞苑を読むと、哲学の迷界に入った気になる。

▼おととい中国地方を襲った猛烈な雨で、気象庁が「これまでに経験したことのないような大雨になっている所がある」と警告を発した。山口県萩市では1時間の雨量が138.5ミリに達した。30ミリでもう「バケツをひっくり返したような雨」だそうだから、その4~5倍の激しい雨はたしかに見ないことには理解できない。

▼気象庁が「経験したことのない大雨」という警告文をつくったのは去年の梅雨どきで、発令は今回が3度目である。「日本の歴史上初ということでなく、おおむね50年に一度、1人が人生のなかではじめて遭遇する危険」との趣旨を短文で端的に伝える狙いだという。そんな危機感が住民に正しく伝わったならいいのだが。

▼この豪雨はもちろん、8月末から出されることになっている警報より切迫度の高い「特別警報」の対象になるというが、人の計画を自然は待ってくれない。経験を積んで人は賢くなり、一方で高をくくることを覚える。「経験したことのない」と耳に入ったら相互作用だの意識化だののヒマはない。まず安全の確保である。

創造的破壊

2013年07月29日 | Weblog
春秋
7/29付

 19世紀のはじめ。遠征に出ているフランス軍の食糧補給に頭を痛めていたナポレオン政権は、食べ物を長もちさせる方法を懸賞金付きで公募した。これにこたえたのがニコラ・アペール。密封して加熱殺菌する、という手法を提案した。つまり、缶詰の原理を発明した。

▼「保存食品開発物語」という本によると、アペールはもともと優れた料理人だった。乾かしたりいぶしたり、といった伝統的な保存方法に通じていて、味わいや食感に物足りない思いを抱いていたらしい。試行錯誤をくり返し、たどり着いたのが缶詰の原理だった。いうまでもなく、やがて缶詰は世界の食を大きく変える。

▼缶詰の強みは長持ちし手間がかからないことだろう。この特長を生かして21世紀に新しいビジネスを立ち上げたのが、川端嘉人氏だ。世界各地から調達した缶詰をそろえた飲食店をフランチャイズ展開している。多彩な品ぞろえの一方で食材のロスがない。調理が不要なのでコストは抑えられる。起業に向いているという。

▼川端氏は芸術家だ。ビジネスの世界に身を置くようになって創作に打ち込める時間は減ったが、店舗の内装などビジネスに芸術を生かしている面もある。シェフならではの才覚で缶詰を生んだアペールに通じるところがありそうだ。シュンペーターのいう「創造的破壊」の現場では、そんな才能こそ必要なのかもしれない。

台地の邸宅や緑。低地の商店街や水辺。いずれも今となっては土地の個性であり

2013年07月28日 | Weblog
春秋
7/28付

 東京・文京区の高台に、奇跡的に残った大正時代の邸宅。その「旧安田楠雄邸」の一般公開が始まって6年がたつ。きのう訪れてみると、盛夏の中でも、庭の木々をくぐり抜けた風でエアコン無しでも十分過ごせる。日本の家とは本来こういうものだった、と思い出す。

▼奇跡的と呼ぶには理由がある。まず大正の関東大震災と昭和の戦災をくぐり抜けた。平成に直面したのは相続税という課題だ。残された家族や地域の人々の尽力、ボランティアによる調査などで、ある財団法人に寄付することで保存と公開への道が開けた。節句や花見、音楽会など催事の舞台としても地域に定着してきた。

▼邸宅に近い「須藤公園」は回遊式の庭園。土地の高低差を生かした滝と小川が涼しさを醸し出す。ある藩の屋敷跡が実業家であった須藤氏の持ち物となり、没後に遺族が庭にあたる部分を寄付したそうだ。一帯には多くの実業家や作家などが住まいを構えたが、形として残っているものはまれ。街の変化の激しさを物語る。

▼大都市にしては地形が入り組んでいるのが東京の特徴だ。旧安田邸から坂を下った先の商店街、谷中銀座は地元の人に夏休み中の若者ら観光客も加わり、大変なにぎわいだ。台地の邸宅や緑。低地の商店街や水辺。いずれも今となっては土地の個性であり、都市の持つ資産だ。こうした多様性を、うまく生かしていきたい。

変化を恐れぬ姿勢が運を呼び込んだのだろう。

2013年07月27日 | Weblog
春秋
7/27付

 土光敏夫氏がIHIの会長から、再建役として請われて東芝の社長に就いたときのことだ。トップ交代を機に新しい社訓をつくってみては、という提案をこう断った。「どうせ作るなら、毎日変わる社訓をつくったらどうか」(「清貧と復興 土光敏夫100の言葉」)

▼いったん定めた会社の指針を社員が固定的にとらえれば、新しいやり方や考え方が生まれてこない。変化の速い時代を乗り切れない――。日替わり社訓にするくらいでないと、と切り返したのはそんな思いがあったからだ。50年近く前の話だが、しなやかに自ら変わっていくことの大切さはそのころから既に説かれていた。

▼デジタル化の波に乗ってきた企業が岐路にさしかかっている。高機能、高価格で伸ばしてきた米アップルのスマートフォン戦略の前に、低価格を武器にした中国企業が立ちはだかる。韓国サムスン電子も先行するミャンマーなどで、中国勢に急速に追い上げられている。ここでも問われるのは企業が日々変わっていく力だ。

▼土光氏は幸運な男だった。東芝の社長になると「いざなぎ景気」が到来し、業績は急回復した。自身も社内の前例にとらわれず、モーレツに働いた。20万~30万円の取引に社長自ら相手の会社に出向いて契約を獲得。重役会議が長引かないよう、立ったまま開いたこともある。変化を恐れぬ姿勢が運を呼び込んだのだろう。

一杯食ったと知って意趣返しをしようにも、泣き寝入りするしかない。

2013年07月26日 | Weblog
春秋
7/26付

 落語の傑作の印象が強いせいか、起請文(誓約書)と聞くとただの紙っ切れと思ってしまう。同じ花魁(おいらん)から「年季が明けたら夫婦になる」という起請文をそれぞれもらって脂下(やにさ)がった男3人、一杯食ったと知って意趣返しに吉原に乗り込むが……。「三枚起請」である。

▼真の起請文に漂う緊張感はさすがに違う。土佐の西洋砲術家に入門した坂本龍馬らが血判つきで名を連ね、流派の技術を外に漏らさぬことを誓った長さ13メートルの巻物が見つかった。龍馬のものとわかる血判はほかにないという。その龍馬が「日本を今一度せんたくいたし申候」と姉宛ての手紙に書いたのも知られるところだ。

▼こちらはもう知られぬところだが、3年前の参院選前のテレビCMにシーツのような白布をゴシゴシ手洗いする男が登場した。白布を日本に見立て、自らは龍馬を気取ったか。当時の民主党代表・菅直人氏である。今回の選挙では公認を差し置き無所属候補を応援した。で離党の覚悟があるかと思えばそうではないらしい。

▼居直る菅さんだけでなく、菅さんに引導を渡せぬ民主党にもわが身の汚れさえ落とす力がないようである。まあ血判状などなかろうから、党の行く末は心配するだけやぼかもしれぬ。しかし、激減したとはいえ参院選でこの党に入れた人々が気になる。一杯食ったと知って意趣返しをしようにも、泣き寝入りするしかない。