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ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

韓国旅行⑫ハフェマウル

2006年07月09日 | 韓国&中国旅行
ここに行ったのは1998年春の事。NHKテレビ講座のスキットの舞台になっていたので、それを見てて行ってみたかったから。慶尚北道の北部・安東(アンドン)市の郊外にある。昔貴族階級がすんでいたところで、彼らの住んでいた家がたくさん残っている事で有名。ちなみにこの次の年に、イギリスのクィーン・エリザベスがここを訪れてすごく有名になった。

安東駅までは列車で行って、そこからハフェマウルまではタクシーで向かった。安東駅に着いたのがお昼過ぎだったので、ハフェマウルにはずいぶ遅くなってから着いた。

こういう昔ながらの建物がそのまま残っている。(クリックすると大きくなります)





今はずいぶん観光地化されてるみたいだけれど、私が行った時は昔がそのまんま残っているみたいだった。

帰ろうと思って停留所に行くと、安東駅行きのバスはもう無かった。それでしかたなく民泊をする事にした。民泊とは韓国とか中国の朝鮮族の地域ではよくやっている事で、普通の家にお金を出して泊めてもらう事。どうもこの村では観光客に普通にそれを行っているようだった。
      
という事で夕食をいただき、小さな部屋で一泊した。値段は1万5千ウォン(今のレートで1300円くらい)。トイレが離れたところにあって、夜はちょっと大変だった。そもそもがあまりにも静かなところなので、ちょっと心細かったのは事実。昔の貴族たちもこんな時間を送っていたのかな?
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中国旅行⑧再び大連へ

2006年07月06日 | 韓国&中国旅行
2年前のちょうど今頃、つまり梅雨時に体調がとってもおかしくなりました。6年前ぐらい前、病気をして1年以上休職 (この時に佐渡にいたのですが) せざるを得なくなった時に出ていたいくつかの症状の一つが再発していたのです。これはまずいと思って、その年の8月ひと月仕事を休む事にしました。というよりこの一ヶ月はもともと研修を行うつもりで予定していたので、その研修を取りやめにしたという事ではあったのですが。

こういう時はなんにも考えないで、頭の中を真っ白にするのに限るのです。それで私はあても無く旅に出ることにしました。その時に頭にあったのが、それより更に2年前に中国の大連に行った事でした。いくつかの事が頭に残っていました。中国の東北部には朝鮮族の人が結構たくさん居住しているので、その人たちを頼りにすれば中国語が出来なくても何とか旅ができるという事、中国は物価がとても安いので、お金がかからないという事です。

まずともかく大連までは行けるから、その先は出たとこ勝負で、とにかく中国を旅行してみよう、そう考えたのです。幸いにも15日間までならビザが不要になっていました。それで前回と同じ韓国・仁川→中国・大連というフェリーを使って、何はともかく行ってみる事にしたのです。

韓国までの旅程は簡単に書いておきます。
一日目 青春18きっぷで福井まで。 福井市のカプセルホテル泊。 
二日目 青春18きっぷで大阪に移動。夕方大阪港発のフェリーで韓国へ。

このフェリーに乗るのは確か初めてだったけど、片道1万3千円の2等Bで、すべて間仕切りのベッドという結構いいものでした。夏休みという事で、韓国の学生達で一杯だったような記憶があります。彼らの様を見ていて、韓国ではカップラーメンを食べる時に、蓋を丸めてそこに麺をのせて食べるというのが流行っているのではと思いました。 


           こんな感じ

韓国に着いて、光州(クヮンジュ・・この旅の事はすでに記事にしています)を経由して、仁川港に行きました。2年前より航路が増えていました。丹東行きもあるようです。けれどいきなり知らない街はさすがに不安なので、大連に行く事にしたのです。  つづく

P.S.7月8日一部訂正
   
コメント (2)
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韓国旅行⑪ウルルン島

2006年06月20日 | 韓国&中国旅行
前回釜山からちょっと寄り道をして、日本の対馬に行きました。また韓国に戻ります。慶尚北道に向かいます。韓国の西の東海(日本海)に面したところの道で、テグ(大邱)という大きな街があります。また古都キョンジュ(慶州)もこの道にあります。

もう8年以上も前のことですが、ポハン(浦項)という街の港から、ウルルン島に行った事があります(下の地図の3本の赤線の一番下)。なぜここに行ったかというと、NHKのテレビ韓国語講座でこの島を取り上げた事があり、それを見て行ってみたいと思ったからです。



テグからキョンジュ経由のバスでポハンに向かいました。ポハンという街は大きな製鉄所のある工業都市です。着いたのは夕方でした。港町という事で夕食に海鮮鍋を食べ、旅館で一泊して、次の朝ポハン港に向かいました。おっ、ウルルン島行きのフェリーが停泊しています。



佐渡汽船みたいな感じのフェリーでした。

船底では熱心に花札をしている人たちがいます。花札は日本から伝わったらしいですが、韓国の方が日本よりずっと盛んです。



片道3時間ぐらいの船旅だったでしょうか。船はウルルン港に入港です。



奥の階段の手前に停まっているジープがタクシーです。この島のタクシーはすべてジープでした。坂の多い島なのでしょう。

ウルルン港の周辺の集落です。



島全体でも人口は5千人ぐらいだそうです。

残念だったのはこの時はあまり時間が取れなかったということ。本当は島で一泊したかったのですが、その日のうちに本土に戻らなければなりませんでした。ですからお昼頃着いて港の周りを見て回っただけで、島の奥の方には行く事が出来ませんでした。写真に撮っておくことが出来なかったので残念ですが、港近くで食べたスルメイカを焼いたものが、肉厚でとってもおいしかったです。

3時ごろの便だったでしょうか。高速船で今度はポハンではなくトンヘという江原(カンウォン)道の港に向かいました(地図の3本の赤線の一番上)。



一つだけわかった事は、離島に行けば韓国っぽくない雰囲気があるかな?と思ってたのですが、やっぱりここも韓国だったということ。

結局イカを食べに行っただけみたいなウルルン島旅行でした。

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中国旅行⑦大連→仁川

2006年06月16日 | 韓国&中国旅行
前回の続きです。

大連の街の食堂で夕食をして朝鮮族商人の家に戻ると、昨夜とはうって変わっていろんな人が来ていました。話をしていて結果的にわかったのは、次の日私と同じ船で韓国の仁川に帰る人たちで、私と同じように五つの品物を運ぶ事になっている人たちでした。韓国人の男性と朝鮮族のご夫人(同じ民族の人たちですが便宜上こう書きます)と男の子、韓国に嫁いでいる朝鮮族の女性と韓国人の義兄、それにもうお一人やはり韓国に嫁いでいる朝鮮族の女性でした。皆それぞれ中国の実家に里帰りしてきた帰りでした。どうもいつも中国に来るたびに、帰りはこうして品物を運んでちょっとしたアルバイトをしているようです。(この事の詳しい経緯については中国旅行のカテゴリーの③を読んでいただければと思いますが、簡単に言うと一人あたりの運ぶ量が制限されているので分担を引き受ける)

ここまで仲間がいればもう心配ありません。私も安心して5つの品物を運ぶ事にしました。それよりもこの人たちとのお話が楽しくて,その晩はそれに夢中になってしまいました。朝鮮族の人たちの韓国往来の事情を垣間見る事が出来ました。それにしても本来であれば北朝鮮の部分を経て繋がっているのに、わざわざこうしてぐるっと廻って行かなきゃならないっていうのはねえ・・・。わたしが日本人であるということにはやはり興味を持たれて、いろいろ言われました。私とは韓国語で話していたのですが、「日本人は英語が下手だよねえ」。どこで聞いた事か知りませんが。まあ後になってわかった事ですが、朝鮮族の人たちの語学力というのは大変優れています。小さい時から母語と中国語のバイリンガルで育っているので,語学学習のひけつを心得ているのかも知れません。

明くる朝皆一緒に食事をして車で大連港に移動しました。結局チケットの購入などもすべてやってもらったので大変助かりました。一人であったら言葉がわからないからどんな事になっていたかわかりません。品物を運ぶといっても別に我々が持つわけではなく、持った事にするだけで、すべて大きなカートに載せられています。船の出港は午後3時頃です。手続きだけ済ませてあとは港の周辺のお店を見て廻りました。約束の200元(3000円くらい)もちゃんともらいました。
                   
帰りの船旅は往路とは違い、この人たちと大変楽しく過ごす事が出来ました。しかし時間的には往路と同じ一晩の航行の後,韓国の仁川港に到着しました。ここからは各自が5つの品物を持って税関を通る事になります。当然一般客に比べると時間がかかります。まあでもしかたありません。税関のお兄さんは品物の重さを量っただけで,特に質問をされたりということはありませんでした。ホッ

外に出ると韓国側の待ち受けの人がいて、品物を渡したらもうさようならです。一緒だった人たちと挨拶をして、銀行の出張所で両替をしました。結局行く前に替えたお金は半分以上使いませんでした。まあずいぶん安上がりでその割にはスリリングで楽しく、そして収穫の多い旅でしたね。

韓国に帰ってから一つだけポカしちゃいました。大連では信号の無い大通りを平気で渡る事に慣れちゃったため、韓国でつい同じ調子でそれをやっちゃたらおまわりさんにお目玉を食らったということ。

この2年後もう一度中国旅行をしています。一回目は大連だけでしたが、2回目は大連から吉林省のずっと奥に行き、北朝鮮国境まで行くことになります。おいおい書きますね。 つづく
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韓国旅行⑩対馬経由

2006年06月09日 | 韓国&中国旅行
韓国旅行の前回、釜山の沖に出ました。そのままずっと日本の方に向かってしまいます。どこまで行くかというと、韓国に一番近い日本「対馬」です。実は対馬と韓国の釜山は国際航路で結ばれています。これは日本の船会社のものではなく、韓国の大亜高速海運による運行です。なんせ釜山から見た対馬は、チェヂュ島よりもずっと近いのです。それでリゾート地としての振興を考えたのかもしれません。結果的に韓国からの観光客は年々増えているようで、昨年は対馬の人口とほぼ同数の3万9千人が来島したとの事です。その近さを実感してみたくて、対馬を経由して韓国に行ってみようと思い立ったわけです。4年前のことでした。今回はそのお話をいたしましょう。

まず対馬に行かなければなりません。調べてみると、博多から対馬に行く船は、厳原港行きと比田勝港行きという二つがあるようでした。簡単に言うと厳原が南で比田勝が北です。そして比田勝には博多から夜行のフェリーが出ている事がわかりました。これは使えます。青春18切符で夜中までに博多に行って、夜行のフェリーで一泊して、対馬を少し観光して、昼間の船で釜山に行く。グッドアイディアです。

ということで実行。博多⇔比田勝というフェリーは割と小さなものでしたね。朝早く比田勝港に着きました。韓国が見えるという「異国が見える丘」というところに行ってみたのですが、天候が悪く残念ながら見えませんでした。対馬⇔釜山という国際航路は、厳原⇔釜山と比田勝⇔釜山が交代で運行されています。比田勝⇔釜山という便はこの日ではなく次の日の運行でした。何か勘違いをしていたのかもしれません。

それで厳原まで行ってみる事にしました。同じ対馬とはいえ比田勝⇔厳原は6~70キロあります。バスでしたが結構な長旅でした。厳原に着いてぶらぶらとしていたのですが、そうすると日本聖公会厳原聖ヨハネ教会が目に付いたのでぶらりと入ってみました。牛島さんという方が応対してくださいました。もちろんはじめてお会いしたのですが、何か以前から知っていたようにいろいろお話をさせていただきました。私としてはその日の宿の事が気になっていました。もちろんホテルに泊まればよいのですが、なんせ相変わらずの貧乏旅行です。それでしばらく経ったところでおそるおそる切り出してみました。「すみません、今晩ここに泊めてもらえないでしょうか?」そうすると牛島さんは、何でそんな事聞くんですか?という顔で、「最初からそのつもりでしたよ」

ということで、その晩楽しくおしゃべりをしながら泊めていただいたというわけです。実は牛島さんとはその後も(勝手ながら)親交を持っていて、彼がブログをしているのを見ていて、私も啓発されてやってみようという気になったわけです。

あくる朝、牛島さんが車であちこち案内してくださいました。対馬って本当に良いところです。牛島さんはその日九州に行くという事で、お別れして私は再び比田勝に向かいました。ところが比田勝港の釜山行きのカウンターには紙切れ一枚
「時化のため本日欠航」 
次の釜山行きの便は翌日厳原からです。しかたなしに再び厳原に戻りホテルで一泊して、ついに念願の対馬→釜山という高速船に乗ることが出来ました。案の定韓国はあっという間でした。新潟⇔佐渡の高速船くらいの感じです。ほとんどは韓国からのお客さんのようでしたね。

対馬は、「経由」だけのつもりだったのに結構な「滞在」になってしまいました。でもそのおかげで対馬をいろいろと味わうことが出来ました。いつかまた訪ねてみたいところですね。

P.S.韓国旅行の次回は慶尚北道に進みます。
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