そらいプロジェクト。

そらイのなすこと、思うこと。

考えすぎ

2011年10月25日 11時31分19秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年10月のごとおび25日は火曜日となっております。事務処理が追いつかず、精神的に参っている日々であり、そういうときは、いろいろと打開策を考えてみるものです。仕事は頑張りたい、なのにやる気が起きないというアンビバレントな心理について、考えて見ることにしました。

仕事は一生懸命やりたい・・・、頑張れば報酬も頂けるでしょう。やる気が起きない・・・、疲れているのか、仕事の責任から逃れたいのか。この感覚、心理は・・・。アンビバレントな心理ではないかと、思いつき、ちょっと検索してみたのでした。本来人の心とはそういうものなのか・・・「好き」と「嫌い」は両立しうる、「楽しい(楽)」と「苦しい(苦)」も、両立しうる気がする・・・馬鹿騒ぎした後は疲れるものですし。

アンビバレントな心理について検索すると、たとえば「不安」は「安心したい」という思いの裏返しであり、「心配なんてしていない」という言明には、心中の不安に対抗するためか、心中の不安に気づいていない、あるいは言葉どおり本当に心配していないか、のどれかということで、言葉のニュアンスの問題を語る論者もありました。

いろいろなことは大抵は両義的であり、それらは価値評価の問題であり、良くもあり悪くもあるなか、良いのと悪いのとでは、そりゃ~良い方がいいのにも関わらず、そう見れなくなるのは何故なのか。これまでとは別人のように・・・

限られた時間の中で、時が来ればお尻に火がついて、、、そう、生き残りをかけた事務処理サバイバルとでも捕らえれば頑張れるのか、とも考えましたが、そういう戦略か理念かでは、増えてゆく事務処理には対応できなくなる・・・。精神的にいっぱいっぱいで、自分のことばかりに目が行き、依頼者のことを考えられなくなっているのではないか・・・日々「依頼者のために」と念ずるのが一番すじのいい頑張り方なのかなと、先ほど思ったりもしましたが、いくら念じたところで仕事が前に進めなければ、言うだけの人・・・そう願ったとしても、おそらくそれだけでは解決しない。

そもそもが考えてどうにかなるものではく、評価や視点が織り込み済みの現実や実際があって、その説明・伝達のために言葉があるようにも思え、しかし新たな考え方や評価によってがらりと変化することもあるから、変化がゆるやかだったりすると、下手な考え休むに似たりというふうに見えるだけか・・・。

以上のように考えすぎたあとで、ラジオで聞いた話で思い出したのが、アルコール中毒で数十年のあいだ入退院を繰り返した方が、アルコール中毒の方々の施設で、食事・洗濯・掃除と家事一切を自身の仕事とすることで、その方も健全な生活を取り戻したというものでした。考えすぎたこれまでの話とどのようにつながるのか自身でも分かりませんが、まだまだ私も未熟者だと、そんな気がしてきます。

願いすぎたり、念じすぎたり、考えすぎたりするのが、一番良くないということに、うっすら気づいたお昼前でありました。


本日も宜しくお願い申し上げます。


※写真は、目にしみる道ばたのヨモギ?の緑