そらいプロジェクト。

そらイのなすこと、思うこと。

情熱を傾ける

2011年09月26日 08時41分11秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年の9月26日、、、ウソのように時間は過ぎてゆきました。以前どこかで「多摩の山奥には狸(たぬき)や狢(むじな)が沢山いて、」といったお話を伺い、狸はわかるのですが、狢ってどんな動物だったのか、想像できませんでした。ウィキによれば、「ムジナ(貉、狢)とは、主にアナグマのことを指す。地方によってはタヌキやハクビシンを 指したり、これらの種をはっきり区別することなくまとめて指している場合もある。」とのことです。ウソからカワウソを思い出してしまい、そこからの連想と思いだしでした。ウソにも山ウソや何やらがいるかと検索してみますと、ウソという鳥はいるようでした。

さて時というのは人を限定し、個性化するもので、物事に精通し熟達するには時間がかかるもだと、永山フェスティバルの出し物をみていて思ったものでした。振り返ってみると、私の仕事である登記手続や行政手続も、一般市民の方からすると大変な難しさであるのは、行政手続の画一的処理規則を適用することによるのですが、そのよしあしはさておき、精一杯ご案内し手続代理してゆかねば、と思うところがありました。何一つとして簡単な物事はないのであり、出来るようになってからも時には自らを省みてちゃんと出来ているかチェックしてみるのがよいのでしょう。

青年会議所10月例会の準備を委員長の如くかけずまわっておりまして、そろそろ仕事が限界です。しかし頑張っただけあって多摩大の方ともコラボして行けそうなつながりができましたから、現場に出るって大切です。これで私の青年会議所活動は完成というくらいに思えるようになった、そんな気がしています。あともう少し最後まで責任は果たすとして、これからはもう自分のことでヨイでしょう。自分のことと言っても、司法書士会の活動などもあるのですから、これからは断ることも検討したいと思います。

おっと、9:15分!
本日も宜しくお願いいたします。

※写真は、永山フェスティバル


価値観の多様性

2011年09月19日 11時20分05秒 | 努力し続けるために
みなさまこんにちは。2011年9月の16日・・・?世間は連休だったようで本日は19日敬老の日となっております。私はどうも眉間のあたりがキリキリと痛み、そういえば喉が痛かったことを思いだし、風邪を引いていると自覚してこのかた、まったく調子が悪く弱っておりました。季節の変わり目は朝晩寒いので、温かくして、少し寝汗かくくらいにして休みませんと、こういうことになります。少しずつ回復しております。体調が本調子でなかったり、すべきことの多さに圧倒されているときほど、ついつい片付けをしたくなるもので、午前中は、倉庫から巨大扇風機を出してみたりしました。

木曜日、金曜日と大変でした。急変されたご本人様の対応に追われ、手術はうまくいきましたが術後どれだけ回復するか、施設に戻れるか、気がかりです。入院セットは大体1万円もせずに購入しまして、お届け済みです。

なかなか机仕事がすすみませんし、いろいろな精神的プレッシャーもありますから、無理はせず、休むべき時には休んで、ご依頼者様からの依頼の目的を達成させたいところです。時間がかかっている点が申し訳ないところです。イリサワ先生なら大丈夫・・・ほんとかなほんとかな~

最近ふと思ったことは、髪型など美意識や価値観について、これらが時代や文化によって異なっているというよく言われていることで、しかし例えば、ちょんまげを結っていた私たちの先祖は、おそらくそれがキリリとしていてカッコイイと思っていたのではないかと想像してみると、価値観としてヨイとされているものは、時代の感覚によって支配されているということでした。ウィキによれば、「明治4年8月9日に散髪脱刀勝手令(いわゆる断髪令)が太政官布告され、さらに明治6年明治天皇の断髪に至ると、伝統的な男髷(まげ)を結う男性は激減し、洋髪やざんぎり頭が流行した。それでもなお保守的な男髷姿の人を(半ば揶揄して)「丁髷頭」と呼ぶようになり、現在、この呼称が男髷全体の名称として用いられるようになった。」とのこと。

あとこないだラジオで聞いた心理学者のユングが語ったという「人生の正午」という概念も一個人の価値観の変容という意味での多様性を示していて、また敬老の日に考えさせられる話でした。人生の発達段階について、ある段階について課題を克服できなかったからその人の人生は失敗だと断定できるものではなく、また、全ての段階を上手に達成したから人生において何の問題も起きないというものでもなく、その年代ごとに、その人にとっての課題というものはあらわれてくるものだということでした。「人生の正午」とは、様々な「関係性」を獲得して行く成人期から一転する、その始まりを表現したものであり、衰えて行く時期、老化の始まりについて、しかしそれでも人間の心は自身の心理的課題と向き合い成長してゆくといったお話でした。ちょうど東から上った太陽は、これまでその人の影を西に伸ばしていたところ、太陽がその人の頭上を過ぎ、ついにはその人の影を東に向けてゆく、という表現がわかりやすいとのことでした。

さて私めも、自身の課題と向き合わねばなりますまい。
調子が悪いからといって、2日間も休んだらあとは働くしかないでしょうとも。


本日も宜しくお願い申し上げます。

※写真は、帰ってきた扇風機

イリサワ先生なら大丈夫

2011年09月08日 23時09分23秒 | 努力し続けるために
みなさまこんばんは。本日は2011年の9月8日木曜日でありました。例のカレンダーによると明日は救急の日だそうです。明日はまた週末ラストの金曜日。。。土日とか週休2日とか、雇用労働の方には必要と思いますが、自営業からすると10日でも20日でも元気に働いて、そりゃ~夜は眠って、休みたい時に自分の責任で何日か休めばよいのではないかと、思ったりしますが、結局のところ官公署がお休みなので、あまり意味がないか・・・しかし事務仕事は進められるはずなので、仕事は進めて精神的には落ち着きたいなと、妄想する今日この頃です。そもそも何故官公署は土日休みなのでしょうか・・・クリスチャンでもない日本人が土曜日を半ドンと言ってお昼で仕事はお終いであったあの制度は、一体何だったのか・・・ウィキによると「イギリスの工場法1850年改正により立法化され、日本には明治の初め1876年に日曜日全休とともに官公庁に導入された。 かつて(概ね1980年代頃まで)、多くの官公庁・企業・学校で土曜日は半ドンであったが、その後週休二日制が導入されて定期的な早期終業が少なくなり、今日では死語になりつつある。」とありました・・・死語となった制度について振り返ることができるのは、私たち世代が限度かも知れません。ここを掘り下げてもあまり良い結論には辿り着きそうもありませんので話題を変えましょう。

最近はGyaOで「クワイエットルームにようこそ」と「くるりのこと」・・・?「ぐるりのこと」を見ました。「クワイエットルーム」は笑いの中にほろ苦さのあるお話でした。「くるりのこと」・・・?「ぐるりのこと」は以前保険屋さんから聞いたのですが、この映画の撮影で永山団地など使われていたとのことでした。永山だったかな・・・多摩市はよくいろいろな撮影で出てくるそうですからどうということはないのか・・・ほろ苦さの中に微笑みのあるお話でした。

ちょうど先週、ラジオで東京ジャズフェスティバル2011をやっいて、ケニー・バロンという人の演奏がクールでせつな系でした。アマゾンでCD買ってみようと思います。

あとは、ラジオで心理学と教育学を織り交ぜた講義をやっていましたのは、新しいけどちょっと前からやっている古い活動なのか分かりませんが、しかしまだまだ人間て自分たちのことを分かっていないようなので、そういう自分も何とかどっこいお陰様で生きているので、簡単でないことは分かるのですが、古い制度はどんどん新しく良いものにしていってほしいと思います。カタカタ打っていますとドンドン長くなっていきますので、もうヨシにして、仕事に戻り・・・ますか。

本日みなさまはお疲れ様でした。
タイトルは、本日鹿野税理士から聞いた言葉。

※写真は、小野神社

盛夏は湿度だけを残して

2011年09月02日 08時26分18秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年の9月、、、何月でしたか。。。長月でしたか・・・秋の夜長や稲の穂の長いのから長月のようです。さてテンテコの舞を踊りつつけている先月下旬から、現在もまだ上手に踊れず、右往左往しておるところです。先週のこと、南多摩高校のあかね会委員会にて、高尾山薬王院に遅参しまして、そう、すっかり金曜日だと思っていたあの土曜日、頂いた絵はがきには「手を抜かない」とのメッセージがあわせて入っていました。私はドキッと、ハッと、したものでした。頑張りませんと様々な案件が月単位で遅れていきます。季節単位で遅れるようなことはないように、努めたいところです。盛夏は湿度だけ残して、過ぎ去りつつあります。暑さ寒さもなんとやら、9月20日~26日がお彼岸のようで、お盆には祖父母のところでもご挨拶に伺えれば、と期待しています。自分で自分に期待するところが微妙な表現で、自営業は読めない、休みは有って無いような無くて有るような、そんな意味合いを無意識に込めているのを意識化してみました。

さて最近ラジオで聞いたのは、ベルトコンベア方式の生産ラインではない、セル生産方式というものが注目されつつあるということでした。近代を切り開いた大量生産の方法としてのライン生産方式の場合、ひとつの工程でトラブルが発生すると他の工程もストップしてしまい、生産性が悪くなるそうです。一方セル生産方式は、一人ないしチームでひとつの製品を完成まで担当する、そういった一人ないしチームをセルとして、生産単位とする方式で、携帯電話などがそんな方式で作られているといった話でした。日本で提唱された方式だとウィキにあります。チャップリンのモダンタイムズで風刺されたとおり、ライン生産方式は生産工程の一部を分業して、単純作業を日がな一日繰り返すことで、大量生産を可能にしました。しかしそういった働き方には人間性が乏しく、仕事に対する誇りや技術の熟達といったことには無関係でした。生産量が少ないものには不向きです。セル生産方式では、セルが製品完成の責任をとるので、誇りや技術の熟達を要する方式であり、セルの数を減らすことによって生産量・供給量を抑えることができる、とのことです。ただしライン生産方式よりも、従業員の教育やセル一つ一つに対する設備にコストがかかるといったことはあるようです。

また別のラジオで聞いたのは、まだまだ生態がわかっていない生物がたくさんいるようで、北極クジラが200歳生きるらしいということが最近わかったとのことでした。200歳生きるとなると、、、100歳でやっと責任ある立場のクジラでしょうか・・・地球上に生きているのは人間だけではないので、仕事ばかりしている自分を相対化するには、北極クジラの話や、最近の事務所下のあの、なんでしたか・・・そう!「しで(紙垂)」の飾りは、地域の神社の関係で、商店街の方々が飾ってくださっています、何かの儀式というか物語があって、やさしい心遣いを感じたりします。

そういったことに救われながら、、、
本日も宜しくお願いいたします。

※写真は、しで飾りの初秋の夜長