そらいプロジェクト。

そらイのなすこと、思うこと。

中途半端な時間のブログ

2011年05月31日 11時38分02秒 | 努力し続けるために
みなさまこんにちは!とうとう2011年の風薫る5月も風前の灯火となりました、火曜日となっております。お昼から銀行周りの予定ですので、しばらくカタカタとブログを打つことにしました。昨日は成年後見のご本人様と外出しまして、元お隣さんで別の特養に入所中の方に面会に行きました。調布にお住まいの方で最初に入所待ちの特養の順番がきたのが、稲城のだったという話で、住まいの特養だけではなく近隣も申し込んでおくと良いのかなと思いました。しかしなんと言っても介護度が高くないことには入所は難しく、最近は介護認定の段階が厳しく設定され、要介護2の方など、要支援になったりしているところです。次々と認定調査の立会がありますので、いろいろと探ってみたいと思います。

不動産決済の立会は、まったくしませんが、しないでも収入はあるので、特に決済がないことについて困ったりはしてません。

不動産登記にも売買や抵当権設定ばかりではなく、相続登記もあり、また相続登記で複雑な事例など、どのように勉強してゆくかを先日、多摩協会支部の公嘱総会にて、先輩から伺い早速書籍を購入しておるところです。これは本格的に読み込んでいかねばならない、久しぶりに本での勉強が出来るので、それはそれで楽しくやりたいと思います。

そう昨日は夕方から社労士の友人が訪れ、飲みに行ったのでした。月曜日から豪勢なことです。最近よくGyaOで戦争映画を見るので、セントアンナの奇跡で、大体ドイツ軍も地元イタリア村民もひもじい思いをしていることから、当時の日本人がどんなものを食べていたか、という話題になり、友人の父によると、うどん粉が少し入った水を鉄板で焼いたり、高架橋の下によくわからない小さな鳥が沢山卵を産んでいたので、それをゆでて食べていたとのことでした。とても不味かったそうですが、それのおかけで持ちこたえたという面もあったようです。いじめっ子が気の弱い子から食料を取り上げて、その気の弱い子が空腹で眠ることも出来ずにうなだれていた光景を目にしたそうです。

さてそろそろお昼ですので、銀行周りしてきます。
本日も宜しくお願いいたします。

※写真は、ビルの谷間
こないだの総会前に歩いた古本屋街付近

多~忙全快

2011年05月30日 09時03分05秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年5月30日となってしまいました。山で先輩に聞いた話によると梅雨に入ったそうで、成年後見のご本人様から例年より10日早い入梅だとの話を聞きました。植木の植え替えは入梅後の方がよいのですが、今年は気になる植木・観葉植物を植え替えたら梅雨がやってきました。野鳥の会に募金の小銭を振り込みましたところ、中に一銭硬貨が入っていて驚いたり、セブンイレブンでくじ引きしたらUFOソース焼きそばが当たったりします。

さて先週は、まったく忙しく、一週間が長い一日であったかように思われ、その反動で一週間ほど休みたい気持ちですが、そうは言っておられませんで、開けていない封筒が沢山ありますからそれらから始めて、9:00を過ぎましたら関係各所に連絡です。1件くらいオンライン申請もしたいです。午後から調布・国領まで面会です。雨、大分おさまってきていますね。

土曜日の夕方にある先輩の話によると、やはり現在の状況でも電力は十分まかなえているにもかかわらず、何らかの陰謀によって・・・福島の原子力発電所一個所だけで首都圏の電力をまかなっているはずはない、とのことでした。成年後見のご本人様宅に届けられていた東京電力作成の、今回の震災による被害とお詫びの文章によると、原子力発電所のほか火力発電所にも被害があって・・・云々と記載されていて、火力発電所の被害ってどんなものだったのか、あまり報道されていないなと、思った次第です。

そうそう最近戸籍の請求で知ったことは、成年後見人がご本人関係の戸籍を請求する場合、原則として発行後3ヶ月以内の成年後見登記事項証明書の原本を添付して原本還付しなければならないのだそうで、こないだの全労済のケースと同じなのは、どうなのか、登記事項証明書も安くなったので、、、それでも良いのか、職業後見人は取り慣れているので対応できますが、親族後見人には厳しくはないか、そんなことを考えております。

おっと、もう9:00をまわりました。
本日も宜しくお願いいたします。

※写真は、これから毎週土曜日は原則として高尾・陣馬を歩くことにした第一回目の景色
小雨の中、神秘的な風景でした。だいたい三日坊主、一日坊主ですが、今回は習慣になるよう、無理せず。

組織や制度とつながっています。

2011年05月23日 08時28分16秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年の5月の、、、なんと5月も下旬がスタート、お終いの始まりの月曜日となりました。金曜日は多摩市高齢者法律ネットワークの発足の集いでありました。土曜日は司法書士会の総会でありました。日曜日はただただひたすら何もしないでおりました。土曜日は午後からでしたが早めに出て、神保町の古本やを少し歩き、喫茶店など入りまして気晴らしとなりました。日曜日には、しかし少し弱りかけている植物を大きな鉢に植え替えたりはしました。ほんのちょっとでも土に親しむのはよいものです。昨日今日と気温が上がらないので、この鉢植えが寒くなりすぎないように気にかけております。

放射能の状況はどんなもんか、昨日もう一度ドイツの気象庁?のサイトで確認しましたら、しっかり関東平野から博多の方まで広がっておりました。先輩の話では、実は原子力発電がなくても電力は十分まかなえるらしい、とのことでした。だとすると、新しい技術である原子力発電を使いたいので、原子力発電の必要性をアピールするために、計画停電など実施したということになるのでしょうか。一方原子力学会の方は報道で、原子力発電は必要だとと言っていましたね。研究者も原子力業界と癒着しているとしたら、、、なんて後ろ向きな見方でしょうか。。。

司法書士制度・・・真に国民のための制度となるには、どのようなやり方でアピールするのがよいのか、あまり過剰にアピールすると、なんだ結局自分たちの職域を護り・拡大したいだけではないかと思われてもいけない気がします。しかしどうもさまざまな士業の中で、司法書士と土地家屋調査士は立場が大変に危うい、一人ひとりの業務処理に対する懲戒制度に不備があるようなので、主張すべき事はしっかり主張しなければならない状況にあるようでした。法律を司る省の管轄である士業の位置づけがこのような状況であるということは、日本の国の法制度が手続保障の点で弱い、法の適用を受ける私たちの無関心・沈黙は金なりの姿勢が原因かも知れません。少しずつ変革の機運が高まりつつあるのでしょう。

さて、最近ラジオで聞いたのは、愛着には4つの類型があり、それが文化的要因によることがあるというものでした。日本人にはタイプAが多く、、、タイプBが多い国もあるとのことでした。タイプAの定義がどうも素っ気なく好ましくない感じがしますが、良い面もあるのではないかと思わないではありません。愛着の4類型の説明は、こちらの方のサイトがわかりやすかったです。

さて九時をまわりました。
本日も宜しくお願い申し上げます。

※写真は、百合ヶ丘の路地裏

我慢とねばり

2011年05月20日 09時05分55秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年の5月20日金曜日となりました。今週も本日がラストとなります。また今朝も少し蒸し暑い・・・5月も中盤を過ぎ、また6月、7月と夏になれば、そして今年は節電が至上命題なので、氷の柱でも売る仕事を都内のオフィスやご家庭に届けるビジネスでも始めれば、売り上げの一部で、巨大氷を被災地に届けるなどすれば、なんて思いついたりします。つい最近ラジオで聞いた話では、仕事には三つの側面があり、1・自己実現、2・生計維持、3・社会貢献という側面のうち、3を充足し、2は売り上げ次第、1は各人の好みや関心の問題ということで、誰かやられたら、、、もう誰か思いついて準備を進めているか、などと空想しております。

さて私は、昨日も午後からあちらこちら移動しまして、帰りが23:00近くでありましたから、ちょっと疲れております。しかし本日進めておきたいこともありますので、それらのいくつかを前進させて、また午後から後見のご本人様面会と夕方には多摩市高齢者法律ネットワークの発足式典?祝い?がありますから出席です。

ちょっとちょっと、、、10:00から始めましょう・・・

ときにこないだGyaOで『戦場のピアニスト』を見まして、ナチスによるユダヤ人虐殺の壮絶さを目の当たりにした思いですが、事務所の本棚にあるヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を思いだし、出版者の序を読んでいましたら、第二次世界大戦における戦死その他の犠牲者数の一覧があり、一般市民の死者及び行方不明者数で、オーストリア12万5千人、中国膨大にして計量不可能、フランス15万2千人、ドイツ80万人、日本60万人ときまして、ポーランドが500万人となっていたので、参りました。この突出した死者行方不明者数は、強制収容所で命を奪われた人びとの推計に間違いないでしょう。「なぜ」ここまで苛烈な粛正がなされたのか・・・

などと思いつつ、
本日も宜しくお願い申し上げます。

※写真は、聖蹟駅前植え込みの花2

昨日は一日外回り

2011年05月17日 08時35分20秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年5月17日5月の真ん中の週がスタートしております。日曜日は、南多摩高校の卒業生の会あかね会の定期総会にお邪魔しました。何やら定時制高校はなくなり中学校がスタートしているようで、この中学校が難関校の部類に入っているとのことでした。陸上部は10年?連続で関東大会に出場していて・・・後輩は大変な活躍のようでした。また大先輩方も関係各方面にてご活躍で、そのお人柄に感銘を受けた次第でした。生徒による和太鼓のデモンストレーション、久しぶりに腹の底に響きました。また西川先輩のお話によれば、現在の日本の自動車産業が北米で外貨を獲得しているのと同じように、多摩地域が養蚕で生糸を生産しすべてアメリカに売っていたそうで、詳しくは『フィラデルフィアへのシルクロード』に記載があるのでしょうか、その他大正天皇ご崩御の際に多摩御陵に参列した西川先輩のお母様の英文日記や府立第四高等女学校の頃の自然地理学・人文地理学、教育学のテキストの冒頭部分をご紹介頂き、教育レベルの高さに感嘆しました。確かに教育学というのは現在では大学の一般教養からスタートする分野ですね。西川先輩の車椅子社交ダンスにも驚嘆いたしました。失われたものがある分、さらに輝いているのだと、再度思いました。

さて昨日は私、大変に時間に追われておりました。どうにかこうにか立ち回りました。
本日は午前中が外回りで午後からは事務所でいろいろと準備し、また明日にかけたいと考えております。

最近、「番長」って何に由来する肩書きなのかふと疑問に思い、ウィキペディアを検索しましたら以下のとおりでした。

「番長(ばんちょう)は、日本史上の歴史用語としては、律令制における役職の一つで、衛府の下級官人。延喜式には左右の近衛府・衛門府・兵衛府(あわせて六衛府と言う)に数名の番長役が設けられていたことが記されている。

20世紀の日本では、中学校や高等学校の不良少年の「リーダー格」を指す語である。これは元々の「番長」が武芸に秀でた護衛の統率者という性格の役職であったので、無頼者の長ということで名づけられたものと思われる。あるいは、旧日本陸軍の「当番長」から派生した言葉とも云われている。少女の番長は「女番/スケ番(スケバン)」と言う。一般的なイメージとしては、喧嘩に強いが仁義に篤く、子分の面倒をよく見るといったもので、弊衣破帽、学ランに下駄履きというバンカラファッションのイメージもある。なお、番長たちのさらに上に君臨し、複数の学校を支配する大番長は「総番」(往々にして「番長連合」が組まれていたりする)、表には出ず陰で支配する番長は「影番」「裏番」と呼称されることがある。小学生以下の場合は、通常ガキ大将と呼ばれる。

しかし、現実における番長は1970年代には既に希少となっており、1980年代には時代遅れとなっていた。わずかにプロ野球選手の清原和博及び三浦大輔(「ハマの~」)やサッカー選手の大久保嘉人(「港の~」)の渾名として痕跡をとどめるのみである。20世紀末からは、番長という存在はほとんどないといっても良く、不良行為に走る少年犯罪グループの存在の方が目立つ。近年では、リーダーシップを取れる人物、硬派の人物に対しての敬称として使われる場合も多く、マイナスイメージは薄れてきている。逆に、空威張り的な態度を軽蔑して、命名されることもある。

一方で漫画の世界では、その反動からか多種多様な「番長」が生み出されており、「番長漫画」とでも言うべきジャンルを作り上げた。前述の通り「番長」の言葉のマイナスイメージが薄らいでいるのも、「番長漫画」の世界においては現実に有り得ない「正義の番長」が登場し、活躍した事が影響している。現実において番長が時代遅れになる80年代以降においても、時代錯誤を指摘されながらも命脈を保ち、そのアナクロぶりを逆手に取ってギャグのネタとしても使われる事があった。」

懐かしくも新しい、、、くはないか、豊かな社会では、人間性の偏りも一人ひとりの個人の内部に、弱さも強さも几帳面さも粗野な部分も豊かに包摂して、番長にだって弱いところがあるという面に焦点があたったり、様々なハンディーがあるなかで毎日を過ごされている方々のたくましさに注目が集まります。そういう意味では平等なのかも知れません。たった一人で番長キャラ一辺倒な人は困ります。リーダーを求める声も新聞やラジオから聞こえてきますが、豊かな社会では、市民一人ひとりが公共の福祉に配慮しつつ自身の個性を発揮した判断・行動ができる、そういう市民をもっと信頼して期待した方がいいように思います。

そういえば昨日聞いたラジオによると、「核家族」というのはその当時、豊かな時代の象徴であって、親世代と同居せずに暮らすには物質的・経済的に独立できる力のあることのあらわれであったとのことでした。多くの人が親元を離れて自分たちの家族をつくり都市部で生活を始めた。山を切り開いたり工場跡地に大型団地をつくり、そこに人口が流入し、、、核家族世帯は増え、郷里では父母のみの生活、地域では人びとのつながり・地域社会というものが希薄化して、、、母親も子どもも「公園デビュー」しなければならなくなった時代とのことでした。震災によって気づかされた関東エリアの生活の豊かさの背後にあるもの、それがどういった構造のものなのかまだよくわかっていないなか、私たちは新しい時代を随分前から送り始めているのに、その善し悪しの判断もつかず、意識もこれに追いつかずにいる・・・そんなこと考えさせられる今日この頃です。

おっと8:30となります。そろそろ始めて参ります。
本日も宜しくお願い申し上げます。

※写真は、聖蹟駅前植え込みの花1

もう少し進めることが出来る。と

2011年05月12日 07時39分34秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年5月12日の木曜日となっております。本日も仕事に専念できる・・・と思いきや、いろいろとあるもので、いま事務所に戻りました。昨日は夜遅くに相談というか心配で眠れないというご依頼者様から電話があり、私まで眠れないでおりました。ほどほどに距離を置かないといけないとは思いつつ。

昨日ラジオで聞いた「静けさがとどろく」「轟くような静けさ」という表現は、まったく何も聞こえない大自然の中で感じるものだそうで、そうかも知れないと思ったものです。「創造的破壊」なんていう表現も、また相対立する概念が実は裏腹であるということで、思い出したりしました。

高濃度放射能汚水が漏れ出ているとの報道があり、震災後すぐにちょっと極端な反応を示されていた方々の気持ちが少しわかる気がしてきている今日この頃です。ドイツで放射能の拡散予想をしているサイトを見ると、なぜか東京には拡散してゆかないので、そういった予想をして電力会社は首都圏に供給する電力のための原発を、福島につくったのかと思うと、拡散している地域の方々にどうお詫びすればよいのか、東京の片隅で電気を消費している者として、悩まないではおれません。


供給者と利用者の想いが、一致する範囲で供給していかないと、供給者は利用者に全て説明して、、、こないだ有料ホームが建て替えで新たな敷地にもっと立派な施設が建つということで説明会に参加しましたところ、ご入居の方々からは、現在の施設で大変満足しているのに何故?住み慣れた部屋から変わるのは嫌だ、という意見が出たり、、、どんなに良さそうな話であっても、視点が変わると宜しくなかったりするので、説明し納得してもらうということも大変な労力が必要で、物事の成否を左右する要となることもあるのだと、最近の食品衛生の問題や自身の仕事のことも含めて、考えさせられる今日この頃です。


さてさて、11:00になってしまっています。
本日も宜しくお願い申し上げます。

※写真は、雑草アート

戦いも清々しく

2011年05月11日 07時58分48秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます2011年の5月11日水曜日となりました、今日は古新聞の日です。雨が降っていますので早めに回収にきてくれると良いなと思いつつ、最近は妙に何事に対しても感謝しすぎている日々でしたが、緊張感が足りないのもどうかと思いますので、戦うモードでありつつすがすがしい、を目指したいと思った次第です。これからまた職業団体の会合が続きますので、時間のやり繰りが必要です。

こないだの「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」は否定形で、肯定形の方が心地よい感じなのですが、夢のある人に理想や希望があるとは限らず、理想や希望のある人に計画がないことの方が多いので、否定形で行けば間違いはないという意味では、さすが松陰先生なのかも知れません。

また携帯の今日の歴史で「5月4日に、世阿弥が足利義教の怒りに触れて、佐渡へ流された。」とありました。千利休なども豊臣秀吉に切腹を命ぜられましたから、文化の担い手もその中心的な人物は政治ともつながり、政治を左右し、政治に翻弄されたのでしょう。宗易(利休)が何故切腹を命ぜられたのかについては、諸説あるようです。世阿弥は何故足利義教の怒り触れたのでしょうか・・・


時間があれば、季節の野菜を沢山とって、健康にすごしたいと願っています。白菜の頃は、まあまあ食べたのですが、旬の時期を過ぎるとどうも味が悪くなり、野菜を煮るのをやめてしまいました。こないだの、多摩センター子ども祭りで、野菜スープが健康によいと聞き、いつでも食べられるように野菜を煮てスープを作っておけばよいと思ったのと、旬の野菜って何だっけか?とそういえば事務所のお客さん用雑誌に、『知っておきたい 野菜の基本』(えい)出版580円がありましたからペラペラめくってみたのでした。ちなみに、その他知ったことは、太陽光発電施設では、シャープがほとんどのシェアーを、三洋が発電効率のよいパネルを出していること、200万円かそこいらで作れること、あとは、スケボーみたいな乗り物で右足左足に分かれていて、くねくねすると推進するやつが足腰の運動に良さそうなので、今度買おうと思った次第です。


さて、ちょっとまた仕事が大変な状況になっておりますから、進めて参ります。
本日も宜しくお願い致します。


※写真は、野菜の基本から。

登記はやりやすい、後見や裁判事務はやりにくい

2011年05月07日 09時09分30秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年5月7日の土曜日となりました。東海側の浜岡や若狭湾の敦賀の原子力発電にも思いをめぐらせて、警戒態勢にするのは、致し方ないことで、その他13個所の原発はみなどれも海沿いにあって、これから先長い年月をかけて対策を講じることになるのだと思います。心配しすぎたら切りがなく、悪いことばかり考えてしまいがちです。心配と思いをめぐらせることとは、違うように感じています。無責任な楽観主義ともちがう、責任を意識した楽観主義がよい姿勢なのでしょう。

仕事や生活においても、いま思いつきました「責任を意識した楽観主義」でもって思いをめぐらせ、至らないところは片付け・対処しケアしてゆく、そういうことでありまして、昨日も何とか数件オンライン申請間に合いましたから、早めに添付書類の郵送準備をして発送します。登記の仕事は定型的なのでやりやすい面があります。一方、後見業務や裁判事務は一筋縄ではいきませんで各案件でいろいろな組み合わせと依頼者や相手方との温度差を調整しつつ進めてゆくものですから、簡単ではありません。

この「楽観主義」には「いま好きなことや夢」「これから挑戦したいこと」「1年後の目標」何てものも含まれていて、多摩センターでの子ども祭りでは、2日間、「いま好きなことや夢、これから挑戦したいこと、1年後の目標、1年後の自分に向けて手紙を書いてみませんか~」と呼びかけました。青年会議所の手伝いでした。「夢!」のことろで、道行く人々がチラリとこちらに目を向けてくださる方が多いように感じました。静かに抑揚をつけて呼びかけましたので、やかましくないようにやったつもりの私の声の大きさを差し引いても、「夢」という言葉が指し示しているものへの関心は、広く人びとの心の中にあるものなのだと思います。

夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。

吉田松陰の言葉だそうで、以前どこかの居酒屋に貼ってあったのは、画の悲しみのところの写真にあるとおり、すべて肯定形でした。

「夢がある人には希望がある 希望のある人には目標がある 目標がある人には計画がある 計画がある人には行動がある 行動がある人には実績がある 実績がある人には反省がある 反省がある人には進歩がある そして進歩がある人には夢がある」

考えてみると、ああしたいこうしたい、と思っても、目標と計画がたっていないということは多く、そして経営者としては「人」を育てて組織的に活動しないと、目の前の仕事に気おされて日々が過ぎていきますから、なかなか次の段階には行けないものです。無理矢理はダメであって、人生のゆるやかな流れのうちで、きっとその段階になってゆく頃合いが、あちらからやってくる、そういう感覚なのだと思います。



おっと、午後から面会がありますので、その前に書類片付けをして、、、
本日も宜しくお願い致します。

※写真は、トキワシノブの動物のような毛並み

思いをめぐらせて。

2011年05月06日 07時32分57秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年5月6日連休明けの金曜日となりました。連休後半は、青年会議所の活動がすべてとなりまして、これから9日の月曜日まで、また精一杯仕事を進めてゆくことを、高らかに厳かに、宣言するものです。さまざまな書類の提出、会合のセッティング、連絡問い合わせが控えています。期限を守れない心理、、、もうこれは大抵の場合、すっかり忘れている、と言うわけではなくて、「やらなきゃ・やらなきゃ」と思っているのに、どうしても取りかかれないせいで、そういうことになってしまうのだとは思いますが、期限を守ってもらうための説明やアナウンスの手間を惜しむことが原因であったりするケースもあるように思います。依頼者様に必要書類を説明し取得して頂いたり、アルバイトさんに仕事を任せるにもいろいろに説明してしませんと、ミスマッチが起こるものです。コミュニケーションという問題ですね。しかし期限を守るということ自体の直接的な対策としては、対象となる物事に専念して、極力期限を守るように努めるしかありませんで、優先順位を微妙に変えて対応したり、、、あとは、何かこだわりが意識に引っかかってしまい、期限を守ること以外の、別の要素、、、完成度や趣味・好き嫌いによる方法の選択などなどを重視してしまうということもあるかも知れません。人によっても、状況によっても、何を重要とすべきかは異なっている、、、なんてまた論点がずれてきているでしょうか・・・さあ仕事に取りかかりましょう。やるしかない、時間は限られている、仕事人間として事にあたる、その姿勢をよく自覚することが肝要ということだと思います。

思いはいたらないもので、私たちが使っていた電気が福島のあの原子力発電所のおかげであったこと、安売りとはいえそれをお客様に提供して対価を得る以上はそれなりの姿勢が必要であったこと、気づいていないことは沢山あって、あとから思いが至ることは多いのですが、生活においても仕事においても、出来る限り相手に思いをめぐらせて、経験から学んで、なるべく思いの至らないところのないようでありたいと願います。

さてさて本当に、始めましょう。
本日も宜しくお願い致します。

※写真は、どんどん伸びるエバーフレッシュ


6日金曜日がある!

2011年05月03日 09時58分32秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年5月3日憲法記念日の連休後半がスタートとなりました。昨日で申請しなければならないものをすべて出せればよかったのですが、やはり一人では難しいものがあり、6日の金曜日にかけたいと思います。固定の人件費をかけるには、コンスタントな収入が必要で、支払については「あるときには払える・ないときには払わない」でお願いしているこのスタンスを、人件費についてお願いするのは気が引けるので、ギリギリの綱渡りを繰り広げているところです。時間がかかっていることについて、私が気に病んでいるほどには、ご依頼の方々は気にされておられないこともあり、お助け頂いている面もあります。いずれにしても案件を進めて行きましょう。

昨日ラジオで聞いたのは、篤姫のお話でした。私はテレビを見ないので大河ドラマも見ていませんでしたが、江戸無血開城に向けて、薩摩出身の篤姫・天璋院と14代将軍家茂に公武合体政策により嫁いだ公家和宮が、篤姫は西郷隆盛に、和宮は京都側から、どうにか官軍が江戸で戦闘を繰り広げないよう働きかけたそうです。武家の天璋院と公家の和宮は、当初嫁姑関係に武家対公家のしきたりの違いが相まって、大変な不仲だったそうで、幕府は内部から崩壊するとも言われていたとのことでした。和宮から天璋院への贈り物に「天璋院へ」と書かれて「天璋院様へ」となっていなかったことや、武家である天璋院が上座で公家である和宮が下座の席になったことなど、細かなことが争いの元となったとのことでした。徐々に仲直りしたエピソードとして、和宮が将軍家茂を敬うちょっとした配慮を天璋院側が看て取った云々という話しでした。

こないだ近藤勇のところで調べたところでは、官軍は越谷に陣を張っていたとのことでした。そこから江戸に入ろうとしていたのでしょう。そのころ、江戸城には大奥の人々以外は若年寄、、、ほう~全国支配の担当である老中に対し、旗本や御家人の支配を軸とする将軍家の家政を担当したのですか・・・らは自宅にて執務にあたっていたとのことで、天璋院からすべての幕臣に対し、官軍に対して反撃するなど早まった行動を慎むようオフレがだされたとのことでした。そのころ近藤勇は、再度隊を編成し、甲州・勝沼に、官軍を足止めすべく向かったということでしょうか・・・


おっと、もう11:00になります。
訪問看護の方から、体調がすぐれない、要受診のご本人の件ファクシミリありました。
ちょっと面会に夕方行きましょう。

※写真は、甲州高尾山のカラ松の芽

急ぎましょう。

2011年05月02日 10時18分29秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2011年5月2日の、GWの唯一の普通の日、なぜか今日この日の方が貴重に思える月曜日なのは私だけ、の午前中です。

先ほど書類を社協さんに届けて、どうにか間に合っていたようでホッとしつつ、ちょっといったん事務所に戻りました。全労済の手続で、再度登記事項証明書を取らねばならなくなっております。。。発行後3ヶ月以内の登記事項証明書(成年後見登記の)は、発行後3ヶ月という設定は短すぎはしないか、ご検討頂きたいところです。さて、ちょっと不動産の相続登記を1件申請しておきたいのですが、ちょっと書類が足りていませんので、取りに出かけたいと思います。

できる限りのことをして、明日からのゴールデン仕事タイムに、課題をこなしたいという切実な思いを秘めつつ。

本日も宜しくお願い申し上げます。


※写真は、ハナミズキ

明日が楽しみだ

2011年05月01日 17時12分59秒 | 努力し続けるために
みなさまこんばんは、2011年ののの、5月1日だったのでした本日、何やら雨が降り始めております。昨日は久しぶりに、勝沼にてハイキングして参りました。大滝神社から甲州高尾山を経て、葡萄を山梨にもたらした行基による開山、国宝の薬師堂の大善寺脇に降りたのでした。新緑輝き、風は若葉に清々しく、感動この上なく、そして体を動かす習慣の大切さを再度思う一日でした。本日も午前中は、聖蹟から稲城まで歩きまして、連光寺右ッ方の大きな木の、幹や枝の影の暗さとあいまった深みの手前に、空中に浮いているような若葉が、点描画のように幾重にもかさなりあっていました。また稲城市立病院前までの右ッ方もやはり新緑が鮮やかにかさなりあっていて、よいものでした。

ときに携帯電話の辞書の中に、今日の歴史、というのがあり、4月25日に見たのですが、その日は、新撰組の近藤勇が死刑となった日とあり「新撰組の局長、近藤勇が官軍の手により斬首となった。近藤勇は池田屋事件などの功績で幕臣となったが、鳥羽・伏見の戦いに敗れた後、江戸に戻り、勝沼まで敗走官軍に敗れ、とらえられた。」とあったので、きっと、京都から函館・五稜郭、江戸に戻って勝沼まで・・・これまた大変な移動距離だと思ったのですが、どうやら函館には行っていないようで、斬首されたのは千葉・流山という話を、勝沼までの車中にて、先輩から聞きました。勝沼で・・・捕らえられたのが勝沼で、処刑されたのが流山・・・

ウィキによれば、

鳥羽・伏見の戦いにおいて敗れた新選組は幕府軍艦で江戸に戻る。3月、幕府の命を受け、大久保剛と改名した近藤は甲陽鎮撫隊として隊を再編し甲府へ出陣したが、甲州勝沼の戦いで新政府軍に敗れて敗走し、その際、意見の対立から永倉新八、原田左之助らが離別する。その後、大久保大和と再度名を改め、旧幕府歩兵らを五兵衛新田(現在の東京都足立区綾瀬四丁目)で募集し、4月には下総国流山(現在の千葉県流山市)に屯集するが、香川敬三率いる新政府軍に包囲され、越谷(現在の埼玉県越谷市)の政府軍本営に出頭する。

そして、

しかし、大久保が近藤勇と知る者が政府軍側におり、そのため総督府が置かれた板橋宿まで連行される。近藤は大久保の名を貫き通したが、元隊士で御陵衛士の一人だった加納鷲雄に近藤であると看破され、捕縛された。その後、土佐藩(谷干城)と薩摩藩との間で、近藤の処遇をめぐり対立が生じたが、結局、4月25日、中仙道板橋宿近くの板橋刑場(現在の東京都板橋区板橋および北区滝野川付近)で斬首された。享年35(満33歳没)。首は京都の三条河原で梟首された。その後の首の行方は不明である。

とのこと。流山で処刑されたというのも違うのでしょうか・・・私は、江戸から甲府方面に敗走したのかと思っておりましたら、そうではないのですね。また享年33歳とのこと、生き急いだ大変な時代であったと思いました。甲州高尾山に同行されていた方から、近藤勇が捕らえられた地として碑が建っているとの話伺いました。

それにしても、旧体制も新政府も躍起になって、多くの血が流れて、ようやく新しい制度・体制が誕生するというのが歴史の常で、現代社会の情勢的には、世界的には貧困問題、国内的には震災や人口の高齢化はあっても、大きく歴史が動くような状況は醸成されていない感じですね。①新しい考え方を持った人々が、②集まりだして、③改革を行う、の①新しい考え方がまだ見えていません。


さてさて明日は連休の谷間、行政や司法の窓口が開く貴重なウィークデーですので、明日の準備をしたいと思います。「働く意志があれば何とかなるものよ」成年後見のご本人の言葉です。「働く意志」良い言葉と感銘を受けました。

もう少し、というかちょっと、やっときましょう。明日が楽しみだ!

※写真は、甲州高尾山
梟首・・・ふくろう・・・梟首(きょうしゅ)、晒し首ともいうですか・・・嫌なものだな・・・