昭和59年1月1日 発行
発行所 鉄道図書刊行会
流線型時代のヒーロー モハ52 国鉄吹田工場
モハ52は昭和11年宮原電車区に配置され大阪―神戸間の急行電車として第1次形1編成が華々しく
デビューした。歯車比を減少した高速用電車と斬新なスタイルは流線型ブームにわく当時、世相の注目を
集めたことはいうまでもない。 (中略) 戦後においては輸送の合理化を目的として23年4月に東海道本
線三島―沼津間で行われた高速試験の試験車となり、80系をはじめとする長距離電車運転の布石を築
いた。その後一度は京阪神急電に復活をみたが以後阪和線から飯田線への流転はご存知のとおりである。
(36頁)
「新幹線車両の流線型―その生い立ち」の頁で、新幹線の車両先頭部形状の風洞試験に携わった客貨
車室長の三木忠直氏は元海軍航空研究所に属し、銀河の設計を担当したと書かれています。
やはり、あの流線型はそれまでの鉄道とは異質のものだったということでしょう。
発行所 鉄道図書刊行会
流線型時代のヒーロー モハ52 国鉄吹田工場
モハ52は昭和11年宮原電車区に配置され大阪―神戸間の急行電車として第1次形1編成が華々しく
デビューした。歯車比を減少した高速用電車と斬新なスタイルは流線型ブームにわく当時、世相の注目を
集めたことはいうまでもない。 (中略) 戦後においては輸送の合理化を目的として23年4月に東海道本
線三島―沼津間で行われた高速試験の試験車となり、80系をはじめとする長距離電車運転の布石を築
いた。その後一度は京阪神急電に復活をみたが以後阪和線から飯田線への流転はご存知のとおりである。
(36頁)
「新幹線車両の流線型―その生い立ち」の頁で、新幹線の車両先頭部形状の風洞試験に携わった客貨
車室長の三木忠直氏は元海軍航空研究所に属し、銀河の設計を担当したと書かれています。
やはり、あの流線型はそれまでの鉄道とは異質のものだったということでしょう。