土の上にも三年

農への道

暑気払い手当+報奨金=1桁まんえん

2013-07-27 21:34:04 | どうでも日記(雑記系)
見に覚えのある社長がこの記事を読んでくれたなら、社員を取り調べてみると面白いかもしれないなぁ、とか思いつつ、やっぱり内部留保なんだな、っていう記事でございます。

内部留保はそんなに悪いことだとは思わない。然るべきタイミングというものが会社側にもあるのだろう。そのタイミングでしっかりと放出すればいい。

ただ、状況次第だと思うんだよね。内部留保に回して良いときと、そうではないときがありそうな。先日も書いたように、5月で昨対120%6月で昨対150%の売り上げを叩き出したわけだ。事業所長は、頑張った人にお金を出さなきゃ誰も頑張らなくなる、と言っていた。

だからもしかしたら、事業所長的には頑張った人を正当に評価してくれたな、という感無量に浸っているのかもしれない。後日、確認してみようと思う。事業所長<社長であることは間違いなく、いくら事業所長が増額を申し入れても社長がNoと言えば土台無理。だからもしかしたら、所長も社長に対して残念な気持ちを抱いている可能性もある。確認しなきゃわからない。

で俺の感覚はというと、以前も書いたようにどっちでもいい。内部留保に回すなら、それを正当な理由(必要経費であったりの正当な投資)で引き出せばいいじゃない。それでも経費使いすぎだ、とかいう話になるのなら、ちょっとこの会社の未来は暗くなる。まぁちょっとだけだけどね。もともと暗いんだから。


ぶっちゃけ昨対で150%とか人員的な限界だ。現行制度を変えればあと10%くらいは行けるかもしれないけど、それにしたって現行制度からの移行までの道のりを考えれば、ほとんど限界と言って良い。あと10%を長時間かけた制度移行で遂げるということは、長時間というエネルギー(人件費)がかかっている。それは人員増員と同等。人員増員をせず、時間で緩衝したにすぎない。

売り上げ的に限界てことは、表題の金額(具体的には9万円)がうちの限界ということになる。ないわぁ。幸いにもRIEは昨年より増えて良かったね、って言ってくれたからいいんだけど。ちょっと癒された。

事業所長は、今の協力体制が大事だという。俺もそう思う。だから、この協力体制を維持するために、ちょっとした油断が怖いという。ようは好事魔多しに近い感覚だろう。水を差すのは大抵の場合、身内だ。協力体制を壊す可能性はうちの事業所内にある。

けれど会社側からの回答(手当金)は以上の通り。うちの事業所がもし、協力体制を損ねるとしたら会社側の責任も大きいはずだ。

そんなことを考えながらの今後。


うちは毎月はじめに営業ミーティングを行う。おそらくとしか言いようがないけれど荒れる。どういう荒れ方をするのかは不透明ながらも、上記協力体制が少しだけ崩れる懸念がある。

一人だけ減額された人物がいて、そこを皮切りになる可能性。

頑張った人への報奨金が俺と他2名に支払われたのだけど、上記人物の施策で不平を言い出す可能性。

それによって事業所長が(もし今回の手当金の総額が妥当だと思っているとしたら)怒りを噴出させる可能性。

不協和音が聞こえてきますなぁ。とても楽しみ(笑)


なので8月1日に業務が入ってしまった俺とTさんは、営業ミーティングに出れないこととなったものの、急遽Tさんと連携を取り8月2日に営業ミーティングを延期してもらった。この営業ミーティングは出ないわけにはいかない。平時のミーティングは出なくても良いけどね。


まず会社側の見解に対する不平は、おそらく皆が同意しないままになる。すると不平を述べた人が尽きる。辞めると言い出すだろう。便乗して別の人が不平を漏らす。それは会社が決めることだからどうしようもない、という見解が出る。

解決するポイントは、もっと売り上げがあれば云々になるだろう。すると前述した人員的限界が取りざたされる。おそらくこの辺で思考停止する。


人は増やせない。むしろ減らしたい。でも減らさない。ある意味良い会社だと思う。だって不採算部門(雇用)を支えるためにシェアワーク(給料のシェア)をしているのだから。なんて人道的な会社だろう。理想的ですらある。

だから俺としても人員削減には反対だ。ビバ弊社(笑)


人員は減らさない。でも人員的な限界を越えた売り上げが必要だ。そしたら制度の移行をしようよ、という話がしやすくなる。少しずつでいいんだから。売り上げはまだ増えるよ。そしたら給料も増えるんでしょ?誰のこともオミットしない姿勢と、報われる予感の両方を、矛盾を成立させるべきだ。


ある意味、社畜的発想。でも社畜的な中間色を仄めかす人がいないと空中分解しそうな気がするんだよね。

売り上げを上げるために何が必要か。協力体制だ。協力していくために何が必要か。求心力か?所長には事業所内で一番求心力がある。応援しようと思う。

別に俺が求心力を持つ必要なんて無い。いや、今はない。所長だっていつかは辞める。その時までに求心力を養いたい。所長の望む妥協点を許容することが大事だろう。


前記事で書いたように、本題はまだ書けない。俺に足りないものの一つは、横のつながりだろう。ナニガシさんにはこれがある。そこに大きなチャンスもある。ただとても難しい。出る杭は打たれる。だからゆっくりやる必要がある。水面下で。

けっこうシビアだろうねぇ。ひとまず8月にグループ会社との連携を取ることとなった。たぶんこの会社史上初の試みだろう。ここをまず事なく通過したい。そしたらしばらく潜伏。

流れというものがあって、流れは必ず淀む。緩急がある。また予想外の流れもある。その流れに逆らうことなく進んだ先に、きっと俺の望むものがある。というより、これは後日談としてしか語れないものだと思う。

人と人との関係の中でしか組織は運営されない。自分の信念を強く打ち出して成功する人もいるけれど、凡人な俺としては、流れてくるものの中から自分の信念に近いものを選択する方法が最適だ。自分の信念はゴールだろう。ゴールに近づく道であるなら、支流で自分の信念とは違う選択をしてもいいはずだ。

目先の手当金は大事ではない。小事だ。大事は、俺がひとまず中核に影響を及ぼせる実績を積むこと、その先にある。

もし自分に流れが来ないとしたら、それはそれで俺の人生でしょ。次の世代に賭けてみるのも悪くない。何も俺の代でこの会社が素晴らしい会社にならなくてもいい。どこかに骨は埋めるものだ。それがどこかは俺には分からない。埋めたい場所はあるものの、必ずしも希望した場所で死ねるとも限らない。

自分が理想とする選択を今したとする。その先に自分の希望する場所があるわけではない。自分の理想としない選択を今したとする。その先に自分の希望する場所がある可能性もある。未来は不透明で不確定だからこそ楽しい。確定的な絶望は不要だし、確定的な楽観も落とし穴。今選択する先に未来はあるものの、未来はとても複雑で、枝分かれした道が再度合流することだってある。

ようは着地点に満足出来ることが大切だと言うことでは無かろうか。どんな着地点に至ったとしても満足出来る準備をしておくこと。もしかしたら、それはとてつもなく不幸とも言える着地点かもしれない。それでも、自分がそこに至るまでに投じた想いは誰かが引き継ぐ。自分は死んでも死なない。自分の意識が自分の生を実感出来なくても、自分の意思は継がれていく。

これが持続可能な社会の本質じゃないかね。

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