土の上にも三年

農への道

他人との関わり合い(境界線)

2013-10-07 23:53:50 | どうでも日記(雑記系)
「自分の思ったこと考えたこと感じたこと、そういうものは相手に示して伝わるものだと思う。伝えた時の反応で、相手の触れられたくない領域みたいなものが見えてくる。そしたらそこには相手の世界があるのだと踏み込まなければいい。けれどそれだけだと形骸化してしまう。その境界線は流動的で、お互いが常に確認しあう感覚が大事だと思う。」

たまたま今日、Tさんとの会話で自分と相手との距離感の話になった。上の文章はその時の話ではなく、実は高校2年の時に書いたような感じの内容。なんだこの微妙な表現は(笑)

高校2年の時、お付き合いをさせてもらっていた女性がいた。ぷらとにっく(笑)で、お付き合い中、何度か手をつないだだけだった。あれ、これは関係ない話だな。

でまぁ、理由も分からず突然振られた。後々10数年経ってから語らいあう機会があり、その理由に想像すらしてなかった理由があった。気付いてあげられなくてごめん、って素直に思った。言わなかったけど。


突然振られたもんだから、必死に理由を探しましたよ(苦笑)息が臭かったかな?手汗が気持ち悪かったかな?笑いたいなら笑うがいい!(笑)必死になると出るわ出るわ。とにかく色々考えたの。

で、それらをA4の大学ノート全て埋め尽くして書いたのです。若さと純粋さによる狂気。コワイデス。

その中にある一節が最初の文章。細かい部分は間違ってるかもしれない。


実はね、相手のせいにしてたんだと思うんだよね。自分の、至らなかった点なんかをわんさか書いたりしてたけど、理由も言わずにさよならとか最低!って思ってた。だから最初のような文章が出てきたりする。なんのことはない高校2年から成長してないでござるよ。

ただ、その人にはそのままぶつければ良かったな、って事後報告を聞いて思った。まさに色々考えた反省の話なんて聞きたくなかったのだろう。しかし単刀直入にぶつかって、そしてお前もぶつかってこい!受け入れていくから!みたいな熱い演出を高校2年の若僧が出来るかいな(笑)

そんな経緯もありーの、他の経緯もありーの、自己主張しなきゃダメだ、っていう俺が形成され、でも自己主張の失敗が振り子となって今に至ったという意味において、成長してないとも言えるけど同じではないとも言える。


まぁ熱い演出が出来るかどうかに年齢は関係ないかも。俺の本質は、他人を責める、だろうかしら。他人を責めてしまうくらいなら自分に没頭して他人を無視するくらいの方がまだ平和的なのかしら。この辺はよくわからない。

わからないけど、これこれするくらいならアレアレしてたほうがいい、っていうのは誰しもが持っている感覚かも。で最終的に何を選択するのかは、選択できなくなる一応の節目である死を目前としないと見つからないのかも。

まぁこんなことも以前書いた気がする。しかし俺の書くことっていつも変化がないのぉ。それとも変化しているのに気付けないだけ?うん、変化はしてるな。大筋の変化はあまり無いような気もするし、けど、ブログではこの1年だけでも価値観に変化が、とか書いてみたり。

自分のこと、そうとりわけ自分のことだな。そこを固定化しようとすると、するっと抜ける。変化に気付くと変化してないことにも気付く。変化してないことに気付くと、案外変化が見えてくる。対比するものを何にするかって大事だねぇ。

境界線ってのは流動的であることが好ましいと俺は昔から感じているようだ。固定化したくない、それが俺の本質だとして、すると、相手を責める=相手が固定化しようとしていることを責める、だといえ、なんだ、結構俺は自分のことを見れてるじゃん、と、そしてするっとな。

おしまい。

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