土の上にも三年

農への道

諦め続けることを諦めない

2013-11-05 20:43:15 | どうでも日記(雑記系)
言葉には、その言葉の持つ元々の意味とは逆の陰陽があると思う。たとえば元々の陰陽とは逆に使用すると、ポジティブワードが皮肉になったりネガティブワードが称賛になったりする。

「明るい人」というポジティブワードも、うるさい、というネガティブな面を背景に言えば皮肉だ。「うるさい」であっても、飲み会とかで褒め言葉のように使われたりする。あの人は悪い意味で明るいよね、とか、良い意味でうるさい、とか。

大昔にこうした単語の二面性を二人の男が延々と語り合う小説があったと覚えているんだけど、本の題名がまったく思い出せない(笑)

諦めるって単語にも二面性があるように思えるので書き始めてみる。


諦めるには諦めの対象が必要だよね。対象が無いのに諦めることはできない。諦めるを2つに分けるとしたら、その対象に対する考え方で分けられるように思う。

多くの場合、諦めるっていうのはネガティブワードで、諦めるな、とか言うと相手を応援しているように聞こえる。で、諦めるな、と言われた方はネガティブを封じられる。必要以上に諦めないでいると無理ができてくるのに、諦めないことがポジティブであるという一般認識に、どんどん押し潰されていく。たまらん。

なんでこんなことを書くのかというと、一般的に認識されている言葉は基本的にはそのままの意で素直に受け止めればいいのだと思うものの、これ以上頑張れないほど頑張っている人に頑張れとか諦めるなとか、限界は超えられないし上げられないのだという前記事に触発されて書いているのです。


ネガティブワードとしての諦めるっていうのは、1度諦めたら対象と向き合わなくなる要素を持つ。ポジティブワードとしての諦めるっていうのは、対象と向き合い続けることで諦め続けることを要素に持つ。

対象と向き合うから諦めることもできるわけで、ネガティブな諦めとは実は諦めたのではなく、対象と向き合うことをヤメたに過ぎない。

そりゃ元から絶てば諦める必要もなくなるってもんよ(笑)


諦めるっていうのは本当はとてもエネルギーのいる行為。エネルギーが必要だから何度も諦めたくはなく、1度の決別で対象と向き合うことをヤメてしまう。何度でも何度でも諦められるように、向き合い続けるために諦める時も必要だと思う。

諦めたら試合終了っていうかの有名なバスケアニメの言葉があるけど、基本的にはそのままの意で素直に受け止めればいいのだろう。でも素直じゃない俺は、諦めること(つまり向き合うこと)をヤメたら試合終了だと思っている。

諦めてもいいじゃない。向き合い続けていれば。

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