土の上にも三年

農への道

ねじれの葛藤

2011-08-30 13:13:43 | おとおさん日記(私生活系)
自分の発言が会社を動かすとしたら、自分は何を発言するだろう。

自分の発言がまだ、それほど大きな力を持っていない場合は案外楽です。

発言をうやむやにされたり、場合によっては無視されたりという不満はあるかもしれないけど、逆に言えば鼻から発言が通らないことを自覚していれば、かなりの独善的構想を言うこともできる。

しかし実際に発言が通るとしたら、独善的な構想だけではいけないのだと思います。

もちろん意見が通ろうが通らなかろうが、プレゼンテーションするからには独善的な構想に納まらない責任ある構想を発言するべきだろうけど、

それではこじんまりした構想に留まらざるをえないので、立場上の発言影響力を加味して影響が少ないからこその思い切った構想を発言することのほうが、

影響が少ないのに当たり障りの無いこじんまりした、良く言えばお利口な、悪く言えば右へ倣えな発言よりはるかに素晴らしいと思います。


発言力の高い人には高い人なりの責任が、低い人には低い人なりの責任があり、発言力の高い人が独善的な構想で突き進むと独裁者、発言力の低い人が全体を見渡した構想で突き進むと無個性になりやすいのです。

ここで問題になってくるのが発言力と社内地位の関係です。

表面上の発言力(つまり社内地位)と、人を突き動かす発言力は違います。

多くの会社にありがちですが、表面上の発言力を自分の力だと勘違いし社内のガンになっている上司や役職者が、部下からの信任薄く、裏ではボンクラ呼ばわりされているケースです。

これは表面上の発言力、つまり業務上の連絡事項を発信する権限を、組織利益ではない使い方をしている結果です。

発言力が高まれば高まるほど全体のバランス(=組織利益)を取る能力が求められ、発言力が低ければ全体を壊す能力が求められるのです。

この相対する力の、下剋上とコントロールの衝突の場が組織です。

組織の長たるもの、これをしっかりと認識し、自分では出来ない「壊す」ことを出来る部下を、自分に出来る権限で保護し、コントロールしてあげることが肝要です。

年功序列はある意味妥当で、こうしたバランス感覚は社会に揉まれたり這いつくばったりしてきた莫大な経験値が物を言うところです。

しかしながら逆は真ではありません。

年を取れば必ずしもバランス感覚が優れているかというとそうではありません。


では、表面上の発言力は無いけれど(言い換えれば平社員)色んな人から信任を受けていたらどう振る舞うべきでしょうか。

当然壊すのが役目ですからガンガン行くべきでしょう。

しかし、例えば自分の発言をトップが拾い上げ、それをリバランスせずに投下するだけであったなら悩みどころです。

部下は成長する過程で人脈を築き上げて行かなければなりません。

上司はそれをサポートしなければなりません。

人脈を構築していない上司ほど頼り無い存在はありませんから。

ですので、上司は部下が壊す様を見て、それを上司権限で保護しつつ人脈構築に繋がるようにコントロールするべきなのです。

にもかかわらず、上司が部下の意見をそのまま投下(丸投げ)したらどうなるか。

間違いなく、その部下は人脈を築くことなく形式的な地位しか手に出来ないでしょう。

そんな部下が上司になれば、その下では部下は永久に育たないのです。

こうした悪循環に陥っている会社・組織が日本に蔓延っていることが、日本の長期低迷・長期腐敗を生み出す原因の一つだと思います。

この場合、上司が出来ないのだから部下が破壊とコントロールをやらなければならないでしょう。

そうした観点から、「自分の発言が会社を動かすとしたら、自分は何を発言するだろう。」とぼやいてみました。

今度、会議があるんです。

何を言おうかなー。(※断っておきますが、上司がボンクラだとかボクが優れているとか、そういうことを言いたいわけではありません。むしろ自分の経験値が少ないがために葛藤している状況でございます。)


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