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土の上にも三年

農への道

これからが正念場です

2011-05-16 01:59:50 | とんでも日記(社会系)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&rel=j7&k=2011051500190


すでにこの日に日本人は殺されたということですね。

水から茹でられた今となっては順応しちゃう人も出てきそうです。

少なくとも、分散待避の頃合いを見計らっても3月中には発表して対策すれば、ねぇ…

5月も半ばになってから、今まで何やってたの?なタイミングで発表。

完璧なる保身ですよね。

決定的です。

風評だのパニックだの、回避することも大切です。

でも、そうした怖さ・感覚のあるうちになら、思い切った作戦もパニックに乗じて打ち出せたかもしれません。

これでは事故直後に待避した人も、待避せずに耐えた人も、どちらも報われません。

政府主導で待避した訳ではないから自己責任、政府主導で耐えた側もリスクを放置され自己責任。

何でも自己責任に任せれば、悪い言い方をすれば“やったもん勝ち”です。

国が義務を果たさないのに国民が義務を果たせましょうか。

こうなると、徹底的に権利を主張する世界に突入したと言っても過言ではないです。


被災地の感覚が麻痺するのを待ち、震災・事故の怖さから少しずつ立ち直り、地元でやっていきたいという感情を芽生えさせてから発表したと言うことは、

つまり被災者を別地域に移住させる手間・経費を嫌ったということです。

なるべく労力を使わずに、

いや、“保身”の一言ですか、

勝手に復興してくれるのを待つ作戦なんですかね。

それならそれで諦めるから、あらゆる権限を地方に委譲すればいいのに。

余計な権限で足を引っ張って、かといって先導的なこともできない。

だから叫ばれる補償(事後策)の声。

でもそれも民主主義の結果。

もとを辿れば民主党が勝った時に期待したわけです。

菅さんと小沢さんを両天秤にかけ、検察とメディアの仕込みで騙されたわけです。

逆の“if”が正しかったかどうかは別にして、結果は受け止めなければなりません。


行く末は悲しいものでしょうか。

国は国として腐らせておけばいいかも?

サイレントテロじゃないですが、肝を握られないような生き方を全員がやれば、自ずと利権は滅ぶかも?

でも、そうではない。

個人的には、あくまでも選挙で声を届けたいです。

本当にダメだと思ったら、自らが行動(立候補)すべきでしょう。

最終的な手段が中東のような革命だとして、それは最終的な手段です。

民主主義運動の本質は多くの人に気付いてもらうことであって、

現状多くの人が気付いているなら最終的な手段を取るべきではありません。

今までやれなかった・やらなかったことを見据え、しっかりとした民主主義に向かうことです。

それでもダメならようやく革命が必要になるでしょう。

ぜひ、選挙に参加していきましょう。

若者の参政率が上がることを恐れているはずです。

ぜひ、最悪の事態に何が必要か考えていきましょう。

不平・不満・文句を言うのではなく、この人に国を任せるという気持ちで投票し、

誰も選ぶ人がいないなら自ら名乗り出て、

それでいながら、あらゆる破綻に耐えうる生き方の構築をしていきましょう。

いま大事なものが、生きるために必要なものではないかもしれません。

生きるための本当に必要なものと、破綻しなかった場合に必要なものと、バランス良く柔軟に先を見据えるべきだと思います。

すぐに結果を求めちゃいけません。

みんながみんなとして“やらなかった”結果が今なのですから、

みんながみんなとして“やっていく”結果を得るまで、長い道のりになるはずです。

これからが正念場なのです。

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