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土の上にも三年

農への道

誤謬という名のおなぬぅ

2011-09-27 13:42:07 | とんでも日記(社会系)
今回の選挙で通算9度目の原発推進首長の続投となりました上関。

投票率低下は止まったものの、推進反対が単純な推進反対ではない典型的な地区での得票率比率に喜ぶのは一部の権益者だけになってきました。

もはや原発問題は推進反対で論じる問題では無いとの認識を強めてきています。

推進反対すらも九電と国の衰退によって構図としては不釣り合いになったのです。

原発立地は頓挫どころか内心白紙撤回を決め込んでいる九電側の放置プレーの中で形骸化したものになりました。

すでに九電はLNGの既得権取得に乗り出しており、電力会社も国も採算性の旨味が無くなってきた原発から撤退する姿勢を顕にしてきたのです。

これは原発反対の声が届いた流れではありません。

しかしここで原発反対に迎合した形で反省の色合いを世論に見せることは、電力会社にとっては最重要課題になってきたのです。

電力自由化に伴う再生可能エネルギーという次なる既得権を奪われないように、原発推進反対の民意を活用してくると思われるのです。


上関の問題は原発という形で表面化した「人間のエゴイズム」に焦点を当てるべきであって、原発反対で原発立地を撤回させれば原発問題として浮き彫りになった問題が解決すると思ったら大間違いです。

再三書きますが、原発反対デモの目標が何なのか、3月にボクが原発反対デモに対する批判を書いた時点では見えなかった。

残念ながら今となっても、原発反対デモの意図に符合する道筋を、ボク自身は見つけられません。

現地上関の問題は他の過疎地域にも適用されますし、そうした社会・産業構造にメスを入れずに原発が危険だから止めろとは、なかなか言えたものではないと思ったのです。

結局のところ上関に原発は出来ないだろうと踏んでます。

どれだけ推進意見が伸びても九電は上関原発を回避するはずです。

これは何を意味しているのでしょうか。


電力会社は、今後原発を作る場合、現地に落とす金と地震津波など災害対策、賠償問題、世論誘導、もろもろ踏まえて原発に手を出しにくくなったのは明らかです。

良く取れば原発反対運動の声や行動が生み出した結果ですが、悪く取れば原発反対運動なんて電力会社にしてみればアウトオブ眼中(死語)です。

つまり単に福島の事故を通して原発事業に旨味が無くなってきただけです。

金の問題だけなんです。

危険なのは、それを世論にミスリードさせる世論の風潮だと思います。

世論同士がミスリードし合う状況こそ一番馬鹿馬鹿しい結果になります。

原発はもういらないんだ、という風潮を作り、安全対策を主線議論にさせないのではダメでしょう。


話しは変わりますが上関の原発反対、全国の原発反対を口にする人の多くは、米軍問題にも意識が高いように思います。

米軍は放っておいたらアジアから撤退しなければならなくなります。

しかしそれは米軍の本意ではないでしょう。

アジアにいるアメリカ人が、ある意味人質になっている以上、米軍がアジアから撤退をすることは、現時点では考えられません。

しかし米国の財政的には米軍問題はアメリカにとって非常に大きな問題です。

だから日本に、俗に言う「みかじめ料」を要求します。

このみかじめ料を指して(もちろんこれだけの問題ではありません。レイプ問題や安全上の問題などもあります。)在日米軍基地を追い出せ、日本は米軍なしでやっていこう、と感情的・精神論的発想に至るのは、原発反対思想に良く似た問題であると思います。

現実問題、米軍が日本から撤退したら日本はどうなるか、の議論が、まだ日本の総意にまで昇華していないのです。

その状態で米軍を日本から追い出せば中(露)韓は喜ぶでしょう。(ロシアは微妙。むしろ米軍がどこかと小競り合うのを期待してるかも。)

まぁ日本はアメリカの不沈空母ですから、日本から米軍完全撤退は無いとは思いますが、完全撤退は無いと踏んだ上でのパフォーマンスかと思えば本気で米軍を追い出したいと考えている人もいそうです。

それ自体は何も問題なく、むしろ素晴らしい考えだと思います。

日本も財政厳しいですし、米国にへつらってばかりで日本国内がガタガタなのは何とかしたいものです。


しかし先日書きましたが、米軍は出口戦略に切り替えたんです。

九電が原発から撤退しようとしているのに似ています。

電力会社も今すぐ原発事業全てをやめはしないでしょう。

旨味がある場所には新たに建設するかもしれません。

でも方向性は撤退の向きです。

アメリカに、もし日本はもうアメリカの財政も軍費も援助しませんよ、と言えば、体力的にアメリカは日本からすらも撤退しなければならなくなるかもしれません。

いくら日本が、米軍には居てもらいたいと懇願しても撤退するかもしれないんです。

それから憲法9条を議論し始めても手遅れなんです。(議論はされてますが選挙の争点にはなかなかなってない。)

南シナ海の海路問題は、原発撤退を示唆している九電のLNGにも関わる問題です。

原発を撤退させ、米軍を撤退させ、南シナ海が中国の縄張りとなれば、日本のエネルギー問題はどうなるのでしょう。

エネルギー問題に疲弊した軍隊を持たない日本が、いつかは衰退するとはいえいまだにイケイケな中国と戦えるでしょうか。


上関では、いくら原発交付金目当てに原発誘致を願っても、九電からは放置プレーしかしてもらえません。

今までは原発交付金以外に財源なしとしてきた上関の原発推進論者たちも、原発交付金に頼らない町作りを取り沙汰し始めてきました。

財源が欲しいのはどの地方自治体も、程度の差こそあれ苦しいのは同じです。

日本全体が縮小しているのですから。

その“縮小リスク”が都市部に及ばないように、都市部を生かす政策に甘んじてきたのが日本人の多くなんです。

精神論や感情論ではどうにも覆らない過疎地域があるかもしれない。

そうした地域に原発や米軍をアウトソースした経緯があって都市部はメリットを享受しているのに、メリットを享受した都市部は地方を切り捨ててはいやしないだろうか。

だから、まずは原発反対デモやるより歴史を知り、自分たちの都道府県にある過疎地域に目を向け考えていきましょう、と原発反対デモをやっている人に訴えたかったのです。

原発反対デモをやってる人たちだけの問題ではないですが、あの時点で原発反対デモが膨れていくのは推進派も想定したことであり、

大きな声に隠れてしまい小さな声がかき消されるのはままあることであること、

日本人の性質として大きな流れに乗る傾向があり、本質を見誤ったまま近視眼的な問題解決で本質を先送りすることにもなりかねないこと、

などを鑑みれば、原発反対デモをやる人たちにターゲットを絞り、デフォルメして大きな流れになった場合の危惧されるものなどを浮き彫らせることは必要だったと思います。


あの記事から半年ですが、こうした日本の社会・産業構造に目を向け、一回でも過疎地域に遊びに行ったりそこの産地品をネットで注文したり、何らかの持続可能な地域モデルを考えているのなら別段ボクがあれこれ口出すのはお門違いなのですが、

もしそれをやらずに原発反対デモをやっているのなら、自分たちの住んでいる都道府県の過疎地域に目を向けてください。

今一度お願いします。


またしても思い込み記事かな(笑)


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