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土の上にも三年

農への道

そうだ!こうしよう!

2011-04-21 09:00:48 | とんでも日記(社会系)
古い原発2基を潰して新しいのを1基作れば、老朽化や杜撰な設計による安全面の不安は多少払拭されるじゃないですか?

て言う意見は即座に足蹴にされる世の中になってきました(笑)

減らす・停止・廃止。で、使用済み燃料棒どうしよう?となるのは当然で、

活断層の上だから・老朽化が酷いから・管理がダメだから・コントロールできないから・設計がお粗末

だから、

減らすために停止したけど廃炉は順番待ちだし、その間燃料棒は活断層の上の老朽化した建物の中に置きっぱなし。

それはあまりに酷い意見じゃないかなぁ。

まぁ活断層しかないような日本において、安全な場所があるのかは甚だ疑問なのは否めません。

でも個人的には、停止して誰も受け手の無い燃料棒を老朽化した活断層上の原発に置いておくより、

当座の凌ぎに今よりは安全そうな場所に、今よりは安全そうな原発作って、今よりは安全そうな管理体制整えて、

作ってしまったものを魔法のようにいきなり消したり出来ないんだから、不可抗力にせよ何にせよ、作ってしまった責任を転嫁せずに、

少しでも安全面に配慮した形を過渡期に見据えて、みんなでその痛みを分かち合いましょう、という風潮を作らないと、

結局押し問答に膠着して、「嫌だから廃炉」→「当然燃料棒なんて身近に置きたくない」→「新しい原発ももっての他」→「廃炉への手順?シラネ」

あら地震起きたね、停止したけど事故ったよ。

そんな風になりそうで怖いです。

原発推進派も反対派も歩み寄れそうな、新しく作るけど数は減らす、という意見は通らないですかね?


http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011042000757

ルクセンブルク外相も、原発は無くすべきだけど「クリーンエネルギーへの過渡期」と見ています。

過渡期無くして変革は無し。

過渡期の通り方如何によっては、より悲惨な結果も招きかねないと思います。

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11 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (謎々)
2011-04-24 01:10:20
あどうもお久しぶりです。

使用済み燃料棒どうしようの話が
何で新しい原発作って更に使用済み燃料棒増やす話に繋がってるのかさっぱり理解できないとです…。

話変わりますが房総あたりで大きいのきそうですねorz
千葉にタービン増設するとかいう記事も見た気がするけれど大丈夫か…orz
返信する
Re: (tutsi-note)
2011-04-24 07:00:09
えっとね、まず増やすんじゃなくて現状維持ね。
2基ある原発が、老朽化が酷くて活断層の上にあって尚且つ燃料棒(使用中・使用済み・新品含む)が1万本(計2万本)くらいあったとします。
そこに比較的地震少なさそうな場所に、老朽化した2基にある燃料棒を収容できるくらいのサイズの燃料プールを備えた新しい原発1基を作ります。
で、老朽化した2基は廃炉。
すると原発2基が1基になって燃料棒も多少安心になる。
んで、燃料棒を使い果たしたら燃料プールだけの管理にして終了。
これ以上燃料棒増やすって意味じゃないよ(笑)
いまある燃料棒の行き場がない、燃料プールもいっぱい、さらに活断層の上にある、っていうどうしようもない状況だから、多少は安全面で安心できるんじゃないかな、と思いました。
空冷式がうまくいくような原発にすりゃ海辺に作らなくてもいいしね。

房総タービンってこの前の火力発電量計算の記事?
まぁでっかい地震起きたらどこで起きても電力不足だよ(笑)
雨が降らなきゃ500万kwくらい減るし。
単純な足し算なら電力足りてるけど単純な足し算ではないのが自然災害や自然現象。
何かが起きても吸収できる電力量を用意するべきか、何かが起きたら我慢するか、何かが起きた場合になんとかできるシステム作るか、やり方は色々あるけど個人が出来るのは電気なくても平気な生活に向けて進むくらいかなって思う。
無くてもってのは極端か(笑)

この記事の内容は、炉自体は一定時期増えちゃう。
しかもこのご時世に受け入れてくれる自治体なりが現れるかどうかも無理そう。
原発は燃料棒だけが核廃棄物じゃないから、原発の数増やすことも反対なのかもしれないけど、何もかも反対しても、現状の原発不安は解消されないんじゃないかなぁ。
新設しないで現状の燃料棒をどう管理するか名案あったら教えて(笑)
返信する
Unknown (謎々)
2011-04-24 13:38:35
それだと原発新規増設じゃなくて、貯蔵施設新規増設ではないの?
原発内の使用済み燃料プールがどういうスペックなのか知ってるのかしら。
長期保存目的ではないのだけど。

これ以上死の灰増やさない=運転目的ではないなら、高コストかけて原子炉を新たに作ろうっていう理由がわからないです。セットで考える理由を教えておくれ。

参考1 使用済み燃料処分までの経路図
http://www.nuketext.org/shiyouzumi.html#glass

参考2 放射性廃棄物を考える
http://homepage3.nifty.com/ksueda/waste-top.html


あそれとタービンの件はどこかのニュース記事なのでお気になさらず。
新設地が揺れ揺れで作業大変だと思った次第。
返信する
Unknown (謎々)
2011-04-24 13:56:29
蛇足

参考3 海外諸国の使用済燃料貯蔵の現状
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=04-07-03-17

参考4 使用済燃料の乾式貯蔵に関する研究
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=06-01-05-08

湿式、乾式とあって、こないだちらっと出てきたキャスクってのは乾式。
返信する
Unknown (謎々)
2011-04-24 14:04:28
あそれと↓

>何もかも反対しても

これはぼくに対して言ってるのかしら。
ぼくの過去レスの中で何もかも反対してると読み取れる発言あったかしら。

それともこれも以前やりとりしたような
そういうある一定の何もかも反対してる人宛に向けた発言です?
返信する
Unknown (tsuti-note)
2011-04-25 00:19:27
この記事は、貯蔵されている燃料棒が3種(使用済み・使用途中・新品)あることを前提に、営業を即時停止しない立場から考えた内容です。
現状の原発で運転することも、使用済み燃料を現状の原発で管理することも、かなりの高確率で事故を起こすと思います。
すぐに停止するのであるなら貯蔵施設を新設・増設して安全性を高めて管理するのが良いと思いますが、すぐに停止しないという可能性(即時停止の訴えが届かない場合)も考えなければならないのは事実ですから、どちらにも動ける施設を考えました。
折衷的な施設ということです。
=========================
よって、これ以上絶対に死の灰を増やさないという案ではないです。
現状使える燃料棒であれば使っていくという可能性も残した考え方です。
=========================
これは、現在あるどうにもならない廃棄物の処理方法が無いのだから、多少増えることには目を瞑るという案でもあります。
被曝労働者の問題も、廃炉に向けた停止であっても管理被曝から免れることは無いのではないかと考えたのです。
でも問題がありまして、原発はポンっとすぐに出来るわけじゃないです。
逆にそこを逆手にとって、推進派への投げかけで、「原発作っていいよ、安全なのできたら稼働していいよ、でも今あるものはすぐ停止してね」という餌を撒けば、「分かった、じゃぁ一時的に止めるよ」なんてならないかな、っていう駆け引き的なものも含めています。
その間に代替エネルギーの開発が進むことを期待しています。
あわよくばバイオレメディエーションなどによる廃棄物の処理方法確立も出来れば最高です。
経済への影響を不安視するボクみたいな人間にも、「一時的に止めるだけだから、それまではみんなで頑張ろう」って言えるきがします。
=========================
また、万が一イタリアみたいに結局原発の再開も一つの案として検討せざるをえない状況になったときでも、古い原発稼働するよりも新しいほうが良いのではないかと思いました。
=========================
貯蔵プールのスペックがどうのっていうのは問題ではなく(そもそもスペック通りになっているなら福島みたいな過剰在庫を抱えていないはず)、現状原発内に貯蔵するしかない状況=目的とは別にしても長期貯蔵になるしかなくなっているという状態は危険だと思います。
それが老朽化していて活断層の上にある原発内ならなおさらです。

なんか良くまとめられませんでした。
10時間考えてこのくらいしか書けませんでした(笑)

最後の、
>これはぼくに対して言ってるのかしら。
これですが、半分YES半分NOです。
ディベート的なやり取りになっているのだから、謎々さんがボクとは反対側の代表だと思ってコメントしている部分はあります。
返信する
Unknown (tsuti-note)
2011-04-25 00:25:26
あー貯蔵プールのことですが、東電が営利主義すぎて溜め込んだのは知ってます。
それ抜きにしても行き先ないと思います。
返信する
Unknown (謎々)
2011-04-27 22:56:21
>>ディベート的なやり取りになっているのだから、
>>謎々さんがボクとは反対側の代表だと思ってコメントしている部分はあります。

最初に申し上げておきますが、ぼくはディベートに参加しているつもりはありません。
あなたの言っているディベートとは競技ディベートですか?

あなたは
「原発反対。最終的には全廃だけど、過渡的には持続、段階的に廃止。
過去に反対し続けて来た人たちについて彼らのアクションについてはネガティブだけれど
彼らを抹殺してきたジャーナリズムにもネガティブ、関心を持たないできた人々にもネガティブ
(無)計画停電による弱者いじめや産業の麻痺にはネガティブ
過去に原発をすべて止めた時に計画停電が起きなかった事はスルー。
足りない足りないと言ってる部分が真夏時の数日だという事もスルー。
化石エネルギーの枯渇を危惧するがウランもまた化石エネルギーだということもスルー。
代替エネルギーに対しての積極的な取り組みやプランもスルー。
(このへんはぼくは敢えてコメントではほとんど触れていませんが、当然ご存知のことだと思ってます。)
ただちに原発を停止すると停電する、弱者いじめに繋がる、
産業が麻痺するのではないかと考える。(他にもあるけど以下省略)」というような立場。

それに対してぼくは
「何もかも反対する」人たちの代表という立場。

こういうディベートはフェアですか?


以前にも言ったことあると思いますが
ぼくはカテゴライズするのもされるのも大嫌いです。
あなたがよく使っている○○派という言葉も含めて。

基本的なあなたのスタンスは
弱者にしわ寄せがいかないようにと考えているのだろう、と推測します。

しかし、例えば汚染野菜。
あれについてあなたは最初に何と言ったか。

ぼくは食べますよ。自給率のために大人は食べよう。


確かに農家の人たちは大変です。
けれど、ぼくはこう考えます。簡略すると下記になります。

(強者←)東京都の大人>汚染地域の大人>東京都の妊婦・子供>汚染地域の妊婦・子供(→弱者)

強者である大人が汚染野菜に対して弱者のことを最優先に考えるなら
汚染地域においても、東京都においても
弱者の口に入らないようにその流通を阻止しなければいけないとまず言うべきなのではないか。
トラッキングできるようにすべし、曖昧な検査、流通制度を正すべしと。

あなたが食べますよ宣言をした後に、強者でいえば最強の人がぼくは食べますよ宣言しましたね。
東京都で流通させますよと。
勿論彼の言い分も、検査にひっかからなかったものをという限定でしたが。

確かに彼の言葉は汚染地域の農家にとっては勇気付けられるものとなったでしょう。
あなたの言葉もしかりです。

大人は食べましょう。これもまたあなたの発した言葉ですが
ぼくは問いましたよね?
大人と子供どうやって食卓を分けるのですかと。
ぼくも一定年齢以上の大人の口に入るのはやむをえないと思いますが
子供に対しての基準の甘さ、流通や検査の徹底がなされてない
表示できていないことで子供や妊婦が食べる可能性がある状況下で
強者である大人としてぼくは、食べましょうを発信することはできません。

強者が、弱者に対する基準や流通や検査を徹底しろ、表示し区別できるようにしろと抗議し
その制度が確立してはじめてぼくは、基準超えてますが、強者なので食べますよ、と言えます。
ですので、汚染野菜に対して強者が最初に発すべき言葉は
真の弱者のことを考えているのなら、何にも確立してないうちから
食べますよ、流通させますよ、ではないのではないかと思うわけです。

最近では汚染地域の学校給食に取り入れるだとか
国の緩い基準を超えた汚染をしていると知りつつ出荷流通させただとか
そういうニュースが流れていますね。

汚染地域の農家はどんなに悔しかろう、彼らの力になろうという気持ちを否定する気はありません。
ぼくだって、関東の一消費者として、例えば菌床でない原木で育てるきのこ
有機農法する為に土壌改良し、無農薬を徹底してきた農家のみなさんの農作物
飼料や放し飼い育成等様々な工夫や苦労で出来た酪農製品
他より少し高いけれど、それらを選んで購入することで応援してきたわけです。
どんなに悔しかろうと思いますよ。

けれど、大人だから汚染しててもちょっとくらいいいよ、買って消費するよ、力になるよ
そういう善意の気持ちは、真の弱者に対してきちんと対応がなされてから。
もし、生産者に対する救済と真の弱者に対する措置が同時並行で行われないなら
強者である自分は真の弱者の立場からより声高に真の弱者を守れと物を言うべき
ぼくはそう思います。

あの時強者として主張すべきことは
汚染地域の作物が、農家が、かわいそうじゃないか
ちょっとくらいならぼくは食べるよ等、心情的理由によるパフォーマンスではなく
ましてや自給率のために食べるべき等でなく(農家が聞いたらどう思うでしょうね?
そりゃ自給率のためにやってる人もいるでしょうけど。)
真の弱者を守れるようなちゃんとした基準を設け
誤魔化しなく徹底検査して、トラッキングして、選別して、表示すること、だったと
ぼくは思っています。

そういう徹底検査、徹底管理をしても当然風評被害というものはあるだろう
そこを強者が、何を言っているんだ、ぼくは食べるよと言う。
これが順番だと思うのです。

原発も同じように、以前あなたが述べられていたような
電気がないとお年寄りが高層階を徒歩でのぼらなくてはならない
ひょっとしたら電気車椅子も使えないかもしれない
そういう弱者の立場から考えているのだろうとは思います。
けれどそれは、いわゆる意図的な無計画停電をした場合に起こりえた事ではないのですか
と問うてるわけです。

仮にどんなに逆立ちしても、万万万が一電力が足りなくて計画停電をせざるを得なかったとして
あなたが上に述べたようなことは行政施策として解決できないものですか?
解決しようと市民や地域や自治体が力を合わせることは可能ではないですか?

でも、原発立地地域や使用済み燃料集積地はどうですか?
日常的な垂れ流しや、事故が起こったりした時に市民や地域や自治体が力を合わせても
放射能汚染や被曝は早々食い止められないですよね?


段階的停止、過渡的に継続。基本的に反対。
あなたの自称する「反対派」の立場が
誰の身になってどこから物を言っているのかがよく見えないのです。

ぼくも、廃止方向で行くならきっと段階的に停止になるだろうなぁとは思います。
それは政治的な意味でですが。

それでも真の弱者の立場を思い全基即時停止を願う人たちに対して
ナンセンスだとかシーシェパードだとかはぼくは思いません。

シーシェパードに関して補足すると
ぼくは個人的に人間はある程度滅びよと思ってるので(笑)
そういう考えからしたらもしかしたら大いに賛同すべきなのかもしれませんが
まあそれはおいておいて。
あなたのあの文脈から読み取れる原発反対デモに対する比喩は彼らのステレオタイプなイメージ
を示唆していると思ったので、それはどうなのかと指摘しました。

さて脱線しましたが。
冒頭のディベートの話に戻ります。

ぼくがこれまで個々ぼくの思うところや、あなたの記事内容に対する質問や指摘に対して
あなたはこれまでぼくに
いわゆる全部反対全部止めろ、そういう立場から物を言っている人たちの弁護
もしくはそうではないですよ、そういう人ばかりではないですよ
という話から始めなくてはいけないディベートのテーブルに
意識的にか無意識にかわかりませんがつかせています。

ぼくは基本的に人ごみが苦手ですのでデモに参加したい人でもないし
集団行動も苦手です。
ぼくはぼくのやり方で。それでいいと思っています。

でも、かといってデモや集団行動を否定する気も特にはないですし
アプローチはいくつあってもいいと思っています。
アプローチの違いで否定されたというような事がどこかで書いてあったような気がしますが
ぼくからすればそれはあなたが、自分とデモ参加者とでアプローチが違うことに対して
原発反対デモ=シーシェパードのような発言こそがアプローチの違いを否定する発想じゃないの?
とぼくは思っています。

まぁそれはともかく
ぼくは過去あなたとのやりとりの過程において
書かれてある事柄について、そうではないのではないですか?
画一的に表面的に捉えてよいのですか?等と疑問提示をすると
あなたはぼくをいわゆる
反対反対なんでも反対派の一人からの意見としてディベートの席に着席させ
論を展開するわけで。

そういうやりとりはあなたにとっては充実したものかもしれませんが
少なくともぼくには何のメリットもありません。

もしあなたがその反対反対なんでも反対な人たちとディベートをやりたいのであれば
そういう人をブログやらツイッターやらで見つけ出してやればよいのだと思います。
安心してください、そういう人は少なからずいますから相手には事欠かないと思いますよ。

いつぞやのブログ記事の結末は確か
即時停止派?反対主流派でしたっけ?とは繋がることはないだろう的な
自分は手を差し伸べる準備はあるが、断られるだろう、かなわないだろう等があったかと思います。
誰と闘ってるのか誰に言ってるのかよくわかりませんが
少なくともその相手はぼくではありません。
ぼくはあなたがひとくくりにくくっている何とか派ではないのですから。

仮想敵がいればテンションが上がるのは理解できますが
相手をむりやり自分の作り上げた仮想敵に当てはめ、さぁディベートしよう!
これは余程の物好きでないと相手は務まりません。

仮にあなたのブログを読み誰かが疑問を持ち
ここは本当にそうですか?等と聞いた途端に
反対反対絶対反対派に入れられてしまったらどう思うでしょうか。

そんな訳で以降発言は差し控えようと思います。
返信する
Re: (tutsi-note)
2011-04-28 01:28:43
えっと、以下ぶっきらぼうに進みます。
感情的になってるとかじゃなくて、箇条書きに肉付けしてたらこうなりました。


万万万が一電気足りなくても行政で対応可能だ、
→でも行政で対応できないから万万万が一(見方によっては万が一じゃなかったんだけど)の放射能野菜はただもれ

そんな行政をあてにして原発停止を断行しても大丈夫だろうか

行政をあてにして、まずは制度を整えるまでは流通させるな
→いつになるの?農家干上がっちゃう

自助努力を促す必要もある、妊婦子供らが食べなくても農家が干上がらないように大人が食べましょう
→そんなにおかしい?

順序を行政が作れるなら、いまの日本はもっと快適になってる
行政に訴えることは大切
「こうやってフォローするから基準値こうしろや」って書いてるんだけど
「基準値こうしたらこうやってフォローする」
どっちでも良いと思うけどね

車椅子やらエレベーターやらは市民や地域や自治体やらの自助努力でなんとかなるのに、
野菜ではならないっておかしくない?

基本的に自助努力を促す意味で「野菜は大人が食べる」
そしてその自助努力が為されない場合「エレベーターや車椅子でお年寄りが困る」
みんな保身的に行動するのは当たり前だけど、それらを目の当たりにしていて「原発止めれば全てが解決する」かのような原発へのスタンスは疑問

まぁようは行政に期待してません、ってこと
電気が足りる足りないもやってみなきゃ分からない、過去がどうであれ、年々増えているとされる電力使用量は、自助努力で吸収するのがまず最初
そこで吸収できないのに停電したら自助努力を頼ってお年寄りや弱者を助けるのは難しいんじゃ?
つまり最短でも電力使用量の年間ピークを一度は通過するべき
過去は過去、原発事故って変化したみんなの意識で乗り越えてから原発を停止する議論にすべき
極端に片寄ることの危険性は記事でいろいろ書いてある

原発反対の究極である原発ゼロは、後付けだけど多様性の否定に結び付けて危険性を指摘
その危険性がシーシェパードと被るわけで、ヒステリックだと言うから数記事使って解説

こちらの思考スタンスは「弱者だけを全部救うのは無理」
強者も救うし弱者も救う
その過程で仮に自分が溢れても「人類という種の保存に活きる」「だから死から絶対に逃げるというだけのスタンスをやめよう」もっと言えば「ダーウィンの進化論は必ずしも正しくない、強者だけがシステムの上に立つ訳じゃない」「全体のバランスのために自分が選ばれなかったら、それは強者弱者のシステムではなく、全体のバランスというシステムの中での結果」
そんなスタンスかな
そのシステムをコントロールしようとしている権力者はいるけど、それも引っくるめて「全体のバランス」
然るべき時がきたら権力者の喉元に刺さる刃もあるだろうね
その革命的な意識が必要か不要かは、これまた全体が決めることで、それに対してまだ不要と言ってるのが現状なわけ(かなり変化してるのはよくわかる)
まだまだ不遇だろうね、原発ゼロへの道は
いつかみんなで歩けるようになったときに「ほら見たことか」にならなきゃいいなとは思うけど、揚げ足大国日本ではそうなりそうな気配を感じてます

そんなスタンスから、遺伝子的欠損が放射能によるものであろうとなかろうと、はたまた優性遺伝が消える結果になろうと、結果に過ぎないと捉える
もし仮に、東日本一帯の遺伝子が消え去ろうと、西日本の人たちがそれを教訓に活かせば良い
そこで生き残るも生き残らないも行政の選択の問題だけではなく全体の生き方の問題だ

では行政の体たらくを野放しにするのか?
社会保障や社会の在り方はどうするか?
そこがもどかしい
もどかしいってことは極端に動けない世の中の証
その狭間でどうやって生き方を見出だすか、どうやって社会の中に在るべきか、どうやって世の中と接するか、これは「こうだ」というものはない
だから「哲学の問題」だと最初から言ってる

まぁ今のままだと行政に対して反政府的な流れもできるだろう
そうならないように揚げる声は、多様であるべき
多様性を否定する極論者は危険
だから現状の原発反対運動、過去の反対運動も極論であるなら受け入れられない

しかしながら、こちらも多様性を訴える以上は、そうした運動をしている人たちのブログなりまで出かけて、ヤイのヤイのやるのはおかしい
→ブログでやりましょう
→あなたが「然るべき場所でやれ」はお門違い

あとはなんだろう

まぁ行政をあてにするなら暫定でもなんでも基準値信じればいいし、
あてにしないなら自助努力でもなんでも自分の身を守ればいい
行政をあてにしても完璧はないし、自分の身を守るにしても完璧はない
こんなブログで「食べればいい」って言ったくらいで覚悟もせず食べるくらいなら、これから先生き残るの厳しいんじゃない?
そうした人たちを導くのはこのブログじゃないしね
みんなフィルター通して見てるんじゃないのかな
鵜呑みにされても困るから「自己責任で」とさんざん書いてるし

いろんな人がいる、それは理解したい
だから直接出かけて批判はしない
でもこちらまで来るなら批判もする
それが批判的な意見ならなおさら
こちらの土俵まできてあぁしろこうしろって言ってるわけじゃないのは分かるんだけどね

ここに初めてきて書き込みして、「これこれこうなの知ってるのかね」「哲学が浅い」「不勉強」そう言われたらどう思うの?
感情どうのの話ならコメントの仕方おかしいと思うよ

そうした部分はお互いのそれなりの関係あってのこと
だから心配なさらずとも、相手が分からないコメントに対しては簡潔に当たり障りなく返してます

これ以上コメントしないってのは、あなたの最終通告なのは知ってる
批判しあいたいわけじゃないし、間違いはたくさんあったと反省もしている
でもスタンスは変えないよ
極論は危険だし多様性を否定する意見とは絶対に手を繋がないし行政に丸投げしないし自助努力だけで生きていこうとも思わないし、
なにより他人がどう生きてもその人の勝手であるべきなんだから、こちらはこちらで自分で紡ぐ未来に向けて歩くだけ
その過程で間違ってようが哲学が浅かろうが不勉強だろうが、ブログやってる限り発信していく
やり方に文句があるなら端的に「閉鎖しろ」と言うべきよ
そうじゃないなら多様性を認めてスルーすべき
意見のやり取りなら最初のコメントの仕方は残念すぎる
こちらは多様性を認めていない人を中心に批判してます
昔からそのつもり
自分もその思考を持っているから悶着したりはあるけどね

繰り返すけど、原発ゼロを訴えるのは方向性だけに留めるべきで、それを排他的に謳う人にはこちらも受け入れられない
あなたがそうだと言うのではない
でも、命題がそこなのに些末な知識の多寡で相手を否定するなら別
仮想敵どうのより以前に、記事とコメントで切り分けてるのを一色たにされても困る
一連で繋げてる部分は咀嚼して、切り分けてる部分も咀嚼して
それがネットの情報と接する大事な前提だと思う
誤解無いように発信できるかどうかは能力の問題でまた別の問題

最後に、昔いったん上げて下げた記事あるけど、妹さんに対して言ってるわけじゃないよ
中に含まれちゃってるけど
下げた理由は、極論だな、と思ったから
一方から完全否定するのは良くないよね反省してます
返信する
Unknown (tutsi-note)
2011-04-28 01:43:41
→いつになるの?農家干上がっちゃう

→補償なりで凌ぐ

だったね
あと、あてにしてないから発信すべき、東京の大人という強者なんだから、ってことも読み取る
だから「どこのどんな人に対して言ってるのか」と聞いてきたんだと思う

マスコミなりの発表に合わせて「安全です」なんて信じられない、って思ったのかな、とも思う
でも全部説明しようとは思ってなかったし今も思ってない
安全って言われても大多数が回避するから現状14億だかの補償問題になってる
マスコミやこのブログの「安全」にNOと言ってるわけで、それでいいんじゃないかな
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