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土の上にも三年

農への道

久々の夢

2012-01-18 07:26:27 | どうでも日記(雑記系)
2012-01-18 追記
>家族の状況が多少なり判れば、駆け付ける必要があるのか無いのか分かるし、安全が確保されてそうなら余裕を持って行動できる。


逆に安全が確保されてなさそうな場合。もしくは揺れてる最中の電話コールにRIEが出なかった場合。

これは十分想定出来る。3/11の時もRIEが電話に出るまで十数秒かかった。そりゃそうだよね、震度5強とか未知の揺れなんだから。


いきなりちょっと別の話なんだけど、我が家は数年前から自転車で通える場所にある防災館へと毎年足を運んでいる。震度7の体験コーナーもある。

それで慣れるとかそういうものでは無い。けど揺れ自体は未知では無かった。とはいえ実際になれば、RIEには電話に出るより先にすることがあるし、俺にも電話するより先にすることがあるだろう。それは踏まえている。

利己主義的な俺は、回線が繋がっていればある程度落ち着いた時に連絡が取れると考えていた。これも数年前から考え実行してきた。だから3/11もとっさに電話をかけた。

当然揺れてる最中に電話をする人なんて、まず、いないから繋がる。コールが繋がった時は揺れの真っ最中だったのですぐは出なかったけど、揺れ始めから十数秒後に通話出来た。

安全が確保されていそうだったので用件だけ伝えて切った。その後はどこにも繋がらなくなったらしい。災害時のある意味における常識だと思われる。大切な人を心配する気持ちは誰にも否定できない。

もちろんそうなることは分かっていたつもりなので、俺から誰かにかけたのは揺れてる最中の1度きりだった。無闇に回線を潰さないのも災害時の常識だ。後から「繋がらなかった」という声をネットでも会社でも聞いた。


用件は3つだった。

家族の居場所(RIEと子供の居場所)の確認。これは絶対に必要だ。もしRIEに何かがあっても、おおよその場所だけ分かっていれば向かえる。もちろんそれが子供の安全に繋がるわけではないが・・・

例えばどこそこ公園に行ってる、ということを知っていれば、万が一の場合、おおむね見当を付けて捜索出来る。被災後、移動出来る状況ならどこかに避難しているだろうし、出来ないならそこで助けを求めている可能性はある。

完全に回線がダメになり、RIEどころか誰とも連絡を取れない状況に陥った場合や、家族で話し合ってある避難場所にも居ない場合、そんな時に役立つ情報だと思う。あくまでもエッセンス程度にしかならないと思うのだが、生死を分けるものはほんの僅かな違いなんだとも思う。


2つめ。揺れが強いから津波に気をつけて、ということ。たまたま居合わせた場所でテレビが点いていた。震源は三陸沖の方だと言うことだったが、東京なのにあまりにも揺れが強かったので、テレビのアナウンスをそのまま伝えた。

でも余震が続く中、7階の自宅に行くことが安全かどうかなんて分からない、と言っていた。いいから行きなさい、と言ったけど、結局行かなかったみたいだ。

今でもRIEは、どっちがいいのかな、って言ってる。どっちがいいのか分からないよね、実際。

教訓を活かして、より高い場所に行く人は多いだろうけど、ビル倒壊の災害が直近に起きた場合はまた変わってくると思う。

ちなみに我が家は、建物の揺れ強度が弱い方向に対して強くなるように家具を配置していた。現在は事情があって一つだけ配置がダメなんだけど。まぁ家が狭いので置く場所が無い、ってことです(笑)


3つめは「大丈夫だよ」と笑って言ってあげた。

笑うのは不謹慎だろうとも言えるけど、安心させるためのおまじないみたいなもの。笑って話しかけてあげることが大事だと思う。


ようやく話が本題に入って(笑)そんなような対策等々が一切通用しない場合。

揺れが収まっても電話が繋がらなかったなら、おそらく何かがあったのだと判断する。その時のお互いがいる場所によって、すぐに向かえるかどうかが決まるだろうと思う。

もしすぐには向かえない場所にいたら、生きていることを強く信じつつ、常識の範囲で向かうしかない。焦らないためには覚悟も必要だ。万が一を想定しつつも焦らない覚悟だ。いわゆる諦め。もとい、自分を納得させるしかない。

「神様でもない限り状況をコントロールなんて出来ないんだから、現状に満足してやるべきことだけやれ。」と。

まぁなんでこんなことを書いているのかというと、今度伊勢参り行くからです(苦笑)


もし揺れてる最中に俺から電話が無かったら俺は死んでると思って行動してくれ、といつも言っている。こういうところはOJIJIに似たのだろうか(笑)マイナスの可能性に囚われるくらいなら、一切忘れ去ってくれて構わない。

むしろ俺に何かあったとしても一切気にかけないでください。生きているかいないかの違いは、例え方は悪いかもしれないけど、前回「またねー」と言って別れてから、次にまだ会っていない状態みたいなもんだ。俺はそう思う。

そういえば数日会ってないな、とか、数ヶ月会ってないな、数年会ってないな、まぁいつか会えるよな。そんな感じ。

会えないまま人生が終わることもある。もうかれこれ10年近く会っていない当時の親友もいる。数年会っていない高校時代の友達もいるし、前の職場の先輩ともしばらく会っていない。その間、相手が生きていると思い込むことで、相手は俺の中で生きていることになっている。生きているのかいないのかは実際に連絡取ってみないと分からないのに。


思い込みは素晴らしいよ。プラスにもマイナスにも大きく働く。何がプラスで何がマイナスかは人それぞれだけど、俺の事を待って先に進まないようなことにはならないでほしいな、っていうのが書きたいこと。

心情的なものは分かるけど、待って結果が変わるわけでもない。待って結果が変わるなら待って欲しいけどそうじゃない。逆に待たなくても生きていればひょっこり現れる。むしろ憎まれっ子世にはばかる。あれ、ちょっと違うか。


俺の押し付けだけじゃ悪いから、あなた達に何かあった場合、辛いけど、俺もあなた達のことを待ったりしないことを約束しよう。会えるなら会えるし、会えないなら会えない。

会えない事が辛いものであると想像されるなら。

今のうちに会っておこう。

でも会えない場合も多い。ベタベタしているのもなんか違うし。なので、明日から一期一会を大切にしようと思う。

ほら、たまには書かないと忘れるじゃん、一期一会とかって。今日会った人と明日も会える保証は無い。明日会う人と暗い気持ちで別れたくない。明日こそはゆるーく。相手を許す生き方が出来ますように。

おやすみなさい。



地震の夢です。

なんだろうねぇ、定期的?とも言えないか。不定期的に見るな。

毎日地震のことをこんだけ気にしてるから、「たまたま気になったから夢を見た」とも言いにくい。

夢診断とか知らないんで適当なんだけど、深層心理的には地震を怖がっているのだろうか。本人に自覚はない。

まぁ家族の心配は人並みにはするけど、揺れてる最中にRIEに電話して落ち着かせる程度なもん。愛妻家だから?(笑)

いいえ、防災の観点からです。

家族の状況が多少なり判れば、駆け付ける必要があるのか無いのか分かるし、安全が確保されてそうなら余裕を持って行動できる。

身勝手と言えば身勝手。でもいざというときの余裕の無さは、周囲を巻き込んで破滅する。事が起きたら焦っても遅い。

やっぱり怖いのかな。強がってるだけで(笑)


予知夢とかは信じてない。ただ、毎日何回も地震情報やら宇宙天気やらを見てるわりに、中途半端な頻度で見るんだよなぁ。

虫の知らせ程度には気に止めるかな。

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